生き方の違い
(空、飛びたいなあ)
鍛錬場の周りは高い壁と、その上にある木造階段に囲まれている。
だからなのか、絵の額縁のように青空が切り取られ、より高く、遠く見えて恋しい。
騎士団の団長さんがやってきてから、騎士と呼ばれる男の人たちは木剣を手に打ち合ったり、ぐるぐると同じ場所を走ったりして、さっきまでの熱気は消え去っていた。
今はリリアーナ様が団長さんに叱られている。
客人であり恩人を危険な目に合わせるな、というのが一番の叱られ内容だが、元々彼女が小さい頃からお転婆な人だったようで、過去を引き合いに出されて顔はどんどん下に下がり、ただでさえ細い肩がさらに小さくなっていた。
止める術を持たない私はズメイの座る側に腰を落ち着け、さっきまでとは違う活気を眺めてからぼんやり空を見上げている。
膝の上にズメイの頭が乗ったので額をかいてやったり、角飾りを袖の先で磨いたりをしていると動きたくなったらしい彼が尻尾を伸ばして私の襟足を引っ張って、私を地面に転がし、あろうことかのしかかってきた。
「おっ、も」
「俺とも力比べだ」
「無理だって…!」
「やってみなければ分からんだろう」
本格的に体重をかけてきたので腕に力を込め、体全体に力を入れれば、楽しそうに目を細めたズメイが『まだまだ』と笑う。
それが悔しくて歯を食いしばって力を入れ、なんとか抜け出すと、尖った爪が上着を引っ張った。
常ならばボタンがとまっていて脱げるはずのない上着だが、ズメイとの攻防で紐が緩んだようであっさり奪われてしまう。
叱る声より先に黒い翼が羽ばたき、あっという間に空に逃げられた。
「上着!返せ、ズメイ!」
「返してほしければ取りに来い」
ケタケタと笑いながら上に下に翼を動かす相棒は完全に悪戯っ子の顔だ。
ぐ、と不満と少しの苛立ちを混ぜた声が喉から漏れて、ズメイに飛びかかる道を探す。
鍛錬場より高く飛ぶつもりはないのか、ゆっくり旋回し始めたので、『ならば』と松明を入れるための金具に掴まった。
体を上へ引き上げた体勢で壁を蹴って周りを囲む階段に登り、後を追いかけながらその背に飛び乗る機会を伺う。
なんなら腕の1本、尻尾の先だけでも掴めれば良い。
(今だ!)
階段を一段ずつ蹴り上げながら勢いを速くし、ズメイの後ろ足めがけて跳躍する。
甘い、と笑ったズメイが少しだけ飛ぶ速さを上げたので腕を掴み損ね、ゆるりと目の端を横切る尻尾を代わりに掴めた。
あとはこのまま背中にまで行けば手綱を引っ張れるので、よじ登ろうと腕に力を入れる。
が、大きく尻尾を振られてしまって私の体が宙に高く放り上げられてしまった。
冷たい空気が体を包み込む。
さっきまでいた鍛錬場にいたが、今はそれよりも高い場所にいる。
視界いっぱいに広がる青空の中で大きく腕も足も広げて、思いっきり新鮮な空気を吸い込んだ。
まるで額縁から飛び出たような心地よさ。
人がいなければマスクを取っていたけれど、ズメイのようにずっとは飛んでいられない私は一番高い場所まで昇ってしまえば落ちるだけ。
背中側から吹いてくる風に煽られた髪が首にまとわりついた。
肩越しに後ろを振り返れば、口を開けたままこちらを見上げている人たちが大勢見える。
その表情がどれも面白くて、ズメイにもそれを伝えると私を見上げていた首を下へ向けた。
グルル
悪戯心が満たされた時にする喉の唸りが響いて、しょうがないな、と私が落ちてくる場所で待機の姿勢になってくれる。
「もう良いのか?」
「そっちこそもう良いのか?空を飛びたいと言ったのはシシーだろう」
「…独り言のつもりだった」
聞こえていたのが恥ずかしくて少しだけ顔が熱くなる。
さて、気を取り直して。
このままだと背中からズメイに落下することになるので、猫が高い場所から落ちるように体をくるりと回して体勢を整えた。
最後にもう一度、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めば、青い鞍が迫ってくる。
ぽすん。鞍に跨がる勢いに反して気の抜ける音がした。
私の重さを乗せて少しばかり揺れたズメイの体はすぐに真っ直ぐになり、ぞんざいな仕草で上着を返してくる。
爪に引っかかっているだけのそれを受け取り、袖を通していれば程なく地上だ。
朝から怒濤の勢いだった時間が少しだけ日常に戻った気がして、もやもやしていた気分が落ち着いたのが分かり、ありがとう、と言いながらズメイの首を撫でた。
■
私が見たのは、尻尾を掴んだシシーが空高く放り上げられたところから。
何がどうなってズメイを追いかけていたのか分からないが、彼の爪にシシーの上着が引っかかっているので悪戯でもされたんだろう。
掴まるもののない空間に小さな体が浮いているのを見た時は、吸い込んだ息がとんでもない速さで喉を通っていった。
過去、竜騎士の飛行訓練中に落下事故が頻発した。
だからこそ、ワイバーンに乗る際は飛ぶのに重すぎない防具を着けることが義務づけられ、その防具には落下した際の衝撃を柔らげる魔法がかけられている。
防具だけでなく、そもそも落ちないように命綱も鞍の造りも改善された。
それでも竜騎士たちは、『万が一』が無いよう頻繁に飛行訓練を重ねる。
数回しか見たことがないが、飛行する前の竜騎士たちは皆緊張した面持ちをしていた。
今の私から彼女の表情は見えない。
落ちる場所を予想し、受け止めようと走る。
あの細い体だ。落ちてきても抱えきれるだろう。
そう焦って再び上を見れば、間違いなくシシーの体は下へ下へ落ちてくる。
背中を地面に向けているあの体勢では着地だってできないのに、不意に彼女の方から小さく笑い声がした。
「あははっ!」
子どものような、無邪気な声。
柔らかい草が広がる草原で寝転がり、太陽の光を感じて息をするようなその仕草。
落下しているはずなのに、まるで空に向かっているような光景だった。
あんなに恐ろしい場所にいるのに、なんて嬉しそうなのだろう。
『生き方』が違うのだと思った。いや、感性の違いと言うべきか。
彼女は空から落ちることを怖がっていない。
ズメイがいるからだとしても、自分の体が人より強固だとしても、空から落ちること自体が即ち『死』に直結するのに。
なぜ彼女は、と考えて直感的に答えに行き着き、なぜ『竜の民』が『竜の民』と呼ばれているのか、その理由も理解した気がした。
『空』が『居場所』なのだ。
巣や家はあくまで羽を休める場所であって、自身も飛べたなら、自分の翼がずっと動くものならば、きっと彼女もズメイも空に住む。
だから怖くない。
明かりのない夜空を飛ぶことも、ある時は風に乗り、ある時は風に逆らうよう飛ぶことも。
たとえ落ちても『そこ』は『空』だから。
猫のように体勢を整えて、ズメイの背に難なく乗ったシシーの姿に感嘆の息が漏れる。
彼女の両肩に刻まれている鱗のような模様の刺青が艶やかに光り、本物の鱗のように見えてドキリとした。
本当にシシーもドラゴンではないか。
すぐに突拍子もない考えだと首を振ったけれど、一瞬、本気でそう思った。
呼吸するのに合わせて鱗同士が位置を上下させたように見えて。
実際はというと、肌に直接刻まれているのだから、シシーが筋肉を動かせば模様も波打つので、光の加減でそう見えただけだ。
上着を取り返して無事に地上の戻ってきたシシーとズメイを、騎士たちとリリーが距離を置いて見守っている。
翼を広げた状態のズメイは鍛錬場を埋め尽くす大きさではないが、硫黄の匂いが混じる息と、爛々と光っている『捕食者』の瞳、強い生命力を感じさせる体躯を前にすればその圧で二倍三倍にも大きく見えた。
好奇心よりも不安の方が先に来ているのか、ヘルマンがリリーを背後に押しやり、腰の剣に手をかけている。
妙な緊張感が走っているのが分かったシシーとズメイも、お互いに顔を見合わせて首を傾げた。
(一触即発とはこのことだろうな…)
シシーにしかズメイの声が聞こえていないのだ。
彼女たちに敵意はなくとも、分からないこちらとしては攻撃されるのかと危惧してしまう。
ここは私が出て行くべきだろう。
「シシー!…無事か!」
「ジークハイン様、話は終わったか」
名前を呼んで注意を逸らせたものの、なんと声をかけて良いかわからず無難な心配の声をかけてみた。
違和感はなかったようで、平気だ、と気軽に手を上げて応えられる。
シシー曰く、やはりズメイが悪戯を仕掛けたようで、ちょっとした追いかけっこのようなものがあったらしい。
風で乱れた一つまとめになっている髪を解き、手櫛でまとめていく姿を見ながら周囲を伺う。
私が近づいたことで少し空気が和らぎ、周囲からも安堵したかのようなか細い息がした。
やはりドラゴンが飛ぶ姿で怖がらせたものらしい。
ズメイだけは何かを察したのか、フン、と馬鹿にするよう鼻を鳴らした。
「ああ、内容を伝えたい。場所を変えよう。ここだと人が多い」
「分かった。ズメイも良いか」
「構わない。そうだな…では一度厩舎に」
戻ろう、と鍛錬場を出るべく踵を返した時だ。
どこからともなく突風が吹き荒れ、私の背を押してきたので鍛錬場の隅に追いやられる。
妙な風だ、と思うのと同時に魔法によって作られた風だと気づき、そして同じ魔法を使う人物のことを思い出して、砂粒が目に入るのも構わずその姿を探す。
「離れていろジーク!」
鍛錬場を見下ろす階段の上から聞こえる声に反応して目を凝らせば、薄い緑の長髪がたなびくのが見えた。
「その声、ロルフか!?王都にいるんじゃなかったのか!」
「その話は後だ!先にあのドラゴンたちを倒すぞ!」
「…は?」
ロルフは腕利きの『魔法使い』
だからこそ、ドラゴンの強さを理解しており、今もズメイを見て敵だと思ったんだろう。
だが、ドラゴン『たち』?どういうことだ。
ズメイは、分かる。けれどここにズメイ以外のドラゴンはいないはずだ。
可能性としては、その相棒である。
「っ、待て、ロルフ!違う!彼女は違うんだ!」
「違うだって!?お前、『あれ』が人間に見えてるのか!?」
突風は小さな竜巻となり、シシーとズメイを閉じ込める風の壁となった。
靴底を鳴らしながら一番下の段に降りてきたロルフが、髪色より濃いマラカイトグリーンの瞳に険しい色を称えながら叫んでくる。
(『あれ』って、シシーのことか…?)
【『あれ』が人間に見えてるのか】?
どういうことだ。ますます訳が分からない。
シシーは人間だ。間違いなく。
人間と同じ構造の顔があり、手があり、足があり、同じ言葉を話す。
食べるものだって食べ方だって人間と同じである。
けれど、友人はまるで人間じゃないかのように。
「あんな人間がいるもんか!どう見たって魔獣だろう!?」
「っ、待て!本当に違うんだ!風を止めろ!彼女は私の恩人だ!」
「はあ!?」
訳が分からない、と目に見えて叫んでいるロルフが私に言い返そうと口を開いた時、竜巻を中から吹き出てきた炎が突き破り、霧散した竜巻の中心でズメイがシシーを乗せたまま、ロルフに突っ込んでいく。
ドラゴンの乗り手の手には、どこから取り出したのか鈍色の槍が一つ。
彼女までも『敵がいる』と見なしたらしく、その勢いは止まらない。
ロルフが攻撃の詠唱を高速で紡いでいく。
シシーが腕を振りかぶり、ズメイが喉奥を赤く熱しながら、鼓膜が破れるかと思うほどの叫び声を上げた。
「っ、!!」
敵じゃないのに、戦う必要はないのに。
それを説得する時間がない。
舌打ちをしながら鞘を掴んだ。剣を抜く暇も無くて、そのまま大きく振りかぶって二人と一頭の間めがけて一直線に。
ロルフとシシーがぶつかる所をピンポイントで射貫いた鞘の先端。
詠唱を止めて目の前にいるシシーとズメイを睨み付けているロルフ。
対して、槍を構えたままズメイの角を掴んで火を吹く方向を逸らしたシシー。
直前だったため火を消す事ができなかったのか、威力だけを弱めてくれた結果、階段が1ブロック分、炭になっている。
ズメイはといえば、鼻息を荒くさせて次なる息吹を放つ準備をしているように見えた。
二人と一頭がなんとか止まったのを見て、肩から力を抜く。
力の入った眉間をもみほぐしながら『説明がしたい』と伝えると、先に動いたのはシシーたちだ。
不満も苛立ちも隠しきれていないが。
「先に厩舎に行っててくれ」
「………そいつも来るのか」
「いいや」
「ならいい。……次はない」
一度だけ翼を羽ばたかせて、空から厩舎に向かうのを見送り、きっと犬であればガルグルと威嚇をしていそうな表情で空を睨み付けているロルフに走り寄る。
「ロルフ!突然来て何をするんだ!」
「お前を探すように命令されたんだよ!あの女なんなんだ!?気持ち悪いったらありゃしない!」
「は?命令?誰に。いやその前に訂正しろ!シシーは恩人だ!」
「そうだ、『恩人』って何だ!?まさかあの魔獣がか!?」
「彼女は人間だ!」
「嘘だね!」
すっかり頭に血が上りきっているのか、いつも退屈そうで人を小馬鹿にしてくる態度が消えていた。
ロルフは、腹が立つ奴ではあるが魔法使いとして優秀で、数々の論文で功績を上げている。
アカデミーにいた時に知り合い、なんだかんだで関わる機会が多かったのは、共に過ごして気が楽だったからだろう。
友人といって良い人間だが、今回だけはいただけない。
「そもそも何でドラゴンがノード城にいるんだ!?」
「はあ…誰か!ミグを呼んでくれ!」
どこから話したものか、と頭を抱えながら『今度こそ息の根を』と息巻くロルフの肩を掴み、ちゃんとした部屋まで引きずる。
途中、壊れた箇所の修繕を指示し、鍛錬の邪魔をした謝罪をヘルマンに伝えれば、リリーを伴った彼が言いにくそうに口を開いた。
「あんなことがあったんだ。彼女との席には同席させてもらう」
「、本気か?」
「本気だ。ジークハイン様、さっきのは腕試しだの喧嘩だのとは訳が違う。あなたが止めなければどちらかが『やられていた』」
「………」
「俺も同席するぞ!」
怒りに目を輝かせるロルフを今度こそ殴り、大人しく話を聞け、とミグが来るのを待つ。
ミグとロルフも友人だ。どちらかというと私より仲が良い。
久々の再会に喜ぶのもそこそこに、休んでいるミグを呼びつけて申し訳なく思いながら、先ほど起きたことを話せば、ロルフの肩をミグが揺さぶった。
「なんっっっっっって、失礼なこと言ったんだお前!?」
騎士のような鍛え方をしていないロルフは、肩だけでなく頭も前後に揺らされていて、あまりの揺さぶりに助けを求められる。
が、ミグの好きにさせてやった。自業自得なので。
体調崩しまくって寝込んでました…。3連休消えてしまった…
更新速度が遅くなり申し訳ないです…回復してきたので頑張ります
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沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




