貴族の図鑑
アカデミー時代に、ミグとロルフ以外に親しい人がいた。
実際は、王都で過ごす前から家族ぐるみの付き合いではあったのだが、ぐっと距離が縮まったのはアカデミーにいた頃だろう。
「エリヤス殿下直々に『ジークを探しに行け』と言われたら、行くしかないだろ」
シシーへの無礼に関して物申すついでに王都から離れた北方に、宮仕えである宮廷魔法士のロルフがなぜ来たのか聞けば、あっさりと答えが返ってきた。
寒さに耐えきれなかったのか、湯気が立つティーカップで赤みがかった指先を温めながら肩を狭めているロルフは、ようやく手に感覚が戻ってきたようで、ティーカップから離しては握ったり広げたりを繰り返している。
エリヤス殿下とは、ここシドニア騎士王国の王太子だ。
戦のないこの平和な世で、内政と外交に励んでいる向上心の高い男で、彼に睨まれれば一家離散、あるいは爵位返上という憂き目に合うため、よからぬ噂のある貴族家は父にしたら『とても静かになった』のだそうだ。
それでもよからぬことを企む輩がいるというのだから、人の欲は果てしないものである。
話は戻して。
脳裏にちらつく、ストロベリーブロンドの髪を持つ『主』であり『友』であり『親戚』の男。
その男が人をからかうようにつり上げた口元のしたり顔で私のことを『聞かん坊』と言っているのがくっきり想像できて、少し眉間に力が入った。
二代前ではあるがノルトマルク辺境伯当主の姉が王家に嫁いでいるため、一応、血の繋がりはある。
彼はどちらかというと南方から王家に上がった現王妃の血(性格)が強いけれど。
幼い頃は、避暑地として北方に訪れていただけで交流らしい交流はなかった。
通常、貴族家同士が集まれば交流も深まろうというものだが、当時の私は師匠であるヘルマンに鍛錬場へ連れ出され、日夜剣の稽古を付けられていたのだ。
『客人のもてなしは当主夫妻がいれば良い』と父が言い、息子の私に修行を課したためである。
一日中、走り込みをし、体を鍛え、剣を振るっていた私が当時王子であったエリヤス殿下と子どもらしい遊びをしたことはあまりない。
やってチェスぐらいか。
なんせ、体を酷使した後は夕食の場もそこそこに部屋に下がって気絶するように眠っていたので。
殿下も殿下で、外で遊ぶより涼しい場所で本を読むのを好んでいたため、鍛錬場へ訪れたのは二度ほど。
『騎士王』を冠する我が国だが、王自身が『最強の騎士』であったのは昔の話で、今は護身術程度の剣術を習うのが通常だ。
もっと身につけたいとなっても周りが止めない環境だが、エリヤス殿下は『知識』を身につけることを選んだので剣一辺倒だった私と交流が少なかったのも無理はない。
そんな彼が、アカデミーに入るやいなや同学年の私を見つけてあっちこっちに連れ回すものだから親交が深まったのである。
懐かしい思い出に思考が逸れかけた所を引き戻し、ロルフが受けた『命令』の内容を改めて聞くに、私が行方不明になったのなら居場所を見つけてノルトマルク辺境伯を安心させてこい、ということらしい。
「怪我してたらついでにからかってこい、ってさ。あの人も意地が悪いよな。素直に心配だって言えばいいのに」
「表立って言えないのが『王太子』の立場だ。手紙を書くから、報告と共に上げてくれ」
「了解」
「エリヤス殿下は相変わらず地獄耳だなあ。ジークハイン様の安否はスヴェン様までしか話が通ってなかっただろうに」
「当主夫妻だけでなくリリアーナまでこっちに来たからな。いくら北方の冬は雪が深いといっても、社交シーズンの途中、早すぎる帰還に何かあったと感づいたんだろう」
幼少期は分からなかったが、アカデミーで共に過ごして分かった。
周りの機微に聡すぎる方だと。
その場に漂う人付き合いの違和感から、家同士、あるいは個人間の何かを察知し、その内容を調べるのが好きな人間。
貴族に生まれていなければ記者になっただろうと思うほど出歯亀精神が見える噂好きであり、情報通。
(千里眼でも持っているのかと思うほど広い視野は王の素質ではある)
噂好きなだけならエリヤス殿下との距離を置いた。
よその不幸は蜜の味とも言い、事実、貴族の風潮はおおむねそういうものである。
ただこの王太子、噂の中の『企み』を見抜き、一見なんの関係もない情報をつなぎ合わせて真実に至ってしまうから良いのか悪いのか。
いつか痛いしっぺ返しを食らうぞ、と父である国王陛下に注意されているが『その時は周りが何とかしてくれるさ』と笑っているらしい。
国王陛下の気苦労が伺い知れない。
(竜の民のことはまだ…いや、どうせロルフから聞くか)
久しぶりに握る万年筆を手にし、紙に文章を綴っていく。
ロルフ経由ではどんな説明になるか分からないので、端的に、あくまで事実のみを並べていけば、報告書としては上出来だろう。
一枚にまとめられるか不安だったが、事実だけを並べると意外にも少なかった。
その少なさが知らないことの多い彼女を示しているようで、肌がざわつく。
かといって他に報告しなければならないことは現状ない。
あるとしたら『調査』が終わってからだ。
「ロルフ、この後はどうするんだ?」
「そうだなあ。長期でかかると思ってたから、数日滞在させてもらって、王都に戻る。あ、シシーの家に行っても「だめだ」…何でだよ」
身についた優雅さで紅茶を飲んでいた男が、さっき拒絶された好奇心を再び輝かせながら今後を話そうとしたのをもう一度ぴしゃりと押し止める。
不機嫌がそのままロルフの顔に出て、い、と口が苦い薬を飲んだ時のように歪んだ。
「そもそもお前が行ける場所じゃないし、行けたとしても安全ではない」
「安全じゃない…?他にドラゴンがいても彼女がいるなら問題ないだろ?話ができるんだから」
「人間に傷つけられたドラゴンたちがいる。シシーじゃない人間がいて、無事ですむと思うか?」
「…それは無理だ」
よく無事だったな、としみじみと言われた。
ミグもそれに深く頷き、危うく丸焦げになるところだった事を話す。
『そんなことが!』と口を丸く開けたロルフに『心配をかけた』と言いかけたところで、シシーの使う呪文を唱えない魔法に驚いただけということが分かり、ミグと顔を見合わせて肩を落とした。
分かっていたことだ。ロルフは興味が引かれた物があると友情を置き去りにすると。
どうしてももう一度シシーと話したい、と言うので私たちも図書室へ向かう。
適切な距離を保て、と口酸っぱく伝えても、分かっているのかいないのかよく分からない笑顔で頷かれては不安でしかなく、疲れているミグにはすまないが一緒についてきてもらった。
「驚いたことに疲れがないんですよ」
そういえば、と今気づいた。
昨夜、ろくに睡眠が取れていなかったにも関わらず体が軽い。
これもシシーのおかげだろうか。だとしたら彼女の扱う『青い火』は神官が扱う治癒魔法よりよほど優れている。
(…ロルフには言わない方がいいだろうな)
少なくとも色々落ち着くまでは。
図書室へ向かう廊下の途中、同じ事を考えたらしいミグが目で頷いたので、沈黙で返した。
■
コンコン
図書室のドアをノックしても返事がない。
寝ているのかと思ってそっと扉を押し、あいた隙間から半身を覗かせると、生まれた頃から何度も見ている図書室が、一瞬、違う場所に見えた。
パチパチと、暖炉で火の粉が弾けている。
それ以外に明かりはついておらず、窓から入ってくる光だけが粒となった細かい埃を照らしていた。
図書室の入り口の真正面にある細窓。
そのすぐ近くに置いてある長椅子に胡座をかき、分厚い本と睨み合っている黒髪の娘と、そんな娘を細窓から覗いている黒いドラゴン。
ズメイの黄色い目が暖炉の光を微かに受けて橙に染まり、穏やかな目つきでシシーを見つめている。
たまに窓が彼の鼻息で曇るので、もしかしたら私たちには分からない言葉で会話をしているのかもしれない。
集中しているのか、はたまた自分の世界にいるのかシシーの目は文字の羅列を上から下へ、左から右へ動き、ページをめくる手は止まらなかった。
(もうあんなに)
ほんの数時間しか離れていなかったというのに、彼女の足元には10冊ほどの本が積まれている。
摘まれている本の近くにティーポットとカップが乗ったワゴンもあるが、とっくの前に冷め切っているのが分かった。なんせカップはソーサーに伏せられたまま、使われた形跡がない。
本棚の間に知らない絵画が置かれているような不思議な光景だった。
現実味があるのに、現実じゃないというか。
とにかく、音を立てて集中を途切れさせてはいけない空気が流れていて、やはりロルフには諦めてもらおうと私の後ろから覗き込んでいた男を振り返ると、信じられないものを見るかのように緑の目が限界まで開かれていた。
「…新しい発見でもあったか?」
もう何を言われても驚かないぞ、と自分に言い聞かせながら緑髪の男に向かって腕を組むと、限界まで開いたままの目がゆっっっくりと私を見て、言葉にならないことを告げるかのように口を開けては閉じてを繰り返す。
見たことのない驚きぶりにミグと顔を見合わせ、図書室の扉を閉じてロルフを落ち着かせていると、三度深呼吸したロルフが、告げた。
「頭と目に、魔力が集中して流れてる…」
「それがどうした?」
「さっきは全身に巡ってた…あんな流れ方、見たことがない…」
「待て、『さっき』と違うのか?」
「まったく違う…何だあれ、おかしい…流れは整ってるのに」
整いすぎて普通の人間じゃない
好奇心より興味より、わずかに恐れを含ませてそう呟いたロルフは、考えたいことができた、とその場を離れていった。
右に左によろめいて歩く背中からは普段の自信は感じられず、さすがに心配になったミグが後を追いかけていく。
私はといえば、もう一度図書室のドアを開いて中を伺い見た。
こちらの話し声は聞こえなかったようで、シシーの視線がこちらを向くことはない。
が、細窓を覗くズメイは私に気づいた。
横顔しか見えないが、片眉を上げて馬鹿にするかのような表情をして、窓の下側に姿を消す。
不意に顔を上げたシシーと視線が合って、自分の家であるはずなのになぜかシシーの縄張りのような気がして、入るのが躊躇われたが、このままドアを閉じるのも妙なので体を滑り込ませた。
「邪魔をしたか」
「ううん。キリが良かった。もう帰って良いのか?」
窓の外は夕暮れというにはまだまだ早い青空だ。
空が赤くなって飛ぶ鳥が近くで鳴いているのでもうすぐだとは思うが。
ゆるく頭を振って否定すれば、彼女は残念そうに肩を落とし、広げたままの本に再び視線を移す。
一歩ずつ近づいてカップに紅茶を二人分注ぎ、一つをシシーに差し出せば、喉が渇いていたのを思い出したように飲み干した。
「どんな本を読んでいるんだ?」
「薬学書だ。山にはない材料ばかりだ。スノッリにあるかな」
「薬学か…薬の材料ならスノッリでなく、港に行くと良い。あそこは交易が盛んだ。他の地方からの品も多いぞ」
「港か、分かった」
「他には何の本を、…貴族図鑑?」
積まれている本の背表紙を見れば、医学書数冊と動物図鑑、と来て『貴族図鑑』となっていたので目を細める。
脳裏に『間者』の文字がチラついて体が硬直したが、そんな私に気づいていないシシーが『ああ』と思い出したように呟き、その本を手に取ってとあるページを見せてきた。
シドニアでの貴族序列がピラミッド型になっている図を指で示す彼女は、ここ、と言う。
「『準男爵』と『騎士』って何だ?」
「……………は?」
「聞いたことがある爵位は分かるんだけど、この二つが分からなくて。違う名前なのに何で同じ序列なんだ?役割が違うのか?」
知的好奇心を満たさんと、黒曜石の瞳がぱちりぱちりと瞬いている。
予想外の質問に、頭の中にどどんと出てきた『間者』の文字が勢いを無くして縮んでいった。
シシーは、知らないのだ。シドニアの、いや、西方の貴族序列を。
そんな人間が間者になれるわけがない。
(そもそも貴族図鑑なんて、他国でも手に入れようと思えば手に入る)
図鑑といったって各貴族家の詳細が全て載っているわけでも、全ての当主の肖像画が載っている訳でもない。
爵位と家名。当主の名前と、直系の家族構成、あとは歴史的に有名な事件だったり必ず知っておかなければならない代替わりのことだったりと、『知ろうと思えば誰でも知れる』情報しか載っていないのだ。
シシーがそういう素人の演技をしている訳ではないことなど見て分かるので、詰めていた息を吐き出し、準男爵と騎士の違いを教える。
「準男爵は、そうだな…土地を多く持つ平民が、国家に対して資金的な援助をした場合に与えられる爵位、だな。いわば『称号』に近い」
「資金的な援助…大金持ち?」
「平たく言うと、な。正式な貴族ではないが、ただの平民より優遇されている。貴族図鑑に載っていても『平民』なんだ。親から子へ爵位を継ぐには、子もまた国家に対して貢献しなければならない」
「ふうん…じゃあ『騎士』は?」
「王族や領主と主従関係を結び、戦闘に従事することで国家に貢献する準男爵のようなものだ。こちらも子へは受け継がれない」
「なるほど、武官みたいなものなのか」
「ぶかん?」
「軍隊にいる人たちのことを武官っていう」
「言い方が違うのか…」
似たような、いや、同じ役割を持つ爵位や職業があっても東方と西方では言い方が違うらしい。
シシーに聞けば、つい数十年前まで東方の貴族は十二段階もあったというから当時の貴族たちは大変だったろうなと思う。
納得がいったらしい黒髪が楽しげに揺れ、『ノルトマルク辺境伯』のページに移った。
偉い人だったんだな、と気まずそうに呟いたので否定すると、シシーは不思議そうに首を傾げる。
「国境防衛の任はあるが主な役割は『王から賜った地を守る』それだけの存在だ。領土と領民がなければ『爵位』に意味は無い」
家庭教師がつき始めた頃よりそう教わってきた。
貴族とは、民を守るための存在。辺境伯とは、国境を守る存在。
どちらも持っている『北方の狼』は、人の上に立つことを驕ってはならず、常に見られていると思え、と。
事実その通りだと思う。
下克上に等しい形でできあがった国だ。
『権力のない大勢』がまとまれば、あっけなく権威は揺らぐことを歴史が証明している。
「、変な貴族」
独り言のようにポツリと、マスク越しにそう漏らしたシシーは嬉しそうに、なぜか寂しそうに、どこか遠くを見ている目をしていた。
いくつもの名前がつくであろう感情が籠もった目の真意を知りたかったけれど、それを聞くのは憚られる。
伏し目になった黒い瞳に、見たことのない東方の地が映っているような気がして。
傾いてきた日の光に照らされた睫毛が草原を駆けてたなびく馬のたてがみのようで、どこか美しい。
す、と切れ長の目尻がたてがみの隙間から覗いて私の姿を映した。
「でも、ここに生まれた人たちは果報者だ」
古風な言い回しをするなと思いながら指で頬をかき、シシーから視線を外す。
真っ直ぐ褒められるのは、いつになっても気恥ずかしい。
「、…精進する」
光栄だ、とも、当たり前だ、とも言い切れず、そう返すしかなかった。
更新遅くてたいっっへん申し訳ないです…そろそろ事態が動き出しますので…!今しばらくお待ちを…!
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とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




