SCENE.2
槍の基本は、実にシンプルである。突く、斬る、打つ、の三つに集約され、それらが一通りできれば戦闘はできる。防御術や確保術を加えると非常に多彩に見えるが、それも実際には三つの基本からの発展である。これに攻防一体の動作である、捻る、を加えることで個人技としてはそれなりに見えるようになる。
しかし、基本ができるというのは、相手に正しくダメージを与えられるという意味であって、相手の攻撃を防御し、自分の攻撃を当てられるという意味ではない。それを学ぶために、型は疎かにすべきものではないということは、エレジア自身、しっかりと理解していた。自分の攻撃が相手の防御に阻まれ、相手の攻撃で自分が先に傷ついては意味がないのである。
型を通して正しい槍の動作を身に染み込ませ、突、斬、薙、払、打、捻、廻、絡、の八つの業を修めるというのが、エレジアが学んだ槍術の内容であった。彼女の教わった流派では、これを、
「八方を修め、自在を得る」
八方自在、と呼んでいた。
突、斬、二方は、相手を殺傷する為の業であり、呼んで字の如く、突く、斬る、という槍の基本の攻撃方法のことである。これに、斬る、の発展形として、薙ぐ、という複数人を纏めて相手をする為の業を修めることで、殺傷の三方として、エレジアの流派では主流の殺傷法としていた。
払は払い、つまり相手を崩し、転倒させる為の技術を指す。打とは打つ、つまり相手を殴打し昏倒させる技術だ。これら二方は相手を殺傷することなく無力化したり、攻撃の補助として相手を圧倒したりするのに用いられる。
これらに捻、即ち、捻る、という業を加えることで、攻撃をより避けにくく、また、切れ目のない攻防を実現する。これだけで直接攻撃や防御ができる訳ではないが、これを修めることにより、はじめて攻防一体の槍技が完成するという、非常に重要な技術であった。
廻、絡は、槍を回す、絡めるといった防御寄りの業となる。これにより相手の武器の自由を奪い、戦いを有利に運ぶことができる。だが、その真髄は、防御だけに留まらず、如何なる状況でも槍を効果的に、かつ、変幻自在に用いることを覚えることにあった。槍は強力な武器であるがゆえに警戒されやすく、また、構造上攻撃が単純な軌道になりやすい。それを複雑たらしめるのに、彼女が修業した流派では、円の動きを修めることは必須とされていた。
言うは易し、行うは難し。その方法には早道などなく、日々の修練以外に道はない。エレジアは、今も、時間があれば型の所作の修業を通じて、槍との対話を続けていた。
ただし、彼女が練習している型は、彼女の流派の一般的な型からは少しだけアレンジされた、彼女専用のものである。エレジアには、身体構造上通常の型は行うことができず、つまり、足がなかった。
陸上での型の修業は初めてで、やはり海中とは勝手が違う。水圧も海流もない陸上では、日頃の感覚で槍を振るうと、抵抗のなさに勢い余って穂先が流れた。一日も早く、水の抵抗がない環境での槍の扱いに慣れる必要があると、エレジアは感じた。
型を一巡し終えると、エレジアはまたも困り果てた。普通なら軽く準備運動を兼ねて型の確認をしてから(本格的に型を繰り返す練習も、あとで改めて行う。また、もし槍の扱いに熟練していない場合には、体が十分にほぐれないうちに型を行うと怪我をしやすい。いきなり型に入れるということは、エレジアが槍を扱う為の体が出来上がっている証拠であった)打ち込みに入るのだが、打ちこむ的がなかった。勝手に庭木に槍を突き立てる訳にもいかず、これにはほとほと困り果てた。
どうしたものかとエレジアが思案していると、建物を回り込んで二人の人影が連れだって裏庭にやって来るのが見えた。
「あ、やっぱりいました! エレジアさんです!」
最初に、ミリルの元気な声が響いてきた。
「本当だ」
と、次に聞こえてきたのはシグニルトの声である。ミリルとシグニルトは、元気が有り余っているように、勢いよく駆けてきた。
二人は腰に剣を帯びていて、シグニルトの剣はブロードソード、ミリルの剣はレイピアのようであった。
「どうしたの?」
エレジアは穂先を後ろに向けて槍を回しながら立てると、二人が駆け寄ってくるのを出迎えた。
「はい! とても賑やかな声がしたので、エレジアさんかなと思って来ました!」
ミリルの可愛らしい声が響く。元気が良い声だが、ブラムグラムのように喧しくはなかった。
「屋敷の中まで聞こえちゃった? この魔槍は、声の遠慮がないから。ごめんなさいね」
エレジアは苦笑いで答えた。そして、自分が言った言葉に、更に苦笑いが歪んだ。
「魔槍? 魔法の槍ってことですか? 声ってことは、意志があるってことですか?」
案の定、エレジアの悪い予感は的中した。シグニルトが目を輝かせて身を乗り出してきたのだ。子供に強力な武器を見せたらそうなるに決まっている。
「おうっ! よろしくなボウズッ! アタシが、火炎の魔槍ブラムグラムだっ!」
そして、こういった言動が暑苦しい類の者の例に漏れず、ブラムグラムは非常に馴れ馴れしい性格をしている。
「本当に、声が大きいですねっ! ミリルですっ! よろしくお願いしますっ!」
負けじと、ミリルが声を張り上げた。
「対抗しないでいいの。ね、ミリルはそのままでいいのよ」
これ以上人を集めたくないので、エレジアはミリルを止めた。それよりも、人目につかない場所にいつまでも二人を留めておくのは危険である。エレジアは二人を速やかに屋敷に戻らせることにした。
「でも、こんな人目につかない場所に来ては危ないわ。ここにいるのは私と魔槍だけだから、安心してお屋敷に戻って頂戴」
「いえ。エレジアさんだったら僕達も稽古をつけてもらいたくて。それで見に来たんです」
かぶりを振り、シグニルトはそんなことを言いだした。エレジアは彼に自分が何処まで戦えるかなどという話をした覚えがない。どういうことなのか、理解が及ばないでいた。
「あなた達に稽古を? 他人に教えられるような技量が私にあると思っているってこと?」
「エイリット兄さんから聞きました。人魚のエレジアって言えば、水軍ではかなり有名な人魚だって。槍と魔術の達人だと噂になってると聞きました」
シグニルトの言葉に、エレジアは短く呻いた。それならば、彼女にも話の合点がいった。
「そう。でも困ったわ。見ての通り手元に火炎槍しかないし、これで相手をしたら、あなた達に大怪我や大火傷を負わせてしまうわ」
それだけは避けなければいけない。どう考えても当たり前の話である。
「訓練用の剣でもお屋敷にあれば借りるのだけど」
「剣も使えるんですね!」
ミリルが感嘆の声を上げる。子供から向けられる純粋な感嘆や尊敬はこそばゆく、エレジアは完全に思考を乱されていた。
「え、ええ。まあ。槍程得意ではないけれど、剣でも戦えるわ」
「それなら、お屋敷の中にあります。一緒に取りに行きませんか?」
シグニルトにそう誘われるが、エレジアはすぐにそれを断った。彼女自身、シグニルトやミリルと一緒に鍛錬することは嫌ではなかったが、彼女は安直に彼等の頼みを聞き入れるのはやめておいた。
「いえ、今日はやめておきましょう。あなた達のお父様である、レイデナットにきちんと話をして、ちゃんとした場所を借りて練習したほうが良いわ。あと、あなた達の先生にも許可をいただかないとね」
結局その日は、シグニルトとミリルと一緒に練習はしなかった。
レイデナットや、シグニルト達の武技の家庭教師に、相談した結果、エレジアの槍術や剣術を体験することは良いことだと二人に薦めた為、翌週からシグニルトとミリルも、エレジアと共に鍛錬をすることになった。
シグニルト達の家庭教師もエレジアと鍛錬を行いたいという申し出る一幕もあったが、真剣勝負になりかねないと考え、エレジアは固く辞退しておいた。
だいいち、オーセンディア家には軍属が三人もいる。彼等の耳にそんなことが少しでも入ったらそれこそ収拾がつかなくなる恐れがあった。軽い気持ちで手合わせに応じたが最後、小規模な闘技大会になってしまう、と、エレジアは考えたのである。