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フライング・マーメイド ~ 海底から空へと飛んだ人魚の物語  作者: 奥雪 一寸
EPISODE.3 炎のように燃える
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SCENE.1

 それから、エレジアは人間の世界のことの学習に、真面目に取り組んだ。ミリルと一緒に文字の勉学に励み、シグニルトと共に近隣の世界事情を学び、リネーラの指導のもと、教養とマナーを教わった。

 最初の六日間は激闘といって差し支えない毎日であった。文字を書くということどころか、紙とペンを見たのも始めてのエレジアには、目にするものがすべて物珍しく、勉強に集中できずに、オーセンディア家に雇われた家庭教師や、リネーラにとにかく叱られまくった。

 まるで幼子のように落ち着きなく、学習とは無関係なものに興味津々のエレジアの姿に、人間達は厳しく叱ることはあれ、頭ごなしに彼女の興味を無碍にはせず、結局は学習の寄り道になっても、丁寧に説明してくれるのだった。

 そんな六日間を経て、エレジアは人間の都市のことを少しは理解できるようになってきていた。

 彼女が現在滞在しているこの都市は、セーケスタという名らしい。人口一二万人ほどの大きな都市だ。

 エイデンリル王国という国の南端の港湾都市で、エイデンリル王国でも、北方の内陸にある王都セアサラに次ぐ大都市である。海に面した平原から、その北に広がる高原までが範囲となる、リケスタ地方と呼ばれる土地の中心都市でもある。

 セーケスタは都市の南区に大きな港をもち、港は東側が民間でも利用できる一般港、西側が王国専用の軍施設になっているという。

 そして、その港地区に面して商店や宿屋、酒場などが集まる商業区域が広がっている。噂話や外国の情報なども集まる場所でもあるらしく、エイリットはその地区が特にお気に入りだと言っていた。

 そこからなだらかな坂を登り、比較的低地となる一帯に古くからこの土地に住んでいる平民たちが暮らす市街区域、さらに坂を登ると、貴族や豪商達が屋敷を連ねる高級市街地に至る。

 それら都市機能が高原や平地からのモンスター等の進入や攻撃に備えた高い石壁で囲まれていて、その外側には、新しくこの土地に流入してきた者達が開拓した新市街があり、まだら模様のように新市街と入り乱れて、畑作や放牧を営む農家たちの土地が広がっているらしい。

 ただし、高級住宅街の北側の一角だけは新市街も、農地にもなっていない。そこには、陸上や空中の脅威に備えた王国軍の砦があるからである。レイデナットの次男と長女は、砦にいるのだという。次男が陸軍所属で、長女は空軍所属のグリフォンライダーだということであった。オーセンディア家の若者は、王国の中でも、比較的地位のある役職に就いているのだという。

 オーセンディア家のことについても、エレジアは家庭教師から学ぶことができた。彼等の邸宅は港湾都市セーケスタの高級市街地に存在する屋敷の中でも最大を誇り、つまりそれは、セーケスタを中心とするリケスタ地方最大の邸宅であることを意味していた。その当主であるレイデナット・オーセンディアは、つまるところそれに見合うだけの権力を持っていた。リケスタの領主である。そして、エイデンリル王国の公爵でもあった。王国内では、国王に次ぐ地位である。その為、諸外国に関する情報も、オーセンディア家の書庫には豊富に収められていた。

 故に、エイデンリル王国以外のことを学ぶ環境としても、セーケスタでは最良の条件であった。

 エレジアは、エイデンリル王国の南に広がる、エレジアの家もある内海を、人間達はラドア海と呼んでいることも知った。その対岸に広がる、箱を持って行った連中の国の名が、クロスザールということも。

 クロスザールとレイデナット達が呼んでいるその国は、正式にはクロス・アンド・ウィザードリィ連国というらしく、長いためクロスザードと長らく略されていたとのことで、それがいつしか訛り、クロスザールと呼ばれるようになったとの話だった。

 大陸の三分の一を占める面積、と言われてもまだエレジアには正直ピンと来なかったが、個人が相手をするには骨が折れる、広大な国であることは理解できた。

 また、人間の世界では通貨というものがあって、旅にはお金がかかるということくらいはエレクアも知っていたが、実際の物価を知るにつれ、旅をするには予想以上に金銭的な余裕が必要なのだということを知った。

 人間達の文字の習得に関しては、五日間の間でやっと見様見真似で形を把握できるようにはなかったものの、それが限界で、目で見てそれが意味のある言葉として認識できる域にはまだ程遠かった。

 エレジアは、よくもこんな面倒なものを人間は覚えるものだと感心したが、聞けば、人間でも文字が読める者は半分行くか行かないかくらいなのだという。読み書きができるのは、高度な教育が受けられる余裕がある者だけだという。

 兎に角、六日目の夜になる頃には、エレジアはほとほと疲れ果てていた。何より堪えたのは、その間ほとんど体を動かすことができなかったことだった。エレジアは泥のように眠り、勉学が休みの翌日になると、力をため込んだバネの留め金が外れ、跳ねあがるように裏庭で思うがままに体をほぐした。

 まだ外出ができるレベルではない為、邸宅の敷地内のみが行動範囲に限られるとはいえ、運動するだけであれば十分な広さの庭があったから、不自由はしなかった。邸宅には中庭と裏庭があり、どちらも十分な広さがあった。侍女達に普段人気が少ないのはどちらかを聞いたところ、裏庭という答えが返って来たので、エレジアは裏庭で体を動かすことにした。

 邸宅の裏庭は、木々と屋敷に囲まれた空間で、地面は土だった。ベンチなどは置かれておらず、花壇もない。殺風景といえばその通りだが、運動には適している場所であった。

 体を動かすにあたって、エレジアがすこし悩んだことがあった。いつも使用している槍が既に手元にないことだ。ただの珊瑚の槍で、特別な力は何一つない、たいした品ではないのだが、壊しても惜しくない槍でもあった為手軽であり、手元にないのが悔やまれた。

 実際に他に使える槍はあり、手元に呼び寄せることすらできる。できるのだが、海中では使いにくい槍だったため、ほとんど使用したことがないのが難点であった。そんなものを領主の邸宅内で振り回して良いのかという不安と、またとない機会だから、振り回してみたいという好奇心でしばらく葛藤した。

 逡巡の末に、結局勝ったのは好奇心である。

「ブラムグラム、来い」

 右腕を突き出して、命じると、彼女の手の中にひと振りの槍が現れる。その槍は揺らめく炎のような穂先を持ち、刃から柄、石突に至るまですべてが紅蓮の色をしていた。火炎槍ブラムグラム、見た目の通り炎の魔槍である。

 水中で火を出しても燃える訳でなし、海の中で人魚が用いるにはあまりに相性が悪い槍であったため、エレジアはこれまで振り回したことはほとんどないが、手に持つだけで分かる、しっくりくる感覚は、他の槍にはないものだ。

『ここは……はっ、まさかっ、陸上?』

 声が響く。ブラムグラムは、意志を持っている為だ。

『おおっ、アタシのっ、アタシのっ、出番だーっ!』

「うるさっ」

 思わずエレジアが顔を顰める、熱気の籠った声質と相まって、その叫び声は極めて煩い。女性の声でも暑苦しいことはあるもので、エレジアはそれだけが慣れなかった。

「あー、ここ貴族様の邸宅なの。迷惑だから、ちょっと声量を下げようか。ね?」

 こめかみのひくつきを感じながら、エレジアはブラムグラムに静かにするように言い利かせた。

「おおっ、これはっ、失敬しましたっ!」

「うるさっ」

 直らないのであれば、気にしないのが一番である。エレジアは諦めて槍の素振りに移ることにした。両手でブラムグラムの柄を握ると、ずっしりとした頼もしい重量を感じた。

 火炎槍ブラムグラムは、柄が太く、重い。穂の肉厚も相当であり、雑多な一般槍とは真逆の、取り回しやすさよりも貫通力と殲滅力を重視した設計になっている。かなりの力自慢でないと扱えない槍である。エレジアは、それを片手で扱うことができた。逆に粗悪な槍だと自身で折ってしまうのが悩みの種ではあるが、それだけの腕力があることはエレジアの数ある自慢のひとつであった。

 ブラムグラムをエレジアが振るうと、空気を割く音に混じって、火の粉が散る音が鳴った。刃の軌跡をなぞるように、赤々と輝く光の粒が舞う。それが、彼女の槍捌きが、決して我流ではなく、何者かに師事して学んだ正式な型であることを、美しい一枚の絵画のように浮き上がらせた。

 型というものは、エイデンリル王国内でも、クロスザール内でも見られないものである。その二国よりも、さらに東の国で培われたものだと、エレジア自身も聞いていた。

 彼女の槍の業は、かつて、無人島に流れ着いた人物に、師事して教わったものである。彼は一通りの手解きをエレジアに口伝した後、島を去ったが、今も何処かで槍を手に旅を続けているのだろうと、エレジアは信じていた。


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