魔狼
少しだけ血生臭い描写があります。
「この辺りのはずなんだが…匂いで分かるか?」
「あっちこっちから人間どもの匂いがする。誰が誰だか」
きっと人の姿であれば肩を竦めている仕草をしているであろう声音で、ズメイが首を回しながらそう言った。
以前、上空を通った時の砦に明かりが灯っている。
見張りを増やしたのか、いったりきたりを繰り返す明かりを旋回しながら見つめた。
ジークハイン様たちからの連絡を受けて、竜たちに急いだ治療はないことを確認してからすぐ来たけれど、すでに数時間経ってしまっている。
野営をしていると言われた場所の上を通っては見たけれど、木の枝が邪魔で良く見えなかった。
眼下のあちこちを見ながら捕まっていない人たちを探し続けていると、妙な足音がするのに気づく。
馬、いや、狼のような四足歩行の動物の足音。
爪が雪の欠片を砕き、暗い森の中を好き勝手に走り回っている音が3匹分。
ズメイも気づいたのか、足音がする方向へ飛び、旋回するのを止めて空中で止まる。
「ワーグだな」
「ワーグ?」
「シシーは初めて見るか。大きな犬のような魔獣だ。俺たちには効かないが、牙が鋭い」
「この辺りによくいるのか?」
「いいや。久しぶりに見た。もっと暖かい場所にいるはずだが」
首だけでこちらを振り返ったズメイと一つ頷き合って、ぴったりとズメイの背に張り付いた。
木の枝の一番高いところから低いところまで一気に降下し、ワーグと呼ばれる魔獣の一匹に向かって黒い竜の体が飛びつく。
茶色と灰色が混ざった長い毛がズメイの爪の間から覗き、血走った目がこちらを睨み上げてきた。
ガルグルと、泡立った涎が口の端から漏れてどうにかズメイに噛みつこうと口を開いては閉じ、竜の囲いから抜け出そうと鋭い爪がついている前足で雪と土を抉っている。
ズメイから私の方へ視線を移したワーグの目が、遠い記憶を突き刺した。
大きな狼、鋭い爪、体中に走る痛み、上から見つめてくる禍々しい、目。
喉が細く引き絞られ、ひゅ、とマスクが息を吸い込んだ分だけ口の中に吸い込まれる。
いきなり苦しくなってマスクを下ろすも、喉の奥までうまく空気が入ってくれない。
「こんなのも相手にできない連中なんて本当に頼りになるのか?」
フン。鼻を鳴らしながら爪の間に力を込めたズメイが、難なくワーグの首をへし折った。
力を失っていくワーグの体が雪に埋もれて、さっきまで血走っていた目から光が消えていく。
ズメイの背で丸まって胸を叩きながら口を開いた。
もうさっきの目が私を見ることはないのに、まだ呼吸がうまくいかない。
「シシー、左だ。…シシー?」
分かってる。今の私はおかしくなってる。
でも動けないわけじゃない。今動けないと。
震える手で腰から槍を引き抜き、半分だけ伸ばして左と言われた方へ振るえば、すぐ近くまで来ていた爪が引っ込んで距離を取った。
あと少しのところを逃げられたらしい。
雪の上を横滑りするような音がして、体勢を整えたワーグが前足をめいいっぱい伸ばしながらもう一度飛びかかってくる。
今度こそ外さないと槍を握りなおした時、ズメイの尻尾がしなってワーグの横っ面を叩いた。
それだけで事足りたのか、前足を伸ばしたまま横倒れになる。
ずしん、と重苦しい音が響いて近くの木から揺れに耐えかねた雪が落ちてきた。
「ぼうっとするな。まだもう一頭いる」
「分、かっ、げほっ、ぜえ、ぜえ…」
「落ち着け。口で息をしろ」
「ひゅ、はあ…ひゅ、ひゅ、ひっ」
「しっかりしろ、こらシシー」
ぐら、と視界が揺れた。ズメイが動き出したみたいだ。
いつもなら体に馴染んだ姿勢を維持できるのに、体が右に左に揺れる。
(だめだ、これじゃ乗ってる方が危ない)
命綱もフックを外して、揺れに任せて鞍から降りる。
たたらを踏んだ足を立て直すと、横に並んだズメイが尻尾で地面を叩きつつ、翼で私を背後に押しやった。
下がっていろということらしい。
お言葉に甘えて片膝をつき、槍を持っていない左手で口と鼻を覆う。
前にもこういうことがあった。きっと少しの間、息を止めていれば大丈夫。
無理に息をしようとするからこんなに心臓がうるさいのだ。
「来るぞ」
「、ん」
竜の目を借りて森を見渡せば、雪から飛び出た根も幹の太さまでよく見える。
縦に真っ直ぐ、力強く伸びている木々の隙間から、さっきより二回り大きい狼が白い息を吐き出しながら姿を現した。
(違う、あの時と違う、違うやつだ、違う、ちがう、ちがう)
何度もそう言い聞かせながら胸を叩けば、ようやく喉が開いた気がする。
めい一杯、息を吸い込んで額から垂れた汗を拭うと、先に動き出したワーグに難なくのし掛かり、首に食いつこうとしているズメイが目に入る。
あっという間の出来事なのはさすが竜だ。
「……ズメイ、私がやる」
「、できるのか?」
「できる。やらないと。……でも抑えててくれ」
一つ咳をしてズメイが抑えているワーグの頭の方に進んで、槍を両手で掴んだ。
はあ、ふう。自分の呼吸の音だけがやけに大きく聞こえる。
血走った目。鋭い爪、牙、あの時と同じ。いや違う。
(違うから、大丈夫…!)
大きく息を吸い込んで槍を下へ。ぎゃ、と最後の鳴き声を上げてくったりした体から、ズメイが腕をどける。
横たわるワーグをじっと見つめる私の視界を遮るように黄色い瞳が割り込んできて、鼻先が私の頬を当てこすった。
いつもより小さく、硫黄の匂いが混じった唸り声が耳に届く。
「シンシャのことだ。忘れろ」
「…うん」
そっと目を閉じて深呼吸し、周りに他のワーグがいないことを確認してから槍に雪をまぶして血を拭う。
槍はそのままに少しばかり痒い顔の傷をかいてからマスクを元に戻した。
ワーグからは微かに人の匂いがしたから、近くに人がいるはずだ。
けれど味方か分からない。ズメイがいるから味方であれば近づいてくるかも。
(人の目じゃここは暗すぎる)
近くに敵がいれば明かりは困るが、何人か捕まってるなら無意味だろうか。
ジークハイン様には手を出すなと言われたけど、あちらから来たら相手しなくては。
手の平を擦って普通の火から青い火へ。
青い火であれば味方と思ってくれるだろう。
その予想は当たっていたようで、とす、とす、とす、と木の上から軽い足音が落ちてきた。
人の匂いもする。あとは敵か、味方か。
ズメイの傍に寄って青い火をこちらに近づいてくる人影に向けると、顔が見えた。
「シシー・ルーか!」
「助かった、ありがとう!」
「ワーグが来た時はもうダメかと…!」
「あんたら、腕相撲した…?ズメイ、大丈夫だ。城にいた人たちだ」
低く身構えて雪に爪痕を残し始めた相棒を撫でる。
見知った顔が見えて安堵したが、寒いのか体全体が震えているのに気づいた。
大の大人がなんだか情けない姿である。
ため息をつきたい気持ちになりながら手に灯したままの青い火を当ててやると、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
今ここにいるのは3人で、他の場所にも味方が散らばっているらしい。
「ジークハイン様から言われて来た。合流して、魔獣から守れと」
「そうだ、魔獣、さっきのワーグどもだが、砦から出てきたんだ」
「…砦から?」
「ああ。たぶん従魔なんだが、どうにもおかしくてな…」
「………ふうん。とにかく、他と合流しよう。話はそれから」
「…それもそうだな。ジークハイン様から何か聞いているか?」
「救援を送るまで待て、だそうだ。話をしたいならこれ使ってくれ」
腰につけている共鳴石を渡しておく。
縦に長いせいでズメイに乗っていると邪魔なのだ。
突然連絡が入っても扱いに困る。慣れている人たちの方が良いだろう。
従魔のワーグはさっきの3匹だけだったようで、他は野生のようだ。
気配はちらほら感じるものの、ズメイを恐れて近寄ってこない。
他の場所にいた人たちも合流したけれど、そちらも違う従魔が襲ってきていたようでズメイと私で狩った。
他はワーグじゃなかったので安心したけれど、なぜかミルメコレオがいたので首を傾げる。
しかもカザンビークで見たより禍々しく、力が強かった。
『カザンビークのミルメコレオとも関係があるのか?』
『かもな』
野営の場所を移して騎士の人たちと小さな火を囲みながらズメイと念で話していると、さて、と最初に助けた1人が膝を打った。
懐から取り出した紙束を差し出してくる。
火の粉が移らないように気をつけながら文字を追っていくと、黒い硬貨と同じ紋章が刻まれている一枚を見つけて思わず紙に皺を作ってしまった。
「砦では何かの実験がされてる。それは実験に必要な材料とか、運び出す道筋が載ってるんだ」
「実験?竜は?いたのか」
「分からない。いるとしたら地下だな」
「、そ」
必要な材料と言われて一覧を見るも、薬を作っている訳ではなさそうだ。
見たことのない材料だが、小説の中の『錬金術師』とか『魔法使い』とかが使うような名前ばかりだ。
そちらは完全にお手上げである。
(薬学ならまだ分かるのに)
鼻から息を出すだけのため息をつき、紙の束を返した。
ここで何か重大なことが起きていることは確かなようだし、黒い硬貨の本拠地かもしれない。
ならばここでようやく決着がつく。
そう思えば1週間は我慢できそうだ。
手袋をした手に力が入り、ぎゅ、と革が擦れ合う音がした。
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