第四章:祝! 人間化!!
どこまでも続く雪原地帯を進むも、景色は変わらず針葉樹林の緑と茶色。時折チラつく結晶の白に、魔物とやり合った時は鮮血が辺りを染める。
他にも魔物が身に纏う様々な色彩の体毛もあるが、大体が三、四色といった割合が強いと思っていた。
「ほら、さっさと小さくなりな」
(……と、言われましても)
「グルゥ~」
けど目の前には、明らかな人工物が聳えていた。
オレンジっぽい茶色の屋根に、同色の壁に植物の蔦が纏わりつくレンガ造りの二階建て一軒家。しかも周囲を同様のレンガで背の低い壁を築き、庭という体裁も整えられていた。
それに加えて、一帯は開けたように針葉樹林が伐られている。
小高い丘にでも建っていれば、ちょっとした見晴らしの良さはあるだろう。
そんな一軒家に、この女性は住んでいるようだ。
「なんだい、体内の魔力を操作して小さくなるだけだろ」
(ま、魔力を操作?)
「グルゥ」
「はぁ~これじゃあまったく話にならないね」
女性は乱雑に頭をかき、何度目となる溜息を吐いた。
「まぁ、しばらくは庭で大人しくしてな」
(は、はい)
「グルゥ」
それだけを言い残して、女性は建物の中へと消えていった。
「キュキュ!」
その後を、リルを乗せる小さな魔物たちもついていく。
(リル……)
静かに閉ざされた扉をみつめ、ポツリと残された庭で身体を丸くさせた。
周囲に意識を向けても他の獣、もとい魔物の気配を感じられない。そういった事は稀にあったが、常に神経を張り巡らせていた。
けどこの場所は、空気から違う。
見渡す限りの拓けた一面銀世界は静寂で、独特な血の匂いも漂っていない。
まるでここだけが周辺から切り離されている。
そんな感覚があった。
(……すること、ないな)
常にリルの身を守るために行動をしてきた。
だけど急に暇な時間だ。
何となく周囲の散策するのも良かったが、変に動き回っていいものか。
もしその間にリルが目覚めでもしたら、寂しい思いをさせてしまうかもしれない。
それを考えてしまうと、あの女性についてきた時点で待つしかできないのだろう。
(そういえば魔力を操作するって言ってたけど、どういう事なんだろう)
ふと過った疑問だったが、思考を巡らせるにはちょうどいい題目だった。
それから、どのくらい時間が経ったのかわからない。
(……ん、なんだか騒がしい?)
聞き間違いの可能性もあったが、そんな考えは一瞬で打ち壊された。
「ワンちゃん!!」
勢いよく家の扉が開かれると、リルが今にも泣きだしそうな声音で飛びだしてきた。
どうやら目覚めてから家中を探し回ったのだろう。
リルは玄関先に立ち尽くして辺りを見回す。
だからでもなかったが、気づけば身体が動いていた。
(リル)
「グルゥ」
「ワンちゃんッ!?」
堂々と庭の中央に居座るのも申し訳なく、玄関先も出入りの際には邪魔になる。だから必然的に庭の隅っこ、一本だけ植えられていた針葉樹林の根元で身を休めていた。
これまでにみたことのないほどに幹が太く、生い茂る枝葉は家の屋根と化している。
だが、玄関先からすれば死角になっていた。
「ワンちゃんッ!!」
叫びながら駆けるリルは、庭を抜けて敷地内から出ていこうとする。
(リル!)
「ヴァウ!」
その小さな後ろ姿はあまりにも必死で、追いかけるよりも叫んでいた。
「……ワンちゃん?」
すると、リルはピタリと足を止めた。
特徴的だったフワフワの白いファーがついた赤いポンチョ姿に見慣れていたが、今はゆったりとした白のワンピースを身に纏っている。
しっかりとした防寒性はなさそうで、安易に出歩く恰好をしていない。
しかも足もとは素足を晒して、何も履いていなかった。
(リル……)
ゆっくりと振り返り、その表情に息を呑んだ。
「ワン、ちゃん……」
大きな目もとを腫れぼったくさせて、これでもかというほどの真っ赤に染まっていた。翠眼の瞳を潤ませ、しばらく泣き叫んでいたのだろう。
それを物語るほどの、今までで見たことのないリルの泣き顔。
さらに目が合うと、さらに瞳を潤ませた。
「ワンちゃんッ!!!?」
リルは小さな身体、両腕を広げて駆け寄ってくる。
(リル!)
「ヴァウ!」
ただでさえ足もとられやすく、泣いているから視界も悪い。転んだら受け身どころじゃないだろう。
そんな心配も勝り、軽く地面を蹴った。
案の定、転びかけたリルを鼻先で支える。
(リル……)
「グルゥ~」
名前を呼ぶように喉を鳴らすも、リルは鼻先にしがみついたまま動かない。
たったそれだけ。
それだけで、リルの気持ちが伝わってきた。
「ワンちゃん、どこにもいかないで……」
(うん、ごめんね)
「グルゥ」
小さな頭部を左右に振り、駄々っ子のように離れようとしない。
それが少し、嬉しかった。
リルの事を勝手に勘違いし、誰とでもすぐに打ち解けられる。好奇心も旺盛で人懐っこく、振り回されるだろうが仲良くしやすいだろう。
だからあの女性に任せようと、一瞬でも脳裏を過って去ろうとした時を後悔したい。
「ワンちゃん……」
(なに?)
「グルゥ」
「ワンちゃん……」
(リル)
「グルゥ」
そんなやりとりを何度と繰り返し、チラつきだした雪すら気にならなかった。
「まったく、なんだってんだい……」
すると甲高い鳴き声を発して急かす魔物達に引っ張られ、女性が気だるげな雰囲気で姿をみせた。
裾を引きずるほどの長い寝間着姿。ついさっきまで寝ていたのか、ボサボサの髪をかく。
まだハッキリとしていない様子の中、女性は視線だけを向けてくる。
「嬢ちゃん。そんなところにいつまでもいると風邪ひくよ」
「ワンちゃん」
「ったく……」
鼻先にしがみついたままのリルに、女性は苛立ち気に舌打ちした。
そして指を鳴らすと、どこかから現れた真っ黒なコートを身に纏う。それに倣うようにして魔物達が家の中へと引き返し、細長い胴体に女性の靴を乗せて戻ってきた。
それを履き、女性はゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「……なんだい、やればできるじゃないかい」
(ん?)
向けられた視線と、感心したような女性の声音に首を傾げたくなる。
だけど今はリルが鼻先にしがみついたままで、安易な身動きが取れない。
「嬢ちゃん――」
「リル」
けど、女性はすぐにリルへと意識を向けてしまった。
女性からの呼ばれ方に納得がいかないのか、リルのピシャリとした強めの口調。表情は見えずとも、ムスッとしているに違いない。
そのリルの態度に、女性は露骨に溜息を吐いた。
「リル、少しでいいから容体を診せてくれないかい」
「……?」
(そうだ、あの時魔力の使い過ぎだって……)
モゾモゾと鼻先で動くのでくすぐったくも、一番肝心なことを失念していた。
目線の高さを同じにしゃがんだ女性は、ジッとリルの事をみつめる。
そこから何かをするでもなく、どちらかが根負けするまで動かないつもりか。
(リル、診てもらって)
「グルゥ」
だけど、いの一番にリルの容体を知りたかった。
急に倒れて以降、完全快復しているのか?
今も目覚めただけで、無理をしていないだろうか?
見た目は変わりなくとも、そうじゃない部分は図りようがない。
その点、この女性は知り得る手段を持っている。
「ん? ワンちゃん、どうかしたの」
どうにかしてでもリルの容体を知りたく、尻尾を左右に振った。
「ほら、連れも心配してるんだ。痛いことはしないから診せてくれないかい?」
顔を上げたリルに、女性は優しく語りかけるように告げた。
(リル)
「グルゥ」
女性の言葉を後押しするように喉を鳴らすと、リルは小さく首を縦に振った。
「……ん」
「いい娘だ」
大人しく向かい合うリルに、女性は満足気に口角を上げた。
そしてリルの額に手を当てて、覗き込むように顔を近づける。
「万全ってとこじゃないけど、日常を過ごすには支障なさそうだね」
(よかった……)
それを聞けただけでも、内心でホッとしてしまう。
「ただ、無理は禁物だ。……ほら、家の中に戻るよ」
リルの容体を確認できたことで用が済んだのか、女性は興味が失せたような雰囲気で踵を返していく。
「いや。ワンちゃんといる」
けど、リルはこの場から動こうとしない。
再び鼻先にしがみつき、頑とした態度を示す。
「……ちょっとアンタ、どうにか説得しておくれ」
(いや、無理ですよ)
「グルゥ~」
ただでさえリルは自由気ままで、好奇心が旺盛だ。
それは一緒に行動してきて分かっている。それをどうこうしようとした試しも、いくわけがないと察しがつく。
我が強いというか、まだ子供なのだ。
多少の我儘はご愛敬だろう。
「はぁ~だったらアンタが連れてきな。……小さくなれるだろ?」
露骨すぎる女性の嫌悪感を向けられたが、どうしようもない。
(だから、どう小さくなれと)
「グルゥ~」
と、訴えたくても言葉が通じない。
「……なんだい、偶然だったのかい?」
肩越しに振り返った女性は、乱雑に髪をかいて息を吐いた。
そして、羽織った上着のポケットに手を突っ込んだ。
「そんなアンタにちょうどいい物があるよ。……受け取りな」
そういって、放り投げられた何か。
咄嗟の事もあって対応に困ったが、受け取る寸前で足もとに落下した。
「取り敢えずソレに触れてみな。そうすれば勝手にアンタの魔力を吸収して、疑似的な操作を補助してくれる」
女性の投げやりな説明だったが、要するに触れれば小さくなれるのだろう。
ただ、問題点が無いわけじゃない。
「……大丈夫、調整はしてある」
まるでこちらの思考を読んだように、女性は肩を竦めた。
(それなら……)
勝手に魔力とやらを吸収していく。
それが継続的で枯渇、生命を維持するために支障が出ないだろうか。
魔力という未知の存在を有しているという時点で疑問が絶えない。
何よりもこの世界、未だに知らないことしかないのだ。
だから自然と警戒心を抱いてしまう。
足もとに転がる、首からぶら下げられるチェーンに括られた懐中時計のようなモノ。年季が経っているのか古ぼけていて、表面もくすんでいて傷だらけ。
それはまるで、コレは過去にも使われたと物語っているようにみえた。
「……何これ?」
気づけば女性は家の中へと消えていて、残されて二人っきりの状況。
(何だろうね……)
「グルゥ」
どうしたものかと悩んでいたかったが、好奇心でリルが触れていいモノか。
もしまた、コレに触れてリルが倒れてしまったら。
そんな危惧から、意をけっして触れることにした。
(んっ!?)
触れた先から急激に吸われていく、目に見えないナニか。
これが魔力とでもいうのか。
だからといっても、それがあまりにも勢いがある。
(これは……ヤバいんじゃ……)
本能的な予想が的中したかのように、いつまでも触れていることへの恐怖心を感じた。
ただそれも、手遅れだったのだろう。
どうにか手を離そうとする暇もなかった。
「……ワン、ちゃん?」
「……?」
気づけば視線の高さは低くなっていて、どうにも吹き抜ける風を地肌に感じられた。
こちらを見上げたリルの瞳は、これでもかというほどに大きく開き、キョトンとした表情を浮かべている。
(……何が起きたんだ?)
変化としては、それくらいなのだろう。
念のためにと周囲を見渡そうとして、ようやく違和感があった。
(あれ、鼻先……それに、えっ?)
いつもだったら嗅覚で獣、魔物の位置を把握していた。
その鼻先が低くどころか、綺麗さっぱり無くなってしまっている。それを確認するために動かした右前脚だったが、明らかに見慣れない手。
それはまるで、リルやあの女性のような人間の手をしている。
「ッ!!!?」
全身を見下ろすと、何故か人間の姿をしていた。
しかも、何も着ていない状況。
声にならない悲鳴をあげそうになったが、どう発していいのかわからない。
もしくは、喉が変化に適応していないのか。
咄嗟の事でもあったがその場にしゃがみ込み、全身を隠すように身を縮こませる。
「ワン、ちゃん?」
「ァ゛ァ゛」
いつもだったら喉を鳴らすだけでいいはずが、今はそれすらもできなかった。




