第三章:いよいよ異世界生活っぽくなってきた……2
まず先にぶち当たった問題は、食事だ。
「ねぇ、ワンちゃん。お腹空いた!」
(……へぇ?)
「グルゥ~」
無事に安全圏? まで逃げることができてから一息つき、いつまでも同じ場所に留まっているわけにもいかず動きだそうとしていた。
そんな矢先の事だ。
まだ少女の名前がリルだという事と、この雪原地帯に訪れた理由を知らなかった。
ただ純粋に、少女の事をどこかにあるとされる町へと届けるのが第一優先。
と、思って動きだそうとしていた。
「ねぇねぇ、お腹空いた!」
(そう言われても……)
「グルゥ」
パンッパンに頬を膨らませる少女は、明らかに不満を露わにしてくる。
別に無視しているわけではないのだが――、
「ねぇねぇねぇ、お腹空いた!」
さらに催促してくる少女。
さっきよりも声音を高くさせ、眉間にシワまで寄せて頬をパンッパンに膨らませて詰め寄ってくる。
(と、言われてもなぁ~)
「グルゥ~」
「ワンちゃん!!」
そんなやり取りを数回繰り返していると、少女の声に引き寄せられるように他の獣が近づき襲ってきた。
ひっそりと近づいてきているのを察知はできていたため対処は楽。
モコモコと雪原を一本の道を築くように隆起させて進み、注視しないと気づき辛い。
「キュゥゥ!」
雪原という環境に適し、生き永らえるため身につけたのだろう。
雪の中を進む一匹、長い胴体が特徴的で短い手足。愛らしい顔つきをしながらも、その牙と爪は鋭利に尖っている。それで喉元を突かれるか、視覚を奪われたら後は弱るまでいたぶるだけ。
なのだろうが、気づかれていたら意味をなさない。
少女にとっては死角、けど向かい合っている側からすれば些細な違和感に気づけるか。
「ワンちゃん! お腹空いたのぉ!!」
「グルゥ!!」
憤る少女の声に合わせて襲いかかってきた。
それを右前脚で捉えて、自生する針葉樹林の幹に打ちつける。それだけで呆気なく仕留められ、それ程危機には感じなかった。
「……ん?」
仕留めたタイミングから遅れて、不思議そうに翠眼の瞳を丸くさせた少女。何事かと振り返り、再びこちらを見上げてくる。
その表情は驚きや恐怖の色に染まるようなことはなく。
「わざわざ捕まえてくれたの!?」
むしろ状況を理解した途端に無邪気さは変わらないまま、上乗せするように声音を弾ませてピョンピョンと飛び跳ねる。
(……よ、喜ぶところなの?)
どこか感性のズレているような気がする少女に、こっちが困惑させられてしまう。
そこからさらに目を疑ってしまう光景が繰り広げられていく。
「ワンちゃん! 手、退けて」
(……?)
言われた通りに手を退けて、少女の行動を観察する事に。
「えっと~どこにしまったかなぁ~」
すると頭からすっぽりと被っていた頭巾に隠れて背負っていた鞄を下ろし、ガサゴソと手を突っ込み何かを探し始めた。
「あった!」
さほど荷物も多いわけじゃなかったようで、それをすぐに取りだして頭上高らかに掲げてみせた。
(ん!?)
それは少女の掌に収まるナイフのようで、安全面に配慮をした茶色の革に刀身が覆われている。それを手慣れた感じてカバーを外したかと思うと、先ほど仕留めた獣の首の付け根部分に容赦なく突き立てた。
(んんっ!!!?)
一撃で仕留めたつもりだったが、少女からすれば念のためだったのかもしれない。
そこから少女は首の付け根からナイフを下に、腹部を引き裂くように手を動かしていく。
(こ、この娘……)
さらには四肢の関節を外し、全身を覆う獣の毛皮を丁寧に剥ぎ取っていく。
「頭ジャマ」
終いには獣の首を、頭部を切り落としては明後日の方向へと放り投げるではないか。
まるで不要な部位として、自身が食べられないから捨てたように映った。
(うっ……)
あまりにも無邪気な少女という存在から一転、それが自然の摂理かのように淡々と繰り広げられる異様な光景。
内側から込み上げてくるモノがあったが、それを吐きだすには自分勝手過ぎるだろう。
だってそれは、似たような事を日常的に行っているのだ。
そう、今の少女は生きるための行為をしているだけ。
「出来た!」
気づくと雪原の一部を鮮血が染め、その上には獣だった成れの果て――解体された肉の塊が置かれていた。
「お手てばっちぃ」
ムスッと表情を歪めた少女は、辺りにある雪を握り締めると体温で溶かして水へと変えていく。その溶けた水で手を洗うかのように、何度も冷たいと口にしながらも雪の塊を手放すことはなかった。
(な、何者なのこの娘……)
一連の流れをただただ呆然と眺めているだけで、率直に思い浮かんだ感想がそれだった。
「ん~と次は、次は」
そこからさらに、少女は鞄の中へと手を突っ込んで漁り始める。
「あった!」
取りだしたのは小さな黒い石。ただそれは黒と表現するには表面に光沢があり、しかも二つあった。
(今度は何をするんだろう)
気づけば少女の行動から目が離せなくなっていた。
小さな両手でその二つをしっかりと握った少女は――、
「ワンちゃん、火が起こせない!」
(え?)
「グルゥ?」
「だ・か・ら、火が起こせないよ!」
無骨な形をした黒い石をカチカチと打ちつけながら、まるで何かを催促してくる。
(ど、どうすればいいんだろう)
キョロキョロと周囲を見渡していると、少女から的確な指示が飛んできた。
「木が欲しいの! これ折って」
(お、折る?)
「グルゥ」
当たり前のように自生している針葉樹林を、少女は簡単に折れるモノとでも思っているようだ。
今までは雪の重みで折れた枝を集めて拠点作りに利用してきたが、まさかの本体を折れという無茶ぶり。
出来ないことはないと思いつつも、改めて周囲を見渡した。
「ワンちゃん?」
(ちょっと待ってて)
「グルゥ~」
ほんの少しとはいえ少女の傍を離れることには抵抗があった。無邪気な様子から好奇心も旺盛かもしれず、気づいたらどこかに走って行くかもしれない。
その度に追いかけ、探すのも一苦労させられるだろう。
(……これでいいかな)
どれくらいのサイズを欲しているのかわからず、とりあえず手近に折れていた枝を咥えて引き摺り運ぶ。
「おかえり、ワンちゃん!」
と、勝手な少女に対する印象は杞憂だったようで、針葉樹林の根元で大人しく両膝を抱えて座り込んでいた。
(ちょっと意外だったかも……)
姿をみせると勢いよく立ち上がり、声音を弾ませながら嬉々とした表情を前面に迎えてくれる。
(た、ただいま……)
「グルゥ~」
慣れないやり取りに戸惑いながら、少女の前に咥えている枝を置いた。
「おぉ~でっかぁい」
根元の枝部分は少女の腕より太く、軽々と持ち運べるサイズではなかった。
今さらになって、この世界のサイズ感を再認識させられる。もしかしたら雪原地帯に限るのかもしれないが、生憎と気にする余裕がなかった。
他の、少女が住んでいた場所とは違うのかもしれない。
気づけば当たり前のように雪原地帯で生き、今では飢えない程度にまで力をつけてきた。
こうして少女との邂逅が、狭かった世界の幅を広げていく。
見上げる程には高い針葉樹林を眺めつつ、少女というちっぽけな存在を気にかける。
「んしょ、んしょ」
何やら枝を折る事に手こずっている様子で、勢いで後ろに倒れかねなかったので手を貸すことにした。太い枝から伸びる、それよりも細い部分を前脚に力を込める。たったそれだけで簡単に折れてしまい、作業時間としては一秒もかからない。
「おぉ~ワンちゃん! スゴイスゴォ~イ」
けど少女からすれば両手を叩く程のようで、折れた枝をみて瞳を丸くさせる。
「次、次も折って! いっぱい欲しい!!」
(わ、わかった)
「グルゥ」
翠眼の瞳をキラキラさせてせがんでくるので、無下に断るわけにもいかず、指示されるがまま枝を折り続けた。
「ありがとう、ワンちゃん!」
特に大掛かりな作業というわけでもなく、あっという間に一本の枝は細かくなった。それを少女は山のように積みあげ、小さな黒い石を二つ再び手にする。
「確かこれを……わぁ!?」
(っ!?)
それを軽く擦り合わせただけで、積みあげていた枝が一気に燃えた。
いきなりの事で少女も驚きを声にしたが、それ以上に反応してしまったかもしれない。全身が総毛立ち、パチパチと音を発する火元を睨みつけてしまう。
「グルゥゥ」
「わ、ワンちゃん?」
低く喉を鳴らしていると、少女の不安げな声が耳に届いた。
「ごめんね、驚かせたよね。怖くないから安心して」
「グルゥゥ」
そう、少女が宥めてくれてはいるが、本能というべき何かが警告してくる。
「ワンちゃん! 落ち着いて」
「ヴァウ!!」
気づけば吼えていて、その勢いで火があっという間に消えてしまった。
(……はぁ!?)
我に返った頃には既に手遅れで、少女は瞳を丸くさせていた。
その視線の先はついさっきまで燃えていた枝の山で、今では細くて白い煙が立ち上っているだけ。
(ご、ごめん)
「グルゥゥ~」
慌てて謝るも――、
「ぷははっ、スゴイ勢いで消えたねっ!!」
少女は怒るどころか、今までにない程に笑い、果てにはお腹まで抱え始めた。
(な、何かごめんね)
「グルゥゥ」
しばらく笑いが収まるまでの間、いつでも火を起こせるように枝を再び集めるのだった。
それから再び火を起こそうとする度に――、
「ヴァウ!!」
本能というべきか、争えない謎の衝動に吠えてしまう。
「また消えた!」
それに少女は驚きの声を発するも、決して攻めてくるようなことはなかった。小さな両手に小さな黒い石を握り、大きな瞳を丸くさせる。
(ご、ごめん……また……)
「グルゥゥ~」
か細く喉を鳴らしながら少女に謝る。
「また枝集めてくれたら大丈夫だから、そんなに謝らないで」
(う、うん。いってくる)
「グルゥゥ」
辛うじて枝に燃える火種だったが、吹き抜けた風にかき消されてしまう。
そんなやり取りを繰り返していると、次第に白い結晶がチラホラと目につくようになっていた。一日を通して一面銀世界が続き、日にちという感覚も薄れていく。そこに天候も加わるが、コロコロと変わりやすいので気にしていられない。
優先すべきは、何よりも環境や状況にすぐ適応することだから。
それができないモノから、この世界から去っていくことになる。
そういった認識が自然と植えつけられ、適応してきた。
けど今は、少女という存在がある。
どれくらい時間を有しているかわからないが、未だに少女は食事にありつけていないでいた。せっかく捌いた獣の肉にも雪が積もり始め、いい加減しびれを切らして怒ってもおかしくない。
(これくらいでいい)
「グルゥゥ」
「うん! ありがとうね、ワンちゃん」
それなのに少女は怒るどころか、枝を集めてきたことに満面の笑みを浮かべて労ってくれる。
この際少女からの呼び方を気にするのは些細な事だと受け流し、内心ではどうでもよくなりつつあった。
「よぉし、もう一回だよ」
小さな両手で握り締めた黒い石を構え、少女はそれを打ちつけようとする。
(いい加減慣れないと……)
その様子を近くから見守りつつも、内側から込み上げてくる謎の感情に身構える。無意識に喉を低く唸らせているが、気づいていない。
「ワンちゃん、大丈夫だよ」
だから少女は優しく宥めるような声音で囁き、小さな黒い石を打ちつけた。
するとやはり、種火とは呼べない程の勢いで火の手があがっていく。
「うぉ!?」
「グルゥゥ」
勢いによろめいて尻もちをついてしまう少女。
対して、火の勢いに身構え、四肢に力を込めて唸ってしまう。
(が、我慢……)
積み上げた木には、これ以上ない程に火が燃え移り、パチパチと音を立てている。むしろ火力が強すぎるくらいで、ちょっとお肉を焼くには適していない。
火の勢いは弱まるどころか、時おり吹き抜ける風に強まっていく。
(……ダメだ、また)
「グルゥゥ~」
理性と本能で揺らめくも、勝る後者への感情。
「ワンちゃん」
だが、限界を迎える直前にかけられた少女の声。決してこちらの内情を知ってか、落ち着かせようと触れてくる。
それでも争えないのが本能だったが――、
「バウゥ!!」
視界の隅で蠢いた、茂みで息を潜めていた獣に飛びかかる。
完全に気配を消して、こちらの隙を伺い襲いかかるつもりでいたのだろう。だけど、気が立っている冷静じゃない状況に感づかれ、返り討ちにあうのは未熟故か。
「おお、ワンちゃんが狩ってきた」
(そんなつもりなかったんだけど……)
「グルゥゥ~~」
気づけば喉笛を噛み千切っていた、一匹の四肢が異様に細い獣。これまでで遭遇してきたことのない相手ではあったが、手こずるどころか一瞬だった。
(けど、良かった)
そのお陰もあってか、ようやく火を消すことなくすんだ。
ただそれでも、時折パチパチという音には機敏に反応してしまう。
「ようやくご飯だね、ワンちゃん!」
(そうだね)
「グルゥゥ」
だけどそれくらい耐えてこそ、少女の溌溂とした笑みが守られる。
「って、あれ? お肉どこいったんだろう」
(……え?)
「グルゥ」
辺りをキョロキョロと見渡す少女は、火を起こすだけでどれだけ時間を有したのか。その元凶でもあるため枝を集め、少女のために奔走していたのは間違いない。
だから、少女が捌いた肉の置き場所に意識を向けていなかった。
それが仇となり、結局探すはめに――、
「じゃ、それを捌くだけだね!」
とは、ならなかった。
(この娘……逞しいな……)
二、三日は食べなくても動けるが、三つ巴に等しかった闘いから脱したばかり。正直な気持ちとしては体力の回復に努めるべきだった。
ただやはり、優先すべきは人間の少女。
この環境下においてはイレギュラーで、右も左もわからないどころか、一人で生き残るのは恐らく難しい。キッカケとしては成り行きで、こうして助け、関わってしまっている。
(ま、生憎と近くに気配はまだあるからいっか)
今さら手を引けない気持ちも相成って、銜えていた獣を少女の前へと差しだした。
「なにこれぇ、変な生き物~」
そういいながら少女は背負っていた鞄を下ろし、中から一本のナイフを取りだした。それを何の躊躇もなく獣の亡骸へと突き立て、少し手こずりながら捌いていく。
その様子をただぼんやりと眺めつつも、パチリという木の音に反応していた。
(……降ってきたな)
それからしばらく経ち、降り始めた雪の影響もあって少女の被っていた真っ赤な頭巾が白くなりつつあった。
「んしょ、んしょ」
それに気づいて近くの枝を折り、葉の部分を屋根に見立てて作業の妨げにならない程度の高さで銜えたままでいた。
どうやら最初に捌いた獣とは勝手が違うのか、色々な角度からナイフを差し込んでいる。すでに異様に細長い両手足は切断され、頭部と一緒に火の燃料としてくべられていた。
だかといって何か手を貸してあげられるわけでもなく、ただただ周囲に気を張り巡らせている。
(あ~あ~せっかくの服が汚れて……)
「できた!」
袖の部分は獣の返り血で飛び跳ね、夢中で捌いていたためか手の甲で拭った頬も化粧のように赤い。
そんなことお構いなしに、少女の表情には達成感で満ち溢れていた。
(ほら、拭ってあげるから)
「グルゥ」
「ん? ん? どうしたのワンちゃん」
少女に顔を近づけると不思議そうに瞳を丸くさせるだけで、襲われるという恐怖を微塵も露わにしない。
「なぁ~に、くすぐったいよぉ~」
逆に舌先で頬を舐めると擽ったそうに身を捩じらせ、後ろに転がってしまった。
(……この娘にとって、この状況は怖くないのかな?)
毎日のように獣達としのぎを削り、命のやり取りをしてきた身。
少女みたく気を許すどころか、休まらないことの方が多い。
だから感覚的なズレとして扱うも、どうにも少女がみせる感情に戸惑いを隠せないでいる。とはいえ言葉も通じなければ、感情の機微を表情にあまりでない。その辺りはこの姿で良かったと思う時もあった。
「もぉ、遊んでないでご飯にしよう」
(そうじゃないだけどなぁ)
「グルゥ」
いつまでも少女を雪原の上に転がしているわけにもいかず、フード部分を咥えて起こす。
と、ここでようやく少女は食事にありつける。
何度も点けた火を消しては枝を集めて、挙句の果てには最初に捌いた獣の肉を見失ってしまう。そんなことをしていると、どこからか獣が近づき襲ってきた。難なく返り討ちどころか、少女の手で捌かれている。
その獣は枝に串刺しとなり、今は焚火で焼かれていた。
「天におられる私たちの父よ、皆が聖とされます……」
(……?)
ようやく一息つけると座り込みつつ、少女が胸の前で両手を組む姿をみやる。
これまでにない習慣だったため気にはなったが、少女の幼い顔立ちに険の色を濃くしていく。
「この後との続きってなんだっけ?」
コテンと少女は小首を傾げ、組んでいて両手を解く。
「早く焼けないかなぁ~」
(……な、何だったんだ?)
ほんの一瞬にも近い不思議な光景だったが、少女は何事もなかったかのように腹部辺りに身体を預けて寄りかかってくる。
出逢って間もないにも拘らず、あまりにも近い少女との距離感。
最初は無邪気で溌溂とした少女で、何に対しても好奇心をむき出しではしゃいでいた。今までにはない賑やかさがあり、色々な意味で気が休まらずにいる。
だが、それが不快に感じられない。
「ねぇ、ワンちゃん。リルはみつけられるかな【雪原の魔女】さんのこと」
(……【雪原の魔女】? ……って、この娘の名前、リルっていうんだ)
サラリと少女の目的と名前を知る事となり、なし崩し的に始まった一匹と一人の旅はまだまだ続く。