人が怖い
果樹園の近くには桃以外の野生の果物も多かった。
食べたことのない実もあったので取ろうと思ったが、もし毒だったらと考えると怖くて食べたことのある野苺だけを袋いっぱいに取り、あとは魚で問題ないだろうと谷へと向かう。
太陽が真上を通り過ぎてしまった。早く戻って一緒に食べたい。
そして人間にも優しい人がいたと話したい。
嬉しさと楽しさで浮ついた気分のまま森を抜け、あとは谷へ下りれば…というところで、人の話し声がするのを聞いた。
慌てて近くの木の裏に隠れてしゃがみ込み様子を伺うと、谷へ下りる道の前で、三人の男が話し込んでいる。
「足跡はこの辺りで途切れてたんだよな?」
「ああ。数日前の雨で消えちまったけど」
「だったら川に流れたんじゃないか?谷の向こうに川があっただろ」
「いや、あの矢じゃそこまで動けない。もしかしたら谷底にいるかも…」
どくり
「こんな見通しの良い場所に?」
「ははっ、もしいたら竜ってのは馬鹿なんだな」
どくり、どくり
(まだ探してたんだ…!)
心臓が太鼓になったように速く鳴り響く。あの人たちに聞こえるんじゃないかと思うほどに。
吐息さえ漏らしたらいけない気がして、口布の上から手を当てた。
男たちは谷を見下ろしながら行くかどうするか相談しているようだ。果樹園の仕事をしているんだろう。聞こえてくる会話の中から、昼休憩を抜け出して様子を見に来たことが分かる。
早くいなくなってくれと心底願いながら身を隠す時間が長く感じられる。
いつになったら立ち去るんだろう。その不安から、顔を出したのが裏目に出た。
「ん?おい、そこにいるのは誰だ?」
「!」
見つかった。そう思ってしまっては体が言うことを聞かなくなり、谷のほど近くにある川近くへひとまず逃げようと、少しでも竜から離さなくてはと、それだけを考えて走った。
頭の中でぐるぐると考える。どうしたら良いのかと自分に聞いては、逃げろ、逃げろと血が冷たくなるのに反して心臓だけがさらに速くなっていった。
「おい坊主!ここらの奴じゃねえな!?」
いくらか伸びたとはいえ髪は短いままだし、口布で顔半分は隠れている。着ている衣服は動きやすさと丈夫さで選んだため、まるで男の子だから、きっと男と勘違いしているんだろう。
走り出した私を三人分の足音が追いかけてきた。待て!とかかる大声に血の気が引く。
「迷ったのか!?大丈夫だ!近くの町まで案内するから!」
優しい言葉だった。大きな声を出していても、その声には気遣いがあった。
立ち止まってしまえば良いと何度も頭に過ぎる。
足を止めて『驚いて逃げてしまった』と言えば竜との関係は分からない。
そんなことは分かっている。分かっているのに、心が逃げなければと、もう人間と関わってはいけないと叫んでいる。
よそ者の上に罪人か
余所に行ってくれ
罪人がいていいはずがないだろ
最初に立ち寄った村で吐き捨てられた言葉が耳の奥にこびりついている。追いかけてきている人たちは優しい言葉のはずなのに、同じ言葉を叫んでいる気がして怖くてたまらない。
もうどうすれば良いのか分からなかった。足が動いているのが不思議なぐらい息も荒い。
きっとそれほど走ってはいないけれど、崖沿いをずっと走っていると飛び出した根っこに右のつま先が引っかかった。
(しまった、転ぶ、!)
ずさ。土の湿気と草の匂いを布越しで感じながら、地面に手をついて身を起こせば、がしりと肩を掴まれる。
「やっと追いついた…!」
「大丈夫か?怪我は?」
髪を全て後ろにまとめて一つにくくり、その上を布で覆う、モンロニアの農民がよくやっている髪型が三人分。心底心配そうな顔をしている一人がマメが潰れて固くなった手の平を肩から脇の下に移して立ち上がらせてくれる。
「怪我はなさそうだな。よかった」
「っ、すみ、ませ」
「びっくりさせたみたいだ。悪かった」
「大きい荷物だな。こんな小さいのに旅してるのか。偉いなあ」
「は、はい」
このまま町に、親はどこに、はぐれたんだろ、迷子か、迷子だな。
どんどん話が進んでいく三人に曖昧な返事をしつつ、どうやってここから抜けだそうかと考えていると、立ち上がらせてくれた人とは別の人が、私の右耳を見て眉間に皺を寄せた。
思わず肩を跳ねさせ一歩後ずさると、その距離を無くすように大きく歩を進めて腕を掴まれる。その腕が遠慮の無い力で掴むものだから、痛みで顔を歪めた。
「おい何してんだ、こんな子どもに「傷がある」は?」
「ちょっと顔見せてみろ」
「っ、だ、ダメ…!」
掴まれた腕を引っ張るも抜け出せず、突然慌てだした私を怪しんだ男たちに取り囲まれる。両腕を抑えられてしまったため、体をよじって逃げようとするもびくともしない。
なんて非力なんだろう。一人でここまで旅をしてきたというのに。
遂に男の手が口布にかかりずり下げられる。首元にたまった布に「もうだめだ」と絶望した。
三人の顔が一気に青ざめ、腕を抑えていた手がぎちりと締まる。
「この傷、短い髪、それに女の子…?」
「おい、噂の貴族じゃねえのか?」
「モンロニアの皇子を殺そうとしたっていう?じゃあ…」
さっきまで優しそうだった人たちが目をつり上げ、顔に嫌悪を滲ませながら、汚い物を触ったように私を突き飛ばした。思ったより勢いが良かったのか、木の幹に当たった背中の衝撃で息が詰まる。そして、蹴られた、んだと思う。
痛みで反応が遅れ、視界を過ぎった影が足だと分からなかったのだ。
「が、はっ…!」
再度幹に背中が当たる。こんな細い体だと大人1人に蹴られただけで簡単に吹っ飛ぶんだなあと、頭のどこかが冷静だった。
「罪人が何しに来やがった!」
「俺たちから逃げたのも悪さをしたからか!?」
「荷物を奪え!何か盗んだかもしれねえ!」
髪を引っ張られ、背負っていた鞄を引きちぎるように奪われる。断続的にやってくる痛みで力が入らず、されるがままに鞄は男たちの手へ。
鞄の口を開けて逆さにされると、裁縫道具と僅かな布と一緒に、さっき摘んだ木苺とおばあさんにもらった桃が転がり出てきた。
「この桃…まさか」
盗ったのか、果樹園から
目を向けられただけでそう言っているのが分かるほど、嫌悪と憎悪を感じた。男たちの背中から黒い影が浮き上がっているようにすら見えて必死で首を振り、桃はもらった、木苺は摘んだ、と小刻みに震える歯で訴える。
けれど私の声は届かず、鞄は乱暴に投げ捨てられ、逃げる間もなく男たちの足裏が見えた。
また蹴られると分かり、とっさに頭を抱えて守る。頭さえ無事なら生きていられると本で読んだ。心臓も大事だ。だから小さく身を縮こまらせて、滝のように降ってくる冷たく怒りに満ちた言葉と痛みに耐えた。
「道理で逃げ足が早い訳だ!罪人だもんなあ!」
「罪人が俺たちの町に近づくんじゃねえ!」
違う。違う。私はもらっただけ。優しいおばあさんから。何もやってない。盗んでない。
そう叫びたかったのに、体中が痛くて言葉にならない。
口の中に入ったのは血だろうか、涙だろうか。
しょっぱいそれは喉を潤すことはない。
蹴り疲れたのか、もういいだろう、と男たちは荒い息を整える。その頃には視界の縁がぼんやりと黒くなり、頭の中がぐらぐらと揺れていた。
痛い。こんなことが前にもあった。魔獣に襲われた時、痛くて寝たかったけど、痛いから寝れなかった、あの時と。
呻き声を泣き声と思った男たちが、鼻で笑って、私の髪を掴む。されるがままに頭が浮いて、ぎらついた黒目と目が合った。怖い。怖いのに震えることもできない。
言い聞かせるようにゆらゆらと頭を揺らされては、どこが痛いとかもう分からない。
「いっちょ前に罪人が泣くな。これに懲りたらもう二度と盗もうなんて思うんじゃ」
ない、と私を覗き込んできた男が言った時、視界いっぱいを埋め尽くす黒目の向こう側で叫び声がする。何事かと振り返った目の前の男は、喉を引きつらせて私から手を離し、立ち上がって逃げていく。
「待て、待てって!置いてくな!」
「なんであいつがここに!?」
「知るかよそんなこと!」
その男を追うように残りの2人も後を追いかけ、森の奥に消えていった。
視界にはところどころ、私の血で赤くなった草が見える。土だらけになった私の手も。
ずん、ずん、と重い足音が地面を小さく揺らしていた。その足音が倒れている私の前で止まる。
(…熊かな、虎かな)
血の匂いに引き寄せられて動物が来たんだろう。薄暗くなった視界はきっとその動物の影だ。吟味して匂いを嗅ぐように、耳元で鼻息がする。
食べられる。そう思ったけれど、不思議と怖くなかった。
隣国に入っても、私は『罪人』なのだ。ずっとずっとこんな風に痛いのなら、今一瞬で一番痛い方がきっと幸せだ。そう思って細く息を吐き出し、目を閉じる。
匂いを嗅いでいた動物が耳元から離れていく気配がした。この後鋭い痛みがやってくるんだろうと覚悟して手を握りしめる。
が、次いでやってきたのは少しの浮遊感と、全身に走る鈍い痛みだった。
「グルルルル…」
動物の唸り声が近い。近いのに、私は食べられていない。
不思議に思って目を開けると、目の前が黒かった。暗いのではない。黒い。
木漏れ日の光を受けて、その黒に模様があるのを知る。蛇のような、鱗の模様が。
そしてほのかに鼻をつく硫黄の香り。
「、りゅう?」
「ガア?」
痛いのを堪えて首を動かし、前を見れば、黒い竜の頭。人間が肩越しに振り返っているように、竜もまた首を曲げている。その黄色い目からは私への嫌悪は感じられない。
なぜ洞窟の外にいるのか。怪我をしていたのでは。人間の前に出るなんて危ない。
言いたいことは山ほどある。ゆっくり歩き出した竜に、ぽつりぽつりと零しもした。
その度、気にするな、大丈夫だと言わんばかりに首を振るので、そんなわけがないと目頭が熱くなる。
竜が見つけたらしい谷底へ下りる道はもはや道ではなく、じぐざぐに岩の間を飛び交い着地された時には鋭い痛みが全身を襲った。ぼんやりしていた意識にとどめを刺したのだろう。洞窟の中に運び込まれ、体が横になったのが分かった瞬間、ついに瞼は重く閉じてしまった。
(言わなきゃ、)
助けてくれてありがとう、って
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




