第三章:いよいよ異世界生活っぽくなってきた……5
そんなことがあり、今に戻る。
「あ、また降ってきた」
(……今日のところはここまでかな)
「グルゥ~」
小さな掌を頭上に掲げたリル。
それに倣うように見上げると、白い結晶がチラついていた。
タイミングとしてはちょうどよかったが、これといって進展がない状況である。
(とはいえだよな……)
「ワンちゃん、積もる前に寝床作らないと!」
寄りかかっていたリルは立ち上がり、妙なやる気を発揮していた。
(そうだね)
「グルゥ」
全てはリルの体力と気分しだい。
無理に探索を続けたところで、この雪原地帯の全容すら把握しきれていない。
ほぼ当てもなく、身を危険に晒し続ける旅だ。
色彩も針葉樹林の茶色と緑、気まぐれで降る白い結晶くらいのもので、風景も変わり映えしない。
好奇心が旺盛なリルからすれば退屈で、モチベーションという面で下がるだろう。
軽い跳躍で頭上の枝を足場に、尖らせた爪を突き立てる。それを何度か繰り返し、折れそうなタイミングで銜えて、リルの近くに降り立つ。
「スゴイスゴォ~イ」
パチパチといつものように手を叩くリルの前に枝を置くと、細い枝の部分を折り始めていく。
「んしょ、ん~しょ!」
時々危なっかしく後ろに倒れそうになるところを、鼻先で支えてあげる。
「ありがとう、ワンちゃん!」
(う、うん……)
「グルゥ~」
たったそれだけでも、リルは溌溂とした笑顔でお礼を告げてくる。
それが少しだけむず痒くあった。
「できた!」
白い結晶が降り始めてからしばらく、リルの予想通り積もり始めた。
そのタイミングで、本日の寝床も完成したようだ。
とはいえ簡易的な、針葉樹林の葉を重ねただけのモノ。頭上を覆うのも折った枝を屋根に、吹き抜ける風は防げない。
「今日もモフモフだぁ~」
だがリルにはお構いなしのようで、しゃがみ込んだお腹の部分に身体を預けてきた。背負っていた鞄を枕にするでもなく、後頭部をグリグリと押しつけてくる。
まるで歩き疲れたからと、甘えてくるような素振り。
(……限界、かな)
言動には疲れをみせないが、内側の幼い心が悲鳴を上げつつある。
頻繁な休憩に、減りつつある食事の回数。
(食べなくて平気?)
「グルゥ」
「……ん? ワンちゃん、どうかしたの」
リルの顔に鼻先を近づけるも、反応が少し遅れて撫でてくる。
「【雪原の魔女】さん、みつからないね」
(そうだね)
「グルゥ」
言葉が通じないというもどかしさに、甘えるように喉を鳴らす。
「ふふ、心配してくれてたの?」
声音からも疲れが滲んでいたが、リルは笑顔を振りまいてくる。
「ありがとう、ワンちゃん」
そして鼻先に寄りかかってきて、ゆっくりと瞼を閉じた。
それからしばらくすると、規則的な寝息が聞こえてくる。
「すぅすぅ」
(こうやって安心して眠れる場所くらいは整えてあげていきたいな)
出来るだけ起こさないよう、ソッとリルを横たわらせた。
そうしてしばらく見守り、リルが目覚めないことを確認する。
どんな時、どんな状況でもぐっすりと熟睡してしまうリル。寝つきの良さに不安を覚えるも、お陰で僅かな時間を自由に動けた。
(……ちょっとだけ行ってくるね)
可能であればリルの傍を片時も離れたくないのだが、行動を共にするようになってから都合の悪い部分がでてきた。
これはあくまでエゴでしかない。
ただやはり、この環境にいつまで身を置き続けるのかがわからない状況。何よりも心の疲弊が如実に見られ始めるリルの精神上、悪影響を与えるかもしれない。
それを気にして、狩りも細心の注意を払うようにしている。
瞼を軽く閉じ、周囲の状況を把握する。
(……あっち)
降り始めた白い結晶のせいで空気が湿り、嗅覚の本領を発揮しづらい。
それでも聴覚、自然と身についた野生の勘に支障をきたすことはなかった。
短く息を吐いて、地面を軽く蹴る。
殺気を可能な限り消し、一番近くで捕捉した獣の背後をとった。
(よし、こっちに気づいてない)
そこには一匹の、ずんぐりと背中の丸い獣がいた。
ブツブツとした焦げ茶色に、所々に苔のような濃く深い緑が目につく。それ以外の特徴はみられず、正面からでないとどんな顔はわからない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
目的は一つ、飢えを満たすこと。
そう、都合の悪い部分――食事だ。
優先的にリルへと食材、もとい狩った獣を与えていた。最初は手当たり次第だったが、図体のデカい獣の場合は捌くのも一苦労。何よりもリルの体格からして、胃に収まるのはほんの少し。
なので後は手を付けずに放置する。
時には一緒に食べないかと誘われたが、リルの横でというのに抵抗があった。
今までは躊躇いなく喰らっては、空腹を満たしてきている。生きるためではあったが、それは周囲への配慮をする必要がなかったから。
けど今は、リルがいる。
だから食べることを控えてきたが、それにも限界は当然のようにあった。
(こんなのもいるんだ)
そのため、リルが眠っている間に飢えを満たしていた。
でないといつか、この矛先を向けてしまう万が一。いや、億が一の可能性があるかもししれない。
向こうに気づかれてからの反撃どころか、一撃で仕留める。
尖らせた爪で、容赦なく背中に突き刺す。
(……え?)
それだけ、のはずだった。
けっして気づかれて逃げたわけでも、反撃をされたわけでもない。
刺さるはずだった爪が、体面を滑ったのだ。
「グロォォ~~」
そのせいでバレてしまい、野太くガラガラとした鳴き声が良い証拠だった。
(はやッ!?)
何かしらの反撃を覚悟したが、ずんぐりとした図体からは想像できない俊敏な動きに跳躍力。
針葉樹林の幹を足場に飛び、逃亡を図っていく。
だからといって深追いはしない。
(……仕方ない、今回は諦めよう)
優先にすべきはリルの無事だ。
ここで飢えを満たすために追いかけ、その隙にリルが他の獣に襲われては目も当てられない。
何やら滑ってしまった爪先を空で払い、リルの元へと踵を返す。
それからリルが目覚めるまで、周囲に神経を張り巡らせながら休息をとった。
(……ん?)
次に目が覚めたのは、微かな物音でだった。
音の発生源は腹部から、リルが起きたのだろう。
だが、やけに静かだ。
いつもだったら溢れんばかりの元気な声で飛びついて来て、疲れが抜けたような笑顔を振舞ってくる。
そうしてこない違和感に、薄っすらと瞼を開いて行動を観察する事にした。
「ワンちゃん、体調悪いんだよね」
リルは声音を低く、起こさない気遣いなのだろう。
「だから何も食べない。けど、リルのためにいろいろ狩って来てくれる」
脇に置いていた鞄を開き、ガサゴソと漁り始める。
「だから、リルも何かしてあげないと」
取りだしたのは、見慣れた一本のナイフ。
(……リル?)
それで何をするのかと疑問だったが、リルは静かに立ち上がる。
「待っててね、ワンちゃん」
そして、手にしたナイフを持って寝床を離れていこうとする。
その言動に理解が及ばず、どうするべきかと頭を悩ませた。
「あっ」
だが、リルは転んでしまった。
(リル)
「グルゥ」
それをタイミングに、目を覚ましたフリで顔を上げる。
「わ、ワンちゃん……」
すると、リルは悪戯がバレたような表情でこちらを見つめてくる。
僅かな沈黙。
リルが手にしていたナイフを背中に隠したのを見て、上体を起こす。
(どこに行くつもりだったの)
「グルゥ」
少し威嚇するように喉を鳴らすと、リルは顔を俯かせてしまった。
それから再び沈黙かと思いきや、押し殺したようなか細い声が耳に届く。
「――なの」
さすがに聞き取れず、リルに顔を近づける。
「ワンちゃん何も食べてない。だからリル、何かしてあげたいの。ワンちゃんが元気ないの、リル嫌なの!」
顔を上げたリル。翠眼の瞳が潤み、目じりからは今にも涙が零れそうになっていた。
(……リル)
いつも快活で無邪気な、好奇心旺盛ないつもの様子はどこにもみられない。
今いるのは、幼くも気遣える少女だった。
(ありがとうね)
「グルゥ」
「えっ? わっ! わぁあ~!?」
何かのはずみで傷をつけないようナイフを取り上げたかったが、小回りの利かない四肢。
だからリルのフード部分を銜え、小さな身体ごと持ち上げる。
短い両手足をバタつかせるリルを無視して、元居た寝床に転がす。
「ワンちゃん?」
不思議そうに見上げてくるリルに、頬を擦り寄らせた。
(心配してくれてありがとう)
「グルゥ~」
甘えるように喉を鳴らし、さらに頬を擦り寄らせる。
「もぉお~くすぐったいよ、ワンちゃん」
今にも泣きだしそうだった表情から一転して、身を捩じらせるように寝床で転がるリル。手にしていたナイフは、ついさっき銜え上げた時に落としたのを見ている。
だから、いくら暴れても心配はいらない。
仰向けになったリルのお腹に、追い打ちをかけるように鼻先を押しつける。
「わ、ワンちゃん! く、くすぐったいから」
「グルゥ~」
「も、もっ、もぉお!」
リルの必死な抵抗は虚しく、しばらくジャレついた。
「よし! 行こう、ワンちゃん!」
(うん)
「グルゥ」
と、しばらくジャレついた後に移動を始めた。
声音からでも伝わってくる、リルの快活とした溢れんばかりの元気っぷり。背負う鞄の紐をしっかりと掴んで、足取りもどこか軽々しい。
そんなやる気に満ちているリルの様子に、自然と目もとを細めてしまう。
(リルはやっぱりこうじゃないと)
もしかしたらリルの休憩回数が多かったのは、それが原因かもしれなかった。
歩き疲れて寝たふりをする。その時間で食事を与えようと、リルなりに考えての行動だったのかもしれない。
ただそうなると、どれだけ心細い思いをさせてきたのだろうか。
いつ獣に襲われるかもわからない。
最悪、帰ってこない可能性だってあるのだ。
にもかかわらず、リルは我慢をしてきた。
その素振りを見せることなく、今も変わらず隣を元気よく歩いている。
(リル)
「グルゥ」
「ん? んっ!?」
それだけで、本当にかけがえのない存在に思えてきてしまう。
出鼻をくじく形でリルのフード部分を銜え、そのまま背中に乗せた。
「お~高い、高ぁ~い」
興奮したように両手を叩くリルをよそに歩き出す。
(……ん? 初めからこうしてればよかったんじゃないかな)
キャキャッとはしゃぐリルの声を背に、そう冷静に考えてしまう。
今まではリルの風の吹くまま、気の向くままにと指差した方に歩いてきた。
ただこの一面銀世界という環境において、正常な方向感覚が働くだろうか。
もしかしたら、同じところをグルグルと回っていた可能性だってある。
そのことをリルに問おうにも、言葉が通じないどころか、何も考えていないのかもしれない。
「ねぇねぇ、ワンちゃん。あっち行こう」
右手で指差された方向は、どこか変わった景色というわけでもない。
だからといって、何一つと手掛かりのない【雪原の魔女】探しだ。
どこに向かうかは、リルに決めさせても良かった。
(わかった)
「グルゥ」
なので指示された通りに歩きだす。
(……こんな知識が役立つなんてね)
念のためにと、針葉樹林の根元に爪で傷跡を残しておく。




