ズメイの悪戯と湿地
耳の中に入り込んでは鼓膜をくすぐっていく風を頭を振って追い出す。
ゴーグルのガラスが自身の呼気で曇っているのに気づいて、口布を外した。
ほう、と吐き出した白い息を見上げて見える夜空は、相変わらず美しい。
しかも今日は満月だ。
幾度も小説の中で表現されている『宝石を散りばめたような』星の大群と、『神々が住まうにふさわしい輝き』の丸い月が頭上にある。
雲の上で見るのが一番だけれど、大地に近い方で見る夜空も綺麗だ。
あいにく、星座に興味がなかったのでその類の図鑑は読まなかった。
星にまつわる物語や神話は好きで、よく読んでいたのだが。
ズメイにつけている鞍と自分がしっかり繋がっているのを確認して手綱から手を離し、頭から外したゴーグルに袖の端っこを押し当て擦る。
メルグの町を出てからすでに一週間経った。
一日中飛べばもっと進めるぞ!と胸を張って飛びたがったズメイ。
さすがにズメイも私も睡眠が必要だと思って少しの言い争いの後、夕方から日が昇り始めるギリギリまで飛ぶ、ということになった。
背中で寝れば良いとズメイは不満そうにもしていたのだけれど、飛んだまま寝るだなんて気絶でもしなきゃできるはずがない。
いくら命綱があったとしても、一度ズメイから滑り落ちた経験からそう簡単に安心できないし、何より彼にだって睡眠ないし休息は必要だと思う。
ゴーグルの曇りが取れたのでもう一度頭から付け直しながら、地図と周りの景色を照らし合わせた。
今いるのは湿地地帯だ。
湿地だからか、上空にいるというのに草と土の匂いが濃い。
夜が明けてからはどこかで体を休めたい。
が、地図が正しいとしばらく湿地地帯が続く様子。
背の低い木が点在していても、それと同じだけ薄く水の張った沼のようなものが月明かりに反射している。
動物が隠れる場所もなければ人が生活していけるだけの恵みもない。
村か町の灯りは見渡す限りどこにもないし、地図にない村や町があるということもないしで、これは本格的にズメイの背中で寝なければならないかもしれないと寒さとは違う震えが背中に走った。
人がいないので満月の明るい夜でも堂々とズメイと飛べるのは良いけれど。
「シシー!あそこにいるのはどんな奴らだ!?」
「うん?…たぶん、商人、だと思う…たぶん」
そんな湿地のど真ん中を、ゆらゆらと橙色の灯りが左右に揺れているのが見えた。
大きく四角い影ができているのは、ほろ付きの荷馬車だろうか。
馬が一頭と御者台に一人。
話し声は複数するので荷台の方にも何人かいそうだ。
以前ならばどう目を懲らしても見えるはずのない距離と暗闇の中、はっきりと見える自分の目にまだ慣れない。
荷馬車から商人だろうと安直に判断したのだが、近づけば聞こえてくる声の節々に『商談』『大損』『借り入れ』の言葉が入っているので、商人で間違いなさそうだ。
「話しかけよう」
「…ズメイ、まだ諦めてないのか?」
「人間が驚く顔は何回見ても面白いからな。シシーの練習にもなるって言っていただろう?」
私の練習というのは会話の練習だ。
メルグを離れてからというもの、人を見た機会は少ない。
他の町にまで『竜が出た』情報が出回っていれば大事だと避けていたのもあるが、ズメイが人気の無いあちこちに寄り道をしたせいもある。
『あっち!』と指差しで方向を教えても『いやあっちの方が楽しそうだ!』と勝手に方向転換するのだ。
しかも、森の奥にある何百年も生きているだろう小山のような大樹だったり、地図にない翡翠の色をした湖だったりを必ず見つけるので。
(うっかり探検してしまったけども!)
小山のような大樹は、一本の木ではなく何本もの木が複雑に絡み合って上へ上へと伸びていて、それを下から見上げるのは何だか感動するものがあった。
ズメイの力を借りて、その大樹の枝に乗せてもらい、二人して昼寝をしたのも良い思い出だし、大樹になっているのであろう赤い実が落ちてきて、美味しそうな匂いがするから囓ってみたらものすごく酸っぱかったのも、思い返せば良い思い出だ。
ちなみにその赤い実は、名前こそ分からなかったけれど刻んだ後の少量であれば普段の食事の薬味になるんじゃないかと拾い集めてきちんと荷物に入れてある。
翡翠の色の湖は、水面いっぱいに水生植物が広がっていた。
大きな生き物がいないからか、空から見ても地上から見ても水面はぴくりとも揺れ動かず。
しばらくその景色を眺めたり、生えている植物の中にセリを見つけたので、毒セリと間違えないよう気をつけながら摘み取ったりしていると、ズメイが痺れを切らして湖に飛び込んだ。
休憩だからと荷物を下ろしていたのは良い判断だったと思う。
湖の中にいる魚たちは心底驚いたんだろう。
不意打ちにも関わらず、魚より水草を大量にくわえて翡翠の間から顔を出した竜は、鱗のそこかしこにも草を貼り付けていたので大いに笑わせてもらった。
笑ったことで機嫌を損ねたズメイを元に戻すのは大変だった。
それだけは苦い思い出だ。
いや、苦い思い出はもう一つ
湖から離れて鞍とズメイの体の隙間に潜り込んだ細い草や、尻尾にこびりついた藻なんかを取っていると、人の声が複数したのだ。
湖の周りは森だったので、すぐに木の上なり飛び立つなりして隠れていれば、あんな大絶叫が木霊することはなかったかもしれない。
人がいるなら、会話の練習ができると私がズメイを引き留めたのだ。
隠れず、慌てず、声の人たちが私たちを見つけたなら話をしたいと。
人とばったり会う。その作戦自体は上手くいった。
けれど、運悪くその人たちは魔獣狩り…いわゆる冒険者たち5人で。
さらに言えば、装備の少なさと見目の幼さから冒険者になってまだ日の浅い人たちだったようで。
がっちりと絡み合った視線が保ったのはほんの3秒。
たっぷり3秒、呼吸を止めたかと思ったら顔を青くさせ、手にある薬草の入った篭をその場に落として、奇声というか絶叫というかを上げながら走り去られてしまったのだ。
一番足の遅いらしい男の子が途中で転んで『待ってよー!』と叫んでいたので、立ち去る前にと拾い上げた篭を手渡したのだが、それすら怖がられてしまった。
奪うように篭を掴んでまた走って行った背中が申し訳ないほど震えていたので、それ以上声をかけることは諦めた。
そんなことがあってからだ。ズメイが人を驚かせるのに目を輝かせ始めたのは。
明らかに旅人の野営を狙おうとしている夜盗らしき人たちに、背後からいななきを浴びせかけるだけならいざしらず、冒険者たちが昼の森を歩いているのを見つければ上空から一気に急降下して目の前に現れたり、行商人の行列の上を翼の先がほろに掠れるかという距離で滑空したり。
困らせるなといくら言っても『シシーは会話の練習が必要だ』と言い切られる。
あんなに驚かせてばかりだと怯えて会話にもならないだろうに。
子どものような感覚でとんでもない悪戯を仕掛けないで欲しい。
そうして、湿地を走る馬車にもまた同じ事を仕掛けようとしている。
馬と違って、手綱を引いたってズメイは止まってくれない。
そもそもこの鞍は私が安全に空を飛べるように作ってもらってものであって、ズメイ自身を制御するためのものではない。
思いっきり手綱を引っ張れば多少、邪魔はできるだろうけれど純粋な力比べにはどうしたって竜には敵わないのだから。
完璧に制御しようとは思わないけれど、ちょっとは言うことも聞いて欲しいと思う最近だ。
楽しそうに喉奥を唸らせながら『さあ今回は何をしてやろうかな』と舌なめずりをし始めたズメイにため息を吐きながら、もう好きにしてくれと身をかがめてピッタリと背中にくっつく。
馬車の前に降り立とうとしているようで、降下の体勢を取ったズメイが不意に途中で元の体勢に戻った。
「…?どうした、ズメイ」
「馬車だったか?止まったぞ。それに人間たちが慌てている」
「馬車が?こんな湿地で止まったら走り出すのに時間がかかるのに」
体を起こして眼下を見れば、橙色の光が一点で止まり、馬車の周りをぐるぐると回っている人影が見える。
荷台から人が3人出てきたんだろう。
御者台にいる一人は立ち止まっている馬の側に寄って、その首を撫でていた。
少し高度を下げて馬車の近くを一周して貰えば、なるほど、後輪2つがぬかるみにはまって立ち往生しているらしい。
馬一頭の力では抜け出せないのだろう。
荷台の後ろを3人の人影が押し始めたのが見えるが、やはり足場が悪く、一人が滑って地面に真正面から突っ込んだのが見えた。
「あれでは驚かせてもつまらんな。行くか」
「…待った」
「?」
「ズメイ、あの馬車、助けてあげてくれるか?」
「何でだ?」
「うーん…私の気分というか…どうせ声をかけるなら、人助けをした方が会話の練習ができるかと思って…?」
馬がいる。だからちょっと、見捨てられない気分になった。
湿地の泥は冷たい上に重い。
ほとんどを立って過ごす馬には最悪な状況と言って良いだろう。
あの人たちに関わっても良いことがないかもしれないが、できることなら、馬は助けたい。
(もっと人に優しくなりたい、けど)
メルグでだって必要最低限の人としか関わらなかった。
運良くあそこでは良い人たちと出会えたけれど、いつもそうだとは限らない。
ズメイの悪戯により、竜を見て怖がっていた人たちがほとんどだったけれど、私を見て怖がっていた人たちも少なからずいたからだ。
声をかけるタイミングはまあ…ズメイの悪戯の直後なので悪すぎるぐらいに悪いけれど、着ている服も、顔半分を隠す口布もまずい。
黒地に灰色の襟がついた襦も、上と同じく真っ黒な褲も、よく見れば砂埃やその他の汚れのせいでその色が濁っているのだが、夜の暗闇の中で見ればズメイと同じく真っ黒になってしまう。
髪も目も真っ黒な私が、唯一人だと分かる顔の半分を隠してしまっているのだから竜の側にいて『化け物』と呼ばれても仕方が無い。
その言葉を思い出す度、引き絞られる胸の痛みに気づかないフリをして、大きく深呼吸した。
よし、もう大丈夫。人に近づいても、大丈夫。
納得しきってはいないものの、今回は言うことを聞いてくれるようで、ゆっくり高度を落とした後、ほろ馬車の背後で羽音を響かせるズメイ。
羽ばたいて起こった風に、馬車の後ろにいた3人は勢いよく振り返り、私たちの姿を見とめてすぐ、腰や背中につけている武器に手を伸ばした。
すぐに攻撃してこないのをこれ幸いと、ズメイの背中に乗ったまま3人に声をかける。
ヒヒン。馬車の前の方で元気の良いいななきが聞こえた。
「助け、いるます、か?」
「「「……………は?」」」
身の丈ほどあろうかという大きい剣や、使い込まれているのが分かる弓矢、両手それぞれに握られている短剣二振り。
その持ち主3人が、今日の満月によく似た丸みを目に浮かばせて、ぱかりと口を開いた。
自然の描写を…!もっと…!なんか…!ないんか私…!
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