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竜の民  作者: とんぼ
二章

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83/152

帰ろう



静かな時間がしばし続き、ようやく日が落ち始めた。

薄く横に広がる雲をあちこちに浮かべながら、青から紫、紫から赤へと変わっていく空を一度眺めて、来た時と同じように中庭に向かうべく腰を上げる。


『先に行ってるぞ』

『ああ』


すい、と部屋の床に影を落として飛び去っていったズメイを見送った。

積んだままの本を元の場所へ戻し、ジークハイン様と共に図書室を出る。

茶器が乗ったままの台は後で片付けてくれるそうなので、そのままにさせてもらう。

途中、ぶつぶつと何か呟いているロルフを引きずったミグが合流した。

薄緑の髪は外から入る光が小さくなると白にも見え、会った時より眉間の皺が増えている上に俯きがちなので、遠くから見たら老人ではないだろうか。

先が曲がった棍棒のような杖も持っているし。


そんなことを考えながら横目で見ていると、パチリと目が合ったロルフが目を見開いて狼狽える。

会ったばかりでろくに会話もしていないが、いくらなんでも失礼すぎやしないだろうか。

む、として視線を外し、中庭へ続く扉を見据えた。


「見すぎだぞ、ロルフ」

「おかしい…元に戻ってる…一体どうして…魔力の中心が体中に、?いやいや、そんな生き物いるはずが…彼女が特別なのか?」

「さっきから何をブツブツと言っているんだ?」

「ずっとこうなんだよ、ジークからも何か言って、あ、やべ」


言ってはいけないことを言ったかのように口元を隠したミグにジークハイン様が『私たちだけしかいないんだ。問題ない』と苦笑する。

ヘルマン騎士団長に怒られるのだけはごめんだと、ミグが頬をかいたのに首を傾げた。


(砕けた話し方をしただけなのに?…あ)


そうか、仲が良い以前に『主従』だからか。

ジークハイン様とミグはたぶん同年代だ。その分気安いのだろうし、仲も良さそう。

砕けた話し方と愛称で呼んでしまったのは『思わず』といった風なので、実際、友人なんだろう。

友人なのに主従関係を優先しなきゃならないとは、貴族って大変だなと思った。

咳払いをして話を元に戻したミグが、疲れ切った目つきでロルフを指差す。


「あなたからも何か言ってください。図書室でシシーを見てからずっとこうなんです」

「今に始まったことじゃないだろう」

「それはそうですけど…ごめんな、シシー。悪い奴じゃないんだ。ちょっと考え事してると一人の世界に入るというか…」

「別にいい。もう帰るし」

「もう!?」


ここにきて大声を出したロルフがずずいと詰め寄ってきて、両肩を掴んで私の体を反転させる。意外に力が強い。

ジークハイン様のように端正な顔立ちが近づいて驚くも、焦っているというより、残念そうな気配が強くて余計に帰る意志が強くなった。

肩から男の手を外して帰ることを強調すれば、この世の終わりと言わんばかりに頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。

いつの間にか手放された杖が廊下に転がる。


「そんな…!新しい研究ができると思ったのに…!」


変な目をしていると思ったら、私のことを研究対象にしたかったのか。

一気に壁に寄って距離を取れば、恨めしそうな緑の瞳が私を見てくる。

心なしか濁っているようにも見える目に寒気がして、さらに距離を取った。


「そこまでだ。いくら友人でもそれ以上は許さんぞ」


ゴス。

遠慮のないジークハイン様の拳がロルフの頭に落とされる。

殴られた頭の痛みを逃がすように撫で摩る緑髪を見て、小さく息を吐きだして胸を撫でおろした。助かった。

背後からじっとり見られている気配はあるが、このまま平和に帰れそうだ。

得体のしれない研究に巻き込まれてたまるか。

そう強く思いながら訴えかけるような視線を黙殺した。


薄暗い中庭のほぼ中心にいるズメイに駆け寄り、荷物から命綱をつなぐためのベストを取り出して腕を通す。

同じ鞄に入れているゴーグルを取り出し、て頭の上にはめていると、使用人の一人がこわごわと布に包まれた何かを差し出してきた。


「お、お着替えです。せせせ、洗濯、終わっております、!」

「ああ…ありがとうございます」


そういえば朝、湯浴みしたんだった。

ここに来た時の服が入っている包みを受け取れば、使用人はあっという間に後ろに下がって肩を震わせている。

ほんのり悲しくなったが、すぐそばにズメイがいるのだ。

投げて寄越さないぐらいには勇気を振り絞ってくれたんだろう。

受け取った荷物からポンチョだけ引っ張り出して肩にかける。


「もう帰ってしまいますの?」


小鳥のような可愛らしい声はリリアーナ様だ。

さくさくと雪を踏みしめながら躊躇いなく近寄ってくる彼女をご両親である辺境伯夫妻が止めている。

胸元で手を組んで、こい願うような姿勢を見てちょっとばかり罪悪感が出た。

が、帰らなきゃならいのも事実だし、帰りたいのが本音である。

苦く笑いながら頷けば、そうですか、と華奢な肩が落ちた。


「求婚者の方がいらっしゃるのでしょう。そちらに気を向けてくださいませ」

「そう、ね。ええ、そうするわ。またあなたとズメイにお会いできるかしら」

「お約束はできませんが、お会いした時はお話ししましょう」

「やったわ!きっとよ!」


受け答えがおかしい気もするが、目の前の貴人は気にしていないようなのでよしとする。

リリアーナ様に続いてジークハイン様が来て、次に辺境伯夫妻、ヘルマン騎士団長が続いた。

改めて見ると美男美女の集まりだ。

本当に西方の人たちは顔が整っているし、髪の色も様々で鮮やかだなあ。

綺麗な人たちが揃っている景色に向き直り、手を合わせてお辞儀をすれば『行くぞ』とズメイが喉を震わせた。

それに頷いて鞍に跨ると、一段下になった位置からジークハイン様が小さな袋を差し出してくる。


「改めて礼をするが、取り急ぎ、私たちにかかった薬や食料の代金を。足りなければ言ってくれ」


手綱をまとめて袋を受け取ると、手の平にずしりと重みが伝わってきた。

袋の中から伝わってくるのは金の匂い。つまり中身は金貨。

明らかに多い気がして彼を見れば、なんでもないことのように真っすぐな瞳をしている。

怖い。貴族の金銭感覚が怖い。ポンと金貨を出せてしまうのが恐ろしい。

かといって返すのも違う気がして荷物に入れた。

大きく翼を広げたズメイに合わせて、一歩二歩と下がったジークハイン様がそのよく通る声を強くする。


「本当に、感謝している。また一か月後に」

「良い知らせを期待してる」

「ああ、必ず」


命綱とベストを繋げてゴーグルを目元まで下した。

鐙に足を入れて上体をズメイにぴったり貼り付ければ、一瞬、周りを冷たい風が包む。

ゴーグルの影で狭くなった視界の下、こちらを見上げて手を振っている人たちに手を振り返せば、あっという間に城壁も領都の防壁も飛び越え、赤い空に飛び出した。

くるん、と右に一回転したズメイが、ようやく伸び伸びと羽を伸ばせたのが嬉しいのか身を震わせては左に右に体を回す。

強風に負けない翼膜は艶やかに張られ、背後でくゆる尻尾が楽しげだ。

私も一日ぶりに顔からマスクを取って鼻の奥まで息を吸い込む。


「帰ったら休むんだぞ、シシー。ずっと動き通しだ」

「手当してる竜たちの様子を見たらな。あ、畑も見ないと」

「少しは『休息』というのを考えたらどうだ。目の下が黒くなってるぞ」

「ズメイはいつも真っ黒だ」

「俺の鱗と一緒にするんじゃない」


左側の翼の付け根部分が、休もうとしない私を咎めるように体当たりしてきた。

ぺちん、と小さな音を立てただけなので本気で怒っていないのは丸わかり。

前から強く硫黄の匂いがしたので、鼻の穴を大きくして息を荒くしているんだろう。

心配してくれているのが嬉しい。ズメイには申し訳ないが。

緩んだ頬をそのままに相棒の角の間を撫でると、『絆されないぞ』と言いたげな黄色い瞳が振り返った。細まった目がやっぱり三日月のようだ。


「もう人間どもはいないんだ。大量の飯もいらない。今休んでおかないと、いつ忙しくなるか分らんぞ」

「そうか、もういないんだった」


夕暮れというのはあっという間に過ぎていく。

ぼんやり明るい藍色の空はすっかり夜の風に満たされていて、山の向こう側に一番星が瞬いていた。

戻ったら竜たちの怪我を診て、ジークハイン様たちの食事を作って、一日でやったことをまとめているだけでしかない日記を書いて、気絶するように寝る。

そんなことを考えていたが、もうそうじゃない。


細い通り道の先にある、隔離された『人間だけ』の家はもう、ない。

大量に用意した毛布は次にいつ使われるか分からないので折りたたまれたままだろうし、香炉を見たしていた薬草は竜たちの香炉へと移るだろう。

あんなに大勢の、竜たちよりずっと軽い足が、あの古い家を歩いていない。

庭先で体を鍛えている風景を見ることも、あんなにあった寝台を満たしていたイビキも、山に帰ったら『いない』のだ。


「、そうか」


夜というのは不意に寂しさを漂わせてくるから困る。

初めて長く、あんなに大勢の人間と暮らした。

カザンビークではほとんどズメイと二人きりの洞窟暮らしか、離宮の引きこもりだったから。

こんなに長く見知らぬ人間たちと一緒にいたのは初めてだと、今さら気づき、今さら寂しくなったのを自覚する。

すん、と風が鼻に入ったのを吐き出す真似をした。


「シシー」

「…ん?」

「街で暮らしたいか」


不意に投げかけられた質問に、ズメイには全部お見通しなことを知る。

けれど答えはすんなり返せた。緩く首を振って否定する。


「あの人たちは良い人たちだ。でも私は町で暮らせない。ズメイも知ってるだろ?」


カザンビークにいた時に思い知ったではないか。

私は『普通』の人じゃないと。竜に近い、『竜の民』なのだと。

肌でその存在を感じてしまうほど、普通の人たちからは異質なのだと、身を以て学んだ。

憧れは、ある。あるけれど、思い描くだけで満足しなくちゃならないこともあるのだ。


「…まあ、あいつらは賑やかすぎるしな」


否定した私に乗っかるよう、何度も睡眠を邪魔された時のことを思い出したズメイが苛立ちを込めて口の端から小さく火を噴きだす。

あの時は大変だったなあ、徹夜したもんなあ、と思わず笑い声が出た。


「そうそう」

「それに考えなしで」

「まったくだ」

「入るなと言った場所に入ってくる」

「その通りだ。あんな奴らと一緒に住んでたら気が狂う」


藍が濃くなってきた空に私とズメイの笑い声が解けて消えていく。

こっちに飛んできていた鷹が私たちの声を聞いてか方向を変えて、付いてくるな、と言いたげに高く鳴いた。



沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。

とても励みにさせていただいています。


不定期更新で申し訳ないですが、

必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。

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