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 オークに復讐を誓った男、オークに転生する。


 あらすじ


 さびれた村で家族との小さな幸せを謳歌していた青年、オグル。しかし、その幸せは村近くの山で発生したオークキングとその群れに蹂躙され、崩れ去ってしまう。

 目の前で家族を惨殺されたオグルが死の間際に願ったのはオークへの復讐であった。その後、深い森の洞窟の中で目覚めたオグルは、自身の姿が憎きオークになったことを知る……


 これは、そんな主人公が復讐を誓ったオークを亡ぼすため、旅の途中で拾った逃亡奴隷のエルフと世界を巡る、復讐奇譚である。


 本文


 甲高い警笛の音がさびれた村に響き渡り、農作業中の俺の耳に届いた。

 この警笛が意味するのは敵襲。それもモンスターによるものだ。


 それを理解した瞬間に体は走り出した。手にしていた農具を投げ捨て一心不乱に足を動かす。

 すぐに頼りなさげな丸太の柵に覆われた村が見えてくる。あわただしさは感じるものの、悲鳴や怒号が聞こえてこないところを見る限り、まだ敵は村まで来てはいないだろう。


 そう判断し、少しホッとするとともに冷静さを取り戻した。

 締められかけてた門をくぐり村へと入ろうとした俺に門番の男から声をかけられる。

 

「オグル! オークだ! 武器もって準備しやがれ!」


「オークだと……!? すぐ行く!」


 その言葉に短く返し、自宅へと向かう。

 非計画的な曲線を描く道を走りながら俺はいやな記憶を思い出していた。


 オーク。灰緑色の肌とでっぷりとした腹を持ち、丸い顔には小さな猪のような牙が生えた人型の魔物である。そして五年前、俺の両親の命を奪った魔物でもあった。


 五年前。それも大体この時期だ。今日と同じように俺は農作業をしていた。違ったのは親父も同じように農作業に精を出していたことと、家で待っていたのは母と妹の二人だったことだ。

 

 そしてオークの群れとの戦いで父は死に、オークが町に放った小柄な鬼の魔物、ゴブリンによって母は殺された。


 そうして妹と二人残された俺は何とか生活を立て直し、ようやく普通の生活が送れる、そう思ったとたんにこれだ。

 俺とオークの間に何らかの縁があるとしか思えない。


 そんなことを考えていると、木製で傾斜のきつい屋根を乗せたこじんまりとした家、自宅が見えてきた。少し古くなった扉を勢いよく開け、「リア!」と妹の名を呼ぶ。

 

「お兄ちゃん! 大丈夫だったの? あの警笛は……?」


 その声に反応してとてとてと妹のリアがこちらに走ってきた。

 小さなころから病弱で今でも肌は病的なまでに白い。その上、大分やせてるもんだから家で待たせてるだけでも不安になる。


「あぁ、大丈夫。だけど、またオークが出たみたいだ。俺はすぐに出なきゃいけないから、リアはここでおとなしく待ってるんだよ」


「オーク……! 大丈夫なの? お兄ちゃんまでいなくなったら私は……」


 驚き手を口に当てた後、リアは俺がオークとの戦いに行くことに不安を見せた。

  

「大丈夫だよ。今回のオークは数が少ないみたいだし、すぐに終わるさ」


 安心させるよう嘘を言う。


「でも……」とまだ不安そうな顔をするリアに、俺は笑顔を作りながら頭をなでた。


「本当に大丈夫だから。そのためにこれの練習をしてたんだからな」


 そういって立てかけられた斧をとる。本当なら剣や槍を練習したかったが、ただの村人である俺の家にそんなものはなかったし、新しく買うだけの金銭的余裕もなかった。

 それでも何かないか、と探したところ見つかったのがこの薪割り用の斧だ。


 練習と言っても多少の素振りくらいしかできていないが、何にもしないよりはましだろう。……と思いたい。


「そうだけど……」


「大丈夫。絶対帰ってくるから」


 それでも、くちごもり何か言おうとするリア。俺はそれを抑えて斧を担ぎ外に飛び出した。

 これ以上遅くなると、今後村内での評価も悪くなる。そうなってくると病弱な妹を抱えた(うち)は……


 優しい村民たちのことを考えると「そんなことはない」と思いたくなるが、オークの襲撃で一人の負傷者も出ないというのは考えられない。

 そうなったときに攻撃されるような理由を作るべきではない。


 そんな的外れで楽観的な考えからリアとちゃんとした対話もせず飛び出してきた俺。


 それを後悔することになるのはそのすぐ後のことだった。


 



「どうなってやがる!? 相手はオークのはずだろ!?」


 そう叫んだのは狩人のリカルドだ。村北面に広がる森で鹿やイノシシなどを狩って生計を立てる、頼りがいのある男だった。

 

「そのはずだよ!」


「だったらなんで……ぅがっ!」


 こんな戦術的な行動をとるんだ。と続くはずだっただろう言葉は頭に突き刺さった矢に打ち消される。


「クソ! リカルドがやられた!」


 戦闘が始まって五分もたたない。その短時間に男たちの半分がやられた。

 

 普通、オークの武器など錆びだらけの剣か原始的な棍棒だ。だが、今回は違った。


 最初に姿を見せたオークたちは大柄なその姿を隠せるほど巨大な盾を持ち、こちらの弓矢からその体を守った。そのせいで不用意に接近を許してしまう。


 だったらしょうがないと、打って出たはいいものの、もともと強靭な体躯を持つ魔物であるオークに、村人たちの攻撃は効果を出せない。


 その大きな盾で弾き飛ばされる者。後続の棍棒を持ったオークに頭をつぶされる者。数体の弓矢を持ったオークに射られる者。こちらの戦力は一気に削られている。


 そんなことを思い返してる内に、また一体のオークが切りかかってきた。上段からの大振り。自身の膂力に慢心した単調すぎる一撃だ。

 見切りの技術なんてあるわけのない俺はそれを大きく横に跳ぶことで避ける。


 ゴッと地面と棍棒がぶつかり合い音を立てた。横目に見える凹んだ地面からその攻撃が一撃必殺の威力を持つことを察してしまう。


 冷や汗をかきながらも手にした斧を横薙ぎに振るう。十分に力の乗ったその攻撃は狙い通り腕へと命中し、深い傷を負わせるとともに棍棒を落とさせた。


「よしっ!」


 ここを好機と追撃する。頭を狙った上段の攻撃は腕に守られてしまうが、それでいい。

 衝撃からしりもちをついたオークへもう一度斧をふるい命を奪う。

 それでも戦局は悪くなる一方だ。

 

「おい! どうすりゃいいんだよ!?」


 一人の村人が叫ぶ。それに答えたのはまた他の村人だった。


「知らねぇよ! 良いから戦いやがれ!」


「そんなこと言ったって、こいつら…… ぐあああああ!」


「クソぉ!」


 信頼されていたリカルドが死んだことで、かろうじて残っていた戦線は瓦解。生き残っている村人たちは阿鼻叫喚の図だ。


「俺は逃げる! 逃げるぞ!」


 そう言いだしたのが誰かはわからない。しかし、そいつのその言動のせいで俺も俺もと後に続いていく者たちが出始めた。


 あぁクソっ。なんで! なんでこんなことになるんだ!


 逃げる村人と抑えきれないオークの勢いに俺の頭は沸騰するように怒りで染まる。


 やっと! やっと二人生活していくだけの食い扶持が稼げるようになった! これからだったんだ! 俺の人生は!


 親父と母さんを奪われ、それでも何とか立て直した生活はまたもオークに奪われる。

 

 その悔しさと怒りに染まりながらオークを背を向け走った。俺をかすめるように飛んでくる矢に恐怖で息が荒くなる。


 せめてリアだけは。リアだけは守らなければ。

 その思いだけで俺は足を動かしていた。


 非計画的な曲線を描く道を抜け、いつもの俺の家につく。俺を追うオーク特有の鼻を鳴らすような鳴き声は、増える村人の叫び声と比例するように減っていた。

 

「リア!」


 叫びながら家に入る。


「お兄ちゃん!」

 

 答えたリアは涙を浮かべ震えていた。小さな体で必死に恐怖に耐えている。


「リア、逃げるぞ。乗ってくれ」


 そう言っておぶさりやすいよう背を向け腰を下ろした。


「え……? ……うん」


 不安そうにしながらも聡明に状況を察してくれたリアは、俺の背中に乗り腕を首に回す。


「行くぞ」


 そう声をかけ、立ち上がり走り出す。そこかしこから聞こえてくる悲鳴と怒号に焦りを感じる。


「お兄ちゃん、ゴブリン!」


 村を走る俺の背中でリアは振り向きながら叫ぶ。それにつられて振り向くと、赤褐色のひときわ大きい個体に連れられた緑色の小鬼ども、ゴブリンが俺らを目指し走ってきていた。


 オークより小さく力がない分、素早く小回りの利く体は、こういった村の中では厄介極まりない。


 チッ。鋭く舌打ちをし速度を上げる。それでも身軽なゴブリンと妹を背負ったただの村人ではどちらが早いかなぞ明白だ。


 次に振り返った時にはゴブリンはすでに逃げられない距離まで迫ってきていた。


「リア、先に逃げててくれるか?」


「え……?」


 俺の言葉に呆気にとられたような顔をするリアを無視し、そっと背中から降ろすとともにゴブリンへと向き直った。


「お兄ちゃん、あいつらはっ倒してくるから」


 俺がそう言った直後、ゴブリンが棍棒を振り回しながら飛びかかってくる。


「っらぁ!」


 身軽さを重視したその小柄な体躯を気合いを入れて殴り飛ばす。ぐぎゃあと汚い悲鳴を上げたゴブリンは、吹き飛ばされ家の壁へと衝突した。

 

「な? お兄ちゃんは強いんだ。だから大丈夫」


 笑顔を浮かべて振り向き言い放つ。

 

 嘘だ。今の無理やりな動きのせいでゴブリンの棍棒を少し受けてしまったし、たまたま一体で向ってきてくれたから良かったものの、群れとして行動された場合、俺なぞすぐに殺されてしまう。


 それでも二人ここで死ぬよりはリアだけでも生き延びる可能性にかけたかったのだ。


「でも……」

 

「行けっ! 早く……!」


 それでもまだぐずるリア。

 俺は声を荒げ、短く叫んだ。


「っ! ……わかった。絶対助けを呼んでくるからね!」


 その言葉に一瞬ひるんだリアだったが、目に涙を浮かばせながら走って行った。


 それでいい。走る小さな妹の後姿を確認した俺は、ゴブリンどもに向き直り言い放つ。


「かかってきやがれってんだ! クソゴブリンども!」


 それに呼応するようにぎぎゃあ!と耳障りな鳴き声を上げる。そして、棍棒を片手に掲げたゴブリンどもは俺に殴りかか――


「止まれ」


 ろうとして低く重い声に止められた。

 空気を震わせたその声は、体の芯を震わせるような圧力を持ち、自然と視線を引き付けた。


 視界に映ったのは巨大なオークだった。

 俺の倍以上もある背丈、しかし、俺が巨大だと感じたのはそれだけが理由ではない。


 体は膨れ上がった筋肉に覆われ、肩に担いだ大剣は木ほどもある。何より身にまとう魔力がその姿を更に強大に見せた。


「貴様が最後だ」


 あまりの威圧感に動けないでいる俺の耳と目に飛び込んだのは、

その言葉と巨大な剣を投げ槍のように構える姿だった。

 

「や、やめろ……!」


 俺の呻くような叫びに反応はない。そして、剣は投げられる。


 時間が引き延ばされたように遅くなった視界を巨大な剣が埋めていく。本能的に目を閉じ腕で顔をかばった。

 

 


 しかし、予想した衝撃は訪れず、代わりに聞こえたのは俺の後方で何かがぶつかり合う鈍い音と、おそらく地面とぶつかったのだろう大きな衝撃音だった。


「はずれた……のか?」


 そんな馬鹿な。こんな大きい的を外すわけはない…… 待て。さっきあいつはなんて言った?


 あいつはさっき俺が最後、といったはずだ。この場には俺以外他の村人はいない。……さっき逃げたリア以外は。


 嫌な考えが頭をよぎる。

 振り向いて確認したい。頭が重い。無意識が後ろを向くことを拒否する。

 それでも、無理やり首を回した。


 突き刺さった大剣。舞う砂塵。地面に広がる赤。転がるリア。


 理解してしまった。

 今の投剣が俺を狙ってのものではなかったことを。

 その目標が誰だったのかを。


 リアが殺されたことを。


「」


 その瞬間、頭を埋め尽くした感情は怒りだった。


 すべてを奪われた悔しさや無念さ。それらを覆いつくすようにこいつを、こいつらを殺してやりたいという思いがあふれ出す。


「テメエエェェェェっっ!!」


 その怒りに身を任せ、とび出る叫びを抑えようともせず殴りかかった。


 しかし、血管がちぎれるんじゃないかと思うほど力を込めたはずの俺の腕は、何倍も太い灰緑色の剛腕にあっさりと掴まれた。それだけで俺は動けなくなってしまう。


「い゛っ……!」


 それどころかあまりの握力に骨が握りつぶされ、ごきりと嫌な音を立てた。


「ふっ」


 あざ笑うように鼻を鳴らし腕を放すオーク。その瞳に映るのは嘲りか呆れか。どっちにしろ俺に興味などないようだ。


 痛む腕を庇いながら必死に睨むが、そんなものは所詮負け犬の遠吠え。


 どうやっても勝てない、殺されることは出会ってしまったときから分かっていた。それでもリアの仇だと思うと怒りで力が湧いてくる。


 睨んだ先に映ったのは心底興味を失ったようなオークの顔だった。

 その顔を見た瞬間、自身の無力さに、情けなさに、怒りがわいた。


「クソォォォォっっ!!」


 叫びながらのタックル。考えなんてない。あるのは怒りだけだった。


「もう良い……」


 その言葉が耳に入った瞬間、風を切る轟音と共に体から感覚が失われた。




































二話目


 目を覚ますとそこは洞窟だった。


 光の差し込む入り口からは生い茂った木々が顔をのぞかせ、少なくともここが人間の手が入った場所ではないことがわかる。


 洞窟というより洞穴といったほうが正しいかもしれない。そんな場所で俺は寝ていたようだ。

 

「どういうことだ……?」


 ぼんやりとする頭で必死に以前を思い出そうとするも、なぜ俺がここに居るかははっきりとしない。


 そもそも俺はあのオークに殺されたはずじゃなかったのか?

 それが何でこんなところで……?


 疑問が頭をぐるぐると回っているが、とりあえず状況を知るためにも動き出さなければならない。

 

 そう思いだるい体を無理やり働かせ立ち上がた。


 うん? なんかやたら視点が低いような……?

 思ってたよりこの洞穴が広かったのか?

 

 すると、視点の高さに違和感を感じる。それでも、まあまだ頭がちゃんと働いてないせいだろうと、さして気にはしなかった。


 若干ふらつく足を運び、壁に手を添わせて洞窟を出ると、やはりそこはうっそうと木々が生い茂る森の中だった。


「ホントにどこなんだよここは……」


 つぶやいた疑問は森のざわめきに消えていく。


 やっとしっかりしてきた足取りで森を進む。人の手が入ってない天然さのせいで歩きにくいことこの上ない。


 ふと、木の根やガタガタの地面だけが歩きにくさの原因ではないような気がした。


 気のせいだよな。体が小さくて動かしにくいとか、そんなわけないよな。


 さっきから視界に映るこれも気のせいだよな?


 ……あぁ、できるだけ目に入れないよう、気にしないよう意識していたがやっぱりだめだ。


 足を止めた俺は自身の体を見下ろして呟いた。


「……なんで俺の体緑色なんだ……?」


 森を進むたび、視界に映る腕や足。何でかそれが緑色なのだ。


 どういうこと? 視界の低さと言い、体の変色と言い、俺の体には今何が起きてるんだ?


 新しい疑問が浮かび上がるたびに俺の不安は加速する。

 

 考え込むように口元に当てた手からは俺にはなかったはずのものの感覚さえ感じられる。

 

「おいおい……」


 確かめるように探った口。そこには人間にはないはずの牙が生えていた。


 少なくとも俺にはこんな尖った歯は生えていなかったし、村民にも生えてる奴なんていなかった。


 何がどうなってる……?


 さっきからわけがわからないことがありすぎて俺の頭はパンパンだ。


「どうすりゃいい……? まずは体の確認が先か? それとも人を探すべきか? いや、こんな変な色のやつ助けてくれるわけがない。ってことはまずは…… 川だ。池でもいい。とにかく何でも自分の顔が映るところに行かなきゃならねぇ」


 やるべきことを無理やり声に出すことで冷静さを取り戻す。

 

 ひとまずの目的が決まったことで俺はようやく動き出した。運がいいことにさっきから水の流れている音が聞こえている。


 その音を頼りに木々の合間を進んでいく。さほどかからず見えた川は小さい滝が連続して続く、かなりの急流だった。


 そういえば、以前来た行商人が山とかの高い方ほど流れが速くなるって言ってたな。つまりここはかなり高いところなのか?


 俺が住んでいた村の近くには山なんてなかった。ちょっとした丘程度ならあったが、それ以外に起伏なんてない見事な平野だったはずだ。


 それに……

 

 そう考えながら回りを見渡す。

 辺りに生える木々。空をも埋め尽くすように生える葉は平べったい。

 

 なんて言ってたっけかな。確か……広葉樹?


 どこかで聞きかじった言葉を必死に思い出す。

 ……そうだ。広葉樹と針葉樹だ。俺の住んでいた村の近くに生えていたのは針葉樹。名前の通り針のような葉が生えていた。


 その上、この広葉樹には紫色の、明らかに毒を主張する果物まで成っている。こんな果物は見たことがない。


 どうなってんだよホントに……


 変なところから自身の今いる場所が村の近くではないことを知ってしまい不安が積もる。


「まあいい。そんなことより……」


 軽く頭を振って不安を吹き飛ばす。そうして当初の目的を果たすため淀む水面を覗き込んだ。


 そこに映った顔は、四角い輪郭に真一文字の口から覗くのは猪のような牙。まさにオークと呼ばれた、あの魔物のものであった。


「やっぱりか……」


 つぶやきながら確かめるように顔を触ると、やはり水面に映る自分もゴツゴツとした手を丸まった顔へ持っていっていた。


 ここまでの移動時に見えていた灰緑色の肌。たるんだ手足。そのどれもが俺の記憶にこびりついた仇敵と同じ。


 それを突きつけられた俺は、しかしショックを受けることはなかった。


「この体があれば……」


 口元に笑みを浮かべながら小さく口に出す。確かめるように両の手を強く握った。


「この力があれば…… あのオークに復讐できる……!」


 自然と口からは笑い声が発せられていた。今までの不安や焦りを吹き飛ばすように喜びがあふれ出す。


 ここがどこかなんてもうどうでもいい。望むのはあいつの首。ただそれだけだ。



 

 



「動けねぇ…… 俺は、ここで死ぬのか……?」


 あれから数時間後、俺はあの渓谷近くの洞窟で死にかけていた。


 体は動かず息は絶え絶え。外に広がる森からは魔物の低い唸り声まで聞こえてくる。


この数時間で俺の身に何が起こったのか、それは……


「ちくしょう、やっぱあれ毒入りだった……」


 そう。空腹に負けた俺は、木になっていた紫に橙の縞模様が入った果物を口にし、見事その毒に体を侵されてしまったのだ。


 なんだよあの色。あれは一周回って大丈夫な色だろうが。空気読めよあの腐れ果実。


 まぁ悪態をついても始まらない。一応安全そうな洞窟で食べたものの、ここも実際に安全かどうかはわからない。っていうか食った瞬間体が動かなくなるって即効性ありすぎだろ……


 あーどうしよ。マジで体が動かない。それどころかなんかぴくんぴくん痙攣してきた。本当にこれやばいやつじゃないか?


 俺の復讐譚ここで終了!? うそだろ……?


 あー、もうだめ。なんか逆に気持ちよくなってきたもん。はい。俺のオーク生ここで終了。ちゃんちゃんっと。


 なんだかあったかくなってきた体の感覚に死を覚悟し……いやいやいや。しねーよ。


 流石にこれは悔いがありすぎてアンデットになっちまう。どうにか、どうにかする手立て、は……?


 あれ? 動く。動くぞ? なんでだ? 急に金縛りが解けた。


 頭中に疑問を浮かべながら俺は自由になった体を起こした。体のあちこちを伸ばしたり動かしたりして確認しても、妙に体の奥から感じる熱以外特に違和感はない。その熱が一番不安だわ。


 それからしばらく体の様子を確かめてみたり、原因を探してみたりしたもののはっきりとした理由はさっぱりわからなかった。どうしようもないのでとにかくオークの謎パワーってことに仮定して動き出すことにする。


 オークだしな。特別な腹してるんだろ。うん。そう言うことにしよう。


 訳のわからない現実から目をそらした俺は、状況把握のためまた歩き出す。

 

 

 































 


三話目


 俺は深い森の中を走る急流の脇を歩いていた。


 あのオークキングに復讐を誓ったとはいえ、少なくともこの近辺にはいないであろうことは確かだ。そうなってくるとまずここがどこかなのかを調べなければいけないのだが……


「森から抜けらんねぇ……」


 呟いた言葉は森と川のざわめきに消えていった。……さっきもこんなことやったぞ。


 自分の姿を確認してからもう半日は経っただろうか。あれから歩けど歩けど、見えてくるのは木々の群れと変わらない姿の急流だけだ。街どころか道も、平野すらも見えてこない。


 とはいえ俺にできることなんて歩くことぐらい……ん?


 森の奥から聞こえてきた音を違和感に思った俺は、耳に意識を集中した。


 何だこの音。何かが移動してる…… 馬車か? それにしてはやけに激しい音な気がするが…… とりあえず行ってみるか。


 その音の正体を探るため、木をかき分け森の中を進む。


 森の向こうから聞こえてくる馬車の音は次第に大きくなっている。運がいいな。こっちに向ってきてるみたいだ。


 馬車の走る音が大きくなるとともに、それに乗っているのであろう人の声も聞こえてくる。話してる内容は流石に聞き取れないが、その雰囲気でかなり切迫した状況であることがわかる。


 少し進んだところで森が切れ、轍だけが残るガタガタの道が見えてきた。


 俺は道には出ず、様子がうかがえる脇の低木に身をひそめる。この体じゃ人前に姿をさらすことなんてできない。討伐されちまう。


 道の少し先に砂を巻き上げ爆走する屋根付きの馬車と、それを追う魔物の群れを発見。ってかあれ馬車じゃなくて竜車だな。走竜がひいてやがる。


 てことは乗ってる奴は貴族か豪商か、まあお偉いさんってことは確かだ。


 ……おかしい。お偉いさんならそれなりのランクの冒険者をつけてるはずだし、だとしたらそうそう逃げ出さなきゃいけない状態にはならないはずだ。それに後ろを追う魔物もそんな大したのじゃなさそうときた。


 若干のきな臭さを感じながら観察を続ける。

 近づくにつれ、焦る御者の姿やそれを追う魔物の姿もはっきりとみえてきた。高価なはずの竜車には見合わぬ脛に傷のありそうな御者の風貌。乗ったまま矢で応戦する戦士も安っぽさを感じさせる頼りない装備をしている。


 後ろを追う魔物はゴブリンを乗せた猪。逆か? まぁ猪に乗ったゴブリンでもゴブリンを乗せた猪でもどっちでもいいが、とにかくゴブリンライダーと呼ばれる厄介な魔物だ。


 鉈を手に持った十体ほどの群れは素早く、戦士による牽制をよけながらも着実に馬車との距離を詰めている。

 

 そうして俺の目の前を馬車が通り過ぎる、そのタイミングでゴブリンライダーたちは馬車に追いつき、一体のゴブリンが馬車を引く走竜へ鉈を切りつけた。


 首元への一撃をもろに受けた走竜は転倒。その上引かれていた馬車はそれに乗り上げ横転し、激しい衝突音を上げた。大惨事である。うっへぇ。


 これではあの戦士も御者もただでは済まないだろう。


 しかし、その予想は裏切られた。運がよかったのかやたら頑丈だったのかはわからないが、後ろで応戦していた戦士は目立った外傷もなく立ち上がる。


「おいゴモン! ……ちっ、使いもんにならねぇヤツだ、クソが!」


 悪態をつきながら腰に差した剣を構える。そんな戦士を取り囲むゴブリンライダーたちは口元をひどく歪め、嗜虐の表情を浮かべている。どうやって嬲り殺すかでも考えているのだろう。

 

「っ! そうだ!」


 そんな危機的状況で何かを思い出した戦士は、倒れた馬車に顔を突っ込んだ。


 どうしたんだ? あの馬車になんか奥の手でも……


「おい! 出てきやがれ!」

 

 怒鳴りながら中から何かを引っ張り出す。投げ捨てるかのように乱暴に引き出されたのは、身にまとう襤褸(ぼろ)の汚さとは対照的に美しい金色の髪を持つ若い女エルフだった。


「魔法を使うことを許可する! ゴブリンどもを吹き飛ばせ!」


 戦士のその叫びにエルフの女は応えなかった。警戒するように武器を構えるゴブリンライダーと戦士の男の間に一瞬の静寂が訪れる。


「魔法を使えって言ってんだ! 聞こえねぇのか!」


 しびれを切らした戦士は倒れたままのエルフの足を踏みつけた。しかし、「っ!」と言葉にならない痛みを漏らしながらも、魔法を起動させる気配はない。


 警戒していたゴブリンライダーたちもその様子に再度嘲りの視線を向けるとともに、一体が戦士へと斬りかかった。


「役立たずが!」


 最後の希望にも裏切られ、やけくそに剣ではじき返す。金属のぶつかり合う硬質な音が響いたかと思うと、はじき返したはずの戦士はうめき声をあげて倒れた。


 その隙を利用され、別のゴブリンライダーに背中を刺されたのだ。


「畜生……」こぼれだすように付いた悪態を最後に、戦士は首を落とされ死亡した。


 目の前で人間が殺される。その光景に一瞬、殺された(リア)の姿を幻視した。それでもあのエルフにした暴行を鑑みれば決してあいつは善人ではなかったのだろう。見殺しにしたという罪悪感はあまりわかなかった。


 とはいえあのエルフはそうではない。見るからに劣悪な環境に置かれ、少なくとも今の段階では悪人といった感じではない。その上若くて綺麗な女と来た。


 そうなると見殺しにした時の罪悪感はあの戦士の比ではないだろう。助けられるのであれば助けたい。


 でもなぁ、いくらオークの体とはいえ、サイズ的にはまだ子供だ。それに俺には特別な戦闘技能なんてない。あの数のゴブリンライダーなんてとてもじゃないが相手どれな――


「ウインド……!」


 聞こえてきた声に遅れるように突風が吹き荒れる。反射的に顔を覆ってしまうほどの強風だ。


 なんだ……!?


 疑問と共に腕を降ろすと、エルフを囲っていたゴブリンたちが吹き飛ばされ、倒れこんでいた。

 近くにいたのであろう何体かは、木に打ち付けられここからでもわかる深手を負っている。


 魔法だ。こうやって直に目にするのは初めてだが、すぐに理解した。エルフは魔法が得意な種族と聞く。あの女エルフもそれに違わないのだろう。


 とはいえまだ軽症のゴブリンが五体は残っている。あのエルフが魔法を連発できるなら楽な相手だろうが……


 汗を浮かべて倒れ伏す、あの様子を見る限りあれで力のすべてを使い切ってしまったようだ。


 五匹…… いけるか? いや、せめて武器があれば……


 何かないのか。一縷の望みをかけて辺りを見渡した俺の視界に、きらりと主張する光を見た。俺を使えと言わんばかりに日の光を反射するのは、さっきの魔法で飛ばされたのであろうあの戦士の剣だ。


 剣……! あんなおあつらえ向きに落ちてんだ。やるしかねぇ。


 神の思し召しのようなこの状況に俺の心は高ぶっていた。


 とはいえこのまま突っ込むわけにはいかない。ゴブリン五体にフォレストボア()までいるこの状況で考えなしにぶつかるのは流石に蛮勇だろう。

 

 何か他にないのか。またも見渡す俺の視界に映るのは、飲み込むように深い森と、立ち上がり女エルフににじり寄るゴブリンの姿。他には壊れた馬車と死んだ走竜、それと所々に実るあの毒果実くらい……?


 これだ。あんだけ即効性のある麻痺毒、剣に塗れば相当な効果を出してくれるはず……!


 音を立てないよう、そろそろと果実を一つ手に取り剣に当てる。つぶしながら果汁をたっぷりと塗り込み準備は終わり。後は覚悟を決めるだけだ。


 草葉の影を選びながら徐々に近づいていく。ぐったりをうなだれる女エルフを見てついにゴブリンたちは警戒を解いたようだ。


 不機嫌そうに鼻を鳴らす猪に森を指さし何かをわめく。それに従って猪たちは森へ入っていった。おそらく餌を要求されたのだろう。


 下半身に支配される愚かなゴブリンどものことだ。こっからこの女エルフに何をするかなんてわかりきっていた。


 予想通り、揃えて下品なにやけ面を浮かべたゴブリンたちは、今にも襲い掛かろうとしている。

 

 襲い掛かったその瞬間がチャンスだ。最大限気を抜いていてもらわないと。


 心臓の音が荒くなった気がした。


 そして、ゴブリンが武器を捨て襲い掛かる。


 瞬間俺は飛び出した。まずは一匹。首を薙ぐように切り払う。他のゴブリンは驚愕し慌てるだけだ。


 まだいける。反応し振りむいた一匹の腹を突き刺す。深い。次。剣を拾おうとする腕を切り払う。切り離された右腕にゴブリンは不快な悲鳴を上げた。


 もう二体。すでに武器を拾っている。俺は剣を構え、じっと相手をにらみつけた。


 二体か…… 大分調子よく進んだがこっからが問題だ。


「グギャ……」


 恐れをはらんだ鳴き声を上げた。かと思うと一体が途端に背を向け逃げ去ってしまう。もう一体も「え?」みたいに去っていくゴブリンに視線を向けた後、持っていた剣を投げ捨て走り去った。


「えー……」


 これあの毒果実意味あった……?


 立ちすくむ俺の体を乾いた風が吹いていった。


 






























四話


 夜風が深い森を抜けて洞窟へと吹き込んでいる。渓谷のせせらぎと薪木がはじける心地よい音が辺りを支配していた。


 洞窟と呼ぶにはいささか浅すぎる、洞穴と評すべきその岩窟の中で、焚き火に照らされる影が二つ。

 一つは長い金色の髪と長くとがった耳が特徴的な女エルフ。そしてもう一つがたるんだ体を持った小柄なオーク。そう、俺だ。


 ゴブリンに襲われていたこの女エルフを救ってから、気を失ったこの娘を運びここに寝かせていた。

 

 すぐそばの川でなんとか獲ってきた魚を焼き、目覚めを待つがどうも起きる気配がない。


 おーい、そろそろ起きなー? 目の前で手をプラプラ振ってみる。反応がない。肩を揺らす。反応はない。頬をつつく。反応はない。

 やっぱり全然起きる気配はない。

 


 そうこうしているうちに魚はいい感じに焼けてきている。そろそろ火からはなさないとだめだな。


 ふと思いついて、焼けた魚を目の前でふらふら。やっぱり反応は……


 ガブッ。寝ていたはずのエルフが突然魚にかみついた。骨も熱さも気にせず一心不乱に食べつくす。そうしてきれいに骨だけになったあと、またも目を閉じ寝息を立て始めた。


 何だこいつ。食べるためだけに目覚めたのか? しかもまた起きる気配ないし。


 もういいや。俺も飯食って寝よう。


 そう思いもう一つの魚を手に取った。その瞬間、またもエルフが魚に噛みつこうと首を伸ばした。


「うおっ」


 ひょいと手を動かし顔をよける。空を切った歯はがちんと硬い音を立てた。


「ん~…… ごはん……」


 きつめで端整な顔立ちに似合った凛とした声。しかし出てきた言葉は子供っぽい。


 ぼやーっとした表情を浮かべ、閉じ切った瞳をしぱしぱさせている。焦点の合わない目で俺の持つ焼き魚を見つめ、次第にそれも治ると串を持つ俺の方へだんだんと視線を向けた。


「……? ひっ!?」


「あー…… く、食うか?」


 オークである俺を視認した後、短い悲鳴を上げて後ずさったエルフに、かける言葉を探った結果出たのはこれだった。


 流石にこれは失敗したなぁ。起きたら目の前にオークって恐怖でしかない。


「……食べるわ」


 一瞬の間の後、俺の手から魚を奪い取る。憮然とした表情でむしゃむしゃとむさぼっている。


 いや、この状況で――


「よく食えるな……」


 出すつもりのない言葉がつい漏れた。

 

「貴方が言ったんじゃない。ま、でも命の恩人からご飯を奪い取るってのも確かにひどかったかもね」

 

 恩人? 恩オーク……? と呟いてまた魚にかぶりつく女エルフ。


「あ、あの時まだ意識あったのね……」


「ちょっとだけね。それに……」


 そういって視線を焚き火に移した。


「オークは火を使わない」


「なるほど」


 剣や斧を拾っても多少強い棒ぐらいにしか認識できない彼らの頭では火を扱うことなんてできない。……のだろう。したり顔で頷いたが、元農民の俺にそんな詳しい知識はない。わからん。多分そうだ。


 そうしてるうちに魚を食べ終えたようだ。串にしていた木の枝を投げ捨てている。行儀悪いな。


「ふぅ。ありがとう。これも、あの時も」

 

「いや、いいんだ。こっちにも目的があったし」


 一息つき、そう言って頭を下げた彼女に、俺は短く答えた。


「目的?」


「ああ。それにはまず俺の状況から話さないといけない」


 おうむ返しの返答に、俺は頷いて説明を始める。


「ま、気づいていると思うが、俺は普通のオークじゃない。転生者なんだ。元ヒューマンの」


 息をのむ音が聞こえた。


「へぇ…… それはまた……」


 お気の毒な感じね。とあまり驚いたた風でもない女エルフ。


「で、まぁ、生前なんやかんやあって今はオークに復讐しようとしてんだ」


「オークなのに?」


「オークなのに」


 呆れたような口調でそう尋ねられ、俺はまじめな顔して応える。なにがそんなに面白いのか、ケタケタと声をあげて笑った。


「そんでだな、第一に復讐をしたいオークが北の方にいるんだが、そのためには情報が要る。武器がいる。足がいる。ってことで、俺が町に入るための手引きをしてもらいたい」


「なるほど…… まぁそれは全然かまわないわ。けど……」


「けど?」


 渋る彼女に俺は疑問の声を漏らす。


「まずこれよ。この首輪。これがある限り私は一人で街に入れないわ」


 そういってうっとうしそうに首輪をいじる。よくよく見てみると首輪には一周ぐるりと文字が刻まれている。魔法具であるようだ。


「あぁ、従属の首輪か…… どうするかなぁ」


 従属の首輪。強力な契約魔法を刻み込み強制的に命令を聞かせるためのもので、主に奴隷に対し使われるものだ。無理やり壊せばその奴隷の命を奪うという今は厄介なだけの性質も持っている。


「いいえ、これはそんな強力なものじゃないわ。ただ、魔法の行使権を奪うだけのものよ」


「え?」


 なんでだ? 従属の首輪は確かに強力だが、かなりありふれたものだ。使わない理由なんてないだろうに。


 首を言ねる俺に、彼女は説明を始めた。


「私が今までいたところはね――」


 

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五話


「これあとどのくらいで着くんだ?」


「多分もうちょっとだと思うんだけれど……」


 顔に疲労の色を浮かべながら、ミニオークの俺とエルフのルフは街道を進んでいた。


 朝から歩いているというのにすでに日は傾き、空を赤く染めている。

 

「あ、ちょっと待って」


 片手で俺を制すると、道の脇にはえた木やら低木やらをあさり始めた。


「……やっぱり。ここよ。ここから森の中に入っていくの」


 そう言って低木をどかし始めた。視界を遮っていた木々がなくなると、馬車や何かの動物に踏みつぶされた、ギリギリ道と呼べるような轍が現れた。

 

 わざわざ痕跡を消そうとしているところを見ると、この先にはそれだけ隠したい何かがあるらしい。


 そう。俺らが今向かっているのは、町や村なんて言った、普通の人間が住んでいるところではない。


 ルフが語ってくれた過去。そして、とある条件。それが今向かっている場所にある。


 ルフは生まれた時から奴隷だった。


 おおよそ合法とは言い難い非公表の裏組織、『幻腕』。王国の裏で暗躍する彼らは次第に巨大化し、エルフ奴隷の生産という馬鹿げた計画を立て、それを実行していた。


 奴隷を育てるためだけの村。奴隷を生むためだけの母親。奴隷を生産するためだけの牧場。


 そんな場所で生まれたルフは、数いる奴隷の中でも特別に商品価値の高いものだったらしい。

 

 美しい見目に加え、魔眼の一種である精霊眼を持つ。


 そんな彼女がどうしてあんな下級の傭兵に連れられ逃げていたのか。それは――


「オグル。いたわよ」


 指さす先にいるのはゴブリン。俺の村をオークが襲った時にもいた小鬼型の魔物だ。それが三匹、警戒するように辺りを見回しながら森を進んでいる。


 ルフが育てられていた奴隷村はゴブリンの群れに襲われ壊滅。価値の高いルフだけ逃がされたのだ。


(一緒に暮らしていたエルフを助けに行きたい)


 昨夜、説明を終えてそう言ったルフの瞳は確固たる意志を感じさせる力強いものだった。


 オークですらないミニオークな俺と、痩せっぽちのエルフ。その二人で、村を壊滅させるほどのゴブリンの群れを相手に…… どう考えても不可能だ。


 やせ細った体躯や身に着けていた襤褸(ぼろ)を見る限り、少なくとも健康な暮らしをできたわけではないだろう。


 それでも彼女はその高潔さを失わなかった。エルフ特有のものなのか彼女だからなのか、それはわからない。

 

 しかし、それは生前の俺が持とうともしていなかったもので、自身と妹の身を優先し、村を守ることを放棄した俺にとって、目を背けたいほどまぶしく見えた。


 とか何とか恥ずかしいことは置いといて。とにかくそういうことででこんな自殺まがいの暴挙に手を貸すことになったのだ。


「殺るのか?」


 今はまだこっちに気づいていないゴブリンだが、進路の向き的に見つかるのは時間の問題だろう。


「もちろん」


 答えた瞬間、掌に魔法陣が展開された。淡く緑色に光るそれから、生えるように薄緑色の蛇が生み出される。


「すごいな。それが精霊か?」


 ぽとりと地面に落ち、するすると草葉を縫って進む蛇を見ながら俺はそう尋ねる。


「……オグル。あなた見えたのね」


「え? あぁ。初めて見たけど」


 「なるほど……?」納得したのかしていないのかよくわからない口調で頷くルフ。

 

「まぁいいわ。今のは下級精霊の一種で、風縫蛇(カゼヌイヘビ)って呼ばれてるの」


 俺は十九年の前世の中で精霊を見たことは一度もない。それは、そもそも精霊が少ないっていう理由もあるし、単純に野良の精霊を見るだけの素質が俺になかったからでもある。


 今は見えるってことはこの体だと多少はあるってことか? よくわからん。


「グギャ!」


 そんなことを考えてるうちに、風縫蛇はあのゴブリンを始末したようだ。


「本当にすごいな。すっぱり首が落とされてる……」


 遠目で三匹の死にざまを見つめながらつぶやく。あれで下級精霊なのか…… あまりの精霊の力に少し恐れを抱くほどだ。


「まぁ、今のはそれなりに魔力も込めたから」


 何でもないように答えた彼女に、またするすると風縫蛇が近づいていく。

 すると、飛び込むように彼女の掌に移り、一瞬強く瞬くと溶けるように消えた。


「それじゃ進みましょ。村まではもうちょっとあるはずだわ」


 そう言ったルフの言葉通り村を見つけたのは完全に夜が更けてからだった。

 

 規模としては俺が前世住んでいた村より少し小さい程度。十棟ほどの家屋と、それを囲んでいたはずの柵には激しい戦闘の跡が残っている。


「おかしいわね。ゴブリンの気配が少ない……」


「確かに」


 防衛用にいた多数の傭兵を蹴散らすほどのゴブリンの群れ、という話だったが、中から聞こえてくるあの不快な鳴き声はそれほど多くない。


「……でも襲ってきた時すでにかなりの数だったんだろ? なら本拠地がすでにあってもおかしくないんじゃないか」


「そうね……」


 白く細い、きれいな指を口元にやり、何かを憂うように考えるそぶりをした。


「だとしたら面倒だわ」


 そのルフのつぶやきは、辺りを覆う暗闇に溶けて、さらに辺りの光を奪った気がした。



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六話


「あれだな……」


「ええ。あれね」


 草葉の陰で二人して一つの洞窟を見つめていた。

 切り立った崖にぽっかりと空いた人二人分ほども高さがある穴。その入り口では他とは一線を画すガタイの良いゴブリンが満月に照らされている。

 


「あの中にルフの仲間たちが……」


 あの後、鷹の精霊、風切鷹(カゼキルタカ)による偵察の結果、あの村にはもうエルフはいないことが分かった。


 本拠地を探してゴブリンの様子を観察した結果、この洞窟を見つけたのだ。


「そうね……」


 何でもないことの様に呟いたが、整った口元は悔し気に歪んでいた。洞窟の中の惨状でも想像してしまったのだろうか。


「早く助けにかなきゃな」


 少しでも落ち着けるよう優しく声をかけた。戦力としてはあんまり役に立てないだろうから、せめて他の部分で力になりたい。


「ええ。まずはあの門番をどうにかしなくちゃね」


「そうだな」


 頷きながら顎に手をやり考えをめぐらす。わざわざそう言ったってことは精霊による排除は難しいのだろう。


 とはいえそんな簡単にあんなんて浮かぶものでもない。どうしようか。


「行け。風縫蛇(カゼヌイヘビ)


 えぇ…… 結局それぇ……?


 するするする~と木を登り、枝を移動していく。瞬く間に門番の上まで伸びた枝へと到着。奇襲。門番は死んだ。


 なんだこいつ。本当に何でこんな強いんだ? 


「さ、進むわよ」


 あんぐりと口を開け驚く俺を見向きもせず、何でもないように洞窟へ歩を進める。


「お、おう」


 一瞬遅れた俺は後を追うように歩き始めた。

 崖壁に割れるように空いた洞穴は、魔光ゴケのおかげでぼんやりと明るい。


 魔素を吸って光る魔光ゴケは緑の明かりをうっすら纏う魔化植物だ。湿っぽく暗く、それなりに魔素がある場所ならどこにでも生えている。何なら掃除してないと部屋にも生える。そんなありふれた存在だ。


 しかし、普通の洞窟で魔光ゴケが出す光などたかが知れてるはずで、少なくともこんなに明るくするほどの光ではなかったはずだ。


 それだけで、ここに居るゴブリンたちの量と強さを表していた。


「これは結構やばそうだな……」


「そうね…… 流石にゴブリン全部に精霊を使うわけにもいかないし」


 精霊眼を持ってるルフとはいえ、使うごとにある程度の魔力は持っていかれる。雑魚戦で使いまくっていではこの群れのボスを倒すことはできないだろう。


「なら俺がやるしかねぇな」


 腰に差した剣を抜き取リ構える。あまり状態の良くない剣は、頼りなさげに光を鈍く反射した。


「えぇ。前衛は任せたわ」


「おうともさ」


 深くうなずき、覚悟を決める。ここから先は死地だ。生きて帰れるかはわからない。それでも二度目の生を、自分の決めた生き方で進むには、この難関を越す必要があった。


「それじゃあ行きましょ」


 その言葉に、俺がルフの盾となるような構成で洞窟を進み始める。


 歩きやすいように、雑に、というよりは拙く舗装された洞窟ではあるが、突き出たような岩や岸壁で歩きにくいことに変わりはなかった。


 少し進んで奥から聞こえてきたゴブリンの鳴き声は、反響しているせいで何を言っているか、何匹いるかもわからない。それでも敵がもう近くにいることだけはわかった。


 ひゅぅっと吹いた一陣の風に乗ってやってきた血なまぐさいような雄臭いにおいに、この先で行われている行為を理解し、渋面を作る。


 不安を振り払い、九十度近いカーブを描いた洞窟の角からこっそり顔を出して様子をうかがった。ぼこりと膨らみドーム状に広がった空間は、天井にあいた亀裂のような割れ目から光が差し込んでいる。


 その空間で地獄絵図が広がっていた。


 三十匹近い――しかもそのどれもが上位種だ――ゴブリンに八人のエルフが囲まれ輪姦(まわ)されている。手荒に扱われ体中に青いあざを作るもの、それどころか血を流している者や、息絶えそれでもまだ犯されるものまでいた。いや、もしかしたら生きてるものなどほとんどいないのかもしれない。それほどまでに悲惨な風景だった。

 

「ひでぇ……」


「……」


「っ!」


 俺から漏れた呟きは、隣からぶわっと噴き出した殺気にかき消された。恐る恐るルフの方へ視線を向けると、憎悪の表情を顔に浮かべ、魔力を片手に集めている。


 蛍のような光が集まり次第に光量を上げていく右手。魔法の教養などない俺ですらなんかやばいことはわかった。


「る、ルフ……」


 口元を引きつらせ、俺はルフの名を呼ぶ。


 この光景を見て抑えられないほどの怒りを感じるのは当然だ。しかし、このタイミングで大きな魔法をぶっぱなすのはまずい気がする。


 なぜなら、大量のゴブリンの真ん中に、明らかに特異な個体が紛れているからだ。

 小柄なはずのゴブリンのくせにオーガほどの巨体さを持ち、肢体は筋肉でおおわれている。


 ゴブリンキング。おそらくそう呼ばれている、ゴブリンの最上位個体こそがあれなのだろう。


 ルフの魔法をもってしてもあれを一撃で仕留めるのは難しい、と素人目ながらそう思う。それほどのオーラをまとっているように見えた。


「待っ……!」


「吹き荒れろ。『瓢風』」


 瞬間、爆発するように解放させられた魔力は暴風となり洞窟を吹き荒れる。直接向けられたわけでない俺ですら吹き飛びそうな勢いだ。


「うおぉっ……!」


 両手を眼前でクロスして腰に力を入れ耐える。ぱちぱちと体中に礫がぶつかり、少し痛い。


 しかし、吹きすさんだ強風はそれきりで、すぐに何事もなかったように穏やかになる。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 荒い呼吸音を聞き、組んだままだった腕を解き顔を上げる。隣にいたルフは壁に手をやり、乱れた呼吸を直していた。見るからに消耗しているようだ。


「大丈夫かよ……?」


「はぁ…… 大丈夫よ。それより……」


 疲れの浮かぶ顔に鋭い瞳を張り付けてゴブリンたちの方を向くルフ。つられて俺も顔をそちらに向けた。


「なっ……!?」


 俺の視界に映ったのは壁に貼り付けられ血を流し息絶える、大量のゴブリン達と、切り傷のように体に裂傷を作りながらも二足で気丈に立つゴブリンキングの姿だった。


「やっぱり化け物ね。今ので魔力全部使っちゃったわよ……」


 呆れるように呟いたルフの顔はなぜか少し晴れ晴れしていた。


 

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 七話


「やっぱり化け物ね。今ので魔力全部使っちゃったわよ……」

 

 何故か少し晴れ晴れした顔でそう言ったルフに、俺は驚きと焦りが隠せなかった。


「いやいや、そんな落ち着き払ってる場合じゃねえだろ!? どうすんだよあいつは!」


 びしぃっ!っと指をゴブリンキングに突き付けながら、俺は焦った表情で叫ぶ。


「私はもう動けないから、あとは貴方に任せるわ」


「いやいや、あいつゴブリンキング! 俺ミニオーク!」


 あいつと自分を交互に指さしながら俺は叫ぶ。体躯だけ見ても倍近く差がある相手を前に、勝機は全く見えなかった。


「」


 

 




 

































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