第三章:いよいよ異世界生活っぽくなってきた……4
よく食べて、よく眠る。
「ワンちゃん! おはよう」
(うん、おはよう)
「グルゥ」
そして目が覚めると、快活さを一層と増して活動を始めるリル。
両腕を広げて抱き上げてほしいかのように見つめてくるので、体勢を低くして鼻先で触れる。
「ワンちゃん!」
それだけでリルは喜びを露わに、飛び跳ねて抱き着いてくる。
(やっぱりこうじゃないとね)
そんな通常運転の姿に、少しだけ安心感を抱いてしまう。
(じゃ、行こうか)
「グルゥ」
いつまでも鼻先にしがみついていられるのもくすぐったく、リルを下ろした。
言葉は通じないとわかっていながらも、視線を先へと向けて歩き出す。
「よぉ~し、魔女さん探すぞぉ~」
小さな拳を高らかに掲げ、チョコチョコと隣をついてくる。
(さてと、どうしようかな……)
思考を【雪原の魔女】探しに集中させる。
人に身である【雪原の魔女】の事だから、獣とは違った匂いをするはずだ。
それは身近なリルがそうである。
嗅ぎ慣れて当たり前に感じていた獣達の、俗にいう獣臭。
個体によっては様々だが、生存していく上では一つのデメリット。ただ切っても切り離せない事柄故に、逆転の発想で今に至る。
匂いを頼りに相手を探し、逃げる時の風向きにだって気を遣う。
どれだけの獣達がそれに気づき、生存してきているかはわからない。
もしくは本能的に身についていて、それが当たり前の可能性もある。
それ故に、匂いで【雪原の魔女】を探す一つの手段ともいえた。
(とはいえ、だよな……)
瞼を閉じて視覚を、両耳も伏せて音すらも、五感を集中させるためにシャットダウン。普段であればしないことだが、嗅覚に意識を集中させる。
スンスンと鼻腔を動かし、周囲の匂いを嗅ぎ分けていく。
(……やっぱりだ。この雪のせいで匂いがわからないや)
辺りを染める、一面銀の世界。
天候も変わりやすく、酷い時は身動き一つとれなくなるほどに荒れる。そんな時は無理に動かず、天候が回復するのを待つしかない。
もし獣と鉢合わせでもしたら、天候関係なく命のやり取りが始まる。
(これはもう少し天候が回復してからかな)
今はさほど降っていないが、湿った空気が辺りに充満していた。
そうなると、地道に足で稼ぐほかない。
「――ちゃん! ワンちゃん!!」
(っ!?)
リルの悲鳴にも近い叫ぶ声が、立てた耳に届いた。
咄嗟に振り返ると、ポツンと立ち尽くすリル。しかもかなり離れた場所にいることに、瞳を丸くさせる。
(あ、そっか……)
「ワンちゃん!!」
再びリルに呼ばれて、慌てて元に駆け寄った。
「リルのこと置いてかないで!」
(ご、ごめん)
「グルゥ~」
頬をパンッパンに膨らませて地団太を踏み、目もともどこか潤んでいた。
(こ、これは……)
【雪原の魔女】を探すことに意識を集中させ過ぎたようだ。
そのせいで、リルとの一歩が違うことに気づかなかった。
小柄なリルの身長からして、数歩進むことでやっと追いつける。
それが断続的ともなれば、一つの運動に近く走らないといけない。
それではリルの体力が持たなくなる。
「ワンちゃん!」
スカートの裾にシワを作るほど強く握り締め、睨むように見上げてくる。
さすがにこの態度をとられてはタジタジどころか、反省せざる得ない。
シュンと尻尾を垂らし、耳も伏せて姿勢を低くする。
「ん」
リルは唇を紡いで口も利きたくない素振りをとるが、首もとに近づいてきて腕を回し抱き着いてくる。
(……怖い思い、させたよね)
複数の獣に囲まれた時、リルは無邪気にはしゃいでいた。
だけど今は、一方的に置いていった形になる。獣に襲われなかっただけで一安心だったが、お互いの環境と状況に巻き込んでの成り行き旅だ。
(ごめんね……)
「グルゥ~」
リルに伝わらないとわかりつつも、せめてもと謝っておく。
(って、こんな時に……)
できる事ならしばらくリルに寄り添ってあげていたかった。
「グルゥウ~」
喉を低く鳴らし、目もとを鋭く細める。
「……ワンちゃん?」
野性に身を置いてきたから気づくが、リルからすれば何一つ変わらない光景でしかない。
首もとに回していた腕を解き、不安そうな瞳で見つめてくる。
(いくら単体とはいえ、ここにリルを置いていくのは気が引ける。その間に襲われでもしたら、目覚めも悪いし……)
気配は一つしかないが、今のところだ。
個体によっては移動速度が早かったり、上空からという線もある。
何よりもついさっき、リルを置いてきぼりにしてしまった。
ここでリルの傍を離れる考えは全くなく、どう対処するべきかと悩まされる。
距離からしてさほどは慣れていない。
今からリルを連れて逃げたところで、向こうが標的と定めている。風向きを気にしていない様子から、透けるように相手の状況が汲み取れてしまう。
こちらを喰らうまで、執拗に追いかけてくるはずだ。
それくらい、生という本能に飢えている。
「ワンちゃん?」
再び呼びかけてくるリルの、翠眼の瞳が揺れる。
(……出来ることなら、みせたくないよな)
野性という世界、命のやり取りが日常だ。
単純な生と死。
辺りを染める一面真っ新な銀世界だが、その下には血みどろな痕跡が隠されている。それが表に出ることはないだろう。
そんな光景を、再びリルに見せたくない。
どうするべきかと悩んだ末に、せめてもとリルのフードを目深く被らせる。
「ワンちゃん、見えないよぉ~」
突然じゃれつかれたと勘違いするリルは声音を弾ませ、小さな頭を左右に振る。
(……一瞬で仕留める)
ありがたいことに、こちらはただ待ち構えるだけでいい。
一番の問題は、リルの精神衛生上よろしくない光景をみせてしまう事だった。
躊躇なく獣を捌いてしまう時点で杞憂ともいえたが、ここでは日常茶飯事だ。【雪原の魔女】を探しだすまでに、獣達との遭遇は避けられない。
純粋で無邪気なリルは、まだ幼い。
これから先、リルの人生に何かしらの悪影響を与えてしまうかもしれない。
「もぉ~ワンちゃん?」
(まだだよぉ~)
「グルゥ~」
だからリルに不安を抱かせないよう、あくまでじゃれている風を装う。
(……もう少し)
その傍らで、向こうとの距離を把握する。
「ん~? 何の音ぉ~?」
まるで地ならしのように足音が近づいてくる。
「グォオォォ!!」
身を潜めるどころか、向こうから居場所を知らせてくれる。しかも理性でも失ったかのような咆哮は辺りの空気を震わせ、リルへの誤魔化しがしようがない。
(このっ……)
リルのフードを銜えていた顎に、怒りで力が籠っていた。
「ヴァウ!!」
そして気づけば、地面を蹴っていた。
全身を覆う長い茶色の体毛で覆われ、ゴツゴツとした躯体の特徴的な獣。地面を踏みしめる四肢は、針葉樹林の幹にも匹敵する太さ。縦長の頭部から覗く瞳は血走り、開かれたままの口からは涎が流れっぱなし。
ただ、それだけ。
何か特徴的な攻撃手段を持っている様子がみられない。
(一撃で仕留めるッ!)
だからといって、向こうの出方と窺っている暇はなかった。
時間からして数秒、フードでリルの目もとが隠れている僅かしかない。
斜め後ろに跳躍して、眼下に獣を補足した。
まだこちらの動きに気づいていない様子で、隙だらけの真横に奇襲をかける。
「グォオォォ!!」
針葉樹林の幹を足場に蹴り、どの獣でも共通の弱点に狙いを定めて牙を立てる。
真横からの襲撃に驚き叫んだ獣は、それを最後に倒れてしまう。
これまでにない程にあっさりと、手こずることもなかった。
そんな実感を置き去りに、リルの元へと地面を蹴る。
「……ん? ワンちゃん」
(どうかした?)
「グルゥ」
被されていたフードを外したリルは、不思議そうに瞳を丸くさせる。瞼を瞬かせながら周囲を見渡し、コテンと首を傾げた。
「静かになったね」
(そうだね)
「グルゥ」
リルは知らなくていいのだ。
こんな、血みどろに等しい自然界の理を。
「ワンちゃん、今度は置いていかないでよ!」
(気をつけるね)
「バウゥ!」
けど、リルの興味は失せたように雪原を歩きだす。
その隣を歩くというか、見守るように並び立つ。
(……こんな感じで【雪原の魔女】をみつけられるかな)
「フフ~ン~フ~」
鼻歌交じりに進むリルを横目に、ひっそりと息を吐くのだった。




