呼び方
いつもの『私の夢』の景色に、変化が見られた。
どこまでも続く草原に、小さく領都の城がある。
火が木を燃やしていく音がいつものように響いている星空の下、小さな山が連なっているような凹凸が堂々と構えていた。
結局『貴族』の力を借りるのか、と息が詰まるような思いとある種の諦めが押し寄せてくる。
黒い硬貨を持つ者たちはきっと何某かの『権力』を持っていて、『権力』に立ち向かうには純粋な『暴力』では足りない。
何がいるだろう、とどれだけ考えても、結局『貴族』の力がいるのだ。
黒い権力の前ではどれだけ正しいことをしても白になる。
今回だけだ。今回だけ。
私1人の力では今も捕まっているかもしれない竜たちを救えないから。
いくらお館様たちが情報収集が苦手といったって、『国』の力で分からなかったことだから。
シドニア騎士王国が関わっていないことを願って助けを乞うしかない。
ジークハイン様が城主の息子ということは驚いたけれど、私にとっては運が良かった。
少なくとも、彼と20人の男たちには借りがあるのだから。
「……辺境伯」
折りたたんだ膝を抱え、膝頭の間に顎を乗せながらつらつらと考えていたら『辺境伯』の名称に思い至る。
辺境伯。初めて聞く階級である。
今でこそ、西方とやり取りをしやすくするために西方の貴族階級を取り入れているけれど、何十年か前の東方には12階級もあった。
東方で、貴族の起源は『豪族』だ。
各地の有力者、あるいは経済的に豊かな家が『豪族』と呼ばれるようになり、政に携わった豪族たちをまとめて『皇王』や『帝』…いわゆる国王が誕生した、と記憶している。
その後の千年にも渡る長い歴史の詳細は思い出せないが、国王が誕生してようやく豪族に領地が任せられた。
領地を任せられた豪族は、その役割を血統で引き継げる『諸侯』となり、国王が置いた行政機関に所属する人たちを『諸侯』の推薦者から取るようになる。
文官の始まりだ。
最初は良かったが、どこかの時代で行政の腐敗が起こって、推薦者は全員、当時の国王が定めた試験を受け、合格することが義務づけられるようになる。
その試験の成績で文官の『位』が決まるようになると、上位にいる文官たちはより国の根幹に関わるようになって、文官もまた『貴族』になった。
とにかく人の多い国王のお膝元、全て同じ色形の制服を着て働く文官は誰が下位か上位か分からなくなり、形は同じでも色の違う制服を身につけ始めたので、『色の名前』が位の証となる。
黄色が一番下、そこから赤、青、と上がっていき、一つの色ごとに色の濃さを分けていく。
その数、12色。つまり位も12階級。
では諸侯の位は?となるのだが、各諸侯が推した者が得た位となった。
たとえ領地が栄えていようと、文官としての位が低ければ黄色は黄色。
領地が小さく貧乏でも、青の位であれば青である。
それによって生じる嫉妬、蔑み、家同士の繋がり、などなどの軋轢で、行政の内部はぐっちゃぐちゃのドロドロなんだそうだ。本曰く、だけれども。
武官と呼ばれるいわゆる軍人の方にも位があったはずだ。
けれど、関わりがなかったというのもあってなんと呼んでいたか思い出せない。
もっと小さい時に知った記憶だが、今でも『ややこしい』と思う。
西方では12階級もない。
東方は西方の階級を受け入れやすかったけれど、西方は東方の階級を理解できなかった。
そのせいで貿易の話を進めたくとも進められなかったんだろう。
(と、違うことまで思い出したな…ええと、辺境伯、伯がついてるから伯爵より上…?でも辺境ってついてるから下かな?)
そう、東方でも取り入れられた階級の中に『辺境伯』がないため、どのぐらい位が高いのか分からないのだ。
領都の城主ということはもしかしたら軍人の位かもしれないし。
起きたら確認したいけれど、誰に聞いていいのかも分からない。
朝一番に会うのは迎えに来ると言っていたジークハイン様だが、本人に聞いていいことじゃないだろう、たぶん。
そんなことも知らないのか!と機嫌を損ねられても困る。
やはり本。本は偉大だ。
色んな疑問に明確な答えが返ってくる。
ヒュミル山脈にある本はどれも古いし、メルグで貰った歴史書は読み尽くしてしまった。
そろそろ新しい本を買おう。
そう決めた時、雪を踏みしめる音が聞こえてきて、目の前の焚き火が、藁の敷かれた床に変わった。
朝日が厩舎の扉の隙間から漏れている。
斜めに差し込む光は白く透き通っており、太陽石の明かりとは違った温度だ。
数回瞬きをして明るさを合わせ、一つ欠伸をしてマスクのずれを戻す。
近くで足音がしたと思ったけれど、厩舎とはかなり離れているようだ。
ぐっと背筋を伸ばしながら耳を澄ますに、ちょうど中庭を出てきたところぐらいだろうか。
ズメイはまだ寝ている。
音に気づいているだろうに、完璧に二度寝するつもりのようだ。
まとめていた髪を解いて手櫛で整え、再びまとめながら立ち上がる。
ずり落ちた毛布を畳んで汚れないよう藁の上に置き、馬房から顔だけを突き出して私を見た馬たちに近寄った。
竜の鱗を隔てるのとは違う高い体温を頬に受けながら、ぶるる、鼻を震わせて挨拶をしてくる馬たちに挨拶を返していく。
最後に身重のメス馬の馬房を覗き込むと、横になって休んでいたのか首を伸ばして立ち上がろうとしてきたので、馬房の入り口となっている棒を潜って駆け寄った。
「よしよし、良い子だな。ちょっと診させてくれ」
昨夜、馬番もエミールさんも身重のメスがいることに驚いていたのが気になったのだ。
冬用の外套は馬の膝を邪魔しない程度に丈が長いので、冬に入る直前に身ごもった可能性が高い。
私は寒さを感じなくとも、吐く息が白いことと氷柱の大きさを見ればどれぐらい寒いかは分かる。
たしかにあまり外套を外してやりたくない寒さだ。
額に白い菱形がついた茶色の馬。たてがみと足先だけが白く、四本ある足のうち1つだけ靴下が脱げたように茶色い。
どこか気取った感じのするこのメスは美人さんだけれど、ちょっと体力が落ちているようで立ったままでいられないようだ。
触って良いか確認すれば、ズメイが言った通りよく躾けられており、同意するように頷いた。
外套の隙間に手を差し入れ、毛並みに逆らわないように撫でてからお腹の辺りに手の平を乗せる。
とくん、とくん。
小さい鼓動が聞こえてきて、お腹の子は元気に育っていることに安堵の息を吐いた。
「子どもは元気だ。ちゃんとご飯食べてるか?体力が落ちてる、しっかり食べろ」
「ひひん」
分かった、と言っているんだろうか。
喉を見せるように頷いたのが気になって、お腹から手を離し、両手で母馬の首を触る。
(喉の調子が悪い…?ような気がする)
青い火を当ててみようか。いや、竜と人以外に使うのは初めてだ。
人より馬の体の方が詳しいけれど、間違いなく効くかどうか。
少なくとも身重の馬で試すことはないだろう。
喉の調子が悪そうだというのは馬番に伝えることにして、立ち上がろうとしてよろけた母馬を支える。
お礼を言うように吐息でいななかれたため、前髪がふわりと舞い上がった。
馬房の外に出て母馬と戯れていると、厩舎の扉が開く。
「シシー・ルー、起きていたのか」
「おはよう、ジークハイン様」
「ああ、おはよう。…ずいぶん懐かれているな」
近づいてきた足音はジークハイン様だった。
扉を開けて入ってきた彼は、毛皮のマントを羽織っていて、朝の冷気に鼻先を赤くしている。
うちの馬は滅多に他人に懐かないんだが、と呟きながら中に足を踏み入れて、すぐ横に丸まっているズメイを見て固まった。
あんなに近くにいるとは思わなかったらしい。
ゆっくりゆっくり距離を取ってからこちらに近寄ってきた彼もまた、顔を出した馬たちに引き止められている。
『後でな』と子どもを宥めるような口調がとても優しいことから、ジークハイン様も馬が好きなんだろう。
「その馬が気に入ったか」
「ん?」
「何か話していただろう?」
「ああ…いや、この馬が身重だから気になってるだけだ」
「ポジーが!?」
母馬は『ポジー』という名前で、厩舎の外まで声が届いていたらしい。
白い息を吐き出しながら驚いている彼は、寒くないか、と慣れた手つきでポジーの頭を撫でている。
嬉しそうに尻尾を揺らすポジーを微笑ましく思いながら、馬番に喉のことも合わせて伝えて欲しいとお願いした。
「魔法で治せるのでは?」
「竜と人以外に試したことがない」
「なるほど。分かった。必ず伝えよう。さて、朝食の前に湯浴みをしてくれ」
「え、朝から?」
「……言っておくが君は厩舎で寝たんだぞ」
そうだった。
厩舎の匂いは嫌いじゃないけれど、貴族との食事でさせていい匂いじゃない。
念のため持ってきていた着替えを鞍と結ばれている荷物から引っ張り出し、ズメイを揺する。
眠たそうに半分開いた目を覗き込んで、朝ということを告げた。
「腹減ってるか?」
「いや…まだ寝ているから、ゆっくり食べて来い」
「分かった。戻ってくる時に魚持ってくるから」
「ああ…」
瞼がとろとろである。
ゆっくり見えなくなっていく黄色い瞳と共に寝息も大きくなり、あっという間にまた眠ってしまった。
仕方がない。いつも昼ぐらいまで寝ているからその内起きるだろう。
振り返ってすぐ、扉を潜る直前でこっちを見ていたジークハイン様と目が合って首を傾げる。
なんだその表情は。あり得ないものを見るような顔をして。
「………君の行動は心臓に悪い」
「何でだ?」
「ドラゴンを揺すり起こしたら死んだも同然だ」
そんなことはない、と言いかけて押し黙る。
あるかもしれない、と思ってしまったので。
いきなり揺すったら開いていた口がぱっくんと閉じたこともあれば、まだ起こすなの意図で強めに鼻息を鳴らしたら鼻の穴から火が出てきたこともある。
旅を始めたばかりの頃はズメイと絆を交わしていてよかった、と何度思ったか。
変な空気が流れたのを咳払いをして誤魔化したジークハイン様が、気を取り直して厩舎を出た。
「驚いただけだ。他意はない」
「分かった」
彼の後に続けば、朝日に照らされ、宝石を砕いたかのような輝きを放つ大地が見える。
早朝に見ると雪はこんなに輝いているのか。初めて知った。
またズメイと一緒に散歩しようかな、と雪の積もる光景を横目に、夜見た時とは印象の違う中庭を通る。
光に当たって花弁を広げていく花が、横風に煽られて膜を張った雪を払っていった。
「こっちだ、シシー・ルー」
「…………なあ、ジークハイン様」
「何だ?」
「ずっと気になってたんだが、何で私を『シシー』と呼ばないんだ?」
ミグやバルド、他の男の人たちは私のことを『シシー』と呼ぶ。
ルーも含めて呼ぶのは彼だけだ。
何か意図あってのことかと思ったのだが、ついぞその意図が分からない。
なので直接聞いてみることにした。
ら、建物に入って廊下を歩いている足が一度止まって、間を空けてまた歩き出す。
「…、からだ」
「ん?」
耳の良い私でも聞こえないほどか細い声。
聞き直す意図で隣に並べば、寒さとは違う意味で顔を真っ赤にしたジークハイン様が手の平で口元を覆っている。
きゅ、と眉間に寄った皺のせいで目つきが悪いけれど、顔が真っ赤だから全く怖くない。
これは、知っている。オドさんと同じだ。
照れ顔だ。
「なんて?」
「っ、どう呼べば良いか、分からなかったからだ、!」
「…え、それだけ?」
だからって全ての名前を呼ぶことはなかろう。
言いにくくなかったんだろうか。
曰く、関わりのある女性といえば貴族ばかり。
名前を呼ぶ時は礼儀として家名に『嬢』あるいは『夫人』と付けているのだそうで、愛称で呼ぶのは妹だけなのだとか。
つまり、貴族でない女性をどう呼べば失礼に当たらないかと考えた結果、『シシー・ルー』と呼ぶことにしたらしい。
「語呂が良いから、言いにくいことはない」
「好きに呼べばいいだろう。ジークハイン様は貴族で、私は平民なんだから」
「、平民」
「?」
意外そうな目が私を見下ろしてくる。
歩きながら上から下まで見られている気がして、そっと距離を取った。
(もしかして臭かったか?)
彼と反対方向に顔を向けて肩口に鼻を近づける。たしかに馬臭い。
早く湯浴みして匂いを落としたいな、と目の焦点を遠くしていると隣から『フ』と笑い声のようなものが聞こえた気がした。
不思議に思ってジークハイン様を見るより先に、頭の上に手袋に包まれた手が乗る。
目の前にある手首で彼の顔は見えないけれど、おもむろに髪をかき回し始めた手がなんとなくオドさんやニーチェさんのそれに似ていて。
「『シシー』が平民だと言うなら、敬語ぐらい使って欲しいものだな」
「今さら言うなんて、…あれ」
「どうした『シシー』」
着いたぞ。
とある扉の前で止まり、頭に乗せていた手が下ろされる。
中に誘導したジークハイン様が二回も私の声を呼んだことに気づいた。
ようやく見えた彼の表情は、悪戯が成功したような、とても楽しそうな顔をしている。
そんな顔もするのかと面くらいつつ、悪戯をされたならやり返さねばと。
「大変失礼いたしました。以後、改めます。ジークハイン様」
大仰な仕草で一歩下がり、手の平と拳を合わせるお辞儀をする。
片目を薄く開けてどんな顔をしているかと見やれば、彼は戸惑っていた。なぜ。
仕返しにもならないが、ちょっと大げさにお辞儀しただけなのに。
そんなに様になっていない辞儀だったろうか。似合わないなら似合わないで笑って欲しいところだ。
「…そんなに驚かなくても良いだろ」
「ああ、よかった。ずっと敬語かと」
普段通りの話し方をすればあからさまに胸を撫で下ろされた。
変な人だと思いながら、気を取り直して部屋に入れば『さあどうぞ』と言わんばかりにその場に留まり続けるジークハイン様。
湯浴みをする場所は入った部屋の隣に備え付けられているらしいが、つまり今いる場所は控えの部屋、あるいは着替えの部屋であって。
「……………ジークハイン様」
「どうした、早く入って来い」
「私は女だ」
「………………」
「………………で?」
「すぐ出て行く!!すまない!!!」
勢いよく飛び出し、大きな音を立てて仕舞った扉の向こう側、言葉にならないうめき声を上げている彼は、さっき『女性をどう呼んだら良いか分からない』と言っていなかっただろうか。
突然のこの扱いは何事か。
「、覗くのか?」
「覗くか!!早く入れ!!」
駄目押しの一声をかければ扉からも離れていったようだ。
ちょっとからかいすぎたかもしれない。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




