調子でも悪いの?
ブックマーク、ありがとうございます。
その日の放課後、タケルは体育館の裏へと足を運んでいた。いつもは重い彼のその足取りは、何故か今日は軽い。
ヒロユキが言っていた、"いつもの所"と言うのは、この場所の事である。
いつもヒロユキは、この体育館の裏でタケルに陰湿なイジメを行っていた。
タケルが行ってみると、もうそこには既に、ヒロユキが来ていた。
ヒロユキ以外にも、10人ほどの男女がタケルを待っていた。皆、ヒロユキの取り巻きのクラスメートである。
彼らの殆どは、ニヤニヤしながらタケルがやって来たのを見ていた。これからどんな面白い事が起きるのか、楽しみだと言わんばかりの表情である。
「おい! 遅えぞ! 俺を待たせるからには覚悟は出来てるんだろうな!」
ヒロユキだけは、イライラしている様で、腕を組み、左足のつま先を上下に忙しなく動かしている。
この場でたった一人、微妙な表情をしているのは、昼休みの時にそっと謝ってきた、あの絵里だけである。彼女は、ヒロユキの後ろの方で、タケルをじっと見ていた。
(あんなにヒロユキを怒らせて……何でそんなバカな事やってんのよ……)
絵里は、頭の中でそんな事を考えていた。
そんな絵里の考えを知ってか知らずか、タケルの表情は晴れやかである。ヒロユキに微笑みかけるその表情は、優しさすら感じさせる。
まるでそれは、新しい玩具を買ってもらった少年が、玩具に向ける眼差しのようであった。
「よーし、今から調教タイムだ! いつも通り、服を脱いで四つん這いになれ!」
いつも、ヒロユキはタケルをいじめる時、調教と称して、最初に服を脱がせるのが常であった。
これは、かつてタケルがせめて服を汚されない為に、虐められる前にヒロユキに頼み、そうさせてもらった事から端を発していたのである。
しかし、今日のタケルは、何故か服を脱ぎ始めようとしなかった。
「服を脱ぐのは止めとくよ。もう汚れないだろうから」
涼しい顔で、立ったままタケルは答えた。
タケルに命令を拒絶され、朝から苛ついていたヒロユキのこめかみに、すうっと青筋が浮かぶ。
「何だとてめぇ! 俺の言う事が聞けねぇってのか!」
後ろで見ている取り巻きたちも、思い思いに野次を飛ばす。
「おいおい、ペットが言う事を聞かねえぞ? どうすんだヒロユキ!」
「家畜が何偉そうにしてんの? 早くご主人様の言う事聞きなよ〜」
罵声や嘲笑が、タケルに浴びせられる。しかし、タケルは意に介さず、静かに口を開いた。
「ねえ、みんな、先にこれは言っておかないといけないんだ」
立ったまま、穏やかに話すタケルの声は、また朝礼後のあの時のように、何故か皆の耳に届いた。
「君達は今後、何があっても僕の許しがあるまで、学校を休んだりしたら駄目だよ? もちろん転校も退学もだ。どんな事情があろうと、病気だろうと、学校を休んではならない。分かった?」
その場にいた者達の全てが、この声を確かに聞いた。ヒロユキも、絵里も、その他残りの者達も、皆が聞いた。
皆、タケルが何を言っているのか、意味が分からなかった。
最初に反応したのは、ヒロユキだった。
「ふざけんなコラァ!」
そう叫んだヒロユキは、タケルに殴りかかった。素早い動作から放たれた、喧嘩なれしたヒロユキの右手の拳は、タケルの顎を……捉えなかった。
「んんっ?」
拳が空を打ち、戸惑うヒロユキ。慌ててヒロユキが振り返った先には、静かに佇むタケルの姿があった。
「何だてめえ……奴隷がご主人様のパンチを避けてんじゃねえ!」
そう言って再び殴りかかったヒロユキであったが、ヒロユキのパンチを、タケルは事もなげにかわした。
「て、てめえぇ!」
激昂したヒロユキは、何度も殴りかかるのだが、全てタケルに避けられてしまう。
「ふふっ……ヒロユキ君、どうしたの? パンチが当たらないね。今日は調子でも悪いの?」
タケルは、ヒロユキの攻撃を全て避けながら、優しい笑顔で微笑んでいたのであった。