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竜の民  作者: とんぼ
一章

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24/152

今日から泊まる所



しこたまズメイに取り付けてある鞍を見た国王様は、大変満足気な顔で笑いながら私の方に向き直り、今日から泊まる部屋へと案内するよう兵士…ではなく、鎧防具を着けていない使用人に命じて立ち去っていった。

使用人の人も男の人で、綺麗にされてはいても顔が隠れるほどの髭があるので見た目では役割が分からない。


(ヴィーリさんはドワーフ皆戦士だって言ってたっけ)


いざという時、きっとこの人も戦うのだろう。

先を行く広いけれど背の低い背中を見つめながら、まとわりつかれてぐったりしているズメイの顎を撫でた。


王宮の中でも特別な離宮だという案内された場所は、なんでここが本宮なのか分からないぐらい緻密な細工が施されている綺麗な場所で。

ズメイと隣り合って歩いても問題ないぐらい広い廊下は半円の先が尖ったアーチ状になっている天井飾りが連なっている。

そこに施されている意匠は細かい幾何学模様の透かし彫りで埋め尽くされており、太陽石の輝きを受けてぼんやり白く光っている。

よく見れば歩いている廊下の床も、足裏は何にも引っかからないのに花の模様が細かく入れられていた。

廊下を支える柱も、装飾も、床も、こんなに輝いているのにただの石だというのだから驚きだ。

『とんでもなく高貴な場所を踏んでいるのでは』と気づいて足で踏むことが怖くなり思わず止まってしまったのだが、前を行くドワーフは気にせずずんずん進んでいく。


『どうした』


ズメイは気づいているのか気にしないのか、我が物顔で私より数歩先を歩いているので、覚悟を決めてなるべく優しく床を歩いた。

先導するドワーフが話すには、この離宮は120年前に建てられたもので、この離宮の地下には当時を守りきった竜の骨が埋葬されているそう。


「お嫌ではないでしょうか」


そう聞いてきたドワーフに首を振る。

お墓の上に泊まるのかとは思えど、嫌な気分はしなかった。

色んな本を読んだ。その中に極楽や地獄についての本もあった。

良い行いをすれば極楽へ。非道な行いをすれば地獄へ。

読んだ本で死者の世界があるのを知った。

けれど、私にはどうしても物語を読んでいるような、水に反射する景色を見ているような、他人事のようなもので。


生き物は皆、死んだらそれまでだと思う。


生きた証が歴史なり遺産なりで残っても、骸はただの骨。

怨念や思念といった存在はあれど、あれらは死者に残った魔力によって生み出されたものだと聞くので、生前のものとはまるで違う。

人がそうなのだから竜だってそうだろう。

骸は墓標となり、あるかもしれない彼岸に向けて手を合わせて『安らかに』と願うものであって、それ自体が何かを生む訳ではない。

それをそのまま、拙い西の言葉で伝えれば、なぜか嬉しそうに破顔したドワーフは『この先です』と離宮の鍵を手渡した。


「ご用の際は部屋の中にある呼び鈴を鳴らしてくださいませ。すぐ参ります」

「ありがとう、ございます。…あの、今日、夜、待ち人、ある」

「おや、どなたかと先約が?」


ニコさんが『また後で!』と言っていたのをつい先ほど思い出して、夜の宴には参加できない、と言いたかったのだが、穏やかに笑った彼は軽く会釈をして、日を改めるよう言付けますと待ち合わせの酒場を聞いてきた。

それはちょっとニコさんたちに申し訳ない、と思ったけれど、この国の主は国王様だ。

そしてたぶん、私は彼の客人。

お世話になった人と、これからお世話になる人との力の差を天秤にかけて悩み、最後には今日の宴に参加することにし、彼らから教えられた店の名前を伝えた。

ニコさんも、オドさんも、ニーチェさんも、ヴァンドットさんも、嫌になり始めた私から離れられるならきっと嬉しいだろうと、そう思ったのもある。


「『拳を振り上げる女』亭ですね。あそこの豚の塩焼きは絶品ですよ。ぜひ」

「しおやき?えと、はい」

「この後のご予定はございますか?」

「えっと……近く、川、あるますか」

「川ですか?」


しおやき。塩焼きと書くんだろうか?それは食べたことがない。

想像しても塩の塊の中に豚がいる光景しか浮かばなかったので、詳しく聞くのは諦めた。

ものすごくおもてなしをしようという気概をドワーフの彼から感じたので、予定、と聞いて川が思い至る。

まだ明るい時間、午前中と言っても過言ではない。

ズメイのお腹は空いていないだろうけれど、しばらく湿地を飛んでいたので彼の爪の間には泥が溜まっているし、鱗の間を含めて竜の体も磨きたい。

そう思って聞けば、せっかくなら温泉に、と簡単な地図を渡された。


120年前に訪れた竜は体が大きすぎて入れなかったけれど、温泉が近くにある地熱の溜まった場所でよく体を休めていたそうだ。

ズメイの大きさならば入れるだろうと勧められる。

『どう?』まだまだぐったりしているズメイに聞けば、文句もなく頷かれた。

これは早く鞍を外してやらなければ。


「そうだ、お二人のお好きな食べ物はございますか?」

「ズメイ、魚好き。私、何でも、です」

「承知しました」


深く会釈をして、これまた大きな扉を前にドワーフが去って行く。

聞きたいことはもっとあった。

ヴィーリさんの手紙を受け取った人はどこか、ここを守ったという竜の墓参りをしても良いか、角飾りを作ってくれる鍛冶師はいないか、とか、もっとたくさん。

けれどカザンビークに来てから怒濤すぎて。

未だにちょっと前は農村地帯をぽくぽくと移動していたのが信じられない。


結局、ドワーフを引き留めることはできなかった。

少し肩を落とし、案内された扉に向き直る。

百合らしき花を中心に、これまた見事な細かい彫刻が施されている扉をじっくり観察する余力もなく、渡された鍵を鍵穴に差し入れる。

鍵の先についた鈴が、ちりん、と鳴った。


「………王宮、すごい」


扉も石造りなのか、思ったより重くて力を込めて押した先は、もしかしてモンロニアの皇族も見たことがないんじゃないかというぐらいの豪華さ。

金とか銀とかが、あらゆるところに施されている。

窓からの光を遮る深緑の垂れ布には金糸の刺繍で唐草模様、垂れ布と同じ色の膝掛け椅子や寝椅子にもまた金糸で刺繍が施されており、壁を彩る絵はこれまでのどんな本でも見たことがないほど細かい幾何学模様が嫌にならない絶妙な具合で、金と銀が交互に重ねられていた。


天蓋付きの寝台もそうだ。

天蓋の布にはさすがに刺繍はなかったけれど、天井付近で布を支えている天蓋には、見とれるほど美しい配分で金細工と銀細工が絡み合っている。

扉と同様、百合が主に添えられているようで、天蓋にも百合の花が咲いていた。

しかも銀細工ときた。その周りに金細工で茎や葉がぐるっと取り囲んでいる。

銀細工の百合は故郷の店先で見たことがあるが、ここまでではなかった。

まるで今にも花弁から水滴が落ちてきそうなほど瑞々しい。


思わず部屋で一番目立つ天蓋に目が行ってしまったが、肘掛け椅子や寝椅子とぴったり合った低い机も、廊下の床と同じく凹凸がないのに模様が刻まれているのが、窓から差し込む光の反射で分かった。


「素晴らしい!気に入った!」


開いた扉に当たらないよう、器用に尻尾をくゆらせながらズメイが吠えた。

光り物が大好きな竜に合わせて作られたのが分かる部屋だ。

もちろんズメイも、さっきまでのぐったりした様子を余所に目を輝かせている。


「ここ、本当に泊まっていいのか…?」


私はと言えば、今までとあまりにも違いすぎて目が痒い。

嫌ではない。嫌ではないのだ。嫌なはずがない。

ただあまりにも場違いすぎて。

気後れして部屋に入ろうとしない私をズメイの尻尾が絡み取って前に進める。

普通の茶色い絨毯だと思っていたのに、靴の下から感じる柔らかい感触に『毛皮』と分かってしまい、ズメイの尻尾を支えに靴を脱いだ。

絶対泥で汚す訳にはいかない。


裸足で踏んだそこは、予想以上に柔らかくて優しい。

一歩一歩進めば、寝台の向こう側は大きくて白くて丸い、柔らかそうな枕のようなものが置いてあり、そこと合わせた大きさの外へ続く大きな窓があった。

窓の外には外側へ張り出した露台があるので、きっとズメイのための寝台だろう。

確かにズメイの大きさならこれで十分だ。

外の太陽とはまた違う、穏やかな光が差し込む中、部屋のあちこちを見て回っている竜の背中を首だけで追いかけていると一気に全身から力が抜けた。


(ここは、大丈夫)


最初、国王様が出てきた時は何か裏があるんじゃないかと思っていた。

けれどこんなにもてなされると『違う』と思う。そう思いたい。


ここは追いかけられない。

ここは冷たい言葉が飛んでこない。

ここなら痛くも寒くもない。


(ここは、ズメイと一緒にいられる)


張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れて、その場に横になる。

どれだけ柔らかくとも絨毯の上で、とてもとても行儀が悪いけれど、今すぐあの綺麗な寝台に飛び込む勇気はなかった。


「シシー、温泉には行かないのか?」

「ちょっと休憩…」

「ふむ…まあ良い。ずっと外で寝ていたしな」


ズメイも私に倣って、柔らかい絨毯の上に寝そべって私をぐるっと囲む。

柔らかい毛先が慣れないのか尻尾の先がたまに上に跳ね上がってはそっと降りていった。

その動きが面白くて思わず笑えば、なぜだか笑いが止まらない。

腹を抱えて背を丸め、声を押し殺して笑う私はさぞ滑稽だろう。


安心したのは久しぶりだった。

メルグでの日々は毎日が楽しくて刺激的だったけれど、人が多くていつ誰にズメイのことがばれるか、顔を見られるかといつも張り詰めていた。

いや、メルグに来る前からずっと気を張っていたかもしれない。


初めての魔獣との遭遇、冤罪によるモンロニアからの追放、冷ややかな視線を投げられ続けた無謀な一人旅、そしてズメイと会って、何もかも初めての脱出劇に、初めての景色、初めての町、見知らぬ人たちとの時間。


あまりに怒濤すぎる毎日だった。

どんな目に遭うのかと不安の連続だった。

笑い声はいつしか嗚咽となり、跳ねていた尻尾が目に留まりきれなかった涙を乱暴に拭い取っていく。


「頑張ったな」

「っ、うん」

「ここは安全だ」

「うん、」


なぜズメイは私にも分からない、私が欲しい言葉をくれるのかと不思議に思う。

けれど『絆を結ぶ』というのはこういうことかもしれない。

言葉にならない感情を、知ろうと思えば分かるのだ。

今だってズメイから暖かい何かが流れ込んできている。

それがいっそう目に涙を溜めていくので、きっと絨毯はぐっしょり濡れているだろう。


「シシー」

「うん、?」

「もう大丈夫だ」


初めて会った時、なぜこの黄色い目をあんなに怖がったんだろうか。

今目の前には優しく目を細めて、ただの『シシー』を気遣ってくれる竜がいるだけなのに。

幼子みたいにズメイにしがみついておいおいと泣く。

硫黄の香りを少し漂わせた竜は、再び『泣き虫』『鞍が濡れる』『目が腫れる』と小言を言ってきた。

それらの小言がつっけんどんなのに温かくて、嗚咽はまた笑い声に。


ようやく涙が止まったのはいつ頃だろう。

腰を落ち着けて少し回復した膝に力を入れ、今度こそ温泉に行こう、とズメイの背中から不要な旅支度を下ろした。


「お待たせ」

「さて、次はどんな奴が驚くかな」

「そこが楽しみなのか…」


きっと町の上を飛べばまた大騒ぎになるだろう。

少しばかり物騒な輝きが宿る黄色い目に苦笑しつつ、ズメイが私の相棒となってくれて本当に良かったと心の底から思った。



実は温泉に入ったことがない。

姉や母が湯治のため温泉地に旅行に出かけることはあっても、当たり前のように私は連れて行ってもらえなかった。

私はいつも大きなたらいに張られた生ぬるい湯で体を清めていたので、家の中で響く『気持ちよかった』『紅葉が綺麗だった』との声で『そうなのか』と想像を膨らませていただけで。


ゆっくり休憩したので、自身の腰巻きにつけている小物入れを取り、テーブルに置く。

外に出ると連絡を入れようとしたが、扉を開けても誰もいなかったので、おそるおそる呼び鈴を鳴らした。

今度は女の人のドワーフがどこからともなく現れ、満面の笑みで『どのようなご用件でしょうか』と揉み手している。

すみません、ただの連絡です。


目に見えて肩を落としたドワーフさんだけれど、好きな時に出かけて良い、と言われたので今度からは呼ばなくてすみそうだ。

では、と遠慮無く離宮から飛び去った後、ほとんどまっすぐ温泉街に向かう。

町の方は少し落ち着いたようだけれど、私たちの姿を見つけては手を振ってくれている。

その手への返事の仕方が分からず、見なかったことにしてしまった。


王宮と離宮のすぐ外にある町と温泉街は分けられているようで、離れた場所から湯気と一緒にズメイと同じ、硫黄の匂いが流れてきた。

地下とはとても思えない広さだと、眼下を見ながらゴーグルを外す。

空気が暖まりやすく、強い風も吹かないカザンビークではゴーグルはいらないと気づいたのだ。


「わ、青色の温泉!」

「あれが温泉か?なんだ、ただの熱い水じゃないか」

「そう言われるとその通りだけど」


それだけじゃないのだ、温泉は。

温泉が湧いているというよりどこからか流れてきているようで、棚状に降りていく湯は長い年月をかけて地面を鱗のように変えているのだろう。

白い湯気と青い温泉で、上から見るとまるで竜の皮のようだ。

高まる期待と共に、温泉街に近い開けた場所に降りてもらえば、温泉街の代表という人が駆けつけてきて『こちらへ!』とぺこぺこ頭を下げている。

年は50だろうか。けれど今度は普通の人間だ。

その激しい会釈の仕方がとても居心地が悪い。


「あの」

「はい!なんでしょう!?」

「私、偉いない、です。いつも通り、お願い、頼む」

「ですがドラゴンの相棒殿でありますれば…」

「お願い、頼む」

「…分かりました。私はダゴンと申します。ようこそ、カザンビーク温泉街へ」


敬語まではやめてもらえなかったけれど、いつも通りの調子に戻ったらしい。

今は管理職だけれど、前はこの町の観光案内を担当していたらしく、案内される道中にいろいろ話してくれた。

温泉街のあちこちには娯楽施設があり、食事処があり、宿がある。

町にいる人たちと違って、様々な国から人が来ているようで、ズメイの姿を見てすぐに踵を返す人たちも多かった。


「この国に唯一、ドラゴンも入浴できる温泉があるんですがね。まさか私の代でそこを使うことになろうとは思いませんでした。なんせ、清掃はするけど誰も入りませんから」

「なぜ?」

「お館様の命ですから。『ここを訪れる全てのドラゴンが心地よく過ごせるように』と国のあちこちに専用のあつらえがありますよ。今回はズメイ殿とシシー殿専用ですね」


そんな好待遇、かつ高待遇、あっていいものだろうか。


(罪人だってバレたらものすごくまずい気がする…!)


冷や汗が止まらないが、顔半分を隠す口布のおかげでごまかせていると思いたい。

さ、こちらです。と見慣れた深紅ののれんを開いて誘導するダゴンさんに従う。

専用のあつらえ、と聞いてさっきからズメイはご満悦だ。

温泉街に来てからずっと私たちを見守る視線がやっぱり居心地が悪く、さっとのれんをくぐる。

くぐった先は比較的質素な、ぼんやりと橙色の明かりが灯るだけの広い空間があった。

入り口付近は石、その向こう側には木の板が張ってあるので思わず靴を脱ぎかけたが、ここはモンロニアではないと思い出してやめる。

たしか西方の国では、屋内に入る時に靴は脱がなかったはずだ。


その判断は正しかったようで、続いて入ってきたダゴンさんは躊躇いもなく土足で先に進んでいく。

温泉は、入り口の広い空間に付けられた扉のない門構えの向こうにあるようだ。

その門構えも、ズメイが十分通れるだけの大きさで、薄暗い空間の奥から水の音が絶えず流れている。

ダゴンさんはその門構えの手前で止まり、私たちの方を向き直った。


「この奥に湯殿があります。清掃はきちんと済んでおりますので、ご安心ください。湯上がりの水が必要でしたら脱衣所の方に用意してございます。ご自由にお飲みください」

「ありがとう、ます」

「……シシー殿」

「?はい」


入り口の空間より一段薄暗い暗闇に踏み出した後、ダゴンさんが私を呼び止めた。

ズメイは先に行くというので、その場で手早く鞍を取ってやり、小脇に抱える。

暗闇の中に消えていった背中を見送ってダゴンさんに向き直ると、優しいというより穏やかな顔で私を見ていた。

よく見れば灰色がかかった茶色い瞳なのに気づく。

その瞳に橙色の明かりが反射して、なぜだかとても切ない色になっていた。

その目がそっと伏せられる。


「あなたは奇跡のような人だ」

「……奇跡、?」

「私はドワーフの父と、人間の母から生まれたハーフ。120年前、私はまだ小さな子どもでしたが、よく覚えています」


ドラゴンが、この国を救った光景を


「あのドラゴンにお礼を言いたかった。崩れかけた家屋に押しつぶされつつあった母を助けてくれてありがとうと。父を戦で亡くさず済んだことに一生分の感謝を。けれど今は叶いません。せめて安らかにと、慰霊碑の前で手を合せるだけです」

「…」

「そんな中、あなたが現れた」

「えっと、私、何も、してる、ない」

「いいえ、あなたというドラゴンと話ができる、共にあれる者がいるだけで、奇跡なのです。ヴィーリからの手紙を受け取った人が、酒場で大きな声で話しているのを聞いて思わず涙しました」

「???」

「…ドラゴンは人を、ドワーフを、恨んでいないかと思っていたのです。ドラゴンとは関係ない事で命を使わせてしまったから。同族が、戦で死んでしまったから」


だから、もうドラゴンと一緒の時間を持てないだろうと思っていたという。

もう人を、ドワーフを、二度と助けないのだと。

それはちょっと思い悩み過ぎだとは思ったけれど、私は戦争を知らないので、ダゴンさんの言葉を聞くままにした。

頷きも否定もしない。だって私は彼の心が分からない。


国にドラゴン来訪を知らせる角笛が鳴り響いた時、町の上を私を乗せて飛ぶズメイを見た時、何の躊躇いもなく王宮のある方向へ飛んでいくのを見た時、心の中に刺さっていた棘が抜けた気持ちだったのだという。


「シシー殿、ヴィーリを見つけてくれてありがとう。この国に来てくれてありがとう。…私からはそれだけです。…少し話すぎましたね。一方的に、申し訳ない」

「……その、私、凄いない、奇跡違う。…けど」

「?」

「カザンビーク、好き、思う」

「…フフ、そうですか、好きですか、この国が。そう、それは本当に」


今までで一番嬉しいことですね


そう目に涙を溜めながら笑うダゴンさんの背中をさすり、ようやく泣き止んだ彼は外から呼び止める声に返事をし、会釈をしてこの場を出て行った。

120年前、ここにいたドラゴンは凄いことをしたのだ。

これだけ長い間、大勢の人に感謝され、敬われているのだから。

ならば私たちも何かした方が良いのでは?と門構えの向こうにある脱衣所で服を脱ぎながら思ったけれど、何をすれば良いか分からない。

聞けるところといえば、まず『お館様』だろうか。


「うん、宴で聞いてみよう。あんな豪華な宿、タダ飯食らいはダメだよな」


今は温泉だ。なにより長いこと体を洗っていないので早く洗いたい。

口布を外すかどうか迷い、ここは私たち専用、というのを信じて外す。

体を洗うための布一枚を手に、温泉へと続く門構えへ向かった。

脱衣所と直で繋がっているようで、こちらまで湯気がモウモウと押し寄せてきている。


ばしゃん、と大きく水が跳ねる音がする。

それと同時にとてもとても気の抜けたズメイの呻き声というか、唸り声というかが聞こえてきたので、ここの湯をお気に召したようだ。


温泉本体があるその場所は、脱衣所の橙色の明かりとは正反対に、青い光でいっぱいだった。

壁に何かの仕掛けがしてあるのか、人工的な光ではなくそれ自らが発光しているようで青から水色へと綺麗に移り変わっている。

同時に、壁で発光している何かが時折、光の粒をまき散らしては天井近くまで照らしていた。

岩をくりぬいたような場所のここは声もくぐもるようで、一度水の音がすればしばらく木霊している。

無理に文字にするなら『星空の洞窟』だろうか。

今までに経験したことのない場所で、足を滑らせないよう注意しながら楽しんでいるズメイを目印に、湯船の一歩手前で止まった。


「どんな感じ?ズメイ」

「これは良いぞ、シシー!ただの水がこんなに気持ち良いとは!」

「本当?…うっ、ちょっと熱い」


近くにあった桶で湯を汲み、足先にかけると一気に肌が赤くなってしまった。

けれど、冬の寒い日に火鉢に手を当てた後のような感覚だ。

じわりじわりとやってくる熱が気持ち良い。

もしかして自分で思うより冷えていたんだろうか。

ズメイに聞けば『そうかもな』と言われた。

ずっと空を飛んでいたし、ここ1週間、人との旅を続けていたから体が強ばっているかもと。


一気に入ってしまえば気持ちよくなるかもしれない。

もう一度膝下まで湯をかけ、しびれを感じる足をゆっくり湯船につける。

私が動く度に湯気がくゆった。

まず片足を、次にもう片方を。

一度湯船の中で膝立ちになり、じわじわが落ち着いたころに肩まで浸かるよう腰を下ろした。


「っ、はーーーーー気持ちいい…」

「件のドラゴンが気に入るのも分かるな」

「だなあ…」


すい、すい、とズメイが気持ちよさそうに泳いでいるのを見つめながら、湯船の壁に背を預ける。

湯の中で指を曲げたり広げたり、ふくらはぎを揉み込んだり足裏を伸ばしたりして、あちこち動かせば本当に体が強ばっていたようで全身に血が通うようだった。


しばらくぼんやりと温泉を楽しんでいたのだが、ふと頭がむずむずしてきたのに気づいて、慌てて湯船から出る。

何事かとズメイも湯をかき上げながら後に続いたので、たわしを手に彼を振り返った。


「先にさっぱりしよう。洗ったげる」

「そういえば泥がついたままだったか」

「私も先に入っちゃった。でも先にズメイな。色んな所が汚れてるんだから」

「むう…しかたがないな…」


湯船に入る前に、体を洗う。

モンロニアでは行ったことがないが、不思議と体に染みついた掟に従う。

石鹸を泡立ててズメイの鱗にこすりつけ、たわしも泡立てて生え方に沿ってごしごしと洗うと、みるみるうちに土の色と草の匂いをさせながら汚れが取れていった。


(こんなに汚れてたのか!?)


ちょっとこすっただけでこれである。

これは定期的に川で鱗を磨くぐらいしないといけないと腹をくくり、それから小一時間かけて、ようやくズメイの尻尾の先が終わった。

癒やされに来たはずなのになぜか素っ裸で疲れている。

ぴかぴかと光る鱗を見て、私に礼を言うと彼はさっさと湯船に戻ってしまった。

薄情者。


ズメイを洗いながら私も洗っていたようなものだけれど、もう一度手早く頭から全身を洗う。

痒いところや汚れたところがないのを確認して、もう一度湯船に浸かった。

誰もいないのを良いことに湯船の中央まで進んで、両腕両足を投げ出して浮かんでみる。


「「っはーーーーーー」」


ズメイも泳ぐのをやめてのんびりしているようだ。

二人分の長い長いため息が岩に響き、黄色い目と見つめ合って、大いに笑った。





沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。

とても励みにさせていただいています。


不定期更新で申し訳ないですが、

必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。

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