弔い
「ほう、癒やしの力を使う時は火が青くなるのか」
「みたいだ」
指先に灯る心許ないろうそくのような青い火。
そんな大きさで癒やすには大きすぎる傷口に、それでも痛みが和らぐならばと中型の赤い竜に近寄った。
気絶しているのか威嚇そぶりも唸り声も聞こえない。
精一杯の力で呼吸を続けている鱗を撫でながら、青い火の色が変わらぬよう神経を集中する。
口の端を自身のふがいなさと悔しさで噛みしめれば、この感情に反応したのか色が変わる。
こうなるとただの火だ。竜の体を焼きこそしないものの、癒やしの力はない。
一度かき消し、深呼吸してもう一度青い火を出すよう指先を凝視した。
■
ズメイに青い火を使った日から、竜たちの手当てに山を走り回る日々に新しくやらなきゃならないことが増えた。
それは一にも二にも『青い火』についてもっとよく知ること。
今のところ分かっているのは、3つ。
一つ、あまり大きな火を出しすぎると体力を消耗してしまうこと。
二つ、普通の火がマッチを擦る感覚で点けれるのに対し、かなりの集中力が必要ということ。
そして三つ。『助けたい』と強く思わなければ色が変わらないということだ。
ルーの魔法。そう表題がついた絵本以外に、治癒師に関する本はなく、この3つを理解するのにだって数日かかってしまった。
今は重傷の竜に対して痛みを抑えた後、比較的軽い傷の竜を治療して回っている。
「シシー、こっちに来てちょうだい」
手伝いを申し出てくれた青いメスの竜が、宝石のような瞳に暗い影を落として私とズメイを先導した。
向かう先は分かっている。
昨日の夜から心臓の鼓動がゆっくりになり、瞳の色が濁って近くを見ているのか遠くを見ているのか分からない、運んできた竜の中では一番大きな竜だ。
長い間捕らわれ虐げられていたのか、足や背中の鱗は一部剥がれ、腐ってはいないものの完全に治ることもなく、赤い肉の色を覗かせている。
一番酷いのは、両翼が完全に切り落とされて、傷口が焼かれていること。
竜は、いくら健康体であろうと『飛べなくなったら』体が弱っていくらしい
冒険者や他の魔獣と争って命を落とす竜は少数。
多くの竜は徐々に落ちていく体力と共に飛べなくなり、一日の大半を眠って過ごすようになる。そうして驚くほど静かに息を引き取るんだそうだ。
本来はゆっくりゆっくり、人間が二世代生き、三世代目が生まれるぐらいの年月をかけて『その時』を待つ。
けれど目の前の一番大きな竜は違う。
人為的に切り落とされた翼は、自然と訪れるはずの寿命をあざ笑うかのように、実にあっさりとこの竜の命を削り取った。
いきなり捕らわれ、飛べなくされ、虐げられ続けた時間を思うと吐き気がするほど胸が痛い。
濁った色の瞳が私の影を捕らえて、右側の牙を隠す皮膚がなくなった口端をゆっくり上げて『近くに』と言った。
「…どこか痛むか」
「いいや、今はちっとも痛まないよ。ありがとう、お嬢さん」
威厳のある、老婆の声。イリサ様の朗らかさを取り払ったような声は、女王様のようにも聞こえるし、歴戦の戦士のようにも聞こえる。
唸り声がわずかに掠れているのに気づいて、桶で水を汲んで口元に持って行った。
美味しそうに飲む姿は、一見元気に見えるけれどズメイのおかげで小さい音も聞こえるようになった耳が、たしかに鼓動が昨日より弱まっていることを告げている。
「お嬢さんにね、お願いがあって」
「私に?」
「そう。助けてもらった上に、こんなことをお願いするのは恩が大きすぎるのだけれど…私が死んだら、お嬢さんの火で焼いてくれないか」
その『お願い』に目を見開いたまま私は固まった。
固まるしかできなかった。
死んだ後の弔いをお願いされる、その意味が理解できなくて。
出会ったばかりの私にそんな大切なことを頼む、その気持ちが分からなくて。
老いた竜は言う。人間に捕まって死ぬなんて、とんだ運命もあったものだ、と。
老婆の声は言う。痛くて苦しくて、もう二度と飛べないと知った日には自分の心臓を食ってやろうかと思うぐらい絶望したけれど、少しは復讐が出来て満足した、と。
実際、この老いた竜は脱出する際に、その長い長い尻尾で鎧兜を来た男数人をなぎ払って崖から落とし、抱えられて飛び立つ前に大きな咆吼と共に火を吹いて、捕らわれていた建物を下から上まで焼き上げた。
他にも2頭、小型の竜が捕まっていたのだけれど、先に脱出していたので竜の火による被害はない。もし中にいたままだったら瓦礫と炎で死ぬところだったかも。
その時の光景は『すっきりした』どころか『怒らせてはいけない』の気持ちが勝ってしまって、これ以上暴れる前にと速やかに退散した記憶が蘇った。
それはさておき。
起き上がる力のない竜と目が合うよう膝をついて、どうしてそんなことを、と縋る。
死なせたくないから、助けたいから助けたのに。
「そんな悲しいこと、言わないでくれ」
「悲しい…?そうか、人間は死ぬことを悲しいと捉えるのだね」
いいかい。
幼子に言い聞かせるように、老婆の声が耳に響く。
細い細い川が水音だけをさせて海に流れていくような、不思議と全身に染み渡っていく声音だった。
竜は『死の訪れ』を寂しがりこそすれ悲しまない。
長く生き、長く飛び続けた体はある瞬間から『疲れ』を訴え、もう終わりで良いかと思い始める。
最後に飛び立つのは『やり残し』がないように、自分の中でとっくに決まっている『終わりの場所』を目指し、そこで息絶えた後は、そのまま風化しようが、人間の材料になろうが、獣の餌になろうが文句はない。
「人間は『死んだ後にも理がある』と思っているようだがね。そうじゃないのは、お嬢さんもだろう?」
その通りだ。
生き物は皆、死んだらそれまでだと思う。
魂と呼ぶべき何かが消えた後、残った骸はただの肉と骨。
骸は墓標となり、あるかもしれない彼岸に向けて手を合わせて『安らかに』と願うもの。
『死後の世界』は怖いもの、忌むべき世界。
だから、死ぬというのは恐ろしい世界に行かなきゃならない悲しいこと。
そう思い始めたのは、いつからだったか。
老いた竜はぐっと私の前に頭を寄せて、濁った瞳で私の奥を見透かした。
「理があると思うなら、それはお嬢さんが『何か悪いことをした』と思っているからさ」
「、…」
「人間ってのは変なところがねじ曲がってるねえ。裁かれたくないくせに、神サマなんてものを作って自分を縛り付けて。何がしたいんだか…」
やれやれ、とゆっくり首を振った竜は、ふい、と虚空を目だけで見上げたかと思うと『何の話だったかな』と呟き、沈黙する。
「そう、私の体の話だ」
死についてぼんやりとした形を作り続けていた私を蝋燭で照らすように、明るい声が響いた。
さっきも言ったがね、と老婆の声はほんの少しだけ悔しそうに鼻筋に皺を寄せる。
「お嬢さんに助けられてこの山に来た。ここは終わりにと望んでいた場所じゃないが、魚も美味けりゃ水も美味い。痛みもないし、話し相手が山ほどいる。こんな最後も悪くないと思ってるんだ。ただ、心残りはこの酷い有様の体でね」
本来なら私に見せつけるように翼を広げているんだろう背中の動きに目を細め、青い火を灯して鱗が剥がれている箇所にかざす。
じわりじわりと鱗の欠片が肉を覆っていくけれど、他の竜のように輝いていたり色が鮮やかではない。
本来は星の光を受けて微かな光を反射する、銀色の鱗を持っていたそうだ。
それを聞くと、今は酷い有様の体。たしかにそう。
「今は色が落ちてこんな風だが、私は色んなオスから求愛されるぐらい綺麗な鱗をしていてねえ。自慢の鱗なんだよ」
「へえ…お婆さんやるじゃない」
そうだろうそうだろう。
悔しそうな声が自慢気な声音に上塗りされて、硫黄の匂いのする鼻息がフスリと立ち上る。
「そういうわけだから、自慢の鱗がお嬢さんたちの元に渡るなら文句はないが、こんな汚い鱗、塵の一つも残したくないんだよ」
だから燃やしてくれ、と改めて言われた。
親しい竜が死ぬと、その鱗を一枚寝床に持ち帰る習性があるらしい。
光り物で寝床を飾るぐらいだ。
きっとこの『銀色』の竜の鱗は一等高い場所に飾られただろう。
(人間でいうところの『形見分け』)
その『形見』に心残りができてはいけない。
ずっとずっと一人で眠り続け、ようやく私とズメイを話すことができたギータのことを思い出す。
彼女があのまま私たちに出会わなかったら、ギータの残滓はどうなっていたのだろう。
「…分かった。ちゃんと、弔うよ」
心残りが形となって残るなら、それこそが悲しいことなのではないかと、そう思ってしまっては答えは決まったも同然だった。
私の答えに満足した銀色の竜は、話しすぎた疲れで眠ってしまう。
「おしゃべりなばあさんだな」
「そうだな」
横顔を覗かせたズメイの顎を一つ撫で、色が変わってしまった火をもみ消す。
このまま静かで穏やかな時間が過ぎますようにと願いを込めて、最後にもう一度青い火で傷を癒やしてから次の手当てのためにその場を離れた。
銀色の竜が息を引き取ったのは、そんな話をした翌日の、夜遅くのことだった。
■
背中を上下させていた大きな体が今はピクリとも動かない。
手の平をその体に沿わせれば躍動していた心臓も、静まりかえったまま。
猫が丸まって眠るように、全身から力を抜いて瞼を閉じたままの銀色の竜に近寄る。
銀色の竜を取り囲むようにヒュミル山脈の竜たちが座り込み、喉を晒すように何度もいなないていた。
いななきがまるで歌のように響く空間は、弔いの場にしては穏やかだ。
もう牙がカチカチと擦れ合うことも、老婆の声が聞こえてくることもない。
人間のように『笑っている』と分からない竜の顔だけれど、銀色の竜を覗き込めば笑っている気がした。
(死は、寂しいだけ)
目頭にこみ上げてくる痛みもやはり、寂しいから出てくるんだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、約束した通り、銀色の体に火を灯す。
これはカザンビークにいた時にニコさんが教えてくれたのだが、どれだけ生きている間に苦戦しても、死んでしまった魔獣には包丁のような刃も通り、魔法使いの卵が使うような小さい魔法でも効くそうだ。
それは竜も変わらない。
もちろんその体は高値で取引されるし、他の魔獣にとっては美味らしいけれど。
鱗が燃える。肉が黒に焦げていく。
赤い炎が黄色に橙に、色を変えながら竜の形に広がっていった。
痛ましい。そう思う。
もう二度とこんなこと。そう思う。
そう思うけれど、この山には他にも傷ついている竜がいるわけで。
完治した竜はまだいない。傷は治っても鱗が生えそろえていなかったり、ズメイのように疲れのような何かが体に溜まって動けなかったり。
銀色の竜にやるように、他の竜も弔う日が来るだろう。
今すぐではなく、いつか、そのうち、きっと。
その時も、悔いのないようにさせてやれるだろうか。
黒い影となっている塊から立ち上る煙が山頂に向かって真っ直ぐに伸び、上へ上へと薄まっていった。
その煙の先を追いかけ、目を細め、自分が起こした火に視線を戻す。
「これでよかったか、銀色の竜」
老婆の声はしない。ギータのように話してくれても良いだろうにと頭が過ぎったけれど、話せるということは間違っていたということなので、合っているんだろう。
声がないことに安心し、姿がないことを寂しく感じたところで、ふと。
(、ほんとだ。悲しくない)
自分の胸に手を当て、予想していた痛みを感じないことに驚いていると、不思議そうに私の前へ顔を覗かせてきたズメイが、目元をジッと見て『ないな、全く』と言った。
「泣き虫は治ったみたいだな」
「それは、…どうだろう」
「良いじゃないか。泣いてたらあのばあさんも化けて出てくるかもしれない」
私のことを一つからかって、ズメイも銀色の竜に火の息吹をかける。
そういう弔い方なのだと理解したらしい竜たちが、体が大きい順に火を浴びせていった。
薪をくべて火葬にしているようだな、と火が大きくなっていくのを腰を下ろして見つめる。
思えばこれが本当に『最後の最後まで』看取った命だ。
道が重なったのは一瞬だったけれど。
なのに『悲しい』ではなく『寂しい』となったのは、なぜなのか。
パチパチと燃え続ける黒い影はどんどん小さくなっていく。
その火を見続けて思い出したのは、あの国で看取れなかった命があること。
ようやく、腑に落ちた。
「シシー、お腹すいた?魚食べる?」
「私の弟ならよく見なさい。元気そうよ?」
「そうかあ?顔隠れてるから分からねえよ」
「何でお前たちが寄ってくるんだ!シシーの相棒は俺だぞ!」
目の前でズメイたちが言い争っている。
一抜けて私の傍に寄ってきた弟の青い竜が、甘えるように膝に頭を乗せてきた。
少し驚いたけれど、しょうがないなあ、と痒い所をかく力加減で弟竜の額で指先を動かす。
この竜はこうやってかかれるのが好きなようだ。
こうやって生きていこうと思った。
力の限りで痛みを取り除き傷を癒やし、再び空を飛べるようになるまで見届けよう。
もしそれが叶わないなら『心残り』がなくなるように手助けをしよう。
いつかのように看取れない命はもうない。
私のせいで、と責める必要もなければ、何も出来なくてすまない、と悲しむ必要もない。
(できることはまだまだ、きっとある)
銀色の竜が燃えている。
かつての姿も、死ぬ直前の姿ももう見えない。
黒い影を燃やす火から音がした。
彼女の声かと思ったけれど、肉を失った骨が支えを失い、地面に崩れ倒れただけだと分かって胸を撫で下ろす。
「もう少しここの皆が落ち着いたら、カザンビークに行こうか、ズメイ」
「温泉に入りたいのか?最近シシーは働き過ぎだからな。俺は大賛成だぞ」
弔いの場だというのにいつの間にか取っ組み合いの喧嘩をし始め、見世物でもはやし立てるように翼を広げ、鳴き声を上げる竜たちに呆れながら、一応の勝利を収めた相棒に話しかけた。
ちなみに竜の取っ組み合い。人間として育った私からしたら縄張り争いに等しい荒々しさなので、爪だって掠めるし牙だって体に突き立てる。
程度というものを竜たちが学ばなければ私の仕事が増える一方な気がした。
早い内に言い聞かせなければと強く決意する。
「温泉も良いけど」
思い出すのはカザンビークの守護竜。
赤と橙が交互に混ざり合う、溶岩のような鱗を持つ『ギータ』
人と話したくて、竜と話したくて、未練を残し120年経った今もかの地に残っている彼女。
「1年は行ってないから、ギータと話したくなった」
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




