プロローグ
さて、僕は確かに昨日までは「聖マリア孤児院」の児童監督をつとめていること以外はごく普通の16歳をしていたはずだった。
しかしどうだろう、目をさましてみると、どこか森のなかにいて、さらになんかがたいのいいお兄さん方(職業軍人かな?)に取り囲まれていた!
僕は別に皆さんに「ウミガメのスープ」問題を出したいわけではない。
実を言うと僕も現状をあまりよく理解していない。ただお兄さん方の敵意むき出しの様子を見るに、僕はなんかやらかしたかな?と、過去の記憶を無理矢理に手繰り寄せるのであった。
冒頭の一段落で示した通り、僕は「聖マリア孤児院」の児童監督(高校で言う生徒会長のようなもの)であった。もちろん、この役職は孤児院の子供のなかでも古参の人がつとめるものであり、それに選ばれた僕は若干5歳で両親を失っている。
そういうと大抵の人は僕を慰めるのだが、何せ両親の記憶が一切ない。
実感がわかないというのが正直なところだ。
そんな僕にはバイブルと呼ぶべき本があった。
ケン・リュウの「紙の動物園」という本をご存じだろうか?
孤児である僕に同情した牛乳配達のおじさんがある日持ってきてくれたのだが、そこには複雑な家族愛が描かれていて、それは僕が孤児院で体感したことのないものだった。
この新鮮な感情を味わってみたい。そんなおもいが僕の唯一の、そして叶わぬ夢となった。
さてここからが本題。僕は戦争で両親を失った。
世界を席巻する2つの大国での戦争。これがかれこれ100年近く続き、終盤に至っては、この2つの大国が惜しみ無く核兵器を用いた。
そんなのに地球が耐えられようか。気づいたときにはもう手遅れで、もう地球の寿命は一年を切ったとも言われている。
地球の終わりが確定事項となったこのご時世、環境学などもう無意味である。そんななか、世界を驚かせたのが、「平行世界学」の進歩だった。
「平行世界学」
一昔前まではオカルトの類いだったものも、今や世界を席巻する学問の一つ。
地球一つをダメにしたなら他の地球に飛ぼう!という単純明快、もっと言えばバカっぽい、こんな論理にすがらざるを得ないのが今現在。
そんななか、この孤児院に一つの報告が舞い込んだ。
「この孤児院の子供を実験台にする。」
オブラートに包んではいたが、彼らがいったのは大方こんなことだ。
ただ、彼らとは、平行世界学のお偉いさんたちのことで、新聞で顔もみたことがあった。
そして、この孤児院がこの申し出を断れないであろうことも容易にさっしがついた。この孤児院は国からの基金で成り立っていて、この学者さんたちは国家のお抱えだ。
上下関係はもはやあきらかだった。
ああ、そうか。僕は平行世界に飛んだんだった。