第五章:平穏だった日々は遠のいていく。4
アークエルの家に根を張るようになり、ここでの生活が日常化し始めた。
「ねえ、アークエル。リルから何かお願い事とか、相談事ってされた?」
「……藪から棒になんだい」
アークエルから怪訝そうな視線を向けられ、改めて事情を話した。
そう。元もとは【雪原の魔女】と呼ばれる存在を探す、なし崩し的に始まったリルとの行動だ。
それが今となっては叶い、リルは用事を済ませるだけでいい。
それを済ませて人間が住む街へ、両親の元へと戻るべきだ。
だけどこうして住み、寝食を当たり前のようにしている。
その用事を知らされていない身として、ふと気になってしまった。いつでも訊く機会はあったが、リルの性格からして話してくれそうな気がしていたのだ。
だから何も話してこないことから、訊かれたくないのかと勘ぐってしまう。
「悪いがあたしは何もされちゃいないよ」
「え?」
つい、耳を疑ってしまった。
「過去に何度かあたしを訪ねてこの地帯に足を踏み入れた冒険者がいると聞くが、誰一人として辿り着くどころか魔物の餌食になって帰らぬ人となっている」
「……どうしてそのことを知ってるの?」
「ああ、一時期それでギルドから苦情を貰ってな。救援くらいしてほしいとか、一方的な要求ばかりされたんだ」
嘆息するように肩を竦めて、アークリルは喉を低く鳴らして笑った。
「けど、アークリルの事だからやらなかったんだよね」
「助ける以前に、あたしの元を訪ねてくる冒険者がいること事態初耳だったね。こんな辺境地、どんな用事があるだか」
「それは……」
返す言葉どころか、魔物だったからよくわからない。
そうなると、リルは一人何をしに来たのか?
それどころか、本当に一人だったのだろうか?
聞きかじった知識通りであれば、街の冒険者と呼ばれる存在は複数人でチームを組んで行動をする。王都の騎士団だけでは手が足りない魔物の盗伐や、薬の素材といったモノを集めて報酬を得て生活をし、中には騎士団も顔負けの凄腕がいるとかいないとか。
そんな冒険者が足を踏み入れ、帰ってこない。
それほどこの地でしのぎを削る魔物が強いことを証明しているのか。
はたまた、他にも原因があるのか……。
「第一、あたしの張った結界に気づいているかも不思議だね」
「ああ」
ここには魔物が近づかないよう結界が張られている。
それにリルが綻びを生じさせて、アークエルの元へと辿り着けた。
やはり、辿り着けない原因はアークエルの結界に問題があるのではないだろうか。
ただそうまでして、アークエルに会う用事とは?
温室の隅っこで、変わらず本のページ捲っているリルへと視線を向ける。
「って、こら。間違ってる」
「……くッ」
「アンタ、誤魔化すのが下手だね」
呆れたような口調で、指摘された部分に視線を戻した。
「いや、だって。難しんだもん」
「これくらいできてもらわないと困るのはアンタだよ」
「え~」
そして今、アークエルから勘定と言われる計算を教わっていた。
どうやら物のやり取りには必要不可欠らしく、かなり苦戦させられている。
「ほら、金貨一枚は銀貨の五十枚分。その銀貨一枚は、銅貨五十枚分だよ」
「いやだから、何なのそのルール。黙って金貨だけでやり取りすればいいじゃん」
「はぁ」
露骨に溜息を吐かれてしまった。
「アンタ、今までのあたしがしてきた説明聞いてたのか?」
そこを突かれると黙ってしまう。
「まぁ、あたしも全てを理解しろとは言わないよ。まだまだ分からないことばかりの世界で、学ぶことは多い」
「アークエルでもそんなことあるんだ」
「……アンタが言うんじゃないよ」
「……はい」
軽く睨まれてしまった。
「金というのは貴重なんだ。この宝石だって、そうそう手に入るものじゃない」
そういって、アークエルは首から下げている懐中時計のようなモノを指差してきた。
「これだって希少価値の高い宝石を使い、加工して魔術を付与している」
「魔力を備蓄できるんだっけ」
「概ねそうだが、話がややこしくなる」
うろ覚え程度にしか、この懐中時計のようなモノを知らない。
どうにも着用者の魔力を溜めておくアイテムで、こうして身に付けておくことで人間の姿を保っている。
これを外すと元の姿、狼の魔物に戻ってしまう。そして次身に付けて同じ効果が発揮するかわからないらしい。
最初は魔力の制御をさせるために使わせるはずが、今では肌身離せないモノとなってしまっている。
「ちなみに、金貨何枚分?」
「さぁ?」
「え?」
腕を組んで首を傾げたアークエルの真似をしてしまう。
「年代物っていうのもあるけど、市場に出回ってる宝石以上に純度が高いはずだよ。でないと魔術を付与したところで限りができてしまう」
「要するに、金貨では計りきれないと?」
「そうなるね」
「……」
首もとにぶら下げる懐中時計のようなモノに触れてみる。
「もし壊したら、どうなるの」
「どうなるんだろうね」
微かに口角を吊り上げるアークリルに、返す言葉がわからなかった。
(これ、もうちょっと丁寧に扱おう)
普段から身に付けているとはいえ、結構雑に扱っている。
外で師匠と戦っている時、この懐中時計のようなモノを気にかけていない。だからどこかに激しくぶつけたり、傷つける事だってあったかもしれない。
「ま、そういった事もあるから、モノの価値を知るためにも勘定は必要になるんだよ」
「が、頑張ります」
「ん、よろしい」
仕方ないとはいえ、人間として生きるのは大変だという事を痛感した。
それからいつものように外へと――、
「キュキュ!」
「くッ」
放たれた一撃に直撃は避けれたものの、上着の一部が引っ掛かってしまい吹き飛ばされた。
(後ちょっとだったのに……)
吹き飛ばされる中、遠のいていく師匠を見据える。
ここ最近になって、あと一歩を踏み込めれば師匠に触れられるくらいまでに成長したと思う。
だけど、その一歩が遠い。
軽い受け身を取るように雪原を転がり、体勢を低く飛びかかる。
「キュキュ」
だがその行動が予想されていたのか、師匠が姿を晦ました。
(ど、どこに……)
視認から外れ、しきりに周囲を見回す。
辺りを舞う雪の量が増え、急に視界が悪くなっていく。
(違う! これって……)
咄嗟に跳躍すると、雪原どころか辺りの空気が震え始めた。
「キュキュ!」
「ここにきて新しい攻め方ッ」
一瞬の判断が功を奏したが、再び考えさせられてしまう。
今までは真っすぐ突進してくるのが多く、時にフェイントをかけ、反撃に対する速度もいい。
それと、一撃ごとに受けた部位に痺れが生じる謎の現象。
野生の勘というだけで説明がつかない、師匠の動き。
それに慣れてきたところだったが、この有り様だ。
雪原から飛び出してくる師匠を眼下に、空中で身を翻して着地する。
(この雪に細工があるわけじゃない、ただの目晦まし。……けど、師匠の気配が消えたのはどう説明すれば)
常に気を張り、師匠の些細な動作から次を予見する。
いくら視界が悪くとも、いち魔物だった時でも似た状況に何度も遭遇してきた。
今回も似ているようで、そうでない違和感。
「キュキュ!」
(考えてる暇もない)
軽く息を整えながら、立ち止まっていられずに地面を蹴った。
すると、再び視界を覆う程の雪が舞い始める。
「またッ」
聳える壁のように雪が舞い上がり、視界を白で覆い尽くしていく。
だからといって五感の一つ、視覚を悪くさせられただけ。
(だったら……)
瞼を閉じて、意識を耳に集中させる。
(師匠のあの素早い動き、見た目に反して突進の衝撃もある。けど必ず、動きだす前の音はあった。であれば、今回のは?)
意識をさらに深く沈ませ、些細なモノ音に神経を集中させていく。
バチバチ。
(ッ!?)
どこからともなく聞こえてきた、何かが弾けるような音。
それがほんの一瞬で、瞼を開いた時には師匠が正面まで迫っていた。
「ギュギュ!」
「くッ」
防ぐ暇もなく、真正面からタックルを受けてしまう。
その勢いに、唯一植えられている幹の太い針葉樹林の方まで吹き飛ばされる。
「カハァ」
勢いよく背中を打ちつけ、肺の酸素を強引に絞り出される。
だからといって苦しんでいる暇もなく、そのまま針葉樹林の根元まで落下していく。
(そ、いう、ことか……)
遠のき始める意識の中、見たことのない容姿の師匠がこちらを睨んでいる。体格も二回り以上大きく、鋭く尖った牙と爪。
小柄で愛らしかった欠片は微塵のなく、いち魔物とした厳つい風貌。
気のせいか、周囲の空中が時折明滅している。
ただ、今は指一本すら動かせない。
かなりある高さから、雪原へと真っ逆さま。
「……生きてるかい」
「な、なんとか……」
だが、落下した衝撃も相まって全身が悲鳴を上げている。
首だけを動かして見上げると、空中で箒に腰かけるアークエルがいた。
「あれ、反則じゃないですか」
「まだ弱音を吐けるなら大丈夫そうだね」
ニヤニヤとした表情を浮かべて見下ろしてくるアークエルに、短く舌打ちをしてしまう。
(あえて隠してたな……)
苛立ちが湧き上がってくるが、全身が激痛と痺れで動かせない。
「それで、いつまで寝たままでいるんだい」
「いや……」
「それじゃあ、本当の意味でリルを守れないよ」
露骨に煽ってくるアークエルだが、生憎と乗っかってられない。
「なら今日はこの辺にしとこうかね」
「え……」
これまでで一度もアークエルが止めに入ったことはない。
「だってそうだろ? あの程度の魔物にやられて、後は喰われるだけ。それはこの自然界で、アンタも身をもって経験してきてるだろ」
(それは……そうだ……)
アークエルの淡々とした冷たい口調。
「けど生憎と、これはちょっとした観察も兼ねているから命のやり取りはない」
もしそうだったら、命が何個あっても足りない。
「それに、これ以上はリルに心配をかけるだろうよ」
いつだったかも、玄関先で帰りを待ってくれていた。
毎日のようにボロボロだから心配してくれて、どれだけみっともない姿を晒しただろうか。
「だからさ、アンタにはやっぱりリルを守れないだよ」
「……」
この時、アークエルがどんな表情でその事実を告げてきたのかわからない。
さっきの煽っているような感じはなく、ただ淡々と現状を把握したうえでの確信事項。
だけど――、
「……アークエルなら、余裕ってこと?」
「相手は魔物。多少の知性と戦闘能力が高いとはいえ、勝てない通りはない」
「それは……私にも出来ると?」
愚問かもしれなかったが、次の返答次第で心が折れるだろう。
それを見透かしたように笑ったアークエルは、真っすぐとこちらを見下ろしてくる。
「アンタは魔物と人間の狭間にいる存在だ。あたしの想像を軽く超えてくれよ」
「言ってくれる……」
軽口を叩けるくらい、全身の痺れは抜けてきた。
ただ、骨の一本くらいは折れてしまっているかもしれない。
「おいおい、無茶は――」
「流れるマナを身体に留め……タイミングを合わせて……」
俗にいう、魔物という点では師匠と似ている。
だけど、アークエルの物言いは違った。
失敗から学ぶ知能、実績と研鑽の上に積み重ねてきた戦闘能力。それに加えて、この人間の姿を手にして得た知性がある。
そしてついさっき、師匠から見て学ばせてもらった。
「リルを守るのは……私だ……」
「ッ!?」
感覚としては、いつも通り歩く。
そこに体内を流れる魔力を脚に、一歩を踏み出す度に爆発させる。
たったそれだけで距離を縮め、あっという間に師匠の元へと辿り着いた。
「ギュギュ!!」
どこか驚きにも近い甲高い鳴き声。
それに呼応するように、師匠の周りが明滅し始めた。
だけど――、
「それはもう、見ましたよ……師匠ッ!」
様々な角度から飛んでくる雷を、雪原の上を滑るようにして躱す。
「ギュギュ!!!?」
「っ」
ちょっとした目晦ましのように、周囲に雪が舞い始める。
「……これに関しては、三回目ですよ」
舞う雪の中に攻撃手段を隠していたようだが、微かな明滅で場所の把握は容易だった。
ちょっとした工夫を凝らした、視界を塞いだ四方からの雷といった複合なのだろう。
ただやはり、どちらも一度は見ている。
軽い身振りで雷を躱し、未だ姿を現さない師匠を探す。
(出てこないなら、こっちから……)
ついさっき歩行の際に流した魔力を脚にではなく、左手に込める。
それだけで準備を整え、瞼を閉じた。
「キュキュ!」
「……捕まえましたよ、師匠」
首筋を摘まみ上げるようにして、足もとを横切ろうと小さくなっている師匠を捕まえた。
すると、周囲を覆っていた雪が止み始めていく。
「……やるじゃないかい」
驚きと称賛の合わさった声音で、アークリルは拍手を送ってくれた。
「これがその、魔力の制御ってことなんですよね」
「何が決め手だい」
「キュキュ」
改めて問われると、考えてしまう。
「まずは、毎回のように師匠の身体が変化することですかね」
アークエルからの視線に続ける。
「家の中にいる時は小さいのに、この時だけおっきくなります。そうすると、何故か気配がわかるようになるです。それって普段は魔力を抑えているからで、意識しないと出来ることじゃない」
それ故に、ここに来た当初は気づかなかった。
「次に師匠の動きです」
「キュキュ?」
両の掌に師匠を座らせる。
「あんなに速度で動くには、この脚に秘密があるのかなって。だけど特に変わったところがない、そうなると別の――魔力が関わってくる」
視線をアークエルに向ける。
「ここに来た時、体内の魔力を操作して小さくなる。それを当たり前のように訪ねてきた」
「あったね、そういう事も」
懐かしむようにアークエルは頬を緩めた。
そして、ここまでだ。
これまでからを推察し、上手く出来た事は。
「あとは、何となくですかね」
「……」
「キュキュ」
黙り込むアークエルに申し訳なくなり、人差し指で片頬をかく。
「やっぱり私、リルが関わるとダメみたいで……今すぐに同じことをやれと言われてもできないかと……」
額に手を当てて項垂れたアークエルに、どう言われようと仕方ない。
事実、本当に何となくなのだから。
それと――、
「ちょっと!?」
「キュキュ!?」
「あの……マジで、今回だけは自力で帰るのは……」
気づけば全身から力が抜けていて、受け身を取ることなく雪原に倒れてしまう。
「師匠の一撃、かなり効いたみたいで……」
「まったく、火事場のバカ力ってやつかね」
「キュキュ!」
「ああ、運んでやってくれ」
そう指示を出すと、師匠が身体の下に潜り込んできて大きくなった。
「おお」
自然と驚きの声が出てしまう。
「しばらくは安静だけど、その感覚を忘れるんじゃないよ」
「はい」
目じりを鋭く、指摘してくるアークエル。
それにはただただ素直に言葉を返すしかなかった。
(これで少しは、リルを守れるようになるのかな……)
この先どんなことがあるのかわからないが、リルと一緒に行動をする際には色々と必要不可欠だ。
その一つとして、しっかりと身に付けておかなければいけない。
師匠の背中に乗せられ、運ばれている道中にそんなことを考えてしまう。
そして帰宅すると、リルにかなり心配どころか、アークエルが怒られる始末に。
どうやら終始状況を見守ってくれていたようで、大の大人が子供に怒られる光景に口を挟めなかった。
ただ、いつまでもこんな生活が続くことがあるわけもなく――。




