エピローグ:守るべきかけがえのない存在として。2
それから、アークエルに渡されるモノを身に付けていく。
「……なんか、いつもより多くない?」
脚にピタッとフィットする紺色のパンツに白の長袖、その上に艶感のある黒い革のジャケットを羽織る。それに加えて膝下まである濃い茶色のブーツまでは変わらない。
だけど今回に限っては違った。
指先のないグローブを装着しながら、アークエルが手にするコートに視線を落とす。
「ここはあたしの張った結界内だからいいが、外は天候が変わりやすいのは知ってるだろ。特に結界との狭間は何が起きるかわからない」
「なるほど、風除け的な感じね」
さらにもう一つ、食事の際に使用するモノとは異なる一本が。
「それとこれもだよ」
「……ナイフ?」
全体的に黒というよりも、鈍色に近いナイフ。刃の部分は明らかに切れ味が良さそうで、握り手の部分もしっかりとしている。
食事用に銀のそれとは違うのはわかるが、ルエスは持たされる理由に首を傾げてしまう。
そんなルエスに、アークエルは腰に手を当てた。
「今までは訓練だ。だけど今回は実践、手ぶらで勝てるかい?」
「……なるほど」
たったそれだけでナイフの存在意義を理解し、ルエスは腰脇にカバーを装着した。
「アンタ、リルとは話せたのかい」
唐突な問いに、ルエスはアークエルに視線を向けた。
細められた目じりの奥にある、紅い瞳。
リルとは別種の感情を宿らせ、エルスを見据えていた。
「大丈夫。リルから大事なモノを貰ったから」
「大事なモノ……?」
そんなアークエルに、エルスは微笑み返す。
「私の名前はエルス。ついさっきリルがつけてくれた」
「……そうかい、いい名前じゃないか」
「だから私、絶対にリルのところに帰ってくるから」
そういって、アークエルに背中を向ける。
「だったらエルス、無事に帰ってきな。それまであたし達が守っておくから」
「頼りになります」
それだけを言い残して、エルスは振り返ることなく外へと一歩を踏みだしていった。
「エルス。……狼の騎士、といったところかね」
「キュキュ!」
「ああ、ついていってあげな」
アークエルはエルスが師匠と呼んでいた一匹を外へと放ち、静かに玄関の扉を閉めた。
外はいつもと変わらず静かで、見渡す限り銀世界。
そんな中を一歩ずつ、エルスは確かに進んで行く。
「キュキュ」
「師匠?」
「キュキュ!」
「もしもの時は、手を貸してください」
リルの手前、弱気の姿を見せまいと気丈に振舞っていた。
だけど本音は、アークエル達に任せてリルの傍にいてあげたい。可能であれば、いつまでも平穏な日々が続いてほしかった。
(バレバレだったかな……)
肩に乗る師匠を横目に、見送ってくれたアークエルの事も考えてしまう。
いち狼の魔物だった頃は、生きるために必死だった。
そのために他の魔物を喰らい、時には返り討ちに遭うことだって。
それでも生き抜き、リルと出逢った。
一匹だった生活に人間の少女が加わり、賑やかで明るく退屈しない時間。多少の苦労はあったが、ただただ魔物を喰らっていた時とは違う。
意思の疎通ができずとも、何となく居心地よく感じていた。
そして人間の身体を手にして思う、初めてリルを抱き締めた温もりを感触。
気づけば当たり前のように寝食を共にしていて、果てには名前まで付けてくれた。
「私の名前はエルス……」
握った左手を胸もとにあて、そう自身に言い聞かせる。
「って、師匠。痛いですから」
「キュキュ!」
「はいはい、すみません」
せっかくのところを師匠の容赦ない尻尾での攻撃に意識を戻され、視線を風景が切り替わった周囲へと向けた。
(……なんだか懐かしいな)
魔物の姿をしていた頃、そこら中に針葉樹林が自生していた。
白と緑、それと茶色。
その三原色がほとんどで、環境に適応するために生息する魔物も体毛を変えるほどだ。
目立つことは、それだけで居場所を知らせて狙われやすい。
だけどそれを逆手に獲物を誘い、喰らうのも一つの手段だ。
生き残るためには、力こそが全て。そこに積み重ねた経験と知識を併せ持ち、魔物達は日々命のやり取りを繰り広げてきた。
そんな血みどろな、弱肉強食の世界。
微かに鼻を啜れば、どこからか血の匂いが風に混じって届いてくる。
「……やっぱりか」
「グルゥゥ~」
視線の先には、全身を覆う黒い毛皮のクマが一体。異常に発達した左腕が特徴的で、いつだったか傷つけた右目は全回復していない。
狼の姿をしていた時ですら二回り以上大きいと感じていたが、今は人間の身。
(……デカいな)
首が痛くなるほどに見上げながら、羽織っていた風除けの前を開く。
「師匠、安全なところに避難しておいてください」
「……キュキュ」
僅かに間を置き、師匠はエルスの肩から降りていく。
(……不思議だな。まったく怖く感じない)
口の端から涎を垂れ流し、血走った瞳で威嚇してくる。
明らかに喰らう対象と捉え、既に臨戦態勢の状態。
だというのに、気持ちに一切の変化はない。
「悪いけど、ここから先は行かせないよ」
「グルゥゥ!!」
開かれた、人間一人であれば丸呑みできる口から放たれる野太い咆哮。
それだけで周囲の針葉樹林の葉を揺らし、上空から白い塊が雪崩れてくる。
それを皮切りに、ルエスは雪原を蹴った。
(狙うは、目!)
アークエルに渡されていたナイフを右手に握り、容赦なく急所を狙っていく。
「グルゥゥ!!」
だが、軽々とかわされてしまう。
(あの図体に似合わず……)
見上げるほどの頭部を狙って跳躍したが、気づくとそこにはいない。
「ッ!?」
咄嗟にエルスは両腕をクロスさせ、身を縮こまらせた。
「グルゥ!!!!」
瞬間、後方に吹き飛ばされた。
流れるように風景が遠のいていき、遅れて何をされたかと認識する。
(あれだけで、この威力……)
振り抜いた右腕の、握り締めた拳。
鋭く尖った爪だけでも致命傷を与えかねないのだが、あえて使ってこない一撃。
針葉樹林の幹に着地する形で体勢を整え、エルスは再接近を試みる。
(……師匠ほどではないか)
ガードした両腕の感覚を確かめつつ、的を絞らせないように枝葉を足場に移動していく。
眼下にクマの魔物を捉え、軽く呼吸を整える。
「グルゥゥ!!」
次の攻め方を考えている間もなく、威嚇するような咆哮が放たれた。
(耳がッ……)
たったそれだけで空気を震わせ、枝葉が不安定にさせられる。
自由の利く左手で頭部の片耳を抑えるも、何度も浴びてはいられない。軽い眩暈を感じつつ、エルスは右手のナイフを硬く握り締める。
「ッ!!」
そして幹の表面を力強く蹴って、一直線に懐へと飛び込む。
「グルゥゥ!!」
そんなエルスを、クマの魔物は薙ぎ払うように左腕を振るった。
「んッ!!」
空中での受け身を取ることもできたが、脳裏を過った例の見えない一撃に判断が遅れる。
辛うじてナイフを振るい、鋭く尖った爪にぶつけた。
(……こない?)
衝撃をそのままに雪原に轍を作りながら滑り、エルスは目もとを細める。
それがエルスの中で、一つの確信に変わった。
「これもアークリルと師匠のお陰かな」
頬を緩めるようにエルスは笑みを浮かべ、刀身が半分ほど欠けてしまったナイフを放り投げた。
「師匠直伝ッ」
「グルゥゥ!!」
右の拳を握り、エルスは雪原を駆けた。
それと同時に、クマの魔物も左腕を再び振るう。
いくらリーチが長い腕とはいえ、エルスにその一撃は届かない。掠るどころか、ただただ空を切った。
「グルゥ……」
「……上手くいった」
後ろに倒れていくクマの魔物を足場に、ゆっくりと雪原に着地した。
ほんの一瞬にも近い、エルスとクマの魔物が放った攻撃。それは自身を守るものではなく攻めの、相手を仕留めるための守りを無視したモノだった。
エルスは脚部と右の拳に魔力を込めて跳躍し、クマの魔物に一撃を放つ。
対してクマの魔物は異常に発達した左腕を、全身を使うようにして薙ぎ振るった。
「キュキュ!」
駆け寄ってくる師匠を抱きかかえ、エルスは逃げるように駆けだしていく。
「師匠ッ! 逃げますよ!!」
「キュキュ?」
勝利を喜ぶ暇もなく駆けるエルスに、師匠はどこか戸惑うように鳴く。
「さすがにこの次はわからないで!」
叫ぶエルスの声に遅れて、周囲の空気が不自然な流れを生んでいく。
すると、音もなく針葉樹林の枝葉が落下してくる。
「キュキュ!?」
「ひいぃ~」
雪崩れる枝葉の地鳴りに近い音と、エルスと師匠の悲鳴が合わさっていく。周囲は白い煙幕のように雪が舞い、視界が悪い中で駆け続ける。




