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第3話 東堂の残り香

 濃紺の髪に、漆黒の双眸。吸い込まれそうなほど深く穏やかな水炉のその瞳を見ながら、紫歩はただ、瞳から目をそらすことができずにいた。



しずめの瞳



 紫歩が見つめた双眸は、穏やかさを内包した炎。紫歩が水炉に抱いた印象は、どんなことがあっても感情を表に出すことがない“炎”だった。

 東家蒼羽を意味する藍の色を自ら宿し、その体に纏ってはいるが、水炉は間違いなく全てを焼き尽くす紅の炎だった。


 先代―紫歩が嫌悪さえしていたあの壮年の男とは年の離れた異母兄弟という血の繋がりを持っているが、類似点は無いといって良いほど水炉と先代は似ていない。

 けれど確かに、水炉は“人を統べるために存在する人物”であることを紫歩は理解した。


「早速だが本題に入ってしまおう」

「本題、ですか」

 淡々とした水炉の声に、水炉の瞳に引き込まれていた紫歩は、意識を現実に向けた。

「……紫歩、紫歩さえよければ、蒼羽で君の身柄を引き受けたいと思っている」

 穏やかさだけを全面に持ってきてはいるが、それは見せ掛けだけ。優しい声音でありながらも、至極当然と告げた水炉の言葉に、紫歩は驚愕するでもなく、その言葉を受け入れた。

「……私には願ってもいないことではありますが、他の方がどう思われるか」

「気を悪くさせるかもしれないけれど、東堂の名が残っているよりもよほど都合が良い。先代の犯した罪なので、私が言うべき言葉ではないが、な」

「いいえ、構いません」

 躊躇いながらも告げられた言葉に、紫歩は首を横に振った。



 先代から与えられた“傷”を、紫歩は一生忘れない。忘れることも出来ないし、先代を憎む思いを止めることは出来ないが、それこそ水炉の罪ではない。



 そういう意味では、水炉自身とは何も関係が無い。



 紫歩の態度からそれを読み取ったのか、水炉はただ頷いた。

「ありがとう」

 掛けられた言葉に紫歩は内心で苦笑し、けれど謝罪の言葉でなかったことに安堵しながら頭を下げた。

「蒼羽に移行するに伴って、名前の変更もお願いします……“紫歩”は、東堂を表す名の一つ。東堂が失われるのなら、東堂の残り香も共に消し去ってしまうほうが……都合がよいかと」

「それは紫歩自身に任せる……紫歩が、それで納得するのなら」

 さらりと告げた名前の破棄に水炉と姫蜜月華の二人は一瞬、驚いて目を丸くしたが、水炉は紫歩の言葉に肯定を示した。

「では名前を決めたら、また……すぐに決められるものでもないでしょう」

 疑問の形を取っていながらの決定の言葉は、姫蜜月華の思いやりから出た言葉だった。言葉の裏に隠された思いを正確に読み取った紫歩は、感謝の意味を込めて頭を下げた。



××××



 心情的にようやく、という気分で部屋を出た紫歩は、特に深い意味もなく無意識のうちに歩を進めていた。

「はぁ」

 中央の間から渡殿まで歩いてきていた紫歩は、自然と零れだしたため息に慌てて口元を押さえ、周りを見回して誰もいないことに安堵の息を吐いた。



―洗礼名、最丞紫月醒藍天女



 その名を襲名した瞬間、紫歩は“紫歩”ではなく“最丞紫月”の名で呼ばれることになった。 ちっぽけな紫歩の意思ではなく、水忌のために央雅に仕える最丞紫月を優先させることが当然になっていた。

 周りも紫歩にそれを当然といった態度で求めたし、紫歩自身、個である自分よりも一族を優先させてきた。紫歩は、洗礼名を受けるまでのその経緯から、姫蜜月華よりもそれが顕著だった。



「罪に塗れたまま、央雅に使えるわけにもいかない、か」



 思わず零れたその言葉は、偽らざる紫歩の本音だった。

 気持ちを切り替えるためにもう一度息を吐き出した紫歩は、視線を上げた先に会った梅の木―梅の花に、頬を緩めた。

「いい香り……」

「今、この庭で花を咲かせているのは、この梅だけだからね」

 独り言のつもりで零れた言葉に返ってきた少年の声に、紫歩はただ驚いて目を丸くした。

「あ、驚かせちゃったかな?」

 声の方に視線を巡らせた紫歩は、声の主である少年がその梅の木、木の枝に座っていることに気がついて、首を傾げた。

「……月花るか様の梅の木に触れていいのは、月花様御本人とその生まれ変わりであった花響はゆら様だけ。その枝に座ったなんてことを予見師たちが知ったら、あなた怒られるわよ?」

「え、そうなの!?」

 水忌―央雅に出入りすることができる者なら知っていて当然のはずの言葉に、少年は驚きながらも慌てて庭に飛び降りてきた。

 想像していたよりも幼い少年は、困ったような表情で紫歩に視線を向けていた。

「今の……内緒にしてくれないかな?」

 捨てられた犬のように瞳を潤ませた少年に、紫歩は近くに他の誰の気配もしないことから仕方ないと頷いた。



―央雅の敷地にある早咲きの梅は、月花様のもの


 央雅に出入りできる者でありながら、当たり前とも言えるその言葉を知らない少年に、紫歩は興味を持ったのかもしれない。

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