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竜の民  作者: とんぼ
一章

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痛む傷

竜の言葉は分からないが、私の言葉は分かるらしく、鏃を抜くから前足を出してくれと言えば痛みを堪えるように目を細めて、傷ついた前足を差し出された。

鏃には『かえし』と呼ばれる仕掛けがあって、動物たちが走っていても抜けないようになっている。動物に対して行う手段としては3つ。


1つ、安楽死。心臓を一突きしてこれ以上の苦しみがないようにする。だが今回は竜で、魔法も使えなければ剣も握れない私ができるわけがない。


2つ、鏃が体の途中で止まっている場合にはそのまま押し込んで貫通させる。傷が重傷になってしまうことが欠点だが、体に異物を残しているよりはましなため、古来から緊急時の対策として人にも適用されてきた。が、こちらも今回は竜。少し前まで怪我を負い、鍛錬をしていた訳でもない非力な私に、竜の体を貫けるほどの力はない。


3つ、傷口を切り開き、鏃を抜く。いわゆる手術だ。手術用のナイフどころか竜の体に傷をつけられる刃物もないのだが、すでに傷ができてしまっている場所を切り開くだけなら。


「できる。と、信じたい」


消毒のため解体用のナイフを火であぶりながら、通じるか分からないのに竜にこれからすることを説明した。

一言一言告げる度に唸られる。心底嫌そうに目を細めては、鋭い牙を剥いた。

その度に怒って私を食べるんじゃないかと手が震えるが、必要なことなのだ。怯んでなんていられない。


「麻酔がないからきっと痛いけど、なるべく早く終わらせる、から」


お願いします。説明の最後にそう頭を下げると、不機嫌をそのままに尻尾の先で地面を数度叩き、喉の奥から地響きのような声を出した数秒後。

ふす、と鼻息を一つ出して諦めたように、傷ついていない方の前足で隠していた傷口を差し出された。水で綺麗にしたからか、固まった血は無くなっている。


「ありがとう」


竜の鼻筋を一度撫でて、熱したナイフが冷めていることを確認し、傷口をのぞき込んだ。

なるべく圧をかけないよう、ナイフを持っていない左手を竜の前足に添えて、深呼吸。


(早く終わらせる。そうすれば負担はかからない)


もう一度唾を飲み込んで、ナイフの先端を肉に滑らす。


「ガアッ!!」

「っ、暴れないで…!」

「ガアアアアアアア!」


黄色い目に怒りと怯えの色が芽生えた。睨んでくる視線は、正直怖い。このまま止めて逃げたくなるが、中途半端なままで終わって良い訳がない。

唇を噛むことで恐怖心を和らげつつ、傷ついていても硬い肉にナイフを押し込んだ。

翼が威嚇するように開く。尻尾がのたうって、洞窟の壁を削っていく。

お願い。もう少し。あともうちょっと。痛いよね。ごめんね。頑張って。

子どもに言って聞かせるような言葉を呟きながら処置を進めていくこと数十分。

思ったより竜の肉が硬く、ただのナイフでは少しずつしか切り開けなかったが、ようやく目標の大きさまで傷口を開けた。あとは飛び出ている鏃の一部に糸を引っかけ、引き抜くだけである。

唸り声が大きくなっていた。これは早く終わらせなければと糸を手に、竜に向き直る。


「これから抜く…っわ!?」

「グウゥゥ…」


もうこれ以上触らせまいと、治療の前のように片足が傷口を隠した。

痛いのだろう。何をするのかと怒っているのだろう。

当然だ。麻酔がないのだから。

急に動かれたので尻餅をついた私を瞳孔を細くし、牙の隙間から煙を立ち上らせながら睨み付けてくる竜に、震えながら手を伸ばす。

触ろうとすれば大きな体がびくりと震えるが、まだ完全に拒絶はされていないのか、ゆっくりとならまた触ることが出来た。


「…痛いのは、嫌だよね」


傷口を隠す前足に手を添え、瞳孔が細くなったままの目をのぞき込む。言葉が通じているから今も私は食べられていないのだと、そう信じて。


痛いのは、嫌だ。魔獣の爪が体に食い込んだ時、痛みより先に熱いと思った。

全身の血が沸騰したんじゃないかと思うぐらい体が煮えたぎり、次いでやってきた鋭い痛みと断続的にやってくる痛みに、眠っているのか起きているのか分からない日々が続いた。

一人きりで目覚めた早朝、ひんやりした空気が体に心地よくて、生きていることに安堵したのを今でも思い出せる。


(傷の大きさなんて関係ない)


痛いものは痛い。でも手当をしなければもっと痛い。だから。

竜の前足から手を離さないまま、空いた手で口布をずり下げる。嫌悪感と痛みに細まっていた黄色い目が口布の下にある私の顔を見て、徐々に瞳孔が開いていった。


「私も同じ。痛いのは嫌」


口布を取った手で欠けた耳の表面を撫でる。ずいぶん長い間、自分の姿を鏡で見ていないから、この耳がどう見えるのか分からないけれど、つるつるとした表面に溝ができ、表面がざらざらしていることから、到底見せられるものじゃないことぐらいは分かる。

だから見せた。漆黒の美しい竜にこんな傷が残るのが嫌だから。


「手当てをさせて。痛いのは今だけ。大丈夫。こんな傷があるのに今は私、全く痛くないから」


唸り声を止め、地面を打つ尻尾を丸くし、黄色い目がじっと私を見ている。

傷の一つ一つを上から覗き込んだり下から見上げたり。

何をしているのか分からないが、どうやら落ち着いてくれたらしい。


(よし、今のうちに…)


力の緩んだ前足を両手で抱え上げ、そうっと横にずらしていく。すっかり私の傷に注目しているのかされるがままの竜は難なく前足を動かされてくれ、地面に下ろしても気にもとめない。鏃の一部に空いている穴に糸を何重にも巻き付けてあとは引っ張るだけとなった時、竜の口が大きく開いて、硫黄の匂いが鼻を突いた。


「、え」


驚いて顔を上げて分かったのは、私の頭どころか肩まで簡単に入ってしまうということ。

それしか分からなかった。ずっと私を食べるそぶりも無かったのに口を開けた竜に理解が追いつかなかったのだ。

もしかして傷を見せたことで食べやすい餌認定でもされたのだろうかと、声にならない叫び声を上げながら肩を跳ね上げる。

もちろん手には鏃を引き抜くための糸を掴んでいるため自然とそちらにも力が入り、ぎゅち、と肉が鈍い音を立てた。


(あ、抜ける)


けれどそれと同時に「あ、食べられる」とも思ったわけで。

思っただけで動けず、口を開いたり閉じたりする私を、開いた口の奥から赤紫の長い何かが伸びてきて。


それが舌だと認識した瞬間、べろりと私の顔面を下から上へ舐め上げた。


「っ、!!!???―、!!??」


叫び声を上げる余裕はなかった。生暖かい粘液が顔を一度濡らす。飼い犬のアインが顔を舐めてきた時のことが思わず頭を過ぎった。その時と比較にならないぐらいベタベタなのだけれど。

混乱してしまって固まったままの私に続けて二度、三度と舐めてくる竜の舌はもしかして味見でもしてるんだろうか。

その考えに至ってしまってはさらに体に力が入り、気づけば鏃にくくりつけた糸を思いっきり引っ張ってしまったようで、ぽん、という音が似合う勢いでもって、傷口から大きめの鏃が飛び出した。

絶叫したのは竜である。

顔面が涎まみれの私。目の前で悶絶し、大きな翼をバッサバッサと上下させる竜。

なんだこれ。


「ガアー!」


痛いじゃないか!と言わんばかりの叫び声で一つ吠えた竜に我に返り、袖で適当に顔を拭った後、綺麗な水をドバッとかける。もうここまで来たら怖いとか食べられるとか考えていられない。

またしても暴れ始めた竜をなだめすかし、落ち着かせまくり、ようやく縫合を終えた時にはすっかり洞窟の外は暗くなっていた。


と、まあ。

疲労困憊のまま竜と距離を取って眠りについた翌朝、昨日の夜、暴れ回って疲れたのか竜はすよすよと寝ていた。いびきなのか寝息なのかすごい音を立てているが、近寄って包帯を巻いた前足を触っても起きないのを見るに相当深い眠りについている。


(痛みはなさそう…良かった)


一安心した瞬間、くう、と自分の腹が音を立てたので、竜が眠っている今のうちに腹ごしらえを済ませてしまおうと一旦洞窟を出る。

薄いもやのような霧が谷底を満たしていた。早朝独特の匂いが鼻を突き、一つくしゃみをしながら川のある方へ足を向ける。

昨日仕掛けておいた罠に魚が入っていれば良いのだが。


ここに来るまでに買い溜めしておいた食料が尽きてきたので、そろそろ移動して街に入りたい。竜の傷が塞がれば私の役割は終わりだろうし、あと少しここにいれば問題ないだろう。

鳥の鳴き声と川のせせらぎ、というなんとも趣のある景色をぼんやり眺めてから、冷たい川水を手ですくって顔にかけた。

ふと、昨日めいいっぱい舐められたのを思い出し、あれは何だったのだろうかと考える。


「、慰めてくれたのかな」


最初は何がなにやら分からなかったが、思い返せば味見されているような気はしなかった。

アインがじゃれてくる時と重なったのだ。

あの子も、私が泣きたい気持ちの時に手や頬を舐めてきていた。

泣かないで、痛くないよ、と言っているかのように。


「…まさかね」


いくら賢い竜とはいえ私を、自分を襲ってきた人間と同族の私を慰めたりなどしないだろう。でも威嚇する素振りは、私が顔を見せた後には落ち着いた。


「やめよう。夢の中で聞けばいい」


持ってきていた手拭いで濡れた顔を拭き、簡単に手ぐしで髪を整える。以前のようにはいかないがずいぶん伸びてきた。後で髪紐を作ろう。

立ち上がって少し川の上流に進み、膝まで袴の裾を折り曲げ、ざぶざぶと川の中に入る。きんと冷えた水が体を突き抜けた。

冷たさに一つ身震いしてからそろっと3つ仕掛けた罠を覗き込む。

石で簡易的に作った囲いだが、3つの内2つに魚が2匹ずつ、とどまっていてくれた。

経験の浅い罠にしては上出来じゃなかろうか。

ふふん、と誰もいないのを良いことに得意げに鼻を鳴らしてみて、自分のやっている滑稽さに勝手に気落ちした。

気落ちするとさらにお腹が空く。

気を取り直して囲いの中に手を突っ込み、魚を掴んでは河原へ投げ飛ばした。

無事に4匹引き上げれたのだが、1匹は飛んできた鳥に盗られてしまう。


「…ま、良いか。3匹あるし」


あまり発育していない小柄な私には、今日取れた魚一匹で一食分にできる。

囲いを再び作り直し、明日もまた取れますようにと川に向かってお祈りをした後、魚を簡単に締めてから洞窟への道を戻った。

遠くで馬が走る音がしたので人間がいるのかと思い、走って洞窟の中に滑り込む。


「!?」


体を洞窟の中に入れて顔を上げた途端、黄色い二つの目と視線がかち合った。

竜も馬の音に気づいて目を覚ましたようで、入り口を閉じるべく動いたらしい。


「動いて、平気?」


顎をしゃくるように一つ頷いた竜は、後ろ足で立ちあがり傷ついていない前足で入り口の岩を掴む。ごご、と音がした後、空気を通すためのわずかな隙間を残して、洞窟は閉じられた。

馬の歩みはまっすぐだ。谷底より上から音がしているので森の中か、あるいは近くの道を走っているのかもしれない。だんだんこちらに近づいてきているが、車輪が地面を走るゴロゴロとした音もするから馬車か荷車かが一緒のようだ。


竜を襲ってきた人間たちではなかったのだろう。しばらくして音が聞こえなくなったのを確認し、薄暗い洞窟の中、竜と顔を合せて同時に頷く。

意思疎通がやりやすくなってきたようで何よりだ。

再び岩を動かしてくれた竜は役目を終えたとばかりに奥に戻っていき、猫のように丸くなる。


「…おはよう。ええと、ここで魚焼いてもいいかな」


また眠ろうとしていたのだろう竜に一応声をかけてみた。私の声にぴくりと反応した竜は、布の上に置いた3匹の魚をじっと眺めて一つ頷く。


「ありがとう。…そういえば、あなたは何を食べるの?」


と、聞いて私という餌があるじゃないかと冷や汗が流れた。

竜が問いに答えるように首をもたげ、私に近寄ったので固まる。


(どうせ食べるならひと思いに…!)


今度こそ終わった、と目を固く閉じた時、竜が口を開けて閉じる音がした。

けれど体はどこも痛くない。


「…?」


恐る恐る、そうっと、なるべく動かないように、ゆっくりと目を開けば、そこには口の端から魚の尾がはみ出た竜がいる。

どうやら餌は人間ではなく魚の方らしい。


「………先に言って」


そういう大事なことは。

私は餌じゃ無かったのだ、と心底安心して全身から力が抜けた。もう何もする気が起きない。3匹のうち2匹をぺろりと食べた竜は、最後の1匹に舌を伸ばしかけて止まった。

代わりに、お前が食べろ、と言わんばかりに爪先でちょんと魚を突いてくる。


「いいの?お腹空いてるんじゃ」

「がう」

「、ありがとう」


怖い怖いと思って申し訳なかったな、と思いながら魚を焼きつつ、次はもっと罠を増やそうと決意する。


(竜って魚が好きなんだ)


竜は皆、羊を刈り、牛を攫い、魔獣さえペロリと平らげ、森をその息吹きで焼き払うと本に書いてあった。目の前には、取ってきた川魚を自ら食べきった竜がいる。


「ねえ、魚を食べるのはあなただけ?」


やはり言葉が通じていると確信した。否定するように首を振ったのだ。

竜と、話せている。その事実に気持ちが上向いていく。

竜が起きているのを良いことに質問をしていった。全て『はい』か『いいえ』で答えられるものばかりだが、夢の中とは違い、現実で話しができていることが何より嬉しい。

これは現実なのだ。起きたら消える夢ではないのだ。

へへ、と笑い声を出した自分にびっくりして口に手を当てる。そして自分が朝から口布をしていないことに気づいた。

慌てて口布をしたが、再び長い舌が顔を舐め上げて口布が湿る。


「、外せって?」


その仕草にもしかして、と口にしてみれば大きく頷かれた。じっと傷痕を見た後、ふん、と竜の鼻息が焚き火を揺らす。


「…ん、分かった」


ぶっきらぼうな止め方だが存在を許されたような気さえして、また私は笑った。


沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。

とても励みにさせていただいています。


不定期更新で申し訳ないですが、

必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。

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