証拠?
「放課後だ! 良いな! 今度は逃げんじゃねえぞ、タケル!」
そう吐き捨てると、ヒロユキはタケルの返事も待たずその前を去り、後ろの方にある自分の席に着いた。
いつの間にか、ヒロユキの取り巻きの他のクラスメート達も登校しており、そのうち何人かは、ヒロユキの周りに集まって行く。
その様子はまるで、ボクシングの試合中のインターバルにも似ていた。座っているヒロユキの周りを囲み、タケルの方をチラチラ見ながらヒロユキに話しかけている。大方、ヒロユキを励ます言葉でも掛けているのであろう。
タケルの周りには、誰も近づいて来ない。さっきまでタケルと話をしていたケンジも、そそくさと自分の席に戻っている。
(ふふっ……何か凄いアウェー感だよね……まあ良いけど)
タケルがそう思ってると、そのうち担任の教師がやって来て、学校での一日が普段通りに始まった。
そして、その日の午前中。
前の時間が音楽であったので、教室を移動して授業を受けていたタケルが元の席に戻って来たところ、いつの間にか、私物のノートが一冊、机の中から無くなっている事に彼は気が付いた。
「あれ……?」
そう言って、タケルはもう一度机の中をよく探してみた。が、確かにノートが一冊、見当たらない。
「ねえ、ここにあった僕のノート、誰か取らなかった?」
タケルが隣の席にいる女子に聞いてみると、その女子は嫌そうな顔をして、タケルに答えた。
「そんなん知らないし! それに、私に話しかけないでくれない? キモいんだけど。もしかして私の事疑ってるの? キモいキモい!」
「あ、いや、そんなことは無いんだけどね……」
タケルがそう言うと、その女子は顔をタケルから背けて、ぷいと向こうを向いてしまった。
周りからは、クスクス……と、笑い声が漏れている。
タケルが周りを見渡すと、タケルの方をニヤニヤと笑って見ているもの半分、そして残りのうち数人がタケルに無関心であり、そして残りの生徒達数人は、タケルの事を心配してか、それとも気の毒に思ってか、タケルを見守っている。その殆どは、先日こっそり謝ってきた生徒達だった。
「やれやれ……」
タケルは、仕方ない様子で呟くと、じっとノートの無くなった自分の机を見ていた。が、少し見るとくるりと向きを変え、クラスの後の、ある女子生徒の席の方へ歩いて行った。
「僕のノート取ったの、ナツミさんだよね?」
タケルが声をかけたのは、先程聞いてみた隣の女子生徒とはまた違う女子生徒。ヒロユキの取り巻きの一人、ナツミという人物であった。昨日、体育館の裏にいたうちの一人でもある。
「……は? 取ってねえし」
ナツミは、短く揃えた黒髪を手でかき上げ、タケルを見上げながら答えた。
「……だいたい、証拠も無しにさぁ、何言いがかり付けてくれてんの? 酷くない? 私に理由も無く疑いをかけるとかさぁ? 鬼畜だよね、あんた。あ、ちがった家畜だったわ」
ナツミの周りの女子たちから、「ぶっ、うける……」等と言った声が聞こえてくる。
「取ったの、認めないんだね」
タケルがそう言っても、ナツミは不敵な態度を崩さない。寧ろ口元には、ニヤける様な笑みが浮かぶ。
「いや、だから取ってないって言ってんでしょ? 大体さぁ、あんた、ちょっとケンカが強くなったみたいだけど、それが何?って感じ。家畜っていう、あんたの今までの立場に変わりは無いから。取ったって言うんなら、証拠出しなよ証拠!」
ナツミは、腕組みしながら顎を前に突き出し、タケルを睨みつける。タケルは、そんなナツミに微笑みながら話した。
「証拠……? そんなもの要らないよ。僕がこの目で見たからね」
「はあ? 見たぁ? ふざけないでよね! あたしがいつあんたのノートを取ったって言うのよ! 何時何分何秒って訳? 見ても無いくせに!」
「ははっ、何時何分って……その言い方、久し振りに聞いたよ。分かった……答えるからちょっと待って」
タケルは、少し視線を下に落とすと、またすぐナツミに目をやり、ナツミの文句に答えた。
「うん……今日の10時10分35秒。授業中、トイレに行く途中でこの教室に寄って、僕のノートを取ったね。それから……ああ、酷いね。そのままノートを女子トイレの便器に投げ込んでるじゃないか。僕は女子トイレには入れないなぁ」
「えっ……?」
タケルの予想外の答えに、ナツミは体が固まるのを感じた。
タケルの答は、完璧であった。ナツミは確かに、前の音楽の時間に途中でトイレに行くと言って音楽室の外に出ると、ちょうどそのくらいの時刻に教室に寄って、タケルのノートを彼の机から取ったのである。
そして、そのノートを女子トイレの便器に投げ込んできた事まで、完全に当たっていた。
「そ、そんな……そんな適当なこと言っても証拠にはならないし!」
ナツミはそう言い返したものの、動揺は隠せなかった。
(うそ、何で…? 何でこいつ、見てたみたいに分かるの?)
「そう……。 まあ、ナツミさんが認めても認めなくても、どっちでもいいや。じゃあ、ノートは回収させてもらうね。ナツミさん、早くノートをトイレから取ってきたほうが良いよ? ナツミさんのノート、早くしないと水でボロボロになっちゃうよ?」
「は? え? 何言ってんの? トイレに有るのはあんたの……」
タケルの言葉に言い返そうとして、ナツミはハッとして口をつぐんだ。トイレに捨ててあるのはタケルのノート……そんな事を言えば、自分がタケルのノートを、女子トイレに捨ててきた事を認める事になってしまう。
そんなナツミに、タケルは笑って教えた。
「今、女子トイレに有るのは、ナツミさんのノートだよ? ま、信じないならそれでも良いけど、なるべく早く拾って来たほうが良いよ? じゃあね」
そう言うと、タケルは自分の席に戻り、机の引き出しに手を入れる。そこから出てきたのは……間違いなく、先程ナツミがトイレに捨てたはずの、タケルのノートであった。しかも、全く濡れてもいないし、汚れてもいない。
それを見たナツミの口から、意味が分からないと言わんばかりに「えっ……?」と、声が漏れた。
試しに、ナツミは自分の引き出しを探してみると……無い。確かにナツミの数学のノートが無くなっている。
焦って立ち上がり、急いで教室から出て行くナツミ。周りの女子たちは、「え? どうしたの?」や、「えっ? なになに?」等と言っていたが、そんな言葉は彼女には聞いている余裕が無かった。
急いでナツミが女子トイレに駆け込んで見ると……果たしてそこには、先程そこに捨てたはずのタケルのノートの変わりに、ナツミの濡れたノートが便器に突っ込まれていた。ナツミがやった、そのままの様子で。
呆然として濡れたノートを手に取り、ナツミは考えた。
(何で……? 私が捨てたのは、確かにあいつの……タケルのノートだった筈……。勘違いなんかあり得ない……)
その瞬間、言いようのない恐怖と不安が、ナツミを襲った。
(あたし達……もしかして……やばい奴を相手にしてる……? だとしたら……放課後、ヒロユキは……? あたし達は……?)
ノートを持ってたちすくむナツミの心には、消そうにも消せない、不安の火が燃え上がったのであった。
「何時何分何秒?」に対する、完璧な返し発動……っ!
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