第2章 デート
心琴と鷲一は田舎町から離れた中央区に到着した。
地元とは違い、人でごった返している。
鷲一は少しだけ緊張している様子だった。
「なぁ?本当にどこに向かってるんだ?」
いまだに場所を伝えてもらえず、辺りをキョロキョロする。
「もう少し!ここ真っ直ぐ歩けば入り口だよ!」
「あ・・・!!」
視界に目指していた建物が目に入って、鷲一は一回立ち止まった。
「これって、美術館・・・!!?」
鷲一は目を輝かせた。
中学生から引き籠りだったため、一度も来たことがない。
自室のキャンパスに沢山の絵を描いてきたが、今まで他の人の絵を直に見る機会は殆ど無かった。
「どうかな?チケットはもう買ってあるんだ!」
「ありがとう!!心琴!!俺、マジで嬉しい。」
心琴はこんなに喜んでる鷲一を初めて見る。
子供のように無邪気に笑っている。
「本当!?良かった!!私も嬉しい!」
その様子に心琴も蔓延の笑みを浮かべた。
2人はゆっくりと入り口から美術館に入っていく。
エントランスホールを抜けた所が画廊だ。
中に入るとそこは、静寂に包まれていた。
油絵の匂いがほのかに香る。
少し暗がりの廊下を歩くと、目の前には様々な絵画が適度な距離感で展示されていた。
2人は殆ど喋る事は無かったが、それは心地の良い静寂だった。
鷲一は一つ一つの絵を食い入るように見つめている。
心琴はそんな鷲一をのんびりと眺めた。
1時間以上そうして絵画を見て回った後、2人は外にある展示場の草むらにあるベンチに腰をかけるのだった。
目の前には見た事の無いような白くて大きいオブジェクトのプロペラが風に揺られている。
「ふあぁぁぁ!沢山の絵を見たね!凄かったね!?」
心琴もこんなにじっくりと絵画を見たのは初めてだった。自分の何倍も大きな絵画をみた時はその存在感に圧倒された。
「あぁ!どの絵も凄かった!あんな光の取り入れ方があるなんて俺全然知らなかった!」
興奮し切っている鷲一はその後も話が止まらない。
普段はそこまで自分から趣味の話しをするタイプじゃない。
(本当に絵が好きなんだなぁ)
心琴はそんな鷲一も好きだった。
一通り感動を言葉にしてから心琴に向き直る。
「心琴、連れてきてくれて本当にありがとう!」
鷲一は改めて心琴にお礼を言った。
「どういたしまして!」
心琴は歯を見せて笑う。
これだけ喜んでくれたら今日のデートは大成功だろう。
「この後、どうする?」
実はこの後はノープランだったりする。
周辺の飲食店を検索しながら心琴は鷲一に聞いてみる。
「あぁ・・・俺さ・・・その・・・。」
少し言いづらそうに鷲一は頭をボリボリかいている。
この仕草の時は大体、心琴に言いにくいことがある時だ。
「何?したい事あるなら言って?」
はっきりしない鷲一に首を傾げ聞いてみる。
「その・・・絵が描きたい。」
もじもじとそう言った。
「絵?」
思ってない言葉におうむ返しで聞き返してしまう。
「今、この感動を描きたい。でも、デートなのに心琴を待たせるの悪りぃよな?」
常識的に考えてデート中にやる事じゃ無いのは鷲一だって分かっているだろう。けれども、それを押してでも絵への熱意がふつふつと沸いてきているのだ。
鷲一は心琴が怒るかも知れないと思って申し訳なさそうにチラッと見た。
しかし、心琴は全然怒ったりしていなかった。むしろ、その一言を聞いて吹き出した。
「ぷっ!!あはは!!鷲一らしいね!良いよ?スケッチブック、売店に売ってたよ。」
その顔に鷲一は安堵した。
「悪りぃ!ありがとう!なるべく早くするから!」
鷲一は早速、売店へと駆けていく。
「ゆっくりで良いよー!」
慌てて走り去っていく鷲一の背中に向かって言うが、聞こえてる様子は無い。
あっという間に売店のある美術館の中へと入っていった。
「本当、ゆっくりで良いよ。・・・今日はなるべく帰りたく無いから。」
ポツリと呟くと心琴一人ベンチに座り込んだ。
朝に両親に言われたことがやはり堪えている。
【違う人でもいいんじゃない?】
【悪いことは言わない。早々に別れなさい。】
1人になると途端に涙があふれそうだ。
「今日は・・・できるだけ・・・鷲一といよう。」
スマホでご飯の場所を確認していると、鷲一が走って戻ってきた。
手には買い物袋の他に飲み物がある。
「これ、飲んでちょっと待っててくれ。」
「ありがとう!」
心琴は笑顔でそれを受け取るとプシュっという音と共に缶ジュースを開ける。
鷲一を見ると早速スケッチブックを開いている。
鉛筆がスケッチブックとこすれる音がする。
風が草をさわさわと動かす。
街中だというのに小鳥が囀っている声も聞こえる。
(気持ちいいな・・・。)
青空をぼーっと眺める。
ベンチは丁度良く木陰になっていてとても心地が良かった。
隣の鷲一は真剣に絵を描き続けている。
(あ・・・なんか・・・眠くなってきちゃった・・・。)
気が付くと心琴はうつらうつらとしていた。
「ん・・・?」
鷲一は舟をこいでいる心琴に気が付き自分が着ている半袖のコートをかけてあげた。
心琴はいつの間にか夢の世界へと誘われていた。
すやすやと寝息を立て始める心琴を目を細めて眺める。
(今日・・・いつもと化粧違うんだな・・・。)
間近で見ると今日の気合の入り方に笑顔になる。
(俺のために・・・色々調べて、チケットまで買ってくれて・・・)
鷲一はそっと心琴の頭を撫でた。
そして、またスケッチブックに目線を戻す。
シャッ・・・シャッ・・・
スケッチブックの中にどんどん世界が広がっていく。
そこには・・・美術品を眺める心琴の姿が描かれていた。
「これ・・・ちゃんと仕上げてプレゼント・・・しよう。」
やさしい絵が徐々に出来上がっていく。
◇◇
1時間程経過した時、ようやくそのスケッチはできあがった。
(うん。出来た!)
鷲一はスケッチブックを閉じて心琴を見るとまだ心地良さそうに眠っていた。
(・・・トイレ行ってから起こそうかな?)
肩を貸していた心琴をベンチに横にして、鷲一は美術館の中に歩いて行った。
「あ・・・あれ・・・?鷲一は?」
横にされた振動のせいか、心琴はこのタイミングで目が覚めた。
あたりには誰もいないが、自分にかけられているコートはまぎれもない鷲一の物だった。
隣にはスケッチブックが置いてある。
「どこ行ったのかな?」
あたりを見回す。
すると、目に入ったのは鷲一ではなかった。
「ワン!」
「あ・・・ワンちゃんだ。可愛い!」
目の前には犬がいた。
心琴は動物が好きだ。
犬も猫も大好きだがどちらかというと人懐っこい犬の方が好きだった。
目の前の犬はポメラニアンという犬種のように見えた。
小さくて茶色い毛玉のような体に、黒い目が真ん丸でキラキラしている。
「迷子かな?こっちおいでー?」
手を広げてこっちに来るように促すと、人懐っこいその犬もしっぽを振って近づいてきた。
「かっ・・・かわいい!」
心琴はそのポメラニアンを撫でようとした。
その時。
ガブッ!!!!
ポメラニアンは心琴の左手に嚙みついた。
「い!!痛っ!!!」
手を振りほどこうとしたがかなり強い力で手の甲にかみつかれている。
「いたいっ!!いたいって!!!」
周りのお客さんも心琴の様子に驚いている。
「離して!!」
思いっきり手を振ると、ポメラニアンはようやく心琴の手から離れた。
血がしたたり落ちる。
激痛が心琴の左手の甲を支配する。
「い・・・痛い・・・。これ・・異常に痛い・・・!!」
ただの噛み傷とは比べ物にならない痛みに心琴は脂汗を滲ませる。
しかも、ただ犬に噛まれただけでは無かったのだ。
「こ・・・これ?!」
信じられないものを見て心琴は目を見開いた。
傷口の端から見えたのは・・・緑色のうにょうにょとした生き物。
大きさは小さいが、それは前回、魔女を倒した時に魔女の口から出てきた“アレ”にそっくりのように見えた。
(これ・・・まさか、パラサイト!?)
一瞬で心琴の傷口を抉るようにして体の中に入っていく。
「いや・・・イヤ!!!」
体からそれを出そうとしたが触る事さえできずに体に入って行ってしまった。
あまりに一瞬の事で心琴は愕然とした。
鷲一を探そうと周りを見渡すと、沢山の知らない人がこちらを見ていることに気づく。
「あの・・・大丈夫ですか?」
そのうちの一人が話しかけてくる。
沢山の目が心配そうにこちらを眺めている。
「あ・・・だ!大丈夫です!!!今すぐ病院に行きます!!」
心琴は思わず走り出した。
(も、もし今のがパラサイトだったら・・・!!)
こんな、大勢の人がいる中で自分が何をするか解ったものじゃない。
下手をすると自分が知らない人を傷つける可能性さえある。
(やばいやばいやばいやばい!!!)
体中が激痛に襲われ始めている。
心琴は自分にパラサイトが寄生させられた事を鷲一にさえ話せずに居なくなった。
「こ・・・心琴!?」
その時、鷲一は美術館から出てきたが、凄い人だかりで何が起こったかわからない。
心琴が居なくなったことで人だかりは徐々に解消され始めた。
鷲一はそこにいた一人に慌てて声をかける。
「すみません!!ちょっといいですか?ここに居た女の子知りませんか?」
「ああ。さっきの子?野良犬に噛みつかれたみたいで・・・すごい慌てて走って行っちゃったよ。」
「野良犬!?」
鷲一は出口の方を見るが、そこには既に心琴の姿は見えなかった。
「・・・何があったんだ?!」
ただの怪我ならきっと走って行ったりしないだろう。
嫌な予感を胸に鷲一は荷物だけ持ってすぐに出口に向かって走っていくのだった。