降り立つ
久しぶりに領都を見ている。
もちろんズメイに乗って、都の中心から少し後方に下がった場所にある城の上空からだが。
前に来た時より明かりが多い気がするのは、ジークハイン様たちが戻ったからだろう。
平地に降ろした時は盛大な悲鳴を上げて、板から転げ落ちるように降りていたのが頭によぎって思わず笑いが漏れる。
たしかに乱暴な着地だった。そこは申し訳ない。
運んでもらった竜二頭は、最近治療が終わって旅立とうとしていた竜たちだったので、人間を包んでいた網を放り投げた後すぐ、星空の彼方へ飛び去った。
『ありがとう。またいつかどこかで。長生きしろよ』そう言いながら。
そんな二頭を見送ったズメイもどこか嬉しそうに目を細めていた。
ジークハイン様たちが寒さに凍えて足元をふらつかせて領都への道を歩き始めたのを見かねて、青い火を体に当ててやった。
この青い火は本当に便利で、体が燃える訳でもないのに体が温まる。
いつぞやに助けた村の子ども、ニックといったか、あの子どもにも寝ている最中に当ててみて分かったことだ。
怪我をしているならついでに治してやろうと軽い気持ちで当てたら、芯まで冷えていた体が温もりを取り戻した時、『こんな効果が』と驚いたのは記憶に新しい。
真っ直ぐ歩いて行けるだけの体温を取り戻した男たちは、口々に礼を言いながら『また後で』と街へ戻っていった。
その背を見届け、ズメイが『本当に行くのか』と不服そうなのを宥めつつ再び空へ舞い戻り、今現在、彼らからの合図を待っている。
城の中庭に降りて欲しい、と言われた。
そこから松明の明かりが左右に振られたら、『降りてきて良い』という合図。
「あいつらを信じるのか?」
「うーん…ジークハイン様はまだ疑ってるみたいだけど、嘘はつかない人…だと思う。約束は守ってくれるさ」
「カザンビークの時みたいに追い出されないといいがな」
「あれは『追い出す』とは違うだろ」
最後の掃除が終わったら旅立てる、と4年前は喜んでいたズメイだが、山に到着して私があっちこっち駆け回っているのを見て思うところがあったらしく、ことあるごとに『人間に優しくしすぎるな』と言う。
心配してくれているのは嬉しいが、あの時はカザンビーク全体が困っている時だった。
むしろ、私を矢面に立たせて対応しない、なんて人たちじゃなくて良かったとすら思っている。
カザンビークを訪ねれば相変わらず国を挙げて歓迎してくれているし、黒い硬貨の件だって手伝ってくれているのだ。
そろそろ水に流しても、とは思うけれど私に関して怒っているので強くも言えない。
時間が経てば解決するだろうか。
自分の吐いた息でゴーグルが曇ってきたので、頭から引き抜く。
口元も蒸れてきたのでマスクをおろし、風で汗を乾かしていると、合図だ、とズメイの声がした。
下を見れば城の中庭辺りで松明が右に左に小さく揺れている。
「あいつらは驚くかな?」
「ジークハイン様たち以外もいるから、きっと驚く」
「叫んでもいいか?」
「ダメ」
「火は?」
「ダメだったら」
あと数時間で夜が明けるとはいえ、空はまだまだ暗い。
大勢の人は夢の中だろう。
そんな時にズメイの大声と山火事がごとき騒ぎを起こそうものなら、せっかくの助っ人がいなくなってしまう。
それはダメだ。
ズメイの立派な姿が見えるだけで十分驚くから、と心の内をくすぐれば、落ちかけた機嫌が元に戻って背を丸め、下降の姿勢を取る。
慌ててゴーグルをつけて背中に張り付いた。
下から吹いてくる風を顔面に受けながら、マスクがしっかり顔を隠したのを確認する。
中庭の地面はすぐに目の前に迫ってきた。
微かな月明かりでも分かるぐらい丁寧に刈り揃えられた芝生。
冬に咲く花が植わっているのか、雪の積もっていない花壇には瑞々しい花が蕾を閉じたまま密集し、低い背の生け垣が人が通る道を決めている。
池や川なんかをそのまま持ってくる造りの東の庭とは違い、人の手が入って整えられた中庭全体は上から見ると紋章のように左右対称だ。
パッと見て綺麗だと思う。完成された美というならこういう庭を言うのだろう。
松明を揺らしている人影のあたりには花壇も生け垣もなかった。
その人影がジークハイン様だというのは匂いで分かったけれど、なぜか影が大きい。
ちょっと離れた隙に横に3倍太ったような。
着地する寸前に一度ズメイが羽ばたいて、着地点に積もったばかりの雪が払いのけられた。
雪の上に円を描いて降り立ったというのに音は静か。さすが夜の妖精。
翼を折りたたんだズメイが松明の明かりに顔を向けた時、シャキン、と剣を抜く音が庭に響く。
「!」
何度も聞いた、武器の音が一つ二つ三つ、中庭を囲むように並び立つ柱の陰から一斉に鳴り、同じだけ鎧をつけた男たちが現れた。
反射的に四つ足を低く構え、いつでも飛び立てるようにか再び両翼を広げたズメイの上で、腰から取り出した槍を伸ばして同じく身構える。
手綱を手放さなくて良かった。
こういう緊急時にズメイが飛び立つ時は荒っぽいから、まだ何かを掴んでいないと体勢を崩してしまう。
喉の奥から威嚇の唸り声を出しながら、相棒が『ほらみろ』と嗤ったのに苦虫を潰す。
「お前たち、下がれ。恩人に剣を向けるな」
一歩こちらに踏み出したのはジークハイン様だった。
松明の明かりで橙色に染まった銀の髪が暗闇に浮き彫りになり、山では見ることのなかった静かな怒りを備えた青い目が剣を抜いた男たちを睨み付けていく。
カチャカチャ。金属が躊躇いがちに仕舞われていく音がした。
彼が太ったということはなく左右に人がくっついていたので影が大きくなっていたようで、彼の背後に二人分の影を残し、分厚い布の上着を着ていた服の上から纏った姿が雪の上を遠慮無く進んでくる。
「すまない。攻撃するなと伝えたんだが」
あと数歩で私たちのすぐ傍、という距離で止まったジークハイン様が、松明を持っていない方の手で何かを伝えてきた。
手の平を下にして、何度も上下させている手振りは『落ち着け』と言っているようだ。
『どうする、シシー』
『……武器は下がった。話をしよう』
『気をつけろ』
警戒が解けないズメイは翼を広げたままだが、私は槍を元に戻して命綱が止まっているフックを鞍から外す。
あからさまにホッとした顔をしたジークハイン様がこちらへ歩み寄りながら手を差し出してきた。
それに首を傾げながら足を鐙から外し、硬く雪の積もった地面に足を降ろす。
周囲を目だけで睨み続けるズメイに手を添えながら立ち尽くすジークハイン様を見れば、中途半端に開いたままの自分の手を見つめていた。
「…どうした?」
「、気にするな。大したことじゃない」
「?そうか」
「私の両親が君に会いたいと。もう見えているが、紹介しても?」
「お願いする」
踵を返した彼に続いてズメイから離れる。
柱は外の回廊を支えるためのものらしく、屋根がある場所には雪がない。
その屋根の下、城の中へ続くドアの前に並ぶ大小二つの人影はピッタリ寄り添っており、夫婦なのが分かる。
寝間着のままなのか、スノッリや本の挿絵で見る西方の人たちより薄着だ。
明かりで浮き彫りになって見えたのは、『あ、ジークハイン様の両親だ』と思う男女の姿がある。
男性の方は短い銀髪に青い瞳、色といい、顔立ちといい、ジークハイン様そっくりだ。いや、彼が受け継いだのか。
深く刻まれている眉間の皺が経験の多さを物語っている。
女性の方もまた銀髪だ。男性と違ってこちらは波打っているけれど。瞳は若葉のような緑色。
垂れ目がちなせいか、優しげな顔立ちはジークハイン様が寝ている時の雰囲気によく似ていた。
一歩前に立ち止まった男が、両親の良いところを全て集めて作られているようで、性別は違えど少し羨ましい。
自分の黒髪も黒目も顔立ちも、平々凡々なもので。
口元に手を当て、目を限界まで見開いている女性が我に返ったように夫である男性の腕から離れ、寝間着の端を摘まんだ。
す、と半歩下げられた片足と、柳が風にそよぐように伸びた両腕、腕の動きに合わせて寝間着の裾がゆらりと揺れる。
視線を下げるだけでなく、つむじが見えるように傾いた顔から、一筋二筋と髪の毛が垂れた。
月の精というならこの女性のような人のことをいうんだろうなと思うぐらい優雅な動きに面くらい、お辞儀だということに気づいて慌てて頭を下げる。
両手を体の前に出し、右手で左の拳を包み込む。
腕で作った輪の中に頭を入れれば、私の知るお辞儀なのだけれど、何やら空気がおかしい。
大勢にジッと見つめられている気もする。
下げたままの顔を半分上げて、斜め前に立つジークハイン様を見やれば、ぎくり、とした顔で視線が外された。
お辞儀をしている女性も、腕は広げたまま顔を上げきって驚いている。
(…この国の挨拶じゃないから、まずかったか?)
「父上、母上、彼女はシシー・ルー。私を含める討伐隊全員の命の恩人です」
「シシー・ルーと申します」
一瞬ジークハイン様の方から『敬語が使えたのか』と小声が聞こえたのに言い返したいのをグッと堪えた。
敬語ぐらい使える。
彼に使わないのは、山でやらかしてくれたからそうする気にならないだけで。
敬称をつけているだけマシだと思って欲しい。
けれど目の前の二人は『使わなきゃならない』と思わせてくる。
貴族として生まれ、貴族として生きている人たちだと肌で感じた。
目の前の男女が私と、中庭で静かに威嚇しているズメイを交互に見て、顔を上げるように言う。
それに従って手を組んだまま顔だけ上げれば、二人も名乗ってくれた。
男性はスヴェン・ノルトマルク辺境伯。
女性はクラーラ・ノルトマルク辺境伯夫人。
この城の城主で、ジークハイン様のご両親で、もう一人娘がいるそうなのだが、夜中なので部屋にいるそうだ。
もう夜が更けているので城に泊まり、娘さんとは朝になったら挨拶を、という運びになる。
「先ほどは失礼した。驚いただけなんだ。息子から『恩人』としか聞いていなくてね」
「女性の声がしたから驚いたわ。ジーク、ちゃんと話してくれないと」
「申し訳ありません。寒い中で待たせているため、急いでおりました」
「全く…シシー・ルー、息子と、我が騎士たちの命を守ってくれたとか。感謝の一言で言い表せないほどだが、これしか言いようがない。ありがとう」
「私からも言わせてちょうだい。本当に、ありがとう」
「、光栄です」
手を組んだままをまごつかせながら軽く頭を下げれば、どうぞ中へ、と夫人に誘われる。
けれどズメイのことが心配で躊躇してしまった。
躊躇った私に気づいたジークハイン様が中庭にいるズメイを見やってから私に声をかける。
「シシー・ルー、すまないが城の中にドラゴンは入れられない」
それはそうだ。カザンビークの王宮より通路が狭そうだし、もし入ったとしても尻尾も翼もあちこちぶつかってしまうだろう。
そうなのだけれど。分かっているけれど。
ぐ、とマスクの下で口の端を噛むと、では、と辺境伯が声を上げた。
「厩舎に空きがある。ひとまずそちらに入ってはどうだ。少なくとも凍えはしないし、空いている場所にも藁が敷いてあるから、休めるはずだ」
その提案に、念で『どうする?』と聞けば『何かあったら壁を壊して駆けつける』と堂々と警戒心を伝えられる。
そうならないよう気をつけることを約束して、提案に頷けば辺境伯が近くにいる黒服に頷いた。
すぐにどこかへ駆けていったので、準備をしてくれるらしい。
無言の伝達をするところが貴族らしいなと、久しぶりに見た仕草に感心する。
「すぐ案内する者がくるはずだ。ズメイについていくよう言ってくれないか」
「分かった。ズメイ」
中庭に向かって声を張れば、不承不承、というのが丸わかりな返事が返ってきた。
「だが、」
「聞こえてたろ、頼む。すぐ行くから」
「、分かった」
緩慢な動きで翼を折り曲げ、恐る恐る近寄ってきた案内役の背後につき、のっしのっしと中庭を出て行く。
あの様子だと早く行ってやらないと、ボヤ騒ぎぐらいは起きるかもしれない。
「本当に、まあ…そう…そうなのね」
夫人の呟きに耳を傾ければ、さっきの呟きなど無かったかのように室内に案内される。
最初に分かったのは『砦』というのが分かる造りだと思った。
煉瓦を積んで作られている壁は冷たく、壁にかかっている調度品は剣や盾ばかり。
青紫の垂れ布に金糸で刻まれているのは家紋だろか。
壁に松明がかかったため、ぼんやりと明かりを得た室内は『重厚』の一言に尽きる。
端的に言えば素っ気ないし、華美じゃない。実用性に特化しているというか。
城というとカザンビークのようなものばかりだと思っていたが、どうも違うらしい。
持ち上げるのも重そうな長い机に連なる何十という椅子。
お館様の執務室で見たのと似た雰囲気から、この部屋もまた執務室のようなものなのだろうと居住まいを正した。
老齢の男性がすでに控えていて、やはり重そうな椅子を引く。
「どうぞ、かけてくれ。もうあと少しすれば夜が明けるが、少し話がしたい」
「部屋の用意が終わるまでだから、本当に少しよ。疲れているのにごめんなさいね」
「、部屋?」
腰を落としながら椅子が膝裏に突撃してきた衝撃で勢いよく座ってしまった。
同時につい本音がぽろっと漏れ、思わず聞き返してしまう。
部屋。部屋とは。
まさか突然尋ねてきた私に部屋があるというのか。
そりゃあ城だから部屋はいくらでもあるとは思うけれど、客室を用意される身分ではないし、そうされても気が引ける。
一つ会釈して下がった老齢の男性は目を瞬かせたまま部屋を出ていく。
『部屋』の一言に反応した私に一同も驚いたようで、あれ?という顔をした。
「…失礼。せっかくですが、部屋はいりません」
「ええっと…今夜は宿泊する、のよね?」
「はい。ですが、私はズメイと一緒にいたいのです」
「あー、シシー・ルー、先ほどドラゴンは入れられないと言ったはずだが…?」
「分かってる」
私が厩舎に行く
そう言った途端、温かい飲み物を運んできた老齢の男性が、ガン、と入ってきた扉の端に脚をぶつけた。
向こう臑を打ったら痛いはずなのに声も出さないとは逞しい人だ。
一泊だけとはいえお世話になるし、痣になっているだろうから後で治してあげようかな。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




