戻ってきた竜の民
今日も今日とてノードリッチの寒さは厳しい。
早朝に起きてまずするのは井戸の中に縄の先に括り付けた鉄棒を落として氷を割ることだし、その次にするのはかまどに火を入れて、家族全員が温まるためのスープを作ること。
もちろん冬なので満足のいく具はじゃがいもと豆しかない。
そういえば昨日の塩漬けベーコンが余っていた気がする。
小さく刻んでスープに入れてしまおう。そうすれば育ち盛りの子ども二人も満足するだろう。
がしゃん、どぼん。
鉄棒が氷を割った音と、水に沈んでいく音がしたので最初の仕事は終わったようだ。
縄を引き上げれば濡れた鉄棒が現れる。
手袋をしていても今は触りたくないが、そうも言っていられない。
早くかまどに火を入れて指先を温めよう、と決めて冷たい鉄棒を定位置に置くと、二階の窓から子どもたちの起きる声がした。
今日も『兄ちゃんが、いやお前が』と喧嘩から始まっている。
さてはて今日は何があったのやら。
「あんたたちー!早く着替えてご飯の支度、手伝ってー!」
「今日はこいつにやらせてよ!」
「母さん聞いてよ、兄ちゃんがー!」
「先に挨拶しなさい!」
「「おはよう、母さん!」」
「はい、おはよう」
上を見上げれば窓から頭を突き出した息子二人が『今日の手伝いはどっちがやるか』と押しつけ合っていたようだ。
当番制と言っているのに、隙あらばサボろうとする馬鹿で可愛い子たちである。
腰に当てた両手が大声を出したせいか少しだけ温まった気がした。
さあ、これから忙しくなるぞ。
いつものよう、まだ喧嘩を続けそうな子どもたちに一喝くれてやろうと口を開いたが、なぜだかいつもの声が聞こえてこない。
珍しい。もう喧嘩が終わるなんて。
不思議に思って、閉じていた瞼を開ければ、お互いの頬や髪を掴んだままの子どもたちが口をぱっかり開けて空を見上げていた。
今朝は昨日の夜から分厚い雲に覆われている濃い灰色の曇り空。
当然、子どもたちの目を奪うような面白い形をした雲や虹なんてかかっていないはず。
子どもたちの目が向かう先を追いかけて同じように首を曲げれば、灰色の空に見慣れない形の黒い鳥の姿がぽつりと浮かんでいる。
(カラス?それにしては大きい…、!?)
カラスだと思った鳥の影は、とても鳥とは思えない速さでぐんぐん近づいてきて、二つ隣の区画の空に来た時、ようやく正体が分かった。
「家の中に入りなさい!窓を閉めて!」
慌てて子どもたちに声をかけるも、あれに目を奪われているのか聞いちゃいない。
呑気に起きてきて腹をかいている夫を突き飛ばし二階に駆け上がった。
子どもたちの取り付いている窓の向こう、誰が見ても分かる真っ黒な『災い』が見えている。
コウモリのような形のそれよりさらに大きな翼。
鋭い牙が連なる禍々しいトカゲの頭と、恐怖と強さの象徴である二本の角と四本足。
ドラゴンだ
領都を囲む壁を飛んで越えてきたのか、屋根へ近づくように斜めに降りてきている。
固まったまま動かない子どもたちの肩を抱いて窓から引き離そうとするも、違うよ、と下の子が私のエプロンを引っ張った。
「母さん、背中に人が乗ってる…」
「……え?」
僅かに引きずられた上の子が子どもの腕をめい一杯伸ばして窓の外を指差す。
呆然と、けれどその表情だけをキラキラと輝かせている息子たちが、わあ!と両手をばたつかせて私の手から離れていった。
「「竜の民だ!」」
再び窓に取り付いてドラゴンを見つめている息子たちにそうっと近づき、私も窓から顔を突き出す。
一瞬のことなのにあっという間に隣の区画にまで来て、もうすぐ家の上を通り過ぎるようだ。
夫も何事かと部屋に飛び込んできて、子どもたちと同じように口を開ける。
ドラゴンの影が窓を通り過ぎて私たちにかかった。
人が見える。黒いドラゴンと同じ黒く長い髪を持った人が。
姿勢は騎士様のように凜々しく、飛んでいるはずなのに馬に乗っているかのような安定感だ。
「そういえば、領主様から通達があったな…」
「ええ…でも本当だとは…」
バサ、バサ。力強い羽音が聞こえてきて、子どもたちが元気に手を振る。
おーい、と遠慮の無い呼びかけに思わず『やめなさい』と腕を下ろさせた。
が、すでに遅かったようだ。
ドラゴンと『竜の民』ははっきりとこちらを見て、さらにこっちに飛んでくる。
私たちの家のすぐ前で地面に向かったかと思えば、ぶわ、と窓の外をドラゴンの腹が撫でていき、小さな竜巻でも起きたんじゃないかと思うぐらい、髪が乱れた。
夫と私は思わず部屋の中に逃げ込んでしまったのだけれど、子どもたちは舞い込む風を物ともせず窓枠にしがみつき、楽しそうな声を上げている。
再び手を振って、あちらに振り替えされたのか、興奮は最高潮。
もう私たちの家の上にはいないのか、ご近所の方から『わあ』とか『きゃあ』とか聞こえてきた。
飛び去って一安心したところなのに、恐れを知らない子ども二人は『かっこいい』『俺も乗りたい』と好き勝手にその場で飛び跳ねている。
「追いかけようぜ!」
「うん!」
「あっ、ちょっとあんたたち!ダメよ!危ないから!」
「「平気―!!」」
平気ではない。
朝ご飯も食べず、着替えもせず、靴だけを適当にはいてあのドラゴンを追いかけていこうとする子どもたちを捕まえようと手を伸ばすも、猫のようにするりと抜け出してあっという間に外に出てしまう。
夫も両腕を伸ばしたが届かなかった。
ご近所も同じようなことになっているのか、子どもたちがはしゃぐ声が家の外に響いている。親たちの叱り飛ばす声も。
「まあ…あれだけ近づいて火を吹かなかったんだし…大丈夫だろ、な?」
「そんなわけないじゃない!ドラゴンよ!?」
「でも人が乗ってた」
「人じゃないかもしれないじゃない!」
「けど、領主様が『竜の民が戻ってきた』って言ってただろ?」
「それは、!………そうだけど!」
何十年も北方を守ってきたかの狼が言うのだ。間違いはないだろう。
けれど、だけれども、ドラゴンはドラゴンなのだ。
そうっと子どもたちの後を追おうとしている夫に厳しい目を向ければ、子どものように目を輝かせている顔で苦笑し、そそくさと出て行った。
子が子なら親も親である。いや逆か?
「全く…これだから『男の子』は…!」
一体だれが朝ご飯を作り、仕事の準備をし、家を掃除すると思っているのか。
はあ、と思わず漏れ出たため息と共に、さっきの風であらゆるものが吹っ飛んでいる部屋を見渡した。
毛布にシーツ、枕まで奥の壁に飛んでしまっている。
ちょっとしたお洒落にと小棚に置いた花瓶は、分厚いものだから割れてはいないけれど、倒れて中から水が漏れ出ていた。
まるで嵐が過ぎ去った後のような光景だ。
初めて見たドラゴン。それもあんな近くで、さらには人を背に乗せたドラゴン。
先ほどの光景を思い返せば、膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
とてもじゃないが、今すぐ立ち上がれそうに無い。
「…帰ってきたらあの子たちに片付けさせよう」
そう自分の中で決めてしまえば、膝だけでなく全身の力が抜けてしまい、冷たい床に寝転がった。
ああ、寒いのに、頬だけがやたらと熱い。
ロマンに女も男も関係ないけど、お母さんもまんざらではないよなあ、と思いつつ、『男の子』の方が初心に返りやすい気がします。
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