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第1話 置き去りの少女(むすめ)

 月の光だけが満たずその部屋で、眠りに付くことができない少女は、ぴくりともせずに布団の上に座り込んでいた。



 漆黒の長い髪に蒼の双眸。



 彼女が純粋の日本人では無いと言うことを、彼女のその双眸が物語っていた。

 敷かれただけの布団の上でぼんやりと部屋の片隅を視界に入れていた少女の耳に、人の声が聞こえてきたのはそんな時だった。

「大丈夫なのか……最後とはいえ、彼女は東堂とうどうの娘なのだろう?」

「あまり心配なさらなくてもよろしいのでは。彼女は優秀な予見師よけんしでもあり、かの姫密月華きみつげっかと……何よりも最丞紫月さいじょうしづきの指導を受けたと聞きました」

 聞こえてきた言葉の内容が自身に関するものだと理解できた少女は、それでも興味がないのか、ただ虚ろな瞳で部屋を眺めていた。

「大丈夫だ」

 そんな中で聞こえてきた壮年の男の声に、少女はぴくりと体を震わせると、それまでの無気力が嘘だったかのように声のほうに顔を向けた。

「両親と弟妹の居場所を告発したのは他でもない、紫歩しほ自身なのだからな」

 年若い男たちの声を楽しむかのように告げたその男の声を耳にした少女は、紫歩は、苦々しげに男たちがいる方向を睨み付けた。苦痛を伴うその表情は、紫歩がその壮年の男を憎んでいるということを、ありありと物語っていた。

「紫歩は紫織しおりなどとは違い、とても利発な娘だよ」

 嘲るような、楽しむような男の声に、紫歩は両手で耳をふさいだ。噛み切ってしまったのか、紫歩の口からは血が流れていた。



 微かな光を頼りに遠ざかっていく男たちの声と足音に、紫歩は嫌悪すら感じていた。

「……っ」

 かみ殺す事のできなかった悪寒が、紫歩を攻め立てるあの言葉が、抑えきれない涙となって紫歩の双眸から溢れ出した。



 東堂――

 紫歩が生まれたのは、央雅おうが八家の一つ“東家”の弱小傍流家だった。東家の本家である“蒼羽そうば”で現在長を務めている人物の従妹の従妹かさらにその従妹―親戚筋―に当たるのが、紫歩を生んだ母親の紫織だった。

 母方―つまり水忌みなきの血を色濃く引いたのか、紫歩は“予見師”と呼ばれる存在たちと同じ能力を持ってこの世に生を受けた。


 東家の血筋ではあったが、東堂は東本家にも見捨てられるような傍流も傍流、廃れてさえいた東堂に隠岐おきの直分家から縁談が来たころ、紫織は米国人と駆け落ちした。その相手というのが、紫歩の父親。

 これに慌てたのは他でもない、紫歩の祖父母と東堂を再興しようとしていたものたちだった。

 彼らは東堂再興のために必死になって紫織の行方を追い、捕らえたがその時には紫歩と紫歩の弟が生まれ、紫織は女の子を妊娠していた。



 詳しいことを、紫歩は知らない。



 だが家族そろって捕らえられた中で、紫歩は“予見師”の能力があるために家族から引き離され、厳しい祖父母の下で姫蜜月華と最丞紫月に付いて予見師の能力を磨いた。

 紫歩が家族に会うために必死になって学んでいた頃、両親は弟を連れて逃げたと聞かされた。ただ一人、紫歩を置いて。

 両親と弟が水忌を逃亡したと紫歩が知ったのは、彼らが水忌を出てから一月は過ぎた頃だった。

 当時八歳だった紫歩が水忌の追っ手を振り切って逃げた家族に追いつけるわけもなく、紫歩はそれまでよりもさらに厳しい監視下の中で、現実では知ることのできないはずの情報を得るすべを身に着けた。


 予見師の能力を遜色なく操ることができるようになったのは、紫歩が村で生活するようになってから五年が経っていた。紫歩は、十三歳になっていた。





―おにいちゃん


 まだ幼い、少女の声が聞こえた気がして、紫歩は周囲に波長を合わせるように意識を研ぎ澄まさせた。

 視界に飛び込んできたのは、紫歩が実際には見たことが無い砂浜と海。

 生まれて数年しか経っていないような女の子が、紫歩の足元を通り抜けて、振り返って少年に微笑んでいた。


紫亜しあ

 少女を追いかける少年の声に、紫歩は鼓動を跳ねさせながら、振り返った。

「――紫苑っ!?」

 紫歩の目に飛び込んできたのは成長した弟、紫苑しおんの姿だった。

 思わず紫苑に向かって伸ばした紫歩の手は紫苑の肩と体を通り抜け、紫歩はそのまま地面に手を付いた。


―もう、砂浜で走っちゃ危ないだろ


 紫歩の体を通り抜けて少女―紫亜を捕まえて抱き上げた紫苑は、紫亜にそう言い聞かせると浅瀬に紫亜を下ろした。


―きもちいいっ!!


―ほら、気をつけて


 パシャパシャと波を追いかけて遊ぶ紫亜を視界に入れながら、紫苑はため息を吐きつつも微笑んでいた。



―紫苑、紫亜



 その時、不意に兄妹に掛けられた女性の声。ほんの数秒前に紫苑の声を聞いたときとは比べ物にならないくらい鼓動が跳ね、紫歩は胸元を握り締めながら硬直した。


―ママっ!!


 女性の声に紫亜は振り向き、また紫歩の体を走って通り抜け、女性に飛びついた。紫苑も“仕方ない”と言いたげな表情で紫亜と女性に向き直り、笑った。


―母さん、紫亜から目を離したら危ないよ


 痛いくらいに暴れる鼓動を感じながら、紫歩は機械仕掛けのようにゆっくりと背後を振り返って、見た。

 紫歩が成長したかのような女性の姿―母親の姿が、そこにはあった。


「――」

 口を何度か開き、閉じたが、紫歩の口から言葉は出なかった。胸元を握り締めていたはずの両手は、いつの間にか口元にあった。


 微笑む父と母。母親に抱きつく妹。紫苑は歩きながら紫歩の体を通り抜け、三人の下へ向かっていった。

 それは、『家族』の情景だった。

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