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竜の民  作者: とんぼ
二章

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64/152

領都への空



湖の近くにある平地に用意された、四方に広がる網の上に用意された板。

これに乗れとシシー・ルーが言った時は肝が冷えた。


緑に溢れ、春の気候に似た山の中からは、ドラゴンが両翼を一度はばたかせただけで一気に遠く、低くなり、一つ深呼吸をした時には山の頂上に空いた巨大な穴から飛び出していた。

雲の上にいるとすぐに分かったのは、満天の星空に普段見る白い雲が一つも無かったから。

吸い込んだ息を吐き出せば、自分の口から出てくるのが雲なのではないかと思うぐらい白かった。

ぎい、と座っている板が太い縄で作られた網に擦れて軋む。

その音に嫌な予感がしたが、シシ-・ルーが作ったという網は解けるどころか、私たちの重さを受けて結び目をよりきつくするだけだった。


雲の上が、見上げるしかなかったヒュミル山脈の隠れた場所が、想像もしていない光景の連続で目が渇く。

細い弧を描く三日月と、その周りに瞬く星。

まるで神話だ。神を描いた画家だってここまで素晴らしい空を知らないだろう。

視界の端でドラゴンの翼がゆっくりと伸びていく。


(…すごいな)


あれだけ『見たら逃げろ』と教えられてきた存在が私たちを助けている。

あれだけ伝説だと教えられてきた存在が、少し手を伸ばせば触れる場所にいる。

実際に手を伸ばしはしないが、今は月の明かりが太陽のように眩しい。


夢のような現実に少しだけ恐怖が薄れた頃、周りが霧に包まれる。

かと思ったらすぐ抜け出した。

さっき全身を包んでいた白いもや(・・)が雲だったのだと、思わず下を見た時に理解する。

足元を見れば、雲の隙間から差し込む月明かりに照らされて、雪に染め上げられた森が広がっていた。

高所が苦手な者はいなかったはずだが、あまりの高さに下を見ないように努め、普段はしないだろうに隣同士肩を抱き合って震えている者が複数、大声は出さないものの、目を輝かせて興奮しているのが大半。


(無理もない)


二つに分かれて運ばれているので、もう一頭ドラゴンがいるはずだが、と首を回して探せば、後に続いて雲の隙間から飛び出てきた。

私を含める10人を運ぶ緑のドラゴンと、もう10人を運ぶ青いドラゴンが会話しているように唸ったり牙を打ち鳴らしたりしている。

敵意はなさそうだ。

私たちを気にしてか、板が横に倒れないように水平に飛んでくれている気もする。


「うっ」


身を切るような突風が通り過ぎ、肩にかけていただけの毛布を引き寄せた。

凍えるような寒さらしいとはシシー・ルーの言葉だが、本当にそうだ。

彼女自身は『竜の民』なので寒さを感じないらしく、素直に羨ましいと思う。

雪に長時間埋もれる冷たさと同等のそれに身震いすれば、寒さを抑えきれずに奥歯がカチカチと鳴った。

そんな私に気づいたのか、吊り下げられている網の隣にズメイに乗ったシシー・ルーが寄り添い、問題ないか問うてくる。


「問題ない。…寒さ以外は」

「なら良かった」

「どれぐらいで着く?」

「1時間もいらない。もう領都の明かりは見えてる」


手綱から片手を外し、前を指差した方向に顔を向ければ、明かりが少ないため天と地の境目が曖昧な線の中に見慣れたランプの明かりが集まる一点があった。

三角に見える輪郭は、ノード城があるからだろうか。

明かりが見えたことで、わ、と網の中にいる男たちから歓声が上がる。

上から感じたドラゴンの一睨みですぐに口を閉じたが。


すでに眼下のどこにもヒュミル山脈の面影はない。

地図でしか見たことがない集落と村、視察で数度しか見たことがない橋とその周りに広がる白く染まった休耕地。

速い。馬車どころか単騎でかける馬の何倍も。

寒さはともかく、道という概念のない空中での移動スピードがここまでとは思わなかった。


「し、ししし、シシー!お、おお前すごいな!本当に、ドラゴンに乗ってるっ、なんて!」


寒さと高所の恐怖を少しでも紛らわそうと、ミグが声を震わせながら並走する彼女に称賛を投げる。

視線を領都から彼女へ戻すと、ゴーグルをつけてますます表情が分からなくなったシシー・ルーがこちらをじっと見つめ、指先で頬をかいてから風を受けてはためく横髪を耳にかけた。

防寒具らしい防寒具はポンチョだけ。

腕に小手をつけているが手袋がない。震えている様子もないので本当に寒さを感じないらしい。


「他に竜の民を見たことはない?」

「な、ななないね…!さ、300年も前に、い、いなくなったんだ!」

「、そうか」


寂しそうな声が彼女からした。

視線を前へ戻したシシー・ルーがズメイの首あたりを撫でると、二頭のドラゴンの前に躍り出る。

三角に隊列を組むような構成に、こんなこともできるのか、と星空を背景に前を見据える背中がなぜか頼りなく見えて。


彼女の他に人の気配がなかった村。とうの昔にうち捨てられ、生活の影だけを残す廃墟。

ドラゴンと共に暮らしているから思い至らなかったが、シシー・ルー(人間)は1人だ。

ドラゴンを前にした彼女が家族と一緒に暮らしているような自然体だったため、頭のどこかでシシー・ルーも群れの一員だと考えていた自分を悔いる。

実際、群れの仲間と認識されているんだろうが、食べるものも暮らし方も違う。

『人間に慣れていない』と言っていたのは、ドラゴンの生活に寄ってしまっているからだろう。

と、そこまで考えて。


(彼女の家族は?)


山の中には人間が暮らしていけるだけの設備があった。

寝台もそうだし、焚き火も、食器もそう、あの大浴場だって。

畑だってあったのだ。あれら全ての使い方をドラゴンが知っているはずがない。

本から学んだとしても、文字は?どこで学んだ。

薬の使い方もだ。手当ての仕方だって。

治癒の魔法が使えるといったって、骨折や捻挫の処置は完璧だった。

いつ、どこで、どうやって『医術』を学んだというのか。

若いといったって成人したばかりの女性。

東西の言葉を自由に扱い、医術を実践できるほどの教養があるなんて。

考え込んで下がっていた視線を真っ直ぐに。

前を飛び続けるシシー・ルーの姿を見上げれば、騎士が馬に乗るような凜とした姿勢が目に焼き付く。


【宝物、思う、拾った】


私の剣と、皆の剣を返す時に言っていた言葉がなぜか思い出された。

宝物。剣を。平民であれば親しみのない、自分たちを傷つける脅威の象徴であり、憧れの代名詞でもある騎士の剣(武器)を宝物と言ったのだ、彼女は。

高等な教育を受けていたに違いない。


(貴族、?)


もしこの予想が正しいとしたら、どんな理由があってドラゴンと暮らしているのか。

孤児?生き別れ?何かから逃げてきた?

それとも物語のように記憶を失っているとでも。


尽きない疑問は、ぐるりと横向きに回転した黒いドラゴンの姿に立ち止まる。


上下を無視した動きをしたというのにシシー・ルーは笑い声を漏らしてもう一度、今度は反対側に回転した。

一つに結ばれた黒髪が、ズメイの尻尾がくゆるのと似た動きをして後ろに流れている。

ひゅるり、ひゅるり。

心の底から楽しんでいる声が、もうすぐ夜が明ける宵の(ふち)に昇っていった。


「なあなあ、もっと速く飛べるんだろう?見せてくれないか?」

「俺も見たい!」

「僕も!」


誰が言い始めたのか、もっと速く、もっともっと、との要望に振り返って一つ頷いたシシー・ルーが体をぴったりズメイの背に張り付ける。

途端、叫び声とも、雄叫びとも取れない、擬音にできない鳴き声を黒いドラゴンが出した後、両翼の端が触れあうほど大きく翼をはためかせた。

空中とはいえ離れているというのに体が吹き飛びそうな風が起き、あっという間にズメイとシシー・ルーが彼方に飛び去っていく。

それに合わせてドラゴンたちの速度もわずかに上がり、冷たい風が高揚感に熱くなった体を通り過ぎていった。


「、すげぇ」


それは全員が思ったことだろう。

風と同じ速さで夜空に溶け込む黒が飛んでいるというのにまるで違和感がない。

その背に人が乗っているなど、誰が思おう。

それほどまでに身軽で、水を得た魚のように自由に空を駆けている。

適当な場所で上昇し、そのまま身を翻してこちらに戻ってきた。


空中で縦に旋回し、私たちの周りを一周してこちらに戻ってきたシシー・ルーは息切れ一つなく、楽しかった、と声を弾ませている。

一番驚いたのは彼女の騎乗スタイルだ。

遠目だが、速さを出す時はズメイの体に負担がかからないよう、鞍から腰を上げて膝と腕の力だけで背中に乗っていた。

一回転する時も、横向きになった体勢で一周する時も。

馬と乗り方が似ている。

けれどあの速さ、上下左右どころか天地を無視した動きをしているのに落ちる気配がまるで無い。


自慢気に胸を張って、初めて明るい声を上げて笑うシシー・ルー。

それをさらに誇りに思うよう、ドラゴンの鳴き声が相づちを打つ。


さっきまでの、竜の民がいないことで漂った寂しそうな気配はない。

ただただドラゴンを愛し、彼らのために生きている人間がいるだけだ。

シシー・ルーの親のように振る舞っていた相棒(ズメイ)が、今は兄弟のように戯れている。


(、全部なのか)


どのような出自であれ、今のシシー・ルーには『ドラゴン』が全てなのだと感じた。

母親、父親、兄弟、姉妹、友人、隣人、その全て。

だからずっとドラゴンを助けている。

だからこそ私たちが助かったのだとしても『人間』は『ドラゴン』より後回し。


寂しい話だと思う。

彼女ほど有能であれば、外交官としても医官としても活躍しているだろうに。

誰もが羨む輝かしい世界で、とっくの昔に栄光を手にしていただろう。


(………山にいて良いのか?彼女は人間だ。また1人になる)


しまった。突拍子もないことを考えてしまった。

人の人生に口を出して言い訳ないだろうに。

頭を振って思考を追い出していると、近づいてくる領都のどこに降りるかと弾む声音で相談された。

夜とはいえ、領都を囲む壁の上には見張りも、空を狙い撃つバリスタもあるためノード城どころか街の上を飛ぶのも躊躇われる。

ドラゴンたちに問題がないとしてももし矢が網を掠めようものなら私たちが落ちてしまう。

領都へは少し歩くが、ノード城に一番近い門へ続く道がある平地へ降ろしてもらうことにした。


「世話になったのに、すぐにもてなせなくてすまない」

「気にしてない。それより…」

「ああ、分かっている。必ずあのコインについて調べよう。ただ、もっと詳しい話を聞きたい。君だけでも城に来て欲しい」

「………今夜?」

「可能なら」

「…、ズメイも一緒で良いなら」


黒いドラゴンの大きさは目測で大人4人分。

これぐらいの大きさならば厩舎に空きがあったはず。

中型のドラゴン2頭もかとシシー・ルーに聞けば、この2頭はすぐに飛び立つという。

ならば問題ない、はずだ。

城の人間が全員腰を抜かすかもしれないが。


「分かった。私が先に戻って事情を説明するから、合図をしたら降りてきてくれ。君の相棒なら夜空に溶け込んでバレないだろう」

「分かった」


さて、説明するとは言ったが、両親にどう説明しよう。

そもそも戻ってすぐに泣いて飛びついてきそうなので、まず落ち着かせるところからだろうか。





沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。

とても励みにさせていただいています。


不定期更新で申し訳ないですが、

必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。

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