閑話 豹変
(まさか力尽くでくる奴がこんなにいるとは…!)
取り囲まれるところまでは予想がついていた。
シシーを、いや、この子に従っているズメイを戦力にしようとしている冒険者とは呼びたくない荒くれ者たち。
いくら荒くれ者でも犯罪までは犯していないのだから、あからさまに俺たちと一緒にいればしつこくしてこないと思っていたのに。
無理矢理にでもシシーを連れていこうとする男たちが足を出し、腕を伸ばしてくるのを避けるべく腰を落として走ろうとした時だ。
ギルドに入る前にシシーと約束した。絶対に俺から離れるなと。
だのにパニックになったのか、良心が痛んだのか、体を震わせながら肩から降りようとするシシーに注意が逸れて、彼女に伸びる手を1つ見逃した。
「しまっ……は、?」
あと少しでシシーの肩を掴みかけた骨張った手が、ずっとずっと小さな手に手首を掴まれる。
その次の瞬間、目の前の男が宙を舞った。
文字通り、宙を。
掴まれた手首を軸に、いや、掴んでいる小さな手を軸に大の大人の体が足を浮かせ、宙に弧を描きながら後方に吹っ飛んだ。
吹っ飛ばされた男は、ちょうど後ろにあったテーブルと椅子に背中を打ち付け気絶している。
何が起きたか分からなかったが『誰』がやったのかは分かった。
肩に乗っているはずのシシーに目を向けたけれどそこに彼女はいない。
「このガキ…!やりやがったな!」
怒りくるっているのが分かる声に慌てて前へ顔を向ければ、いつの間にか床に降りて男たちの前で立っているシシーの背中があった。
その小さな体に何人もの冒険者たちが飛びかかっていく。
傷つけるつもりはないのか手に武器は無い。無いが、いくら力持ちといってもあんなに細い体に大人の力が奮われればあっという間に粉々になってしまう。
「シシー!」
焦った声を出したのは俺だけではなく、ニコもニーチェも大声を出しながら駆け出した。
もうなりふり構っていられなくなった男たちが俺にも飛びついてくる。
一人一人なら大した力ではないのに引っぺがすのが面倒すぎた。
舌打ちをしながら、押し通そうと足に力を込めてもう一度彼女の名前を呼べば、目の前にいるシシーがちらりとこちらを肩越しに見る。
赤い瞳だった。いつも黒い瞳なのに。
「…シシー?」
別人のような雰囲気にゾッとして思わず足が止まる。組み付いてくる男たちも妙な空気を不思議に感じたのか、シシーに視線が集中した。
妙な空気が続いたのはほんの一瞬。
すぐに怒りと焦りを取り戻した冒険者たちが手を伸ばし、声を荒げてシシーに飛びかかっていく。
けれどその手は、1つも彼女を捕まえることはできなかった。
さっきの男と同じように、大人の体が次々に飛んでいく。
テーブルを壊し、椅子を倒し、床を滑って壁に頭を打って。
目の前の状況が信じられなかった。
あのシシーが。ずっとズメイに守られている風の小さな女の子が。
ニコの話を楽しそうに聞いて、ニーチェの料理に手を叩いて喜んで、ヴァンドットさんと親子のように話して、俺の手の平より小さな頭を撫でられ感慨深げに目を細めていた、ただの子どもが、あっという間に十人以上の男たちを投げ飛ばしていく。
俺を抑えていた男たちは一人、また一人と離れていき、ある者は逃げだし、ある者は錯乱しているのか変な雄叫びを上げながらシシーに向かっていった。
当然、投げ飛ばされて気を失うはめになっているが。
子どもの動きは武術をやっているそれでも、経験豊富なそれでもない。
視界に入ったものをただ掴んで、ただ投げているだけだ。
たったそれだけだからこそ、こんなにも異常な光景なんだろうか。
いち早く意識を取り戻した奴が一人、シシーの靴を掴んだ。
靴から足首へと浸食しようとしたそいつは、へへ、と笑って視線を上に上げる。
が、背中側の服を掴まれ、シシーの頭上にまで抱え上げられ、そのまま真下に落とされた。
呼吸をし損ねたらしいそいつは蛙が潰れたような声を出して再び意識を失う。
足先でその体を蹴って転がしたシシーは、視線を足元から前方にいるニコとニーチェに投げた。
二人の顔が強ばる。無意識だろうが、腰と背中にある各自の武器に手をやり始めたのを見て、慌てて二人の方へ回り込み、シシーとの間に立ちはだかった。
正直怖い。まだ赤い瞳のままのシシーはやっぱり今も別人だ。
いや、人間の気配じゃない。もっと本能的な、もっと大きな、もっと強大な生き物。
たとえばドラゴンのような
そう思い至った瞬間、嘘だろ、と冷や汗が垂れる。
本当にドラゴンだというのか。ドラゴンが人間に擬態できるとでも?
(いや、違う)
さっきまでは確かにいつものシシーだった。
相変わらず獣の気配ではあったけれど、話す言葉も体温も脈も、ちゃんと人間だ。
突然ドラゴンのそれになったのには理由があるはずだ。赤い瞳になったことと何か関係があるはず。
少しでも動けば目の前にいる子どもに今にも飛びかかられそうで動けない。
ごく、と唾を飲み込んだ音がやけに大きく響く。
もう誰もシシーに手を出そうとする奴はいない。
いないのに、まだ敵を探しているのか、赤い瞳が左右を見据えている。
あの目がこっちを向いたらどうなるのか。
手に鋭い爪なんてないのに体にそれが食い込む痛みを想像してしまった。
マスクの下を見たことなんてないのに、あるかもしれない牙を想像して背筋が冷える。
もう敵がいないことを確認したらしいシシーが真っ直ぐこちらを見た。
かちりと交差した赤い瞳が、何の感情もなく静かに凪いでいるのに気づく。
狩りを終えた獣の目に似ていた。
(終わった、のか?)
安心するにはまだ早いと分かっていても、握りしめていた剣の柄から手を離す。
そうすれば、ことりと首を傾げたシシーが遅れてやってきたギルドの職員の何事かと騒ぐ声に反応して振り返ろうと踵を返した。
もしかしてそちらに飛びかかっていくんじゃないかと焦った俺より先に、ニーチェが前のめりに走り寄ってシシーの体を揺さぶる。
「こっちを向いて、シシー!」
動きが止まった子どもが自分を掴んでいるニーチェの手を見て、腕を見て、顔を見た。
自分が何者かを思い出すようなその仕草に、もしもの最悪を覚悟する。
心配は杞憂で『元に戻った』子どもを抱きしめるニーチェの体が震えているのが分かった。
その震えが恐怖からか、安堵からかは分からないけれど。
ニーチェの体にそっと手を添えたシシーは、元の黒い瞳に俺たちを映して、ただ一言、蚊の鳴くような音量で何かを呟く。
眉間に皺を寄せて床を見つめ、虚ろを宿して繰り返されるその言葉は、目の前まで近寄ってようやく聞き取れたけれど、東の言葉なのか俺たちには分からない。
言葉は分からないが、何を意味するのかは分かった気がした。
謝っているのだ。
やっている最中は分からない、自分がやってしまった悪さを後から怖くなって謝る子どものように何度も何度も。
普通の子どもなら泣きじゃくったり喉を引きつらせたりするはずの謝罪とは違った。
たしかに泣いているはずなのに涙を流せない、そんな痛々しさに唇を噛む。
俺たちがいたとて無事には済まなかった状況をあっという間に覆したさっきのシシーは、たぶん縄張りに入った人間を襲う獣のように理性がぶち切れていた。
縄張りの定義が獣と違うからか、シシーの匂いがついていたからか、俺たちは見逃されたのだ。
突然理性を失って俺たちを襲ってこなかったのなら、もう近づいても大丈夫。
「…怖かったな」
謝っているということは悪いことをした自覚があるからだ。
けど、彼女は何も悪くない。
突然見知らぬ大勢に囲まれ、襲われて、怖かっただけ。
あまりの恐怖に限界を迎えて、本能が強く出ただけ。
たしかに普通の子どもじゃないが、それがなんだと言うのか。
怖くて暴れる、怖くて泣く。子どもだ。今目の前にいるのはたしかにただの子ども。
「――、――」
分からない言葉で謝るシシーに手を伸ばす。
顔の横を隠す髪の上から頬を撫で、最後に頭を撫でた。
虚ろな目に不思議そうな気配を追加した黒が二つ、俺を見上げて瞬く。
「シシーは悪くない。よくやった」
褒めるべきだろう。自分で自分の身を守ったのだから。
職員たちが折り重なって伸びている男たちに『また何かやったんですかあなた達!?』と怒鳴りつけているのをシシー越しに見やって苦笑する。
ちょっとばかしやりすぎたかもしれない。
伏線を張るのが楽しいけれど、あんまり張りすぎないように注意 to 私へ
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