貴方は最愛の彼女を殺した相手を憎いと言うけれど……
「ああ、レティ……何故だ……何故こんな……」
王の執務室にて。
両手で顔を覆い、嘆いているのはこの国の王シュナイゼルだ。
「……」
そしてそれを呆れたような冷めた目で見つめるのは彼の妻である王妃テレーゼだった。
シュナイゼルは怒り任せに自らの拳を机に振り下ろした。
「レティ……ああ……クソッ……あの女が憎い!」
「……」
シュナイゼルの言うあの女とは、ノルマン侯爵家の娘であるドロシーのことである。
何故シュナイゼルが一貴族令嬢であるドロシーを憎んでいるのか。
それは彼女がシュナイゼルの最愛の人を殺害したからである。
そう、レティとは彼の愛妾の名だった。
――レティシア
王シュナイゼルの寵愛を一身に受ける、彼の愛妾。
ふわふわなストロベリーブロンドに、丸い大きな瞳。
貴族の出ではないものの、王が愛する唯一の人として王国内ではよく知られた存在だった。
そんな彼女が殺された。
王国は今、その話で持ち切りである。
何故ここまで話題になっているのかというと、彼女が王国内において有名人であったこともそうだが、その殺害方法があまりにも残忍だったからだ。
テレーゼは人生に絶望したかのような顔をする自身の夫を、しばらくの間じっと見下ろしていた。
「…………ふふ」
「……何を笑っているんだ」
クスリと笑みを溢したテレーゼに、シュナイゼルが厳しい目を向ける。
シュナイゼルのその視線を受けて、テレーゼは歪んだ口元を手で隠した。
「いえ、何でもございません」
「ハッ、何か言いたいことがあるならハッキリと言ったらどうだ!?お前も内心は喜んでいるのだろう!レティがいなくなって!」
「……」
その言葉に、テレーゼは気分を害した。
何故なら彼女は別にレティシアが死んで喜んでなどいなかったからだ。
ただ、自分の夫に呆れ果てているだけである。
「喜ぶだなんて……私はただ都合の良い”もしもの世界線”を想像してしまっただけですわ」
「都合の良いもしもの世界線だと……?」
シュナイゼルは眉をひそめた。
「一体どういう意味だ」
「ふふ、聞きたいですか?」
そこでテレーゼは執務室のソファに座り込んでいるシュナイゼルにゆっくりと近付いた。
そして彼の耳元で囁いた。
「陛下、考えてもみてください」
「何をだ」
「もし、陛下がレティシア様を愛妾にしていなければ、ということです」
「……?」
シュナイゼルはテレーゼの言っている意味を理解することが出来なかった。
テレーゼは訝し気に自身を見つめるシュナイゼルにハッキリと告げた。
「陛下がレティシア様を愛妾にしていなければ、少なくとも、あんな風に惨めな死を迎えることは無かったのではないでしょうか」
「……!」
シュナイゼルの瞳が大きく揺れた。
しかし彼はすぐに平静を取り戻すと、キッとテレーゼを睨んだ。
「それはつまり……私のせいでレティは死んだとそう言いたいのか?」
「……まぁ、結論から言うとそうですわね」
シュナイゼルがテレーゼに非難の目を向けた。
「……お前がそんなに性根の醜い女だとは思いもしなかった。最愛の人を失って嘆く夫を慰めるでもなく、そんなことを言うとはな……お前には人の心が無いのか?」
「……」
それを聞いたテレーゼは呆れて何も言えなくなった。
シュナイゼルはまだ自分の犯した過ちに気が付いていないらしい。
そもそもテレーゼは彼を夫だと思ったこともなかった。
「……逆にお聞きしますが陛下、貴方の寵愛を一身に受けていることで有名なレティシア様が誰かの妬みを買って危ない目に遭うという可能性は考えなかったのですか?」
「……!」
テレーゼのその言葉に、シュナイゼルの体がビクリとなった。
彼女の放った一言に、彼は間違いなく動揺していた。
少しして、シュナイゼルは慌てたように言い訳をした。
「し、しかし……レティには王である私の寵愛がある……だから……」
「ハァ……」
どうやら王の寵愛があるからレティシアには手出し出来ないと思っていたようだ。
甘い考えだ。
だから愛する人をあんな目に遭わせたのではないか。
「たしかに、レティシア様が高貴な身分のお方であったならそう簡単には手は出せないでしょうが……彼女は平民出身の愛妾に過ぎなかった。これが何を意味するか分かるでしょう?」
「……」
「身分が低いせいで側室にもなれない、何の後ろ盾も持たない無力な女性がたった一人でこの陰謀渦巻く王宮に放り込まれたのです。酷い話だと思いませんか?まぁ、それをしたのは間違いなく貴方ですけど」
「……」
シュナイゼルはグッと黙り込んだ。
心の中で自分の過ちに気付き始めているのだろう。
「……では、私はどうすればよかったと?」
「そうですわね、彼女に爵位でも授ければよかったのではないでしょうか。男爵か、子爵くらいの。それだけでも結末は違ったでしょう」
「……」
テレーゼは別にレティシアを憎んでなどいない。
ただ、こんな目に遭って可哀相だと思っているだけだ。
そして、テレーゼは先ほどからずっと黙り込むシュナイゼルに追い討ちをかけるかのように冷たい声で言った。
「ご自身の頭で想像してみてください。もし、陛下が彼女を王宮に連れて来なかったら……」
「……」
これ以上は聞きたくない、とでも言わんばかりにシュナイゼルが顔を背けた。
しかしテレーゼはそんなこと気にも留めずに言葉を続けた。
「今頃、平凡な男性と結婚して平凡な暮らしをしていたのではないでしょうか。――少なくとも、男に乱暴された後に無慈悲に命を奪われるなんてことは無かったでしょうに」
「……!」
シュナイゼルはガックリと項垂れた。
最初よりもずっと顔色が悪い。
それからしばらくすると、彼は嗚咽を上げて泣き始めた。
「……」
テレーゼはそんな夫を一人残して執務室を出て行った。
***
「……」
シュナイゼルの執務室から自室に戻ったテレーゼは、ベッドサイドに座ってふぅと息を吐いた。
(まさかこんなことになるなんて……)
王妃であるテレーゼはもちろん、夫の愛妾であるレティシアとも関わりがあった。
彼女のことを好いてはいなかったが、今回の件には流石に同情した。
(まぁ、彼女の場合自業自得とも取れるのかしら……)
シュナイゼル王の愛妾レティシアは、お世辞にも賢い女とは言えなかった。
『あー!テレーゼ様!これ、見てください!このブレスレット!シュナイゼル様とお揃いなんです!』
『……まぁ、それは良かったわね』
『今日はシュナイゼル様とお出かけに行くんです!私の行きたいところに連れて行ってくれるって!』
『あら、そう。楽しんでいらっしゃい』
レティシアはテレーゼと会うたびに自分がシュナイゼルにどれだけ愛されているかを見せつけていた。
テレーゼは夫であるシュナイゼルを全く愛していないので別に何とも思わなかったが、これこそが今回彼女が悲惨な末路を遂げる原因となってしまった。
それが王妃であるテレーゼの前だけならまだ良かった。
問題は、彼女がその愚行とも言える行いを王宮の外でもしていたということだった。
そう、レティシアは社交界に出るたびに周囲の貴族たちにシュナイゼルとの惚気話をしていたのだ。
一介の平民が、王国の最高権力者である王の寵愛を一身に受けていることを良く思わない貴族は多かった。
シュナイゼルの側妃の座を狙っている貴族令嬢なら尚更だ。
レティシアのその行為は、貴族社会では非常に危ないものだった。
(悪気は無かったんだろうけど……)
彼女はただ愛する人との幸せな時間を誰かに話したかっただけなのかもしれない。
しかしそれが命取りとなった。
王妃でも無い以上、彼女は立場を弁えるべきだったのだ。
今回の一件を引き起こしたノルマン侯爵令嬢ドロシーは既に処刑済みだ。
しかし、彼女を処刑したところで亡くなったレティシアが帰って来るわけではない。
それはシュナイゼルもよく分かっているはずだ。
「……私も、覚悟を決めないといけないわね」
テレーゼは侍女が出て行き、一人になった部屋でポツリと呟いた。
***
シュナイゼル王の愛妾レティシアが亡くなってからというもの、王は全ての公務から手を引いた。
代わりを務めているのは、優秀な彼の正妻である王妃テレーゼだ。
元々才女と名高かったテレーゼは、優れた手腕で瞬く間に国を発展させた。
臣下たちからの評判も高い彼女は、今や王宮を牛耳る存在となった。
彼女が権力を拡大させてから間もなく、シュナイゼル王は廃位されることになった。
長い間王の部屋に引きこもっていた彼は、以前の姿は見る影も無いほどに老け込んでいた。
彼は、突如として部屋に入ってきた騎士たちを見ても一切抵抗する様子を見せずに大人しく連れて行かれたという。
シュナイゼル王は王の身分を剥奪され、王都から遠く離れた離宮に生涯幽閉されることとなった。
公務を放棄していた無能な王が廃位され、国はさらに豊かになると思われた。
しかし、問題が一つだけあった。
それはシュナイゼル王に彼の後を継ぐことの出来る後継者がいなかったことだ。
そこで国の頂点に立ったのが王妃テレーゼである。
元々公務においてシュナイゼル王よりも優秀だった彼女は、貴族たちの満場一致で女王となった。
「女王陛下万歳!女王陛下万歳!」
王国初の、女王が誕生した。
***
それから十年後。
王妃テレーゼ……いや、女王テレーゼはその日庭園で優雅にお茶を飲んでいた。
向かいに座っているのは、王配となった彼女の夫である。
女王となった後、テレーゼは幼馴染で初恋の相手でもある同い年の公爵令息にプロポーズされたのだ。
もちろん彼女は二つ返事で引き受けた。
「テレーゼ、私たちの子供は本当に可愛いね」
「ええ、そうね」
庭園では彼らの間に生まれた二人の子供が楽しそうに遊んでいた。
二人は彼ら夫婦の宝物である。
そこでテレーゼはシュナイゼル王と結婚したときのことを思い出した。
シュナイゼル王との結婚はお互いに望まぬものだった。
テレーゼは公爵令息を忘れられなかったし、王にも既に愛する人がいたから。
しかしそれでも、テレーゼはシュナイゼル王と夫婦になれば少しは尊重してくれるのではないかと思っていた。
愛し合う関係にはなれなくとも、信頼の置ける良き夫婦にはなれるのではないだろうかと。
しかし、初夜にシュナイゼル王が放った言葉に彼女はどん底に突き落とされることとなる。
『私が愛するのはレティシアただ一人。お前を愛することは無い。お前のことは仕方なく王妃として迎えただけだ』
それからは頼れる人も誰もいない王宮でお飾りの王妃として寂しく過ごす日々。
何故自分はここにいるのかと、何度も泣いたし何度も自分の運命を嘆いた。
だからこそ、シュナイゼル王の絶望しきった顔を見たときは胸がすいた。
テレーゼが王に対してあのようなことを言ったのは、もしかすると長年に渡って自分を蔑ろにした王への復讐の意味も兼ねていたのかもしれない。
「テレーゼ?どうかしたのか?」
「……ううん、何でもないわ」
テレーゼの暗い顔を見て、夫が心配そうに声を掛けた。
そこで彼女は考えるのをやめた。
「愛してるわ、アナタ」
「ああ、私も愛してるよ」
過去と完全に決別したテレーゼは、目の前にいる愛する夫に笑いかけた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!