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SCENE.2

 レイデナットに告げられた船は、内海の海上にすぐに見つかった。エレジアは上空から4艘の中型軍船を伴っている大型船を視界内に認めると、滑るようにその甲板へと降りて行った。レイデナットの水軍の軍船は帆船ではなかった。煙突から濛々と、白と黒の入れ混じった煙を吐いて、ゆっくりと海原を進んでいた。

「レイデナットと約束があって来たのだけれど、呼んでもらってよいかしら」

 十分に声が届く距離まで近づくと、それ以上、船にいきなりには近寄らず、並走するように飛びながら、エレジアは甲板上の水兵に声を掛けた。

「エレジアさんですね。閣下から話は伺っております。どうぞ、甲板へ降りていただいて結構です」

 水兵の一人に誘導され、しっかり伝達が行き届いていることに感謝しながら、エレジアは船首近くの甲板に降りた。床には体は付けずに、人間達と目線が合う高さで浮いておく。

「船長室でお待ちです。どうぞ」

 水兵にそう先導され、やはり、と頷きながら甲板に完全に下半身を横たえなかったのは正しかったと、エレジアは思った。先導されるままに、ついて行く。

 ディングの船に囚われる時に、槍を手放してしまったから、エレジアは今丸腰である。レイデナットの軍のことはなんとなく信用できる気がしていたから、それでも恐ろしいとは思わなかった。

 甲板から船内へ続く金属製の扉を抜け、廊下に入る。エレジアの想像では、中はもう少し薄暗いものかと予想していたが、意外にも照明用の輝石が煌々と光を放っており、十分すぎるほどに廊下は明るかった。

 甲板など、鉄をふんだんに使用した頑丈そうな船ながら、一度船内に入ると、壁や床は木材であった。内部構造を木製にすることで、船体を軽量化、かつ、建造費用を抑える為の工夫だが、エレジアにそのあたりの諸々が分かる筈もない。ただ、実際に海に浮いている船の中は初めてで、自分が家にしている沈没船も、かつてはこのようになっていたのだろうかと思いを馳せるばかりであった。

 そんなエレジアを、案内してくれている水兵が、まるで乗船観覧を許された子供の相手をしているような目で見ていた。その視線に気付き、エレジアも我に返る。この船を訪れたのは物見雄山の気分になる為ではない。もっと深刻な話をするために来たのであって、自分の失敗を詫びに来たのだということを、エレジアは思い出した。

 廊下には、右側に大小さまざまな扉が並んでいて、左側は船舷である。扉はどれも閉められており、扉の向こう側にも日々厳しい任務をこなしている水兵達はいるのだろう。エレジアに、自分がしでかした失敗が、急に彼等に申し訳ない気分になった。

「大丈夫ですか?」

 急に萎れた表情になって、先導してくれている水兵が振り向いて心配そうな声を上げた。

日焼けした肌の、少し小柄な男性だった。鎧の類は着ておらず、身軽そうな、青い模様がところどころに入った、白い衣装を着ている。エレジアは、今になって、彼の装束や人相が全く目に入っていなかったことに、気が付いた。気を引き締めなければ、と、自分に喝を入れ直し、エレジアは水兵に頷いて見せた。

 水兵はそれ以上、エレジアの心情には立ち入ってこなかった。それは自分達が触れるべきでないと考えているように、彼はまた静かに先導の役目に戻った。

 しばらく廊下をまっすぐ進むと、廊下は右に曲がっている。水兵に続いて廊下の角を曲がると、先に一つだけ、左側の壁に金色の金属で縁取りされた、立派な扉が目に入った。

 水兵はその扉の前までエレジアを案内し、扉を畏まった様子でノックした。

「閣下、失礼します。エレジア殿をお連れ致しました」

 部屋の中からはすぐに返答がった。エレジアにも聞き覚えがある、レイデナットの声である。

「入ってもらってくれ。粗相はしていないよな。我が軍にそのような狼藉者はいないと承知しているが」

「勿論ですとも、閣下。我ら乗組員一同、常に客人には最上の礼を尽くすことを、肝に銘じております」

 水兵は扉越しに返答してから、

「どうぞ、お入りください」

 エレジアのために扉を開けてくれた。エレジアは一度だけ、深く息を吸い、吐いてから、

「ありがとう」

 と、水兵に礼を言って部屋の中に入った。部屋の中は、エレジアが想像していたよりもずっと質素だった。沈没船の中で見た、箱が置かれていた部屋のような場所を想像していたのだが、絨毯は引かれておらず、部屋の中央には武骨な木製の机と椅子、それに金属で補強された木棚とキャビネットが壁沿いに並んでいるだけで、装飾品の類は何もなかった。木棚にはたくさんの本と、盆に乗ったグラスと、褐色の液体に入った瓶が置かれている。

 レイデナットは机のそばに立っていた。

 もともとは白い肌の人間なのだろうが、水兵達と同様に、日焼けの目立つ顔をしていて、茶褐色の瞳と、薄い金髪の男性だった。体躯については、背は高く、肉付きが良い。袖のない白い服を着ていて、ズボンは薄い青だった。壁際に正装であろう青色の衣装と、同色のコートが掛けられている。邪魔だから抜いていると言ったところのようだ。彼は予想よりもずっと年上で、四〇才代前半くらいに見えた。

「良く状況を伝えに戻ってくれた。箱のことは残念だが、本来関係のない君の命には替えられん。まずは君が無事であったことを喜ぼう」

 エレジアが謝罪を切り出す前に、レイデナットはそう言って頷いた。先を越されたことに、エレジアはますます申し訳なくなる。

「大きな口を叩いておいて、こんな無様な結果でごめんなさい。沈没したばかりのあなた達の船は、私が考えていたよりもずっと、危険な場所だったわ。箱に辿り着く前に、どんどん体の調子がおかしくなって、まともに泳ぐのも難儀するような有様だったから、箱を守る余裕なんてなかったわ。私は、自分が思っているよりも、さらにずっと、あなた達人間の船のことを知らなかったみたい。おそらく何らかの毒物か何かが充満していたのだと思うわ」

「具合はもういいのかね? どんな症状が出たのかな?」

 レイデナットは、エレジアの無知や迂闊さを責めるのではなく、むしろ、彼女の話を聞いて彼女の身を心配した顔をした。彼はエレジアの身に、何が起きていたのかを知りたがった。そして、扉まで歩いていくと、

「ラノルド医師を呼んでくれ」

 と、扉の外でまだ待機していた水兵に、船医を呼んでくるように指示を出した。

 船医は二、三分で現れた。小柄で、温和そうな顔をした、白衣の男性であった。栗色の髪を短くまとめ、やや垂れ気味の目には焦げ茶色の瞳が光っている。年齢は、三〇代くらいである。

「どうかしたかな、レイ」

 扉が開き、船医は穏やかな声でレイデナットに声を掛けながら部屋に入って来た。彼は背後で扉が閉まることを気にした風もなく、それから、エレジアに気付いて興味深そうな声を上げた。

「おや、君は。なるほど、君が噂の人魚君かな。僕はクロアーノ・ラノルドという。この船で船医を務めている。よろしくお見知りおきを」

「ありがとう。私は、エレジアよ」

 ラノルド医師の丁寧な挨拶に、エレジアも名乗り返した。彼女が名乗ったあとで、レイデナットが、船医を呼んだ理由を説明してくれた。

「件の沈没船で箱の捜索を、彼女がしてくれたのだが、その際に具合が悪くなってしまったらしい。我等の責任と言える。少し、症状を聞いてやってもらえないか」

「成程。我々の問題に協力してくれたというのに、申し訳ないことをしてしまったという訳だね。それは放置してはおけないな。僕で分かる限り、聞かせて戴こう」

 ラノルド医師はそう言って、エレジアの側にやって来た。彼女の体調を知るためであったとしても、彼はいきなり彼女の顔色を覗き込んだりはせず、

「それで、どのような問題が出たのかな」

 まずは質問から入った。

 エレジアは、何とか思い出しながら、沈没船の中で自分の身に感じた異変を、端的に表す言葉を知らないながらに答えた。

「まず、最初の異変は、目がかすんできたことだったわ。それからだんだん、気分が悪くなって、特に、頭の重さと怠さが最悪だった。それと、酷い眠気も。最後には倦怠感と睡魔に抗えず、身動きが取れなくなってしまったの」

「なるほど、分かった。レイ、あの船は確か客船だったね」

 それだけ聞いただけで、ラノルド医師は大きく頷いて、すべてを了解したような顔をした。そして、彼はエレジアではなく、レイデナットに確認の為の質問をした。

「正確には、貴賓や要人の為の特別船だな」

「だとしたら、さもありなんといったところだ。それは危ない目に遭ったね。レイ、君は彼女を殺すところだったのかもしれない。無事で良かった」

 レイデナットの言葉に満足げに頷いたラノルド医師は、エレジアに同情の視線を向けた。

「話を聞いただけで疑いは明らかだ。彼女のその症状は、急性アルコール中毒だろう」

 ラノルド医師は、またレイデナットに視線を向けて、はっきりと告げた。

「死に至ることもある危険な症状だよ。どのように対処したのかは分からないが、原因はいたってシンプルだと思う」

 そう言ってラノルド医師は木棚へ向かった。


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