第三章:いよいよ異世界生活っぽくなってきた……3
少女こと、リルの環境適応が高く、どんな獣でも狩って与えれば喜びを露わにして飛び跳ねてくれる。そして返り血も気にせずナイフを取り出しては、自らが食べるために捌いてしまう。
お陰で食うに困ることは無くなったが、問題はまだ尽きない。
空腹が満たされたことで、リルを襲った三大欲求の睡眠。
「ワンちゃん……」
(どうしたの?)
「グルゥ」
食べ終わってからしばらく経ち、腹部に寄りかかったまま動かないリル。
出逢ってから終始快活としていた声音が弱々しい。顔を俯かせて表情がみえずとも、明らかな違和感に不安が過ってしまう。
上体を少し浮かせて動くと、リルはコテンと横に倒れた。
(へ?)
いくら前兆があれ、心構えができていない。
驚きのあまりかける言葉を忘れ、頭の中が真っ白になっていく。
真っ白な雪原に横たわるリルは、ピクリとも動く気配はない。こちらを揶揄っている様子もなければ、明らかな異変。
ついさっきまで焼き上がった獣の肉を美味しそうに頬張っていた。
環境が故に上品とは言えなかったが、残さず平らげている。
(ま、まさか、あの獣の体内に何か……)
普段から気にせず喰らってきた獣だったが、人間であるリルには耐性が無かったのか。
ようやく思考が回るようになり、鼻先でリルを突く。
(だ、大丈夫?)
「グルゥ」
だけど、いくら突いても応答がない。
(り、リル)
「グルゥ」
募る不安に頬を摺り寄せると、微かな動きがみられた。
「ん~どうしたの、ワンちゃん?」
(……?)
どこか蕩けたような、フワフワとしたリルの声音。伸ばされた手で優しく撫でられるも、それからまた動かなくなった。
(……これ、寝惚けてる?)
瞼を瞬かせつつ、リルの様子をじっくりと窺う。
雪原の上に横たわる、真っ赤な頭巾を被る少女。寝つきの良さには感心させられるが、場所を選ばないのが問題だった。
(無理に起こすのも可哀そうだし……)
スッと目もとを細め、周囲に意識を集中させる。
(獣の気配もないみたいだし、少しくらい休もう)
いつもだったらリルと同様に場所を選ばなかったが、さすがに気を遣う。
これまでも何度か、拠点作りに針葉樹林の枝を利用してきた。
ただ、それ以上に折っては集める。その繰り返したのもあって手慣れたモノ。
比較的葉が多く茂る枝を探し、何層にも重ねて寝床にする。
その上にリルを銜え乗せたが、その間に起きる気配すらなかった。
(これくらい静かでいてくれると、いろいろと助かるんだけどな……)
この弱肉強食の世界、生き残るためには様々な手段がある。
一番は純然たる力。
相手を容赦なく圧倒し、慈悲なくその命を刈り取っていく。
だが力なくとも、知性も一つの武器となる。
それは集団における行動だったり、疲弊して弱っている所を襲う。他にも強者のおこぼれを預かったりと、生き残るために考え抜いた。
どちらかというと後者に近い行動が多く、今がある。
だけどリルという少女の存在は、それを良しと今後はしてくれないだろう。
そんな可能性を抱きつつ、短い息を吐いてリルを守るように身体を休ませる。
瞼を閉じながらも、耳を立てて聴覚で周囲の物音に神経を尖らせた。
(……っ)
次に目が覚めると、リルは眠り続けていた。
これといって周囲に獣の気配を感じ取ったわけではなく、自然と目が覚めてしまう。
ゆっくりと瞼を開き、顔を左右に振る。
(さて、これからだよな)
リルの口からでた【雪原の魔女】という存在。
【魔女】という存在だけあって、明らかに獣の姿ではない。
リルと同様に人の身で、この雪原地帯に住んでいる。
それはあの主、左前腕が異様に発達した獣すら近寄らせず。人の身でありながら、弱肉強食の獣達がしのぎを削る世界を生き抜いている。
もしくは、ひっそりと息を潜めているのか。
前者であれば、さぞ腕の立つ魔女なのだろう。
イメージからして魔力の量が豊富で、多彩な魔法を駆使して戦場を蹂躙する。
はたまた何かしらの研究をする一環で辺境の地に訪れ、実験対象としての獣達を利用している。
後者だったとしても、野生で育った獣達にバレず過ごしている能力の高さ。
特に嗅覚や聴覚は人間の比にならず、胴や四肢といった部位はこの環境に適するために発達してきた。
ただ生活するだけにしても、身の危険はありそうなものだ。
どちらにしても【雪原の魔女】は人の身で、獣達を圧倒する力を有している。
その事実だけでも、リルを預けるには申し分なかった。
リルを【雪原の魔女】の元に置いておけば、必ず町へと届けてくれる。いくら魔女とはいえ、雪原地帯で自給自足は難しいはずだ。
何かしらのタイミングで人里に降り、食糧や日用品といった物を買い足すに違いない。
「ん~……?」
コロンと寝返りを打ったリルと目が合い、しばらく見つめる。
「ワンちゃん」
(おはよう)
「グルゥ」
どこか舌足らずに頬を緩ませ、触れようと手を伸ばしてくる。
方針としてはリルを町へと届けるつもりだったが、多少の誤差。どこかに住まうとする【雪原の魔女】を見つけだして預ける。
そうすればリルが雪原地帯を訪れた目的が達成され、身の安全も確保することができるという。
まさに、一石二鳥。
と、目的が定まれば行動あるのみ。
リルの伸ばす手に顔を近づけ、そのまま起床を促す。
「すぅすぅ」
(……え、寝た?)
あと少しといったところでリルが伸ばしていた手は、簡易的に作った葉の寝床を撫でる。たまたま目が覚めただけで、再び眠りに就いてしまうリル。
ただでさえ雪原地帯という環境にいる。
(え~~~)
だというのに、熟睡どころか二度寝までしてしまう。
寝る子は育つというが、場所どころか状況も考えてほしいと嘆くしかなかった。
(ちょっとリル! さすがに起きてよ)
「グルゥ!」
「ん~」
鼻先でリルを突くも、逃げるように寝返りを打つだけで起きる気配はない。
それを何度か繰り返したが、やはりリルが起きることはなかった。
気づけば視界の端に白いモノがちらつき始め、野ざらしで眠らせていられないと枝を屋根代わりにしてあげる。
(こんなところ襲われたらどうすればいいんだろう……)
これでは【雪原の魔女】を探すどころか、その一歩すら踏み出せずに終わってしまう。
どこか途方もない旅が始まったなと、規則的な寝息をたてるリルを見つめるのだった。