第15章 それぞれの朝
海馬は自室で目を覚ました。
「う・・・吐き気が・・・止まらないよ・・・。」
昨日のデジャヴ・ドリームは本当に最悪だった。
海馬は壁にかかっている鏡に目をやった。
(きっと酷い顔してるに違いない・・・)
そう思って鏡を見たのだが、そこにいるのは昨日の自分とは少し違っていた。
「・・・は?」
髪の毛が肩くらいの長さまで伸びている。
「なん・・・で?」
海馬は目を丸くした。
身体を見ると、髪の毛だけでなく手や足も毛深くなっているようだ。
普通だったらここで気味悪がる所なのだがこの時の海馬は違った。
久しぶりの坊主からの解放に両腕を上げて喜んだ。
「やったー!なんかよくわかんないけど・・・髪伸びた!!!」
明らかな異常事態だが、海馬は少しでも心の安寧を求めた。
「うん。髪・・・染めてこーよおっと!!みんな驚くぞー!」
いわゆる現実逃避だろう。
夢の内容はいったん頭の端に捨て置いた。
そう言って机の奥にしまってあった髪染めを片手に洗面台に行く。
朱夏は昨日の事を一切覚えていないはず。
だからこそ、海馬は朱夏を少しだけ驚かせたかった。
1時間後くらいに朱夏が海馬の家の呼び鈴を押した。
-ピンポーン
「おはよう、朱夏!」
「おはようございま・・・ええ!?!?!海馬君!?どうしたの!?」
朱夏は案の定、海馬の髪を見て驚いた。
指を指したまま口をあんぐりと開けている。
「良いね!!この反応が見たかったんだよね・・・!」
海馬はその顔を見て満足した。
それに対して朱夏は怪訝な顔をしている。
「どうしたんですか?!ウィッグでも買ったんですか!?」
朱夏は現実的な子だ。
まず第一に非現実的なことは排除して考える。
「ふっふーん!違うんだよ!朝起きたら髪の毛がめちゃくちゃ伸びてたんだ!」
それをこの男がぶっ壊す。
本来ならそれが異常だと気付かない男ではない。
朱夏は目を見開いたまま固まった。
海馬はその目を見て我に帰る。
「・・・。」
「・・・。」
それまではしゃいでいたのに急に海馬が黙るので、朱夏も困惑して黙った。
急な沈黙が流れる。
「あ・・・あのさ・・・。話さなきゃいけないことが・・・山ほどあって。」
海馬が青ざめていくのを朱夏は感じた。
「え・・・?」
さっきとの差があまりに大きくて朱夏は異常事態を感じた。
「と、とりあえず・・・入ってくれるかい?」
「わかりました。お邪魔いたします。」
朱夏はここまでおかしな海馬を見たことがない。
昨日だっておかしかったのに今日は昨日以上におかしかった。
2人は2階の海馬の部屋に入る。
「あのさ・・・。朱夏・・・。」
「ええ。デジャブ・ドリームの話でしょう?」
「・・・うん。」
海馬は部屋に入って二人きりになるときには顔は真っ青だった。
口元をずっと抑えているし歯がかみ合っていないような気がした。
「海馬君?・・・震えてるの?」
「・・・。」
その様子に朱夏はそっと海馬の近くに寄った。
そして、ゆっくりとベットに座らせる。
「落ち着きましょう?」
朱夏は海馬の手を握ってくれた。
「・・・・ごめん・・・。」
「え?」
海馬は朱夏を見てボロボロと泣き始めたのだ。
大粒の涙が朱夏の手に溢れる。
「え?ええ・・・っと・・・。」
今までそんな表情の海馬を見たことがなくて朱夏は戸惑った。
けれども、海馬の涙は止まらない。
「ごめん・・・朱夏・・・ごめん・・・。」
かたくなに謝ってくる海馬に困惑しながらも、朱夏は海馬の隣に腰掛けた。
「辛い事が起こりそうですね・・・。」
「・・・。」
「大丈夫です。私が出来るだけ隣にいますよ?それに鷲一さんやエリだって。今は近くには居ないけど、心琴さんや連覇君だって味方じゃないですか。」
朱夏は頑張って海馬を励ました。
その様子に海馬は更に涙が止まらなくなる。
朱夏も手を握ったまま海馬が落ち着いてくれるのをじっと待った。
海馬は朱夏の手の温もりを感じてしばらく泣いた。
自分がこの温もりを壊してしまう。
海馬にはそれが耐えがたい。
しばらく泣いてから、海馬は口を開いた。
「・・・ぅ・・・朱夏お願いがある。」
「お願いですか?何ですか?」
朱夏は首を傾げて隣を見ると、そこには思い詰めた顔をした海馬の姿があった。
海馬が重たい口を開く。
「僕を殺してくれ。」
「へ?」
あまりに突然海馬がそんな事を言い始めるので朱夏は意味を理解できなかった。
「お願いだ。僕を殺してくれ!!」
海馬はもう一度、今度は目を見てそう言った。
その目は朱夏をしっかりと捉えていた。
覚悟に満ちた目だった。
「何を言ってるんですか?できる訳ないじゃないですか!!」
朱夏は慌てて立ち上がる。
「じゃないと!!」
朱夏の話を遮るように海馬が叫ぶ。
「じゃないと、僕が朱夏を殺すんだ!!」
「え・・・?」
朱夏は海馬を見た。
その目は真剣そのもので、いつもの人をからかう雰囲気は微塵もしなかった。
「そんなの、耐えられないんだ。例え夢でも、もう二度と朱夏を傷つけたくないのに!!現実であれが起こるならその前に殺してくれ!!」
海馬は頭を抱えた。
朱夏は今の話が信じられずに目を見開いたまま固まった。
夢を言葉にして伝えて海馬はまた泣き始めてしまう。
朱夏は困惑したが、余りに海馬が泣くので逆に少し冷静になった。
小さく息を吐く。
「海馬君?」
朱夏はそっと海馬を抱きしめた。
正面から頭を包み込むように優しく優しく抱きしめた。
突然だったのもあり、海馬はされるがまま抱きつかれた。
ふわっと優しい香りがする。
朱夏の香りに包まれて海馬は少し落ち着いた。
「泣いて良いよ。辛かったよね。」
お嬢様を辞めて1人の女の子として朱夏は海馬を包み込んだ。
朱夏の体は柔らかかった。
優しい感触に海馬は徐々に泣き止んでいく。
それは子供を宥めるお母さんのようだった。
「でも、諦めちゃダメだよ。」
あくまで優しく朱夏は海馬を諭した。
「海馬君は私が死んだら悲しかったんだよね?海馬君を私が殺したら今度は私が悲しいよ。」
その言葉に海馬は肩を震わせた。
そんな単純な事にも気付けない程海馬の頭の中は混乱を極めていたのだ。
「今までもエリの夢で挫けそうになっても頑張ってきたじゃない。また、一緒に頑張ろう?」
そこまで話をすると、朱夏は抱き抱えた手を緩めた。
海馬は顔を上げる。
その表情は穏やかなものに戻っていた。
「朱夏、ごめん。僕、取り乱しちゃったみたい。」
「うふふっ、海馬君が段々と年下に思えてなりませんよ?」
朱夏は穏やかに笑ってみせた。
年下と言われて海馬は慌てて涙を拭った。
「ぅ。絶対誰にも言わないで・・・。」
みっともないと言うのは自分でも分かっていた。
「うふふ!いつもの海馬君に戻ってくれたら言わないであげますよ?」
悪戯に朱夏は笑う。
「もぉ。朱夏ってば。」
海馬はようやく落ち着きを取り戻した。
「本当に朱夏には敵わないんだよなぁ。」
そう言って困ったように海馬は笑うのだった。
◇◇
「おはよう!」
エリは元気に起き上がった。
そこは昨日からお泊まりを始めた中華屋さんだった。
「あ、あれ?誰も、起きない。なぜ?」
布団を見ると、杏も死神も桃もいる。
けれども誰一人として起き上がって来なかった。
「え?え!?何!?どした!」
エリは慌てて3人に駆け寄る。
死神と杏はスヤスヤと眠りについているような感じだった。
けれども桃は汗をかき、苦しそうに息を荒げている。
「桃!?様子おかしい!大変!」
エリは桃の近くに寄った。
「え、エリ。きい・・・て。」
エリが近くによると、桃は薄らと目を開いた。
「桃!?」
「はぁ・・はぁ・・デジャヴ・ドリーム・・・発動してるのぉ・・・。」
苦しそうに桃は言う。
にじみ出る脂汗の量が状況の悪さを物語っている。
「やっぱり・・・発動・・・してる?・・・何があった!?」
意識が朦朧としているのか桃は視線が定まらない。
「満月・・・犬に・・・噛みつかれると・・・犬に・・・な・・る・・・」
そこまで言うと桃は目を閉じて動かなくなった。
「桃!?もも!?」
エリは桃を揺り動かすが、微動だにしない。
「満月?犬に噛みつかれる、犬になる??どう言う事!?」
聞いてみるも桃は完全に意識を失っていた。
エリは少しの間右往左往していたが、中華屋さんの夫妻に助けを求めに一階へ降りて行く事にして扉から出て行くのだった。
実はその様子を参った顔で見ている兄妹がいた。
けれども2人は幽体離脱状態なのでエリからは見ることはできない。
「エリちゃん、行っちゃったね。」
何も出来ないまま杏は困った声を出した。
「桃が弱っちまったみたいだからなぁ。俺らの魂が体に吸着されなくなっちまったんだろうなぁ。」
前回自分で切り落とした生命線を見て死神は舌打ちをした。
生命線がある程度くっついていたから、とりあえずは幽体離脱状態で済んでいた。
もう少し昔なら自分達は完全に天に召されていた事だろう。
「昨晩からずっとこれだもんなぁ。参っちまうぜぇ。」
へその緒のような生命線を見て死神はため息をついた。
あと少しで完全に治りそうだが、まだ自力で体に留まる事は出来ない。
「桃が起きるまでこのまんま?」
「だぜぇ・・・。」
「はぁ・・・。」
二人は並んでため息をつくのだった。
◇◇
一方、鷲一はカーテンから日が射している事に気が付いて筆を置いた。
「ふあぁぁぁぁ!!」
大きく伸びをする。
「流石に・・・2日連続で寝ないで描いたのは・・・初めてだ・・・。」
寝不足に頭がふらふらする。
ソファにそのまま腰を掛けた。
自分が描いた絵をそのまましばらく眺める。
「うん。いいんじゃねぇか?」
今まで自分が描いた絵の中でも納得のいく作品に仕上がった。
「おや、鷲一。まだ描いていたのかな?」
パジャマ姿の鷲一のお父さんが自室から現れる。
「ああ。ちょっと没頭したくて・・・。」
そういうと親子は並んでじッと絵を見つめた。
「心琴さん、良い表情だね。」
優しい顔で絵画を見る心琴の絵はまるで本人がそこにいるような繊細な絵になっていた。
色合いは鷲一が美術館で刺激を受けた色使いを真似ていて、どこか不思議と温かい。
「・・・喜んでくれると思うか?」
「もちろんさ。」
鷲一のお父さんは優しく笑った。
鷲一はフラフラと食卓へと座る。
お父さんはキッチンへ行って朝食を作り始めた。
「ところで、鷲一?何か嫌なことがあったのかな?」
「え?」
お父さんは温かいコーヒーを鷲一に出した。
コーヒーからは温かい湯気が立ち上り、いい香りが漂った。
「鷲一が絵に没頭するとき、悩んでいることが多いからね。」
「・・・。」
鷲一は何も言わずに一口、コーヒーを飲んだ。
ほろ苦い味が口の中に広がる。
「あのさ・・・。心琴の両親に・・・会ったんだ。」
ゆっくりと鷲一は話をする。
「ほぉ、それで?」
「学歴を指摘されて・・・別れろって。」
「え!?なんだって!?」
そこまで言うと鷲一はお父さんをちらっと見る。
お父さんは怒った表情をしている。
「なんてひどいことを言うんだ!僕が言って話をしてくる!!」
息子を学歴だけで判断した相手に鷲一のお父さんはカンカンに怒っている。
「いや、それは・・・問題がさらにぐちゃぐちゃになるしヤメてくれ。」
「・・・そう、かい?」
そう言われて鷲一のお父さんは怒りのやり場に困る。
「俺、面と向かって心琴は諦めねぇって言ってやったんだ。絶対説得して見せる。」
鷲一は決意に満ちた目をしていた。
「・・・。ずいぶん、強くなったんだね。鷲一。」
そんな息子の目を見てお父さんは安心したようだった。
「・・・心琴、まだ苦しんでるみたいなんだ。今日、仕事上がったらまっすぐ病院に行ってもいいか?」
鷲一はそれよりも心琴が心配だった。
昨日は病院の場所もわからずに海馬と朱夏に任せてしまった。
しかし、二人から場所も病室も聞いたので今日は行ってみようと思っている。
「もちろん、良いよ。遅くなる時は連絡してね。」
「ありがとう。」
二人はそう言うと静かに朝食を食べ始めた。
コーヒーと油絵の匂いが漂う良い朝だった。




