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竜の民  作者: とんぼ
一章

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3/152

方向転換



モンロニア皇国を出て1週間、だと思う。そう簡単に上手くいくとは思っていなかったけれど、まだ私は定住できる場所を見つけられていない。


「この顔じゃ、この辺はダメだろうなあ」


顔を横に通り過ぎるような傷と上の方が少し欠けた右耳。体にも傷はあるけれど、服で隠せば問題ない場所にある。右耳も、肩までになってしまった髪を下ろしておけば目立たないはずだ。

関所から出て一番近くにある村に入った日のことを思い出す。つい3日前のことだ。

到底、ずっと住めるような環境ではなかった。


今は夏の終わり。冬でもないのに顔半分を口布で覆っている女はおかしいし、国境を越えているとはいえモンロニアの文化が根付いている辺境の村では、結ぶには短い髪は罪人の証だと刷り込まれている。

強風にあおられて髪が舞い上がれば、欠けた耳を見た村人には小さな悲鳴を上げて遠ざかられてしまった。


言葉が通じない訳ではないので毛布や食料の買い足しは問題なかったけれど、それでもおつりを投げるように渡されるし、食事処では空いている席があっても満席だと言われるし。

この分だと宿を取るのも難しいだろうと、怪しいを通り越して私を『罪人』と見る冷えた視線から逃げるように村を出た。

背後から聞こえるひそひそ話は、今までの声となんら変わりは無い。

不意に、沙汰を聞く時の、暗く冷たい拒絶の顔たちと無情な皇家の目を思い出してしまい、喉の奥が掠れて心臓が嫌な感じにどくりと大きく蠢いた。

たった一度心臓が高鳴っただけなのに息苦しく、すぐ隣にあった木の幹を支えに背を丸める。


ひゅーひゅー


喉から掠れ出てくる空気を逃してはいけない気がして口布を顎下にずらして手で押さえた。

瞼の裏に過ぎる人影を追い払いたくて必死で目を開け、『大丈夫』と自分の心臓に言い聞かせる。

そうしていればこの発作は収まるはずだ。

ようやく落ち着いた呼吸をまた口布で塞ぐ気にはなれなくて、人目もないしそのままにする。

解放された鼻からは豊かな森の匂いが入ってきた。


きょろりと辺りを見渡す。見事に森、森しかない。

ずいぶん歩いた気もするけれど、人目を避けて整備された道を歩いていないので、次の村まではまだまだ遠いだろう。足も重い。背の高い木々の隙間から僅かに見える空は朱色を通り越して藍色に染まってきていた。


「今日はここで休もう」


少しだけ進んだ先にあった、開けた木と木の間、本で読んだだけの火の起こし方をやってみる。

冒険小説の挿絵でしか見たことがない『焚き火』の形が再現されるとなぜだか口の端が緩み、どんな色で燃えるのか、初めて見る『焚き火』に楽しみになった。

最後の情けと渡された荷物の中にはマッチなど無かったので、最初の村で買うまで手に入らなかったのだ。

村を出て3日目に初挑戦できたのは、なぜだか村から見張り…のような人たちが一定の距離を取って後をついてきたからで。

歩きながら見張りの理由を考えてみた。私自身が『一人旅』『罪人』『傷のある子ども』の3拍子が揃っているので、用心のためなんだろう。

村の外に盗賊がいてそいつらの仲間、とか思われたのかもしれない。

失礼な、とは怒っても私が怪しいことには変わりなく、また冤罪とはいえ『罪人』として追い出されたのは間違いないのでぐうの音も出ない。

見張られているのが分かっていてゆっくり休めるはずもなく、寝る間も惜しんで歩き続けた。

今日の昼間に見張りが外れたので、ようやくゆっくり眠れる。


火口(ほぐち)ってこれでいいのかな…藁がないから枯れ葉だけど」


記憶をちゃんと再現できているだろうかと、地面に頬をつけて横から見たり、組んだ木をまたいで真上から見たり。

そんなことしたって何も変わらない。

分かっている。ちゃんと燃えてくれるだろうかと不安しかないからこその観察だ。

一通り眺めて、隙間風のような冷たい風が頬を滑ってきたので身震いし、慌ててマッチを取り出した。


箱の横面の茶色い部分に、赤い先端を擦りつければ良かったはずだ。

シュ、と初めて聞く音と思ったより指先に近い場所から小さく火が吹き出したのに驚き、地面に落としてしまう。

マッチの小さな火は乾いた部分を辿って、七割ほどを炭にした後、小さな煙だけを燻らせて消えていった。

火傷はしていない。爪の一欠片も焦げてはいないけれど、本で読んだような冒険の中にいる気がする。初めての挑戦に胸のわくわくが止まらない。


言葉にできない高揚感をそのままに、もう一本マッチを取った。今度はさっきより離れた場所をつまみながら、箱へ滑らす。と、力が入りすぎたのか火がつく前に中心からポキリと折れてしまった。


「意外と、難しい」


無意識に口を尖らせ、うまくいかないことに腹が立つけれど、そろそろ本格的に寒くなってきたので3本目を取り出す。

シュ、シュ。4度目でようやくマッチにうまく火がつけられた。

そうっと枯れ葉の部分にマッチを落とす。

数枚の枯れ葉を炭にしながら煙を上らせた様に「やった!」と声をあげたのも束の間、どこからか吹いてきた風に初めての火はかき消され、ただ焦げ臭い匂いだけが鼻をくすぐった。


「…もう一回」


まだマッチはある。風が邪魔ならば次は手と体で守れば良いと意気込んで、5度目の挑戦のため地面に膝をついた。


(そういえば、市井の人は(かまど)に息を吹き込んでいたような)


誰からも求められていない家に帰りたくなくて、抜け出して日が暮れるまで外にいたことがある。私のことを知らない、初めて会う子どもたちの中に入れてもらい、鞠を蹴って遊んでいた時、どこからともなく『夕飯だよー!』と大きな声が聞こえてきた。


その大きさに最初なんと言っているのか分からなかったのも懐かしい。

遊び場所の近くにある家の子たちだったんだろう。その声が響いたら、鞠を蹴るべく上げていた踵を下ろし始め、1人が泥だらけになった鞠を手に抱えた後、『また明日!』と子どもたちは蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの家に入っていった。

唐突に訪れた楽しい時間の終わりが恋しくて、民家の門を私はのぞき込んだ。


筒を口に当てて竈に息を吹き込む母、畑仕事を終えた鍬や鋤を片付ける父親、泥だらけになった手と足を桶の水で洗っている子ども。


良い匂いがした。どんな『ご飯』なのか知りたかったけれど、のぞき込んでいる私に大人たちが気づいたので慌てて自分の家に戻ったのを覚えている。

その後の自分はいつものように1人で食事をしたことも、それがとても暗い景色だったのも、またあの子たちと遊びたくて通い詰めていたらいつの間にか仲間外れになっていたのも思い出してしまい、きゅうとさっきの発作とは違う痛みが胸を貫いた。

今日は痛い思いをしてばかりな気がする。


「きっと寒いからだ」


そう、きっとそうに決まっている。それにお腹も空いているからだ。

2度3度、頭を振って気持ちを切り替え、マッチを手に取り焦げた枯れ葉近くで擦る。

さっきよりうまくいった気がした。隙間風に負けないよう、煙がくゆり始めた場所を手で囲う。もうもうと大きくなってきた煙に耐えきれなくなって背を反らし、咳き込みながら手を離した。途端、煙の中に赤い点がだんだん大きく浮かび上がる。


「あ」


火が点く。そう思ったけれど、小さくなり始めたそれに慌てて、息をゆっくり吹き込んだ。

なぜそうしたのかは分からない。

けれどその行動は正しかったようで、枯れ葉から小枝へ、小枝からより大きな枝へと向かっていく火の欠片は、次第に大きさを取り戻し、より大きく、暖かくなっていく。

『焚き火』の色は、想像していたよりも橙色が強く、明るかった。

本の中で読んだ時は『これで明るくなるの?ランタンの方が明るいのに』と思ったものだが、ちゃんと木々の輪郭も、色も、地図の小さな文字だって読めるぐらいに明るく照らしている。


「…あったかい」


自分の手が汚れているのだと、たき火に手を当てて分かった。

きっと枝や枯れ葉を拾った時に汚れたのだろう。

手の平に当たる温度は、家にあった暖炉よりよほど暖かい気がする。

その暖かさに「ふふ」と笑い声が出てしまった。

思わず口を手で押さえたが、当然誰もいないので笑い声を咎められることもない。

あの家では、動物たちとの戯れで笑い声を上げれば『呑気に過ごせていいわね。私はこんなに忙しいのに』と姉の小言が飛んできたものだ。


(アインたち、元気かな)


唯一の心残りはあの友人たちとお別れができなかったことだが、使用人たちには好かれていた。きっと誰かが世話をしてくれているだろう。

パチパチと燃える音をしばらく聞いていると、くう、と腹の奥が小さく鳴った。


「、ご飯だよー」


いつかの母親が言ったように、自分のお腹を撫でて言えばさらに大きく鳴ったので、正直だなと自分を笑う。

鞄からパンと干し肉を取り出した。

パンは今日の分を引きちぎってたき火の上にかざし、暖まったところを食べていく。干し肉は焼けばさらに固くなるのが目に見えているのでこのままだ。これしかないとはいえ1週間も食べていれば飽きも来る。


「次の村では汁物、作れるようになりたいな」


残念ながら手頃な大きさの鍋と香辛料は売ってもらえなかった。辺境の村ではそれらは貴重なのかもしれない。

次なる目標が出来たことに満足し、さあ明日も頑張って歩こうと、パンの最後の一欠片を口に放り込む。

ちゃんと咀嚼して飲み下し、水筒から一口分の水を傾けた。満腹、とは言えないけれど腹の虫は泣き止んでくれたらしい。焚き火に追加の木を入れて、新品の毛布と共に横になる。


「わ、」


空が遠い。木の隙間でそこまで多くは見えないけれど、家では見上げた記憶のない星空がちらちらと瞬いていた。まるで宝石だ。なんて綺麗なのだろう。地図を見る限り、この森を出たら草原が続いているはずなのでもっと広いだろう。もっと綺麗なんだろう。

その日が楽しみだ。


暗い夜の森の中、虫の声も風が木を揺らす音もするのに、怖いとは少しも思わない。

人の気配がしない。たったそれだけで、安心できるものだと今気づいた。

たき火の暖かさと隙間の空の美しさを感じていると、次第に瞼が重くなってくる。

さわさわ、パチパチ、ざあざあ。

風と火の音が聞いた覚えのない子守歌のようで心地よい。

その心地よさに身を任せて目を完全に閉じると、頭の隅に過ぎる光景がある。誰も私の話を聞いてくれず、放り出したあの日の光景が。

けれど火の音がすぐ近くで聞こえるから、ああこれは夢なのだと今の自分から切り離せた。


悪い夢ならばもっと小さく、もっと遠くに行ってしまえ


流れ星に願い事をするような気持ちでその光景を眺めていると、願いの通りにどんどん小さくなっていき、自分の周りが暗くなっていく。まるで今いる夜の森だ。

小さくなった嫌な光景の代わりに現れたのは自分が起こした焚き火。

じんわりと暖かい。それにホッとした。夢の中だというのに。その温度が手放しがたくて橙色の火に手をかざす。

薪を追加しなくても燃え続ける明かりを何も考えずにぼんやりと、膝を抱えて眺めていると、焚き火の向こう側に影が浮かんだ。


『お前の火か?』


大人と言うには若く、子どもと言うには大人な、男の人の声。聞いたことがない声、だと思う。

その影はぼんやりとしていて、人の形…にしてはやけに縦にも横にも大きい。

見たことがあるような無いような形に目をこらすも、目の焦点が合わないのではなく影じたいが輪郭を持っていないことに気づいて諦めた。


『お前の火か?』


再度響いた声にそうだと返せば、鼻で笑われる音がする。その音に合わせて、焚き火が大きくゆらりと横揺れした。ともすれば焚き火の薪ごと吹き飛ばしそうな大きな鼻息である。


『小さいな』


そりゃあだって初めて火をつけれたのだから。口を尖らせながらそう言えば、ぼんやりした影は首を振るように動いて『そっちの火じゃない』と言われる。


『もっと大きくしろ』

『どうやって?』

『こっちに来ればいい』

『こっちってどっち?』

『俺のいる方へ。方角は分かるだろ?』


分かるはずがない、と言いかけてすぐに違うと分かった。分かる。

地図の座標や土地の名前ではない。方角が、分かる。


渡り鳥は季節ごとに住む土地を変え、その方角を寸分違わず覚えているのだという。

そんな感覚だ。方位磁石のようなもの。あの方角だとただ影の主のいる方角だけが分かる。

少し怖くなった。これは夢だ。夢の中で現実にいる人と話せる訳がない。

そもそもこの影、人間なんだろうか。

私の恐怖心を反映したように焚き火の明かりが小さくなる。それを見た影は慌てたように声を荒げて、怖がるな、と言った。


『お前に頼みがあるだけだ、怖がるな、火が消えちまう』

『…頼み?』

『怪我してるんだ。治して欲しい』

『私は医者じゃない』

『お前じゃないと治せない』

『できないよ』

『できる』

『できない』

押し問答とはこういうことを言うのだろうか。できる、できない、を繰り返していると突然影が唸った。もう朝が来る、人間が来る、と。

『人間が来る?あなたは人間じゃないの?』

『そうだ、まずい、朝だ、朝が来る、頼む、早く』


助けてくれ


最後にそう言って、影は暗闇に消えてしまった。残るは焚き火の明かりだけだ。

何だったんだろう、さっきのは。人間じゃない?人間じゃないとしたら一体『何』が人の言葉を話すというのか。

胸の中がざわついている。怖い。けれど同時に助けを求めてきた声がいつかの自分と重なった。

状況も違えば、相手の姿形も知らないのに、何をしたいのか分からなくて、何のために本を読んでいたのか分からなかった自分の姿と。

ああ、あの日の私は『助けて欲しかった』のだとすとんと腑に落ちた時、パカン!と一際大きく薪が割れる音が耳元でした。


「!」


目が覚めたと分かったのは隙間の空が青かったからだ。仰向けに寝ていたらしく、ぱちっと開いた瞼の向こう側から鳥の声と一緒に青が飛び込んでくる。顔を横に向ければ、夢の中では無限に薪があったのに、今は大きな灰と小さな灰を残して火の名残だけを漂わせる焚き火があった。


「…夢、だよね?」


そう、夢のはずだ。悪夢を見なくなったから変な夢を見ただけ。自分で作り出した誰かが夢の中に出てきただけ。

そのはずなのに夢の中の『方位磁石』が生きている。こっちだこっちだと、頭の奥で誰かが私をずっと呼んでいる。その誰かは、あの影のような気がしてならない。


「、どうしよう」


起きたらすぐに荷物をまとめて村に向かう予定だったのに、村の方向とはまるで違う方向に行かなければならないと本能が言っている。

ひとまず立ち上がって毛布をたたんだ。焚き火も燃え移りがないよう足で念入りに踏み潰して、鞄を背負う。

出発の前に地図を広げた。村に着くまで、あと2日ぐらい。本能に従うならば、いつまでかかるか分からない。

食べ物は足りる?マッチは?水は?そもそも行って大丈夫なんだろうか?

いろいろな事を考えながら焚き火のあった場所を中心にぐるぐると歩き、地図を凝視する。

行く、行かない、行く、行かない、行く、行かない。


『お前じゃないと治せない』


夢の中の言葉が耳に響いた。私しか、治せない。そんなことってあるんだろうか。私は医者でもなければ獣医でもないのに。

けれど、もし本当に私にしかできないのならば、行ってみるだけ行っても。

「だって行く当てなんてないし、そう、そうだよ、うん」

誰に言い訳するでなく何度も頷きながら広げていた地図をたたんで『方位磁石』に従った。

ただ一つ願うのは、途中で食べ物が無くならないことだけである。




沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。

とても励みにさせていただいています。


不定期更新で申し訳ないですが、

必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。

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