モンロニア皇国の事情
皇城の建物周辺は回廊になっている。
自室へと戻るためそこを歩いていると、先ほど市街の広場で行われた公開裁判が何度も頭を過ぎった。
第一皇子として、次期皇王として、そして1人の人間として、二度と見たくない光景だ。
土汚れを厭わない生活をしている民たちの顔を、ではない。
急ごしらえで作られた木製の台に、縄で縛られ膝をつき、ぼんやりした目で読み上げられる沙汰を聞いていた少女の顔が、瞼の裏から離れない。
顔の傷が塞がったばかりだったんだろう。
真新しいのが分かりきったまだまだ赤い傷跡は少女が負うには痛々しく、数日前までは綺麗に結われていたであろう黒髪は罪人の証として乱暴に刈り取られ、肩ぐらいまでの長さになっていた。
一度だけ、彼女と目が合った。もしかしたらそういう気がしただけかもしれないが。
何の感情も伺えない薄暗い目だった。ただの罪人であれば、本当に罪を犯していたらならば、きっとその目を『自業自得だ』と切り捨てられた。
国境まで連れて行く馬車に押し込まれる時さえ涙一つなく、救いを求めるように窓の外を見ることもなかった少女の顔をまた思い出してしまい、足が勝手に止まる。
(・・・もっと早く、手回しに気づいていたら)
あの少女のこれからを思うと悔やんでも悔やみきれない。けれど私は次期皇王だ。二度とこんな裏切り行為にならないよう、務めるしかできない。
再び歩きださんと一歩踏み出した時、自分以外の足音が響いた。背後から足早に駆け寄ってくるのはせめてあの男ではありませんようにとの自分の願いは一声で霧散した。
「兄上!リウ兄上!」
人懐っこい男の声と足音と共に鈴の音がする。
最近、組紐に小さな鈴をつけて足首に巻き付けるのが流行りだというからそれだろう。本来ならば声をかけてきた男のようにいくつもつけるのではなく、1つか2つをつけてその音色を楽しむためのものだったはずだ。
それがこんなにけたたましい音を立てるなど、風情の欠片もない。
こめかみに力が入るのを感じながら肩越しに背後を振り返れば、苛立ちの原因である末の弟、第四皇子のハオが観劇を見てきた後のように笑っている。
そのハオが無言で歩き出した私の隣に並んだ。
何も気にしていない様子でさっきの裁判の感想をつらつらと話すのを一言一句、右から左に流す。これ以上苛立ちを募らせれば、弟であるというのに喉を潰すぐらいはしてしまいそうだった。
今にも怒りでどうにかなりそうな私を知らないまま、自身の手を打った弟は自分に罪などないかのように朗らかに、満面の笑みを私に向けた。
「父上と母上への口添えをありがとう。あの女を愛人にとか、婚約者になんて言われるか!やっと僕を見てもらえるようになったのに横槍が入るところだったよ」
右から左へ。烏が鳴いているだけだと思えたらどれほど良かったか
拳を作った手の平から血が出ているかもしれない。胸の内に溜まった怒りをため息で吐き出し無言を貫くには、怒りの方が強すぎた。
「礼を言うのは私にではない」
声変わりをしてからより一層低くなった声は、他人が聞けば震え上がるほど恐ろしいらしい。その恐ろしさに感謝をする日がこんな日であるなど、知りたくなかった。
「…え?」
笑い返すと思ったのだろうか、この私が。災難だったなと肩を叩くと本気で思っていたのだろうか、この弟は。
同じ皇子で同じ城に住んでいても、兄弟間の関わりは少ない。十の年を迎えればそれぞれに離宮が与えられ、一族が顔を揃えるのは前もって決まっている食事会だったり、公務がほとんど。そんな少ない関わりの時間を思い返しても、ハオは気づいたら『こう』だった。
末の皇子ということで、父も母も甘やかしている節はあった。けれどきちんとした教育係をつけられているはずだった。私や、他の兄弟と同じように。
だというのにいつからか『皇子なのだから何をしても良い』という考えが根付き、ごまをすって媚びを売る輩に甘い汁をすすられる花となっていた。
ただの花だったらばどれだけ良かったか。この花はこの国の浅い所深い所、双方に根を張り巡らせ、悪知恵を実現できるまでに育っていた。
今までは、実行に移す前に止められた。
両親も兄弟も『またか』と頭を抱えても、実現しなかった、謹慎や皇子宮の予算の削減で止められたと胸をなで下ろして終わりだった。
認めよう。今回は『間に合わなかった』
誰が思う。命を救った娘を、自分の矜持が一時傷つけられた、そんなくだらない理由だけで悪知恵を働かせようとするなど。
誰が信じる。明らかに傷物となった娘を厄介払いをしようとしているのが分かりきっている下級貴族の声を皇家の1人が本気で捉えるなど。
「お前は自分が『何』の中心にいたのか分かっているのか」
もう自分が普通に話しているのか、あえて威圧をかけているのかも分からない。
愚弟の背後に、虚ろな目をしたあの娘の顔が浮かんで離れず、これが呪いかと思ってしまうほど、目の前が赤く染まっている。
黒目を右往左往させながら口ごもった愚弟は、せめて震えまいと気張って声を出した。
訳が分からない、と。
眉間に力が入ったまま、教えてやる。今回の悪知恵が、なぜ、どうして、完遂されたのか。
「国内で皇家への求心が弱まっている」
「…?うん、知ってるよ。地方の方で反皇家の家が集会を開いたって。でも反乱するほどじゃないんでしょ?まだ皇家よりの家が多くて、勢力図はこちらが優勢だって」
「お前の、隣国との同盟のために婿入りが決まったからだ」
「!」
「そのおかげで皇家の求心が戻ってきた。だが、今回の一件で危うく同盟の条件が変わるところだった。全てはハオ、お前があの娘への責任を負おうとしないと噂が隣国に流れたため」
「、ぇ」
「単なる噂だろうと『信頼』は最も重要だ。お前の婚約者、アシン嬢との顔合わせの時、一目惚れしたと公言したお前は、あちら側から提示された『誠実な人との婚姻を』との唯一の条件を反故にしかけた。分かるか。『誠実さ』という『信頼』が覆された。同盟自体を無かったことにするには十分な理由だ」
「ではなぜ父上に口添えしたんだよ!あの時に止めてくれれば…!あの女は国外に出された!当初の条件と何も変わってない!」
「お前がやったことを私たちが知らないとでも思ったか!?」
どこで誰が聞いているか分からない皇城の中だというのに、声を大にせざるを得ない。
どれだけ理屈を論じても、ただの大声で肩を跳ねさせる愚かな弟には通じないのだろう。
体を反転させてハオの身につける豪奢な襟を掴み上げる。日頃の鍛錬の成果か、衣服が重いだけの体は簡単につま先を浮かした。
額に脂汗をにじませ、『何もしていない』と繰り返し言い放ちながら、襟を掴む私の手を叩いたり引っ張ったりする手を無視してさらに問う。私が求める答えなど返ってくるはずがないのに。
「お前は、あの娘に礼を言ったか」
「はい?」
「命の恩人を陥れたことを、謝ったのか」
「な、あの女は罪人ですよ!?魔獣を私にけしかけそれが失敗するやいなや王家に取り入ろうとし「愚か者め!」っ、」
「お前を殺してあの娘に何の得があるというのだ!純粋にお前を助けようと動いただけなのに、生死を彷徨い、身体に傷を負い、民衆の前で罪人として裁かれた!お前が!『女に助けられた皇子』と揶揄されることに耐えきれなかった、たったそれだけの理由で!」
浮いた体を回廊の壁まで追いやり、その背を叩きつける。小さく息を詰まらせ、痛みからか呻いたけれど、ハオはやはり、自分は間違っていないという顔をしていた。
「わ、私は皇子で、第四とはいえ他国へ婿入りする「皇子足らんとするならお前がまずやるべきだったのはあの娘への最上級の感謝だった!」う、」
自分と似た顔が、選んではならない選択をしたことが腹立たしい。それに乗った周囲の多くも、それを止められなかった私にも、反論の一つ、不満の一つも言わなかったあの少女に対しても。言えば何かが変わったかもしれないと言ったって、すでに遅すぎた事実に対しても。
壁へ、壁へ。さらに押しつければついに喉を締め付けられたのか、だんだんハオの足がばたつき始めた。
「相変わらず水面下で動くのが得意なやつだ。妻だの愛人だの馬鹿らしい。あの時止めてくれれば、だと?お前の甘言に乗らざるを得なかったのだ!すでに取り返しのつかない所まで根回しが済んでいたからな!」
「く、くるし、」
「なぜ大人しくしていなかった、ハオ!隣国への噂を払拭するため我々は動いていた。皇王も皇妃も、あの娘が意識を取り戻し次第、皇家を助けたことによる勲章を授けるつもりだった。そのように決まり、お前に言付ける直前だった!それだけで終わったのだ。真に皇家へ忠を尽くす、得難い人材を失わずに済んだ!」
ハオの襟を解放すれば、膝から力が抜けたのか喉に手を当てながらその場にへたり込んだ。今日この日のためと複雑な編み込みをされた自分と同じ黒髪が、先ほどのやり取りでかき乱されていてもう見る影もない。
「あんな、醜い女が得難い人材…?」
「…お前が『醜い』という傷をあの娘に負わせたのは誰だ」
まだ喉が苦しいのか、それともご立派な矜持が苦しいのか。良心の欠片もない弟は、ようやく『やり過ぎた』ことに気づいたようだ。
それでも、やり過ぎた、という事実を理解しただけであって全て成された事の後。
弟は複雑な感情を顔ににじませていた。バレてしまったけれど自分には害がない状態に収まったという安心感、今日のことが同盟国にバレたらどうなるのか予想を巡らす焦燥感。
泣いているような笑っているような、顔が赤いような青いような。器用なものだなと改めて思う。
そういう感情を素直に外に出せる才能が少し羨ましい。
すでに深く刻まれているであろう眉間に再度力を込め、へたり込んだままのハオから視線を外す。
「無事に婚姻が済むまで部屋から出るな。これは勅命だ。もうお前に、無実の人間を犠牲にはさせない」
ようやくこの男と離れられる。そう思いながら数歩進んだ時、ブツブツと背後からささやき声がした。正直もう視界に入れたくもなかったが、これだけ言っても『自分は悪くない』などと自分に暗示をかけているのなら、最後まで釘を打っておこう。
「どうせ傷のこと以外、あの娘の顔も覚えておらんのだろうが、これだけは覚えておけ」
晴れ渡った空が赤く染まっていく。陰鬱な気分とは裏腹にどこまでも青かった空が、今はおどろおどろしい灰色の雲で覆い尽くされていた。
ハオの足元まで伸びた私の影。それにハオが何を見たのか分からないが、膝を折って腕に抱え、怯えに揺らめく目をぎゅうと閉じた。
「お前も、私も、国の都合で『恩人』を裏切ったのだ」
しばらくモンロニア皇国出てこないので1話で書き切りたく…
キャラクターの名前を決めるのにいつも悩みます。




