第五章:平穏だった日々は遠のいていく。3
「よし。……調子はどうだい?」
「ん~動きやすい?」
場所を温室から外へ、久しぶりの一面銀世界に立った。
室内で着用していたワンピースから一転、脚にピタッとしたフィットする紺色のズボン。上は白の長袖に、艶感のある黒い革のジャケット。履くようにと、膝下まである濃い茶色のブーツには違和感がある。
慣れない服装というのもあって、アークエルに着せてもらった。
その場で飛び跳ね、軽く肩と腕回りを動かす。
「それとこれも」
「手袋? けど、指の部分ないよ」
「そういうデザインなんだよ」
よくわからなかったが両手にはめ、手首の留め具で固定した。
確認のために両手をグーパーさせる。
「これ、やっぱり必要?」
「数々の冒険者はケガ防止、武器を握る際の滑り止め。果てには力を増強させる魔術を付与する使い方もある」
「へぇ~」
その辺の説明を受けても今のところ勉強中で、頭の片隅に留めておく。
「さて、準備もできたことだし始めようかね」
「何をするの?」
今までは温室で、アークエルから様々な知識を与えられてきた。特に文字の読み書きは苦戦しながらも、なんとか順調にこなせている。他にもまだ見知らぬ土地の歴史や、生息する植物や魔物生体など。
退屈だと感じない程に充実している。
「何って、身体を動かすんだよ」
「お~」
それだけで少し興奮してしまった。
確かに室内で着用する服より、着替えさせられたこっちの方が動きやすい。
浮ついた気持ちを感じつつ、アークエルと向かい合う。
「悪いが相手はあたしじゃないよ」
そういうと、アークエルの肩に乗っていた一匹の魔物が宙に飛んだ。
「……強いっていうのはわかるんだけど、追いかけ回せばいいの?」
室内では真っ白な存在というのもあって、家具の色に同化することはなかった。
ただ今は、目と鼻の部分でしか居場所を確認できない。
追いかけ回すどころか、探すのだって一苦労の状況だ。
「だってよ」
「キュキュ!」
「ッ!?」
咄嗟の事に、両腕をクロスさせてガードの体勢をとった。
(し、痺れ……?)
いったい何が起きたのかと、現状を確認する。
気づけばついさっきまで立っていた場所から距離が、吹き飛ばされる形で二本の道ができていた。
「アンタが何を考えて、思い悩んでいるか大体想像できる」
しばらくすると両腕の痺れが抜けてきて、箒に腰を下ろして飛んでいるアークエルを見上げる。
「少しでも気を抜くんじゃないよ」
「ッ!?」
再び、殺気に近い感覚に跳躍した。
(み、見えなかった)
「キュキュ!」
眼下には少し体格が大きくなった魔物がいた。
さっきよりも体毛の色がくすみ、辛うじて銀世界と同化はしていない。
「ふむふむ、魔物としての本能はあると」
(ああ、そういう事)
アークエルにとって、これも一つの観察なのだろう。
ただなんとも、久しぶりな感覚だ。
雪原に降り立って、改めて全身をほぐしていく。
「キュキュ」
「わざわざ待ってくれるんだ。……強者としての余裕かな?」
人間の身で、魔物と戦うのは初めてだ。
しかもあのクマのような魔物を抜きにすると、格上とは久しぶり。
もしかすると、それ以上の存在ともなれば初めてかもしれない。
いつもは今日を生き抜き、明日のため。明日は我が身と、漠然とした不安と恐怖に駆られていた。
だけどアークエルの家に住まわせてもらうようになってから、少しだけ感覚が鈍っているかもしれない。
「気なんて抜けないな」
「キュキュ」
臨戦態勢のまま待ってくれていた魔物を前に、短く息を吐いた。
「お手柔らかに」
そう告げて、地面を蹴った。
手始めに背後を取ろうとしたが――、
「キュキュ」
(早ッ!?)
細長い胴体を捻るように振り返ったかと思うと、一瞬で間合いを詰めてきた。
そのまま全身で体当たりをされ、後方に吹き飛ばされる。
「そっか、最初の一撃……」
痺れる両腕をだらりとさせて、襲いかかってこない魔物を見据える。
それは強者としての余裕で誘っているのか、この距離ですら一瞬で詰められるのか。
(真正面から挑んでも敵わないだろうし、背後をとったとてさっきの二の舞になる。……どうする、どうすればいい)
多少の痺れを残しつつ、魔物から視線を外さず移動する。
「なぁ~に、取って食うつもりはないよ。やられる覚悟で挑みな」
(そんなこと言われても……)
既に勝てない前提でアークエルに煽られるも、やはりいち魔物だった意地もある。
「ただ、コイツに一撃入れられないようじゃあ、リルの事は守れないだろうけどね」
「ッ!!」
リルの話をされた瞬間、理性が吹き飛んだ。
そして次に意識が戻った時には、雪原の上に横たわっていた。
「はぁ、はぁ……」
「キュキュ」
それから、起きたら食事を摂り、温室でアークエルとの勉強会。その後は外にでて、意識が無くなるまで魔物と戦う生活を過ごしていた。
「か、勝てない……」
全身が痛みを訴え、雪原の上で大の字になる。
「キュキュ」
(クッソ……)
そのお腹の上で、ついさっきまで戦っていた魔物が小躍りしている。
苛立ちで掴みかかってやろうとも思ったが、生憎と腕が上がらない。もし上がったとて、軽々と逃げられるだろう。
「勝てなくとも、進歩はしてるよ」
「そ、そうですかね」
「キュキュ」
顔を覗き込んで見下ろしてくるアークエル。
終始箒に乗って上空から様子を観察し、総評してくれる。
「じゃ、あたしは戻るから。風邪をひく前に戻ってきな」
「は、はぁ~い」
最初の頃は家の中まで運んでくれたが、今ではその場に放置。自分の力で戻って来いと、扱いが雑になっている。
「キュキュ」
「し、師匠はいてくれるんですね」
「キュキュ」
いつしか『師匠』と呼ぶようになっていた魔物は、励ますように寄り添ってくれる。
ただ、いつも容赦がない。
こっちを喰らうつもりで殺気を放ち、魔物としての本性を刺激してくる。
お陰で鈍った感覚も戻ってきたと思う。
「けど、一撃は入れたいよな」
自然と本音が口から出てしまう。
「キュキュ」
それはムリとでも言いたいのか、魔物は尻尾で頬を叩いてきた。
(クッソ~)
しばらく動けない中、悔しさだけが増していく。
「さてと、戻りますか」
「キュキュ」
辛うじて動けるような気がして上体を起こすも、やはり全身のどこかが悲鳴を上げている。
だからといって耐えられない程ではない。
重く感じる身体を引きずるように、アークエルの家へと戻る。
「……」
「リ、リル?」
扉を開くと、リルが玄関先で立ち尽くしていた。
何事かと身構えてしまう。
「キュキュ」
「師匠?」
肩に乗っていた魔物が、慌てた様子で家の奥へと走って行く。
寝食を共にしつつも、リルとは会話らしいモノは未だ少ないまま。
(ど、どうしよう)
困惑しながらも、リルと視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「リ~ル、どうかしたの?」
「……」
優しい声音で問いかけると、微かな動きがあった。
「お風呂行くの?」
「あ、うん。……リルも?」
首を縦に振ったリルは、細い両腕を広げた。
「抱っこ?」
そう問うと、力強く首を横に振られた。
(な、何だろう……)
リルの言動を注視してしまう。
「お疲れさま」
「え……」
不意に柔らかな感触に包まれ、頭も撫でられる。
しばらくそうしていても良かったが、リルの方から離れてしまう。
「あんまり無茶はしないでよ」
「うん、気をつけるね」
気にしてこなかったが、温室からでも外の様子は見える。
もしかしたら、休憩中にでもこっぴどくやられてる光景を目の当たりにした。他にも、ここ最近はずっとボロボロになって帰宅しているのもあるだろう。
多少どころか、心配させてしまう姿を晒してしまっている。
「お風呂、いこっか」
「うん」
だからこうして、気にかけてくれたのかもしれない。
全身は軋むも、リルの事を抱き上げる。
「ムリしないで」
「これくらい大丈夫だよ」
言葉では拒みながらも、抱き着いて離れようとしない。
(もぉ、可愛いな)
優しく頭を撫でると、小さな身体が寄りかかってくる。
「キュキュ」
「ん、ありがとう」
お風呂場の扉を開けばモクモクと湯気が立ち込めていて、いつでも入浴できる準備がされていた。
それもこれも、世話役の魔物達のお陰だろう。
それからゆっくりと入浴し、上がった後もリビングで一緒に過ごした。
この時だけはリルも本を読むのを止めて、何をするでもない静かな時間。どちらかがうつらうつらと始めた頃に寝室へと向かい、変わらずその日を終えた。




