暖かいスープ
「おぉい、飯ができたってよ…ジークハイン様!目を覚まされましたか!」
ドアの隙間から覗いたのは、一つくくりになっている赤味の濃い茶髪と、同じく赤味の強い茶色の目。
部下の一人であるバルド郷だった。
騎士団の中でも長身の彼はドアの高さでは頭を打ち付けてしまうため体が少しだけ前に倒れている。
がたいの大きな長身が重い革靴を引きずりながら、私の傍に寄った。
肩と腕にみっしりとついた筋肉が私の寝台を押したせいで、木が軋む音がする。
彼は大剣を振う古参の騎士。
その長身に見合わぬ俊敏さで大剣で切り込む姿勢は戦場では周りを鼓舞する頼もしい姿である。
そんな彼の戦闘スタイルを支えている右足が、太ももまでの長い添え木をつけていた。
ひやり。首の裏を嫌な予感が駆け抜ける。
「っ、バルド郷、その足は」
「足?ああ!大丈夫ですよ!見た目が大げさなだけで、まだまだ走れます!」
寝台に手をついたままだった腕が右足を軽く叩いた。
歯をむき出して笑った男には声に張りがあり、表情と仕草全てで無事を伝えてくる。
よいせ、とミグの寝台に腰を下ろしたバルド郷と、自分の寝台が大きく軋んだのに怒ってバルド郷の肩を小突いたミグ。
二人だけ目を覚ましていると言っていたが、賑やかな彼らで良かったと思う。
「そう、だったか…命があってよかった、」
「お互いにね!飯は食えそうですか?」
「ああ。…待て、私は食べて問題ないのか?」
飯、と聞いて自然と喉が唾を飲み込んだ。
病気でもないし、毒を受けた訳でもない体は空腹を訴えている。
けれど私は医者ではない。多少の応急処置はできても診断まではできないのだ。
本調子かどうか分からないため、バルド郷から視線を外し、ミグに尋ねると『一応聞きますか』と口元に手を当てた。
誰に聞くのか。そう問う前に『聞く相手』が来たようだ。
半開きだったドアを肩で押し、両手と頭に深い木皿を乗せて、一人の娘が現れる。
「…起きた?」
舌足らずの発音で発せられる西方の言葉から子どもかと思ったが、皿を持って近づいてくるとその印象が変わった。
毛皮の防寒具をつけた小柄な体格。
きっとバルド郷の胸の下、私の肩に頭の先がくるかどうかしかないであろう。
青く染められたポンチョの首元に兎の毛皮が巻かれている。
膨らみのないスカートは体の横に大きくスリットが入り、その下には黒いズボン。
スカートの裾の部分に白い線で描かれている連なった六角形が歩くたびに形を変えた。
その顔は顔半分がマスクに覆われてよく分からないが、長い黒髪を後ろで一つにまとめ上げている。
この国ではあまり見ない黒い瞳が焚き火の光を受けて橙色に光った。
一つ、二つ、と両手に持っている皿をミグとバルド郷に手渡し、頭の上に乗せたものを私に差し出しかけて…さっと片手の空いているバルド郷に渡す。
「熱、ある?」
「いいや、ないよ。このお方はもの凄く丈夫だ。安心して」
ミグと会話をしながら、娘が額に手を当てて熱がないことを確認し、次いで私の顔を両手で掴むと、右に左に動かし何かを確認し始めた。
冬だからきっと冷たいと思ったのに、予想に反して暖かい指は遠慮がない。
遠慮は無いが、首の筋を痛めないようになのか動きはゆっくりだ。
手を離した娘は私の体をしげしげと眺め、満足したかのように一つ頷く。
ミグが聞かずとも食事の許可は得られたらしく、バルド郷の手から一つ皿を取った娘が改めて差し出してきた。
凍傷になりかけていたという手は指の一本一本を守るように包帯が巻かれており、ろくに曲げることはできないが、テーブルマナーが必要な食事では無い。
中身を零さないよう両手で受け取り、膝の間、ブランケットがたわんだ場所に置く。
湯気を立たせている皿の中は野菜と魚が一口サイズで切られ、芯まで煮込まれているスープ。
嗅ぎ慣れない香りではあるが、どうにも食欲をそそる。
娘がスカートを支えているベルトからスプーンを3本取り出して私たちに渡し、3人分の水を用意すると部屋の四隅に置かれている香炉を覗き込んでいく。
ぽくぽく。木張りの床を靴が叩く音が穏やかに響いた。
食べていろ、ということだろうか。
いち早くスープを口に入れたミグとバルド郷が、口の中の熱さを逃がすように頬をまごつかせる。
「ん、今日も美味い!」
「本当に美味い。この香り、何が入ってるんだい?」
「少し、ハーブ」
美味い、美味い、と舌鼓を打つ二人を『珍しいな』と思いつつ、掬ったスープを口に入れた。
暖かい。喉を滑らかに通り、腑の中をじんわり暖めていく。
魚が入っているから生臭いかと思ったが、しっかり煮込まれ、うまみの詰まった脂が野菜にも染みこんでいた。
ようやく一心地ついた気がして、鼻から息を吐き、肩から力を抜いてスプーンを持つ手を動かす。
香炉の中が少ないと判断したらしい娘は、部屋の入り口近くにある棚から乾燥した葉を取り出して小さく千切りながら香炉に入れていく。
なるほど、部屋の匂いはあの葉らしい。
「それは何だ?」
「?」
手に持っているもの、と指で示せば、すぐに傍に寄ってきて手の中を見せてくれた。
大ぶりな葉がカラカラになって丸まっている。
「痛み、抑える。塗る、燃やす、どっちも」
「鎮痛の効果があるのか…疑ってるわけではないぞ」
彼女が私たちを助けてくれた『民間人』だろう。
黒髪黒目、顔の下半分を隠すマスクから、同時に『竜の民』と思しき調査対象である。
恩はあるが、そんな人物に怪しんでいると思われては調査どころではない。
咄嗟に口をついて出た言い訳を『知ってる』と一つ頷いて踵を返し、部屋を出て行ってしまった背中を目で追いかける。
部屋の外には廊下があるらしい。隣の部屋か、はたまた違う部屋か、どこかに向かって行く足音が響いた。
淡々と単語で伝えられる情報は、意思疎通に問題が無いレベルの最低限のもの。
短いなれど訛りのある口調に、この国で生まれた訳じゃないだろう。
旅人というより『移民』が近い気がする。
「…言葉が通じないのか?」
「まずまずですね。ゆっくり話せば意思疎通ができます。訛りからすると東の生まれでしょう」
「俺が最初に目を覚ましたんだが、全員の傷を怖がらず手当てしてるところでした。あんなに小さいのに大した度胸だ」
なるほど、手当てできるだけの医療の知識もあると。
ミグが東の生まれと分析し、バルド郷が『度胸』を認めた。
少なくとも彼女に敵意はないのだろう。今のところは。
彼女が身につけていた衣服に見覚えがある。
デザインは違うが、裾に描かれていた模様は王都の博物館で見た、竜の民の衣装にもあった。
もちろん博物館に展示されていたのは遺跡から発掘されたもので、古くなり、色が褪せて茶色になったものだったが。
(本来は、あんな風に青空をそのまま布に落としたような色をしていたんだろうか)
食事を得て安心したのか頭が短絡的なことをはじき出して我に返る。
調査対象だというのに何を馬鹿な。
彼女が『竜の民』という証拠など何も無いというのに。
気を紛らわすようにスプーンを持つ手を動かし、ひたすら食べ続けていると、片手に大きな布包みを持ち、もう片方に湯気が立ち上る皿を持って娘が戻ってきた。
それを見て、タイミング良く3人分の食事があったのは彼女の分も含まれていたのかと気づく。
布包みを部屋の中央にある焚き火の近くに降ろした時、ガシャン、と金属が擦れ合う音がした。
その音に聞き覚えがあり片眉を上げて質問しようとしたが、マスクの下側を上へ押し上げ、立ったまま自分の分の食事を一気に終わらせる娘の姿に面食らう。
カ、カ、とスプーンで皿の底に残った具を口の中に流し込み、鍋の中の湯を皿に注いでそのまま焚き火の周りに振りまいた。
灰が少しだけ立ち上り、水が蒸発する音と共に霧となって部屋に霧散する。
あれで皿洗いのつもりらしい。
しかも食べ終わった後はマスクを元に戻して、布の上から口を擦った。
(いくら何でもそれは行儀が悪すぎるのでは)
思わずじっと見つめている私の視線など意に返さず、適当な場所に空になった皿を置いた娘は、一番近い寝台の主を覗き込み、手や足を確認し始める。
急いでいる、いや、時間がない、というような、僅かに感じる焦燥感。
この人数を丁寧に看病しているのだからそうなるか、と行儀の悪さには目を瞑り、未だ眠っている部下たちの様子を順々に確認している女性に呼び掛ければ、声の調子で分かったのか顔を上げて首を傾げられた。
「あー、まず…そう、我々を助けていただき感謝する。私はシドニア騎士王国ノルトマルク辺境伯子息のジークハインという。君の名前は?」
一度、二度。
黒い瞳が瞼に隠れては現れて、少し首を傾げてマスクの下の唇が動く。
「、しど、ハイン、へんきょー、?」
しまった、ゆっくり話すべきだった。
思わずいつも通りに一気に名乗ってしまったのを後悔する。
どれが名前なのか分からない、というような眉の潜め方をした娘は、一旦様子を見ることを止めてこっちに歩み寄ってきた。
今度は聞き逃さないぞ。
そう伝えてくる子犬のような瞳に苦笑し、さっきよりゆっくり言うもやはりうまく伝わらない。
満足に名乗れない私と、聞き取れないことに慌てている娘。
奇妙な図に笑いを堪えきれず、小さく吹き出したミグが助け船を出してくれた。
「名前だけ言えば良いんですよ。シシー、真似して。ジーク」
「じーく」
「ハイン」
「はいん」
「ジークハイン、様」
「ジークハインサマ」
「そうそう!」
シシー。ミグが娘のことをそう呼んで、私を紹介してくれた。
片言ではあるが今度は確実に伝わったようで、私の方を向き直り『ジークハインサマ』と手の平を上にして差し出す。
てっきり指で差されるかと思ったのに、ちゃんと手の平で指し示されたことに少し瞠目した。
「ジークハイン様、彼女はシシー・ルー」
紹介されたのが分かったのか、ぺこりと小さく会釈をした女性は自分の胸に手を置いて頷きながら『シシー・ルー。…よろしく』と頷く。
ようやく名前を知れたな、と満足して、単語を少なく、分かりやすくはっきりと、おそらく流されてしまった感謝を改めて伝えれば、照れくさそうに右耳の裏をかいた。
こめかみを隠すように長い横髪の隙間から黄色い石のついたイヤーカフが垣間見えて、娘らしいところもあると頭の中の情報に追記する。
「シシーはここに住む『竜の民』です。だよな?」
「うん」
「………何!?いっ、」
さらっとミグがした質問に、妙な空白も躊躇いもなく頷いたシシー・ルーに驚いて思わず腹筋に力が入る。
途端、ズキズキと痛み始めた腹部。
額から滲み出てきた冷や汗と共に前屈みになっていると、シシー・ルーが無理やり私の体を起こして枕へもたれさせた。
思いのほか力の強い腕である。
「動く、ない。熊、強い。腹、ヒビ、たぶん」
「あ、ああ……君が、竜の民、なのか?」
「うん」
「…最近、子どもを助けたか」
「子ども?」
「森で遭難…迷子になっていた子どもだ」
遭難では分からないだろうと簡単な言葉に言い換えれば、ああ、と思い出したように声を出して頷かれた。
どうして、と言いかけて、真っ直ぐに黒い瞳が私を見つめていることに気づく。
嘘をついているようには見えない。
少なくともこの人物が『迷子を助けた人間』で間違いないらしい。
「近くに、ドラゴンがいたか」
「ドラゴン?うん、いる」
「っ、それに君は乗れるのか?」
「うん。私のあいぼう、黒い」
自慢するように胸を張って目尻を下げて笑う姿に、くらっと気が遠くなった。
もちろんドラゴンの姿が見えないため、虚言の可能性はある。
が、『ドラゴンに乗る』だなんて虚言をわざわざ言う必要がどこにあるだろうか。
しかも『相棒』ときた。
今まで誰にも知らなかったヒュミル山脈の『中』にいて、博物館にあるものと同じ意匠の衣服を身につけている。
「………少し、整理させてくれ」
一気に情報を集めてしまったためせっかく戻りかけた思考が止まりそうだった。
後の話で書きますが、シシーが再び拙い言葉になっているのは「武器を持ってる人たちは安全だろうか?」と疑問に思ったため、言葉が分からないふりをしています。
ただ、ジークハインの名乗りは本当に長すぎたため、真面目に「どれが名前だろう」となっています。
ジークハインたちがシドニアの騎士というのは、シシーは分かっていません。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




