離宮の地下
長机の上に酔っ払ったドワーフたちが何人も倒れ込んだところで、宴はお開きとなった。
いくらゆっくり飲んでいたとはいえ、熱気に当てられたのもあり顔が熱い。
注いでくれた水を一気に飲み干し、離宮の部屋へ戻ろうとズメイを探すと、元の絨毯の上で大小様々な皿が倒れている中、ひっくり返って寝ていた。
ぐごお、がごおと今までに聞いたことのないいびきまで立てている。
「酔っ払っちゃったかあ」
へにゃりと自分の頬が緩むのが分かった。私も少し酔っているんだろう。
しばらくひっくり返っているズメイの腹を撫で、重い腰を上げて竜の体を揺する。
このまま寝させてやりたいが、せっかくの王宮の宿なのだ。
一日でも長く、あのふかふかの寝台で寝させてやりたい。
言葉にならない『イヤイヤ』をなだめつつ浮いているような自分の体に力を込めて、ようやく立ち上がって頭を振るズメイを支える。
一歩進む度に右に左にと揺れる足取りを角を引っ張って向かう先を調整した。
えっちらおっちら歩く私たちを見つめる視線が生暖かく気恥ずかしいけれど、ふわふわとした楽しい気分が続いているのでそんなに気にならない。
ようやく自分たちの部屋に着いた後は、使用人の一人が水差しを枕元の小さい机に置いて部屋を出て行った。
何から何まで至れり尽くせりだ。
「俺は寝るぞ…」
「うん、おやすみ」
「ああ、…ぐう」
寝台の向こう側にある竜のための寝台に倒れ込んだズメイは挨拶もそこそこに体を上下させ始める。
穏やかな顔をしているのを確認して、私もドレスを脱ぐべく背中側の紐を引っ張った。
ドレスの裾をたくし上げて一気に上へ引き抜く。
裏表が逆になってしまったそれを丁寧に元に戻して、空になっている衣紋掛けに吊り下げた。
きらり。太陽石から出ている夜用の細い明かりに布が輝く。
宴の時に酒を何度かこぼしてしまったので汚れてやしないかと不安だったのだが、さっと眺めた限りシミも汚れもない。全て長机の上に消えたようだ。
安心して、ドレスに着替える前の服に袖を通す。ついでに口布を頭から引き抜いた。
もう一杯水を飲んで、いざ。
少しだけ飛び跳ねて寝台に飛び込む。
あっという間に体が沈み込んだのが面白くて一人けらけらと笑ってしまった。
地下だから太陽はないのに、飛び込んだ寝台からは太陽の匂いがする。
胸にいっぱいその香りを吸い込めば、酔いが一気に回ったようで瞼が自然と降りていった。
竜の声がする。
ズメイのいびきは大広間の時からずいぶん落ち着いて、すぴーすぴー、と鼻から可愛い音が漏れていた。
王宮のどこかで小さな酒盛りは続いているのか、どこからともかくドワーフたちの笑い声が聞こえてきている。
音がする。とても楽しい音がする。
ふひ、と奇妙な笑い声は私から出ているんだろうか。それもたまにはいい。
手から足から力が抜けて、すとんと夢の中に落ちていった。
その日の夢は、ズメイと焚き火以外にいろいろな物が出てきている。
宴の時に聞いた話で私が想像した様々な物語が動く絵になって宙に浮かび、物語が終わる度に新しい物語が始まっていった。
それを焚き火の明かりを頼りにぼんやり眺めていると、景色が突然、満天の星空になる。
初めてズメイに乗った時に見たあの空だと分かった。
これは私の夢だから、私の好きなものが出てくるんだろうか。
こうやって一日の終わりを、その日起きた楽しかったことを振り返って見られるのはとても幸せなことだと夢の中でもう一度笑えば、相づちを打つように背中側で寝ているズメイがいなないた。
さあ、私ももう目を閉じよう。
明日もきっと、楽しい一日が待っているはずだから。
■
頭の痛さで目が覚めた。
気怠い体と頭がまだ朝には早いと告げている気がして丸まる。
同時に、喉が乾きを訴えてきた。
まだ起きたくない、体を動かしたくないと駄々をこねるも、一度覚えてしまった乾きには抗えず、のろのろとした動きで寝台から体を引っぺがし、眠気でかすむ目を擦りながら水差しを手に取る。
一気に飲んで二度寝しようと思ったのだが、一口飲んだだけでその冷たさに頭が完全に覚めてしまってもう一度寝転がるのは諦めた。
「…おはよう、ズメイ」
挨拶してみたものの、ズメイはまだまだ夢の中。
昨夜最後に見た時から寝る姿が変わっているけれど、瞼はぴっちり閉じている。
健やかな寝顔を眺めながら水を飲み干し、せっかく起きたのなら昨日はあまり見れなかった庭を見てみようと、口布を被りながらズメイの側を通り抜けて窓から外に出た。
石の冷たさを感じて裸足なことに気づいたが、戻るのは億劫だ。
部屋に入る前に足を拭くことにして、芝生の整った庭に降りてみる。
驚いたことにまるで毛の長い絨毯のような感触だった。
たまたまとはいえ裸足で出てきてよかった。
丁寧に整えられた生け垣、上から見れば模様になっている花壇にはモンロニアで見たことがある花もあれば図鑑でしか見たことがない花もある。
(あ、あの花、薬にできるやつだ。あっちも、こっちも)
取っちゃだめだろうか、だめだよな。
指先で触れて見るだけに留め、改めて庭を見渡すと薬草や薬の材料となる花が多く植えられている気がする。
離宮とはいえ王宮の敷地内なので、いざという時の薬草園も兼ねているんだろうか。
ここまで立派に咲いているのを見るとカザンビークの太陽石が偉大なことが分かる。
だんだんと昼の光が強くなってきた上を見上げ、どこからか聞こえてくる風音に耳を澄ませた。
――、
鈴の音のような、小さな音…いや、声が聞こえた気がして辺りを見渡すも、先ほどと同じく綺麗なままの庭があるだけ。
もう一度耳を澄ませても再び聞こえることはない。私の勘違いのようだった。
部屋の方からズメイのいななきが聞こえる。
喉が渇いたと唸っているその声に笑いながら、裸足のまま駆けて部屋に戻る。
「眩しい…もう朝なのか?それに喉が…水…水をくれ…」
「朝だよ。竜でも酔っ払うと喉が乾くんだな」
笑い声を口の中で殺しながら、新しく持ってきてもらった水差しを大きい器に注ぎ込む。
なみなみと揺れるその器から水がこぼれないよう注意してズメイの前に持って行けば、もぞもぞと体の向きを変えて長い舌を伸ばした。
けれどいつもの飲み方では足りないようで、飲ませてくれと瞼を閉じたまま言われる。
相当光が強かったようだ。
この様子では、今日は一日このままかもしれない。
ズメイも初めての酒だったろうから。
竜の口があんぐり開いて、鋭い牙が立ち並んだそこに器の水を注ぎ込んでやる。
使用人の女性たちはその様子を見て小さく叫び声を上げていたが、恐怖による声ではなく驚いただけの様子。
カザンビークの人たちは肝が据わっていると、1日しか経っていないけれどそう思う。
口の端からこぼれた水を拭ってやると、喉の渇きが癒えて満足したのか再び寝てしまった。
翼が広がって目の辺りに影を作ったので、そのままでは眠りづらかろうと窓の垂れ布を横に引けば、部屋が一段暗くなる。
翼をおろして眠りの世界に戻っていったズメイを一つ撫でつけてから、朝食の用意ができていると伝えてくれた使用人についていった。
■
朝食の席にはお館様はおらず、イリサ様だけが着席していた。
まだまだ慣れない西方の料理だけれど、白い布に覆われた机に並ぶ皿はどれも美味しそうで、思わず腹の奥が小さく音を立てる。
野菜の盛り合わせ、果物、黄色のスープ…はとうもろこしだろうか。あとはパンと、焼き目の綺麗な魚。どれも1皿ずつ。
量が多い気がする。いや、少ないのか、昨日の宴に比べたら。
着席してからジッと皿を眺めている私に気づいたイリサ様が、湯気の立つお茶を飲みながらにこりと笑った。
「カザンビークではね、宴があった次の日は軽めの食事を食べるの。ドワーフが大酒飲みばかりだから、少しでも和らげるためにね」
「そうなんだ、です」
「足りなかったら言ってちょうだい。いくらでも食べて良いわ」
「そんなにたくさん食べる、できない、です、よ?」
「あらあらまあまあ、ダメよ!もっと食べないと!」
昨日も言ったでしょう?と、イリサ様がにこやかに笑いながら手を上げると新しい料理が2皿追加されてしまう。
これはここで頷いておかないともっと持ってこられることになる気がした。
何度も頷いて元気に食べる様子を見せれば、満足そうにイリサ様が口の端を緩ませる。
その様子に安心したのがまずかった。
一皿食べきるたびに一皿追加される朝食になったのだから。
(イリサ様…あんなに優しそうなのに容赦ない…)
お酒とはまた違う気持ち悪さがある。食べ過ぎたせいか体も重い。
食べ過ぎるとこうなるのは、絶対覚えておこう。
そして、これから何をしようかなと部屋の前で考え込む。
今は朝食が終わって、長い廊下をようやく歩ききったところだ。
扉についている取手を握りしめつつ、ううん、と点を仰ぐ。
温泉街に行く。ありだ。朝風呂というのも気持ちが良いだろう。
職人街に行く。これもありだ。ヴィーリンさんに頼んだ角飾りがもうできているとは思えないけれど、活気のあるあの声たちを聞きに行くのはメルグを思い起こさせる。
行った事のない場所に行く。これもありだ。けれどせっかくなら、ズメイと一緒に行きたい。
そう、何はともあれ、ズメイが起きているかどうか確認しなければ。
ミルメコレオの話もしなくちゃならない。
気を取り直して扉を内側へ押せば、目の前に黄色い眼光が二つ、浮かんでいた。
「遅い」
「―、――!?な、なん、なんでそんな扉の近くにいるんだ!」
先ほどの二度寝ぶりはどこにいったのか。
すっきりと目を覚ましている竜がそわそわと体を揺らしながら器用に私の体を反転させて背中を押す。
再び廊下に出てしまった私を尻尾でくるんで背に乗せると、駆け足で廊下を走り出した。
鞍をつけていない背中は上下に激しく揺れて、咄嗟に身をかがめて安定させる。
「ズメイ、どうした?」
「呼ばれている」
「呼ばれて、?誰に?」
「名前は知らん。下にいる」
「…下?」
下とはどういうことだろう。
掃除か何かの用事で歩いている人たちが私たちの姿を見留めて、さっと左右に分かれた。
小さくない風が舞い起こって色んな人たちの目を回してしまったので謝るも、ズメイが止まろうとしないので謝罪の声は遠くから聞こえただろう。
後でちゃんと謝ろう。
しばらくして、地下へ続いているらしい大きな階段の前に着いた。
離宮の中なのは分かる。だってすぐ側の窓から王宮の屋根が見えるから。
階段の先から流れてくる風は生暖かく、階段を照らす明かりがないからかどこまでも暗い。
そんな階段を、ズメイは一切躊躇わずに降りていく。
竜の目を借りて壁と天井を見渡してみた。
「、…名前?」
無数の文字が壁に天井に刻まれている。それが名前だと分かったのは、ヴィーリさんやヴィーリンさんのように、聞いたことのある響きの単語が刻まれているからだ。
丁寧に削られているとはいえ岩壁を直接くりぬいたような天井と壁はかなり昔に掘り進められたもののようで、刻まれている文字が風化の丸みを帯びている。
ズメイの爪が階段に打ち付けられる音が響き、ぽっかり空いた空間に木霊することしばらく。
むせかえるような百合の香りと、朝、庭で聞いた鈴のような声が階段の終わりから聞こえた。
「シシーも聞こえたか」
「うん…誰?」
「行けば分かる。…話ができるかは分からないがな」
どこか、ズメイの声が震えている気がして背中の鱗を撫でる。
少し落ち着いたようで頭を一度振った竜は、足を早くさせて一気に階段を駆け下りた。
さっきより強く感じる百合の香りと、太陽の熱。
いきなり明るくなった視界に目を細め、眉のあたりに当てた手の影の下、誰がいるのかと目をこらす。
まず見えたのは、苔むした地に斧や兜が立ち並ぶ、無数の墓。
お墓の主は戦士だったのだろう。墓になっているということは戦争で亡くなった戦士たちかもしれない。
斧も兜もさび付いたり、欠けたりしている。こちらも相当昔のもののようだ。
苔の緑の中で異質に立ち並ぶそれらが、天井から降り注ぐ細い光に一人ずつ照らされている。
上を見上げれば鏡を上手く使って、上の階から降り注ぐ光が屈折しているのが分かった。
そんな武具に守られるように、同じように天上から差し込む光に照らされている巨大な骨がある
その骨はただの骨ではなかった。
竜の骨だ。
それもズメイより何倍、いや何十倍も大きな。
骨の置き方を見るに、体を丸め、翼を閉じて眠っているような形だ。
この大きすぎる翼が開き、立ち上がって、ズメイより長い首を上げたならばきっと山のような大きさだろう。
ああ、そうか、と思う。
「あなたが、120年前にこの国を守った竜なんですね」
ここは私が立ち入って良い場所だろうか。
このお墓は、カザンビークの人たちのものなのに。
私を乗せたまま歩きだそうとしたズメイを止めて苔の上に足を下ろす。
なんとなく、自分の足で歩かなければならない場所のような気がしたからだ。
小さく深呼吸してズメイと一緒に一歩を踏み出す。
古い斧にも兜にも、持ち主の名前であろう文字が刻まれているのが近づいて分かった。
竜が守ったから、犠牲者はいないと思っていた自分を恥じる。
120年前の話は『戦』の話だ。国同士の、人とドワーフどちらにも戦死者が出るはずの事実。
なぜ気づかなかったんだろう。そんな訳がないのに。
本で読んだことはある。誰も読まなかったけれど、歴史書もあの家にあったから。
国の成り立ちには王がいて、民がいて、土地があって、大小問わず戦があった。
『歴史』がそうなら、どの国でもそれは未来に起きるかもしれず、現在にある事実なのだ。
墓標が作る道をゆっくりゆっくり歩きながら、遂に竜の骨の前に立つ。
捧げ物をするかのように、真っ赤で大きな鱗が一枚と、大きな酒瓶が一つ、何も乗っていないけれど本来なら食べ物が乗っているであろう大皿が一枚、骨の前に置かれている。
よく見れば、骨が置かれている台座の壁は捧げ物の鱗と同じ鱗で装飾されていた。
(捧げ物ではなくお供え…)
この竜が永遠の眠りについてからずっとここに置かれている物なんだろう。
お供え物であるはずの竜の鱗にうっすら埃が被っているのに気づいて、両手を合せてお悔やみを祈ってから袖を引っ張って鱗を優しく擦る。
真っ赤だと思っていたそれは溶岩のように赤と橙色に色を変える、不思議な色だった。
鱗であるはずなのにどこか透明感がある。
その鱗に見とれつつ、埃が取れたことを確認した私は拾う時よりそっと、とても丁寧に元の場所に置いた。
不意に、きん、と頭の中が揺らぐほどの耳鳴りがした。
「!」
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう」
大きく歪んだ視界のせいで後ろにたたらを踏んだ私を、ズメイが体を横にして支えてくれる。
まだ耳鳴りは止まらず、ズメイの声が遠くで聞こえるような感覚が続いていた。
こめかみに手を当てて揉みながらやり過ごそうとしていると、ズメイが首を上げて『ああ、こいつだ』と言う。
「喜んでるな。ずいぶん昔に死んだようだから、言葉になっていないが」
「喜んでるって、え、この竜、生きてるのか?」
「いいや、生きてはいない。死ぬ前によほど強い思いがあったようだから、それが残っているだけだ。シシー、寄ってやれ」
「寄るったってここはお墓で、わ、わわ、さすがにまずいって…!」
「良いから」
耳鳴りが酷くてふらつく私の首根っこをくわえたズメイが、遠慮もなにもなしに赤い鱗の台座に上がって骨にすぐ触れる場所まで私を連れて行く。
ちょうど竜の鼻がある辺りで止まった彼は、何を考えているのかそのまま私を骨に押しつけた。
首根っこをくわえたままで話せないので、念で『撫でてやれ』と言われる。
とんでもない冒涜をしている気がする。うっかりどころか確実に呪われたって仕方が無い不敬を働いている気がする。
竜と人間ではお墓や骨に対する考え方が違うのだろうか。
今度ちゃんと擦り合わせしないと、と考えた後、ひとまず言われた通りに手を動かす。
ズメイを撫でるように、鱗を逆立ててしまわないように、鼻の先から真っ直ぐ上へ。
私の手で触れる範囲など目の前の竜と比べたら滴のようなものなのに、一体これに何の意味があるのか。
ため息交じりに手を離そうとした瞬間、骨に赤い光が集まって輪郭を作り始める。
骨に肉がつき、鱗がつき、瞼がつき。
翼に翼膜がついて、角に艶が戻って、まるで生き返ったかのような姿が目の前に。
その光で作られた溶岩の色をした赤い竜が、その瞼を押し上げて私を見た。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。




