爪熊
少しだけ流血表現があります。ご注意ください。
「村まであとどれぐらいだ!?」
「晴天ならあと2時間の距離なはずです!」
「くそ、吹雪で前が見えん…!」
「ジークハイン様!近くに洞穴があるはずです!そこで吹雪をやり過ごしましょう!」
「しかたがない…行くぞ!」
斜め上から強風と共に雪が顔に当たっては砕かれていく。
肌はとっくの昔に外気と同じ温度になり、雪の粒が当たっても溶けることはない。
マフラーを鼻下を覆うように巻き付けても、目元を隠すように折り曲げた腕を前に出しても、シドニア国内で一番寒さの厳しいここ北方では『ないよりまし』程度のものだ。
そもそもこの真冬に北方のさらに北側を調査しようというのが無謀だ。
(とはいえ、ドラゴンが出たってんじゃ行くしかないよなあ)
どれだけ小型のドラゴンであろうと、人の道理が通じないあいつらは簡単に村を燃やし、あっという間に命を奪っていく。
さらに討伐には魔法使いも必要で、1頭倒すのに何人もの騎士が必要だというのだから『厄介ごと』以外の何物でも無いだろう。
それでも行かなければならないのは、俺たちがノードリッチを守護する騎士だからだ。
横から真正面から、石を投げられているんじゃないかと思うぐらいのチリチリとした痛みが服の隙間から入り込んできて、せめて壁のある場所に早く行きたい、と心の底から舌打ちをした。
■
ノードリッチ領を納めるノルトマルク辺境伯家。
『北方の狼』の異名で知られるこの家は代々国境を守護する武の名門である。
ノルトマルク辺境伯家の騎士団所属という肩書きは、初対面の人にただ名乗るだけで自慢になるほど名高い。
『騎士王』を冠するシドニアにおいて、王家に次ぐ人気の士官先だ。
現にこの俺、ミグ・カーラインもこの騎士団に憧れ、男爵家の次男というしがらみのない立場を良いことに王都にあるアカデミーを修了してすぐ家を飛び出したクチだ。
閑話休題
辺境伯家が守るのは何も国境線だけではない。
領地の発展も経済の安定もそうだし、人里に現れ害を成す魔獣を討伐するのもまた仕事だ。
今回は『討伐』に入る。
討伐隊の隊長であるジークハイン・ノルトマルク。
同じ男ながら羨ましいほどの威丈夫。
重い鎧にも耐えれるようにと鍛え上げられた体格と、まさしく『狼』と呼ぶに相応しい鋭い剣筋はアカデミーでもトップクラスだった。
ノルトマルク家特有の銀色にも見えるプラチナブロンドのクセのない短髪、精悍な顔つきはどちらかというと強面の部類だが、なぜだが誠実な印象をうける左右対称の顔。
さらに、北方に住む者に多く見られるサファイアブルーの瞳とくれば、女が放っておかないのは分かりきっている。
どこにでもいる自分の茶髪と茶色い瞳と比べてなぜか切なくなったのは苦い思い出だ。
本人はそっち方面に無頓着で、差し入れや贈り物は受け取り礼もするが、まさしく『騎士』としての距離感を保っていたので浮いた話はない。
辺境伯家の嫡男であり、現在は王都にいる両親と妹君の代わりに領地を担っているそんな羨ましいほど恵まれた主から『ドラゴンが出た』と聞いた時は訓練用の木剣が手からすっぽ抜けた。
何も素振りをしている最中に言わなくとも。
手合わせや走り込みをしていた同僚たちも手を止め、足を止め、軋む首でジークハイン様を見やった。
その時は『集中を乱すな』と注意を受けたが、本人も滅多にない珍事を言った自覚はあるのだろう。
小さく咳払いをして集合の号令をかけ、スノッリへの視察を兼ねて調査と、見つけ次第討伐を、ということになったのだ。
が
最初は良かった。
目撃情報があった村に到着し、ドラゴンに助けられたという子どもと話を聞き、具体的な内容が分かったところまでは。
黒い鱗と黄色い目のドラゴン、その背に乗る『シシー・ルー』と名乗った異国の服を纏う女性。
黒髪黒目だったとはっきり言い切ったのだから、他所からの人間なのは間違いない。
顔の下半分をマスクで覆っていたというのも、季節柄、防寒の役割が強いだろう。
問題は、その女性が『ヒュミル山脈に住んでいる』ということだ。
「山の中に湖があるんだって!森もあるって言ってたから暖かいんじゃないかなあ!」
「……そうか。情報に感謝する」
助けられたという男の子の頭を撫で、村長の家から出たジークハイン様は髪を後ろに撫でつけるついでに後頭部をかいた。
嫌そうというより『参ったな』と男の眉間の皺が物語っている。
「困りましたね。まさかあの山にいるとは」
「ああ」
村とヒュミル山脈の間には広大な森があるというのに、その姿は目の前にあるかのように高くそびえ立つ。
山頂など雲を突き抜けているのだから下から見るよりも実際は大きいかもしれない。
300年前まで確かに実在した『竜の民』が住んでいたその山に、ドラゴンに乗る人間が住んでいるなんて、もしかしなくてもきっと『そう』なんだろう。
シドニアの誰もが聞く『竜の民』の物語を探しに行こうとしているのだ、俺たちは。
伝達された話を聞いた騎士たちは一様に複雑な顔をした。
『会えるものなら会ってみたい』という気持ちと『あんな高い山を登りたくない』という気持ちと。
ただでさえ季節は冬。
足場は雪に覆われている上に、目の前にある森には凶暴な魔獣がうじゃうじゃといるわけで。
一応、長期戦になることを見越して多めの物資は持ってきてはいるが、消耗戦になるのは目に見えて明白だった。
「…ひとまず、森に入る。行けるところまで行って、成果がなければ調査は終了だ」
【了解!】
馬に荷物を乗せ、武具を再点検して出発した討伐隊は、順調に森の中を進み…見事に吹雪の中、進路を絶たれた。
山の天気は変わりやすいとはいうけれどもうちょっと兆候が分かりやすくしてほしい。
■
雪で視界が遮られる中ようやく見つけた洞穴に、討伐隊20人が入れたのは運が良かった。
馬には狭いので申し訳ないが。
洞穴の奥に何もいないのを確認し、野営の準備をする。
一人が焚き火に火を付け、ぼんやりと明るくなったところで、地面に真新しい焚き火の跡があるのに気づいた。
「ここで夜を明かしたんでしょうか?あの子ども」
「間違いない。小さい足跡と、大きい足跡、それに…」
アカデミー時代から気が合うミグに、一番大きな足跡を指差して見るように促す。
その先を見た男の茶色い目が見開いた。ごくり、喉が上下する。
丸いくぼみの一方向に5本の爪跡が4足分。
大きさは大人が座って休めるぐらいの切り株ぐらい。
足跡からして小型である。ドラゴンにしては、だが。
(大きさからして、大人3人…いや4人分といったところか)
地面に一本線があるのは尻尾だろう。
尻尾の先にメイスのような突起がある種類もいるのだが、この形からすると突起はないようだ。
初めて見る本物のドラゴンの足跡に一同無言になったところを、手を叩いて空気を壊す。
見張りの順番と軽く物を食べてから順番に休むようにと指示すれば、戸惑いながらも目から輝きを消さず、命令に従う心強い騎士たち。
今回の調査はこれで終わりだなと残念に感じるも、終わりで良かったのだと思う。
本当にドラゴンがいるのなら、もっと本腰を入れて討伐隊を組むべきだ。
体の前にマントのたゆみを回し毛布代わりとし、左手に剣を握って腕に抱くようにしてから仮眠の姿勢を取る。
まともに天幕を張れない時は座って眠るのが常なので、他の者も思い思いに寝床を整えてから首を傾けた。
洞穴の入り口から風が金切り声を上げているのが聞こえる。
(たまの野営はいいが、吹雪はごめんだな)
きっと吹雪が収まったら入り口に積もった雪をかき分けるところから始まるのだろうとうんざりしながら、目を閉じて意識を浅いところに潜らせた。
どれぐらいそうしていただろう。
小さな焚き火が燃える音と、見張りの交代をするべく誰かが誰かを揺する衣擦れの音、たまに馬たちの息づかいがしている中、ピン、と糸を張り詰めたような感覚で目を覚ました。
「?」
深く眠っていたわけではないが、妙な緊張感に意識はいつもよりすっきりと目覚める。
何人かもそうだったようで、瞼を擦ったりして目を覚ましながら洞穴の入り口を見た。
外から何かの気配がする。
嫌な予感と共にそれを感じ取り、眠っているものを揺すり起こし、馬を奥へ行かせるのと同時に入り口近くへ移動した。
吹雪はいつの間にか収まっていたようで、日が昇る前の白んだ空がうすぼんやりと森の形を浮き彫りにさせる。
すぐ外には何もいないのが見て取れた。
偵察として2人が洞穴から出て右左と見渡すも、最後には首を振ったので杞憂だったかと息を吐く。
瞬間、一人が横に吹っ飛んだ
「出ろ!早く!」
『何』に攻撃されたかは分からない。
一瞬のことだったが、目から受け取った情報は確かに血の赤を捉えたので、逃げ場のない洞穴では不利だと分かった。
的確に命令を理解した騎士たちが腰から剣を抜き、何人かは盾を片手に携えて外に出る。
静かな森だった。雪が音を吸収するとしても静かすぎるほどに。
攻撃してきた何かの姿が分からず、方向も分からない。
密集陣形が妥当だろうとハンドサインで伝えれば、血を流しながら倒れる騎士に駆け寄った私を中心にさっと陣形が整えられた。
「アッシャー郷、生きてるか」
「っ、はい、!申し訳ありません、油断しました、」
「気にするな。傷を見せろ」
くすんだ金の髪が額の部分から赤に染まっている。
目に傷はないが血が流れすぎて片目が閉じられている。
右肩に何かが直撃したのか、爪のようなものに引っかかれたような3本線。
額と違って深くえぐれている肩に布を巻いて止血はするものの、この状況ではまともな手当てはできない。
できないことに歯がゆく思いながら、誤魔化すように辺りを見る。
そして見つけてしまった。
大人二人分の背丈、白い毛の巨大な熊、前足を振ることで魔法を使い、剣にも似た鋭さを持つ『風の刃』を作り出す、爪熊
それが5頭、いや6頭。
「なんで、」
「嘘だろ、こんなでかい群れ…!」
「っ、全員退避!魔法使いは『盾』を!時間を稼げ!食料は捨てろ!まず生き残れ!足場が悪い、まともに戦うな!」
1頭2頭ならこのまま討伐していた。それだけの実力がノルトマルク騎士団にはある。
けれど6頭は多すぎた。
通常、番とその子で構成される爪熊の群れは多くが3頭か4頭で一つである。
子は小さく、戦力にならないので最大で2頭と戦うことになるし、過去の討伐だってそうだった。
だが今回は違う。
成体の爪熊が6頭は、20人の討伐隊では敵わない。
凶暴な性質故に風の刃が縦横無尽に飛び交うだろう。
剣を一度二度刺したとて倒れない強靱な体には火の魔法が有効だが、その体を貫くに必要な詠唱は長く『時間』が足りない。
すでに一人が戦闘できるか怪しい状態だ。
逃げるのが一番正しい判断。
そのはずだったのに、妙に連携が取れた動きを見せた爪熊に行く方向をことごとく塞がれ、妨害され、一人、また一人と血を流していく。
数で押してなんとか2頭を倒すことはできたものの、分が悪いのは変わらない。
誰もが身軽になっていた。
剣も盾も捨てていないが、長距離の移動に必要な荷物も唯一の防寒具と言って良い長いマントも捨てて、逃げることだけに集中した。
だのに、目の前で騎士が、部下が倒れていく。
「ジークハイン様!」
ミグの声がして体が横に突き飛ばされた。
熊かと思ったそれは人間の手。
目の前には、腕を深く切り裂かれて蹲っているミグ。
庇われた。それだけが分かる。
ずりずりと這いずっているため生きてはいる、生きてはいるが痛みに脂汗をかき、歯を食いしばって利き腕でない左手に剣を持って、背後に立つ爪熊を睨み付けた。
「っ、うぉおおおお!」
自分だけを見ろと言っているかのように叫んだミグが真後ろに吹っ飛んだ。
年かさのメイドたちに『チョコレートのようだ』とからかわれている茶髪から、ぱたぱた、血の玉が飛び散っていくのがやけにはっきり見える。
剣を握っている右手に力を入れ直した自分がいる。
景色が赤一色に染まったかと思えば、白と黒のモノトーンに変わった。
ミグを狙った爪熊の足を崩し、喉を突く。
飛んでくる風の刃は見えなかったはずなのに、今はよく見えた。
見えてしまえば避けるなんて造作もない。
恐ろしい速さで飛んできていたのに、足を一歩動かすだけであっさり躱せてしまった。
誰かの声がしたけれどなんと言っているか分からない。
それほど腑の底からこみ上げて来た熱く、どす黒い何かが体を支配している。
■
何人生き残った。
何人生きてる。
指の感覚がない。足の感覚も。
剣は。まだ握っているか。
ぼんやりする意識の中、自分に雪が積もって行くのだけが分かった。
さっきまで鮮明に世界を映し出していた目は、倒れた爪熊の影と部下の姿を探すことしかできていない。
その視界も、薄れていく意識と同様に白く染まっていく。
不意に、ドス、と大きな足音が聞こえた。
高い場所から落ちてきたかのような音だ。
爪熊だ、まだ生きていたか、と腕に力を入れるが、うまく動かず雪の地面を少し彷徨っただけだった。
トス、トス。先ほどより小さな足音がする。
小熊でも連れてきたんだろうか。
ああ、なんてことだ。こんな場所で、敵に討たれるでなく魔獣に食い殺されるなど。
「――――、?」
誰だ。声がする。誰かの手が俺に伸びて、降り積もる雪を払った。
「――――?」
「なん、?」
「―――!――――!」
「ぅ、」
何を言っているか分からず聞き返そうと、唸り声にも似た声を振り絞った後、体が反転する。
自分の手から剣の柄が滑り落ち、雪に埋もれて見えなくなる。
(だめだ、それは、ノルトマルクの、)
私が生き方を決めたもの。私の誇り。
それを再び掴めるほどの力も、きちんと姿を見れるほどの意識もない。
誰かの手が私を引き起こし、何かに包まれて体が移動する。
「――――――、」
やはり何を言っているか分からない。
目どころか耳までまともじゃなくなったらしい。
ゆっくりと体が冷たい風に包まれ、雪の降り積もった森の上を、空を飛ぶ夢を見た。
人が空を飛ぶはずがないから、きっとこれは天へ昇っているんだろう。
(申し訳ありません、)
父に、母に、妹に、部下たちに、そう口の中で呟き、深く息を吐いた時、ついに瞼から力が抜けた。
しばらくジークハイン目線で書いていきます!
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沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




