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フライング・マーメイド ~ 海底から空へと飛んだ人魚の物語  作者: 奥雪 一寸
EPISODE.3 炎のように燃える
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SCENE.3

 それから、早いもので三〇日があっという間に過ぎた。人間の世界の学習は、最初の一四日までは梃子摺ったものの、エレジアは、文字の法則性を理解してからは、書籍を斜め読みするだけで記載されているすべてを理解できるとでもいうかの如くの理解力を発揮した。否、実際にそれで理解できたのである。

 その傍ら、リネーラの影響で始めた音楽方面にも、エレジアはめきめきと才能を伸ばしていた。人魚ならではと言っていい、声楽に秀でているのは当然のこと、弦楽器、特に竪琴の才能を開花させたのである。

 竪琴を弾く人魚という構図の絵画や彫刻は数あれど、実際にエレジアが竪琴を持ちかき鳴らす姿と音色に、どんな美術作品もが霞むとまで言って、オーセンディア一家や使用人達は舌を巻くほどであった。実際にエレジアが海の底に竪琴などというものはないと告げると、彼等は逆に驚いていた。しかし当然だ。海中で弦楽器をかき鳴らしても、綺麗な音が鳴る訳がない。

 そんな風に急速に人間の生活に順応していくエレジアであったので、公爵家に甘えるばかりでなく、いい加減居候生活を脱却し、自立することを考え始めていた。

 セーケスタで暮らし始めて三〇日が経ったその日、ひとまず金銭的にだけでも独立しようと考え、レイデナットに少し自分の家に戻ると告げて、エレジアは海中に戻ることにした。

 街中を一人で行動して騒ぎになっても面倒なので、領主の邸宅の敷地内から真っすぐ空に舞い上がり、市街地上空を避けて海へ向かう。

 頭上には厚い雲。眼下には緑の牧草地が広がっていた。エレジアは久々の空の散歩を楽しみ、自分が空を自由に飛べるのだということを改めて実感していた。空は快晴とはいかず、どんよりと曇っていたものの、それでもエレジアの気分は十分に晴れやかであった。

 眼下の景色は、エレジアが飛び立ってから、一分も経たずに変わる。緑はなくなり、海の重い青が一面に広がった。慣れ親しんだ海の景色だが、エレジアは、自分がそうやってのんびり眼下に広がる海原を眺めたのは初めてであることにようやく気付いた。

 上陸したあの日は、ゆっくり景色をたのしむ余裕などなかった。あれから状況が全く良くなっていないが、レイデナットの対応は、クロスザールにデロクロア隕塊を確保されていることは直接の脅威にはならないというスタンスだった為、エレジアも頭の隅に置いておき、忘れはしないという気持ちでいることができた。

 風に乗って、海鳥が飛んでいる。

 エレジアは鳥達を驚かせないように、距離をとって飛んだ。海上は平和そのもので、船の姿もなかった。風は湿った匂いがしていて、雨が近いことを知ることができた。もしかしたら、今晩は天気が荒れるかもしれないと、エレジアにも感じられた。

 船乗りたちは天候に敏感だ。エレジアもそれは良く理解している。こんな日に船を出す船乗りは多くない。いるとすれば素人かまっとうな船乗りでないかのどちらかだ。

 しばらくとんだエレジアは、その、どちらか、をはるか沖合に見つけた。帆船が海の真ん中にいるのが見える。前進はしておらず、ただ海上で浮かんでいるだけであった。帆は開いていない

 エレジアは何かあったのかと訝しみ、近づいて様子を見ることにした。近づいてみると、見覚えがあるのは気のせいではなく、セーケスタの商船であった。

「何かあったの?」

 さらに近づき、甲板上を慌ただしく船乗り達が走り回っているのを見て、エレジアは一人を呼び止めた。

 船乗りはきょとんとした顔でエレジアを見上げたあと、

「公爵閣下のとこの」

 と、声を漏らした。

「問題ではないのならいいのだけれど。手を貸せるなら手を貸すわよ」

 もう一度エレジアが質問すると、船乗りは短く敬礼して、答えた。

「自分は詳しい状況は把握してないっす。船長を呼んできます」

「いえ、持ち場があるでしょう。船長室はどっち? こちらから聞きに行くわ」

 船長室の場所を聞いて、エレジアはすぐに行動を起こした。帆を畳むほど風は荒れてはいない。何らかのトラブルであろうことは容易に推測できた。

 すれ違った船乗り達は、突然船に乗り込んできた人魚に目をむいて仰天していたが、エレジアのことを知っているようで、

「船長室はあっちです」

 と、案内してくれた。皆、彼女が自分達を助けに来てくれたと理解したように、安堵の表情を浮かべた。もはや疑う余地もなかった。何かトラブルが起きているのだと、エレジアは確信した。

 船長室の部屋の扉をノックしてから開ける。リネーラから教わった作法だ。船長は室内にいた。年嵩の、顎髭や口髭で人相が分かりにくい人物であった。

「む? 君は」

 船長は、他の船乗りたちのようにエレジアの姿に大仰に驚いたりはしなかった。ややくぐもった、年齢を感じさせる声で、エレジアに視線を向けた。

「たまたま通りがかったのだけれど、トラブルでも起きてるんじゃないかと覗いてみたの。大丈夫かしら?」

 エレジアが問いかけると、船長は静かにまず、

「有難い」

 と答えた。それから、エレジアが現れてくれたことに安堵したように状況を話し始めた。

「帆柱の縄梯子が外れ、巻き上げ機に絡んでしまったのだ。その拍子に、巻き上げ機が誤動作を起こし、帆が畳まれてしまった。帆柱に登れない為、このままでは巻き上げ機を直すことも叶わない。帆が開かねば、船は漂流してしまう」

 成程、とエレジアは頷いた。それは危険だ。

「雨が近いわ。急いで何とかしましょう。手を貸すわ。私が巻き上げ機に触るのは……悪化させかねないからやめておいた方が良いわね。代わりの縄梯子はある? 私が持って上がって掛け直しましょう。そのくらいなら私にも出来るわ」

「それだけで十分有難い。すでに縄梯子は用意してある。甲板へ行こう」

 船長に促され、エレジアも船長室から甲板へと戻った。船長と会話している短時間で、すでに不吉な湿った風が吹き始めていた。帆柱の下までエレジアを案内した船長が、すぐそばにいた船員に声を掛ける。その判断は素早く、迷いや焦りは全くなかった。

「おい、彼女に縄梯子の掛け方を説明してさしあげろ。彼女が縄梯子を持って上がってくれるそうだ」

「了解しました」

 船員はすぐに駆け寄ってきて、縄梯子の端を持ち上げてエレジアに見せた。

「この端のフックを、帆柱の上のデッキの金具に掛けるだけです。多分絡んでる古い縄梯子のフックがまだ嵌ってる筈なんで、それは外してしまってください」

 説明は難しくはなかった。これならば見れば分かるだろう。エレジアは頷いた。

 エレジアはすぐに縄梯子を抱えて上がった。端だけをもって伸ばしながら上がるより、上から垂らした方が良いものだということくらいは知っていたからである。オーセンディア家の書庫で読み漁った書籍の情報が、早くも役に立つのかと思うと、エレジアには何となく感慨深いものが感じられた。

 帆柱の上のデッキに上がると、千切れて巻き上げ装置に巻き込まれている縄梯子が確認できた。だが、縄梯子が巻き込まれた時に強い力で引っ張られたのだろう、フックを止めるための金具がひしゃげてしまっている。それに、古い縄梯子が目一杯に引っ張られてしまっていて、フックを外そうとしてもびくともしなかった。エレジアは周囲を見回し、デッキの裏側にも金具があることを発見した。それが劣化していないことを触って確かめ、甲板に向かって大声を張り上げる。

「この金具はひしゃげてしまってもうだめだわ! 反対側の金具に縄梯子を付けてもいいかしら?」

「やってくれ!」

 すぐに船長の叫び声が返って来た。

 どんよりと曇った空からは、小雨が降り始めていて、エレジアを急かすように、髪や頬を濡らした。

 大急ぎで金具にフックを止め、引っ張っても外れないことを確認してから、縄梯子を投げおろす。はるか下の甲板から歓声が聞こえてきて、しばらく帆柱の下で船員たちが二、三人集まって何かしていたが(あとでエレジアが聞いたところ、縄梯子の下を止めていたのだった)すぐに船員の一人が梯子をするすると素早く登って来た。

「あとはこちらでやります。本当に助かりました。ありがとうございます!」

 船員に礼を言われ、こそばゆい気持ちでいっぱいで、

「それより急いで。雨が降り始めている」

 エレジアはそう答えるのがやっとであった。甲板では船長が船員たちに檄を飛ばしていいる。

「人魚に沈められた船の話は数あれど、人魚に救われた船だ! それも世にも珍しい空中を泳ぐ人魚様にだ! 俺達が沈める訳にゃいかねえぞ! 全員死ぬ気で船を動かせ! 好意を俺達が無駄にしちゃ海の男として申し訳がたたねえぞ! 分かってるな!」

 見下ろせば、船員達も落ち着きを取り戻しつつあるようであった。もう大丈夫だろう、エレジアは、巻き上げ機の修理にとりかかった船員の背中に、声も掛けずに静かに船を離れた。あとは人間達が自分達で何とかするだろうと。

 礼の言葉が欲しかった訳でもなく、謝礼の金品を期待した訳でもない。あとは素人のエレジアがいても邪魔になるだけだと、そう判断したのであった。


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