腕試し
目の前に広がるのは野太い声で騒ぎ立てる男たちの群がりと、鼻の穴を広げて目玉が落ちるんじゃないかというぐらい目を見開き、歯を食いしばって赤面する男1人。
私の倍の大きさはあろうかという汗ばんだ男の手が私の右手をつかみ、互いに頑丈な樽に肘を置いてにらみ合っている。
「樽が軋んでる…!?」
「おい壊れるぞ!」
「樽が壊れたらどっちが勝ちだ!?」
「馬鹿野郎!引き分けだ、引き分け!」
ただの腕相撲なのになんでこんなに盛り上がっているんだろう、と遠い場所を見ているのはきっと私だけだ。
■
「黒いドラゴン…とても綺麗…」
「お嬢様、不用意に近づかないように」
焚き火で魚を焼いてズメイの口の中に放り込む、を繰り返していると、暴れ出さない様子に緊張感が解れてきたのか、リリアーナ様がそろりそろりと雪を踏みしめて近づいてくる。
それを腕を伸ばして制する護衛の人に頬を膨らませた彼女は、傍によっても良いか、と私に聞いてきた。
「良いか?」
「好きにしろ」
「分かった。どうぞ、こちらに」
むしゃむしゃと魚の骨まで噛み砕いて食べるズメイより先に私の方へ近寄り、りすが近づくような細かさで彼女の足が進む。
もうあと2歩進めば手で触れられる位置になるという時、もうこれ以上は近づけないと悟ったのか腰を曲げてまじまじと黒い鱗や黄色い瞳、山羊のような凹凸のある黒い角を見つめ始めた。
「絵本で読んだことしかない伝説の存在が目の前に…それもこんなに綺麗だなんて。このドラゴン…えっと、ズメイ、は大きい種なの?」
「小さい方ですよ」
「えっ、この大きさで!?」
「はい。種類名はナイトフェアリーだとか」
「「ナイトフェアリー!?」」
竜の中でも記録に残っている姿形は分類されているので、その名前を告げれば最初に驚いたのは護衛二人。
対するリリアーナ様は『夜の妖精だなんて可愛らしいわね』とにっこにこで、名前の印象により余計に緊張が解れたようだ。
もしかしなくてもこのご令嬢、肝が据わっているのでは。
「二人ともそんなに驚いてどうしたの?」
「ナイトフェアリーはその飛ぶ速さがドラゴンの中でも随一と有名なんです…!」
「ただ、姿を滅多に見せないので図鑑にも名前と特徴しか書かれておらず、こんな近くで見た事なんてありません!そもそもドラゴンがこんなに近くにいるなんて!」
「そ、そうなのね」
少年のように目を輝かせているとっくの昔に成人した護衛二人は、子どもの頃に読んだ竜の図鑑に思いを馳せているようだ。
浮き足立っている男二人にリリアーナ様は引き気味である。
男って、としみじみと脱力した声が耳に届いた。
(図鑑なんてあるのか、読んでみたいな。スノッリで探せばあるかな)
もしかしたら私の知らない生態が書かれているかも、と期待を膨らませていると、護衛の二人も近づいて良いか聞いてくる。
リリアーナ様がこんなに近いし、ズメイも大人しいので頷くと、わ、と声を上げて一歩一歩距離を詰めた。
護衛二人がリリアーナ様と同じぐらいの距離に立った時、突然黒い両翼が広がり、大きく振るう。
二度、三度と繰り返された風圧で焚き火から火は消え、朝方積もった雪が飛ばされていった。
近くにいた3人はもちろん突然の風に体勢を崩し、雪に足を取られて尻餅をつく。
「こらズメイ!何するんだ!」
突然の『悪戯』に驚いて角飾りがついている角をグイッと引っ張れば、ケタケタと喉で笑いながら『これぐらい良いだろう』と翼をたたみ直した。
リリアーナ様という貴族のご令嬢がいる時に、人間をからかいたい欲が抑えきれなかったようである。
「やりすぎ!」
尻餅をついているリリアーナ様に駆け寄り、雪が服に染みこむ前にと体を引き上げればあまりの軽さにそのまま放り投げてしまいそうだった。
慌てて彼女の腰の辺りに手を添えて勢いを殺し、彼女の足が完全に地面から離れたところで下ろす。
私の怪力を目の当たりにしたリリアーナ様は『ぽかん』と口を開いてされるがままになっていた。
無理もない。一度私の頭上近くにまで彼女を抱え上げた状態で下ろしたようなものだ。
地面に下ろしても『ぽかん』としたままなので気まずく、手を離して一歩下がる。
「……お怪我はないですか?」
「え、ええ…平気よ。それより、何か気に障るようなことをしたかしら…?」
「いえ、さっきのはズメイの悪戯です。本当に、申し訳ない」
「…悪戯?」
「人間が驚く顔を見るのが好きなようで、いつもこうで…」
「つまり、からかわれたということ?」
しまった、と思った。
貴族のご令嬢が、竜とはいえ魔獣にからかわれた、なんてとんでもない不敬だ。
しかも領主一家のご令嬢である。処罰されて当たり前のこと。
完全にズメイが悪いので謝らせたいけれど、彼の方は成功した悪戯にご機嫌なので謝る素振りの一つもない。
顔を俯かせ、肩を震わせて自分の服を握りしめているリリアーナ様は、突然受けた屈辱に怒り心頭なのだろう。
なんと謝れば許してもらえるだろうか。
彼女の機嫌が損なわれればジークハイン様たちの協力に水が差すかもしれない。
それは困る。大いに、困る。
今やれることといったら平身低頭、謝ることしかできないので頭をついて土下座しようと身を屈ませようとしたら『ふふっ』と明るい声が響いた。
「ふふ、うふふふふ、ねえ聞いた!?私、ドラゴンにからかわれたわ!」
こんなこと初めて!となぜだか誇らしげな表情と声に面食らう。
銀色の髪が雪に反射した光を吸い込み、自ら輝いている気もするし、リリアーナ様本人の笑顔が輝いているような気もする。
どちらにせよ目が潰れそうな満面の笑顔に、整えて貰った眉がきゅっと寄るのが分かった。
実際飛び跳ねてはいないものの、右に左にと雪が踏みしめられていく。
彼女と同じく尻餅をついていた護衛二人もそれぞれ自力に立ち上がり、喜び一杯のリリアーナ様に顔を見合わせた。
「怖くなかった、のです?」
「火を吹かれた訳じゃあるまいし、全く怖くないわ!まあ、ちょっと驚きはしたけれど…伝説の存在がただ悪戯をしたかっただなんて可愛らしいと思うわ!」
なるほど。このご令嬢、やはりジークハイン様よりよっぽど肝が据わっているらしい。
朝の縁談話の時より紅潮した頬と、うっとり恍惚に溶ける宝石のような瞳は目の前にズメイがいなければ最上のお菓子を食べているかのような表情である。
悪戯をした側だというのに、可愛らしい、と表現されたズメイが不服そうに鼻を鳴らした。
そういうところが可愛いと思うのだけれど、ズメイには言うまい。
なにはともあれ、機嫌を損ねるようなことはなかったらしく、詰めていた息をほっと吐き出すとリリアーナ様の次なる興味は私に移ったようで。
「それにしてもあなた、すごい力ね?竜の民は戦闘民族と聞いていたけれど、さすがだわ」
「光栄です…?」
「うちの騎士たちとどっちが強いかしら」
「「「えっ」」」
思わず護衛二人と声が被ってしまった。
新しいおもちゃを見つけた子どものような笑顔を浮かべたリリアーナ様は、嫌っている風だった私の手を何の躊躇いもなく取って『行きましょうか!』と前進する。
ぐいぐい引っ張られてもその場に入れるだけの力はあるけれど無下にも出来ず、ズメイに助けを求めた。
が、彼もまた『面白そうだ』と腰を上げてのっしのっしと後をついてくる。
「せっかくだもの!腕試ししましょ!」
「リリアーナ様!?」
「それはいい。見せつけてやれ、シシー」
「ズメイまで!?」
「ズメイも乗り気なのね?そうよね、相棒だもの、自慢したいわよね!」
(言葉が通じてないのに何で分かるんだ!?)
どういうわけかリリアーナ様とズメイが意気投合してしまった。
さっき『可愛らしい』とふてくされていたくせに、と文句を言えば『それはそれ』だそう。
しかもあんなに口酸っぱく『油断するな』と言っていたズメイが、彼女だけは触っても良いと許したようで私の隣に並ぶのではなく、リリアーナ様の隣に並んで尻尾の先で乱れた髪を整えた。
「あら、ご親切にどうも。…ってシシー!?今私、ズメイに触られましたわ!?」
「気に入ったみたいですよ…」
もうどうにでもなれ、という気持ちで頭を抱えながらリリアーナ様のされるがままになる。
ズメイが触るのを許したということで興奮がさらに高まったのか、さっきから彼女の笑い声が止まらない。
厩舎から離れて向かった先は鍛錬場である。
早朝の内に雪がどかされているようで、見える地面は茶色い。
朝食が終わった今の時間は、個人の鍛錬時間に充てられているらしく、街の巡回や門番、城内の警備などの当番以外はほとんどここにいるそうだ。
現に今も、何組かが向かい合って木剣を打ち鳴らし、足元で小さく砂埃が立っている。
円形の鍛錬場はあちこちを飛んでいる際に見たものと同じだ。
いつもは上から見ているだけだったけれど、地面に立っているだけで大きく見える。
円形の平地をぐるっと囲むのは壁ではなく、木造の階段。
このような形になっているのは年に一度ある『御前試合』で観客が座るためであったり、上から見て部隊の連携を取りやすくするためだったりと様々な理由があるらしい。
「御前試合の時は段差が見えなくなるぐらい人で埋まるわ」
「そうなんですね」
よほど案内できるのが嬉しいのか、あれは、これは、とどんどん教えてくれる。
教えてくれるのだけれど私が知っていいものだろうか。
隠し通路の場所とか聞いてしまったけれど良いんだろうか。
さっき『兵力の情報は戦時には貴重』と聞いたばかりなのだが。
冷や汗が止まらなくて護衛の二人を見ればそっと視線を外されたので、聞かなかったことにした方が良い内容のようだ。
とっとと忘れてしまいたい、城の造りなんて。
『あっちの道はどこそこに直結している』といった話になり始めたので慌てて止めれば、話している内容の危うさに気づいたようで、内緒ね、と可愛らしくねだられた。
言われなくとも内緒にします。
リリアーナ様と共に私とズメイも現れたので、ちらちらと男たちの視線が刺さり始める。
ズメイはといえば、鍛錬場に興味がないのか日の当たる場所に歩いて行ってそのまま居座った。
「さて、どんな勝負にしましょうか。剣の腕はどう?シシー」
「えっと、普段使うのは槍です」
「槍なの?そう…なら手合わせは無理ね」
「…本当にやるのですか?」
「あら、自信がないの?」
「はい」
力加減できるか自信がありません
さっきだってリリアーナ様を放り投げるところだったのだ。
今までは敵や魔獣をしか相手にしたことがなく、いつだって全力で良かったが『腕試し』で敵でもない人を傷つける訳にはいかない。
なんせこの怪力、戦いとなると調整が難しい。
極端な話、手加減して放り投げるか、全力を出して骨を折るかの二択である。
りんごは簡単に握りつぶせるし、振りかぶってきた剣だって掴んでへし折れた。
簡単な魔法や適当な剣では傷一つ負わない頑丈な体には何度も救われたので感謝しているけれど、今まで『力加減』をしたことのない私にとって『腕試し』は難題である。
(鍛えているから多少の怪我なら普段通りなんだろうけど、さすがに骨折は…)
いくら青い火で治せるといったって人間相手に疲れるそれを使いたくはない。
山に戻れば竜たちの治療にも使うのだ。ここは温存しておきたい。
やっぱりはっきり断ろう、と一人決めていると『うちの騎士を舐めて貰っては困るわ!』とリリアーナ様が胸を張った。
「あなたたち!こちらはシシー・ルーよ!お兄様の恩人で竜の民!今のを聞いたわね!?女性に負けるような鍛え方はしていないはずよ!実力を見せてやりなさい!」
【はっ!】
話を聞いていた男たちがなぜか怒りを滲ませながら異口同音で胸に手を当てている。
組み手をしていた人たちだって木剣をしまい、どこからともなく大きな樽を転がしてきて鍛錬場の中央に置き、審判、相手の順番、と次々と場が整えられていった。
さあどっからでも来い!とギラついた目が並ぶ間を断ることができず、樽の前に立つ。
『何でこうなった?』
『お前が手加減できないと言ったから怒ったんじゃないか?』
『……………………あっ』
生意気が過ぎる発言をしてしまったことに、ズメイから教えられてようやく気づいた。
されど時すでに遅し。
一番手に名乗りを上げた若い男が寒いだろうに腕まくりをして、樽の上に肘を置く。
準備運動でもするかのように指を曲げて伸ばしてをしている無骨な手と、腕相撲をしようということらしい。
分かりやすくはある。実際に手合わせするより安全でもある。
が、どうしたって握りつぶしてしまわないか不安もあって。
「やり方を知らないかしら?こうやるの」
たおやかな手が私の手と男の手をぎゅっと握り込んだ。
対面する男はリリアーナ様に触れられてちょっと照れている。
手の平が分厚い。潰れているけれどマメもタコもある。ちゃんと鍛えている人だ。
実際、不敵に笑っているから自信があるのだろう。
さっきの照れている顔のままいてほしかった、という思いもむなしく、始まりの合図である審判の手が振り下ろされる。
ぐっと手の平にかかった圧は力強く、たしかに自信があるだけはある。
なのだけれど、ズメイとの絆によって私が受けた恩恵はもはや人間のそれではないのだ。
(握り潰さない、折らない、叩きつけない…!)
手加減の三箇条というならこのことだ。
初めて自分に言い聞かせる三箇条を胸に、汗ばんできた手の平を押し返す。
するすると倒れていく腕をなんとかしようと、空いている片方が樽の端っこを掴んだがなすすべも無く、男の手の甲が樽に触れた。
「…え!?」
「ふう…」
無事に傷つけず腕相撲が終わったことに安堵し手を離せば、自分の手と私を行ったり来たり見ている対戦相手。
これで終わった、とリリアーナ様と審判を見れば『まだよ!/まだだ!』と唾が飛んできそうな勢いで前のめりになって。
次々と対戦相手が目の前に来る。しかもどんどん逞しくなっていく。
「それでもノルトマルクの騎士か!」
「根性見せろ!」
「動かねえー!!!」
「崖を押してるみたいだ!」
そんな馬鹿な。
そうして、冒頭の相手を最後として腕試しならぬ腕相撲が終わったのである。
もちろん私の全勝で。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




