VSアリサその①
風薫る草原に聖戦の始まりを鳴らすゴングが響いた。
俺は目の前にいるアリサを見据える。
彼女はもう完全に戦闘モードに入っていて燃えるような真紅の瞳がこちらを睨みつける。
アリサは両腕を後ろに伸ばして、鳥が翼を広げるような構えをとった。
「さぁ、行くわよっ! 」
赤い靴が草を思い切り踏みにじりこちらに向かってくる。
「速ぇっ! 」
彼女のスピードを表すなら特急、いや、超特急だ。
風を纏い、アリサの身体を中心として突風が発生し、辺りの草を切り裂いてゆく。
呆気にとられている内に一気に間合いを詰められる。
いかんっ! ガードが間に合わないっ!
「はぁっ! 」
ノーガードな俺のみぞおちに電光石火の膝うちがめり込む。
彼女の拳が入ったワンテンポ遅れて鈍い音が聞こえてきて、内側から痛みが走ってくる。
「うぐっ。」
そのまま俺は折りたたみ定規のように垂直に上半身が倒れる。
それを見逃さないアリサ、瞬時に右足を蹴り上げ、俺の顎に一蹴りを浴びせる。
強烈なスイングから繰り出されたそれは脳を嵐に遭遇した船の様にガンガンと揺らし三半規管にダメージを残す。
「かはっ。」
流れるような身のこなしからの一撃、舞台上でワルツを踊る赤いバレリーナのようなその攻撃は正しく空中を華麗に舞い花の蜜を吸うために長い嘴を突き立てるハチドリだ。
最早ガード不可な俺にアリサのしなやかに伸びた脚が、赤く染められた嘴が次々とボディーに突き刺さる。
右に攻撃を喰らえば身体が右に揺れ、左に喰らえば左に、操り人形のように揺さぶられる。
手も足も出ないとはこの事だ、彼女のワルツに俺は何一つ抵抗できず文字通りサンドバックのようにただ攻撃を受けることしか出来なかった。
ただ俺はサンドバックのように耐久性に優れている訳ではない、引き篭もりろくに運動をしていない身体は既に限界が来ていた。
「これで終幕よっ! 」
とどめを刺すべく放たれた一撃はフェンシングを突きのように一針を貫き通し、俺の胃を突き破る。
「うがぁぁああっ!!! 」
身体中に残った空気が一気に漏れ、強烈な吐き気が俺に襲い掛かり地面に両腕を伏した。
それ隙を逃さないのが格闘家だ、地面に伏しひれ伏すように差し出された後頭部に足を大きく上げた踵落としが蹴り落とされた。
まるで隕石が落下したような衝撃が俺の身体を駆け巡る。
散々揺れた脳が今度は縦に大きく揺さぶられる、地面にめり込むように顔が埋まり息が出来ない。
「タモツっ! 」
心配になった春李が声をあげる、しかしその声も何処かノイズがかっており、耳の奥ではキーンという金切り音が散々揺らされた頭の中で反響しているだけだった。
くそっ痛ぇ、超痛ぇよ。
俺はこの世界を、聖戦を少し甘く見ていたらしい。
春李の時に運よく勝った所為で俺はこの世界で上手くやっていけるのではないかと何処か過信していたようだ。
普通に考えれば判ることだ、格ゲーでちょっと腕に覚えがあるからといって本当の格闘技で勝てる訳が無い。
甲子園に出場してもプロにはなれないし、カラオケで高得点を採れるからといってプロのミュージシャンには勝てないのと同じだ。
彼女は本気で一番、最強になれるように己を鍛え上げているのだ。
春李だって、アリサだって傍からみれば美人だし、いい男でも捕まえれば一生楽に暮らせるだけの顔立ちはある。
しかし、それを拒み、女の喜びを捨てて一心不乱に心と身体を鍛えているのだ。
そんな奴に勝てる筈がない。
ろくに努力もしないで、楽な道を選んで、まぐれで勝っただけなのに調子に乗って、中途半端な覚悟で旅をするなんて考えて。
そんな俺に勝てる筈がないのだ。
俺はどうするか。
負け犬はこのまま地面に伏しているのがお似合いじゃあないのか。
顔に泥を塗って大人しく負けを認めるのが常識じゃあないのか。
そうだ、それがいい、そうしよう。
そして負けた後、静かに春李の前から姿を消してこの世界でひっそりと余生を過ごすのが妥当で聡明な判断だ。
俺は力を振り絞って右手を挙げ降参しようとした。
格闘家ならそんなことで力を振り絞らず、最後まで戦うべきだろう、しかし、俺は格闘家ではないのだ。
心も、身体も。
草つゆと地面の泥で汚くなった右手を挙げ負けを認めるんだ。
そう思ったその時だった。
「タモツっ! 頑張れっ! 頑張れっ! 」
気が遠くなり、記憶が不鮮明になったがどこからか聞こえてきたその声はクリーンに、はっきりと聞こえた。
ぼやけている目で声の主の方を振り返れば、春李が先程ふざけ半分で教えた応援で必死に声を枯らしてくれている。
こんな無様な姿の俺を応援してくれる人がいる。
格闘家おろか人間失格の俺に声援をくれる人がいる。
こんなダメダメな俺に声を枯らしてくれる人がいる。
それなら、俺は。
俺は上げかけた白旗を下げて、折れかけた膝を畳んで起き上がった。
まだ脳が揺れているのか視界は霧がかっていて目の前がぼやける。
アリサがなにかを喋っているが耳には届かない。
こんなボロボロな状態でも俺は立ち上がった。
応援してくれる人の為に。
そして自分の為に。
気合を入れる為に両頬を思い切り叩く。
といっても感覚が麻痺しているのが痛みはこないが、それでも気は満ちてくる。
敗者の証である泥を拭う。
ちらりと確認して見れば泥と一緒に赤い何かが混ざっているがそんなことはどうでもよかった。
潰れかけた鼻で思い切り息を吸い込む、ツンと鉄の匂いがするがそれも気分を高めるエッセンスになる。
俺は精一杯の力で口角をあげ、不敵な笑みを作ってから。
「……ここからは、俺のターンだっ! 」
新春あけましておめでとうございますっ!
これからもよろしくお願いしますっ!




