黒い四方15センチメートルの箱
昔からこの家の天井裏には箱があった。
小学校に通っていた頃の土曜日。丁度お昼時、家を探検してるうちに天井裏に行き着いた。
和室にあるおしいれの天井部に自分がすっぽり入りきるような穴を見つけたのだ。小学生だったこともあり、好奇心はとてもあり、それに我慢することができなった。今思えば、その時維持でもそこに入ろうなどと思わなければこのような事態は起きなかったはずなのだ。
屋外はこんなに明るいのにそこは、ほこりと暗闇に満たされており、強く咳き込んだ。持っていた懐中電灯で遠くを照らすと、その光は鈍い黒色の四方15センチくらいの正方形の箱に反射した。
不思議に思いながらもほこりまみれのこの空間に絶えることができそうもなく、すぐに撤退した。
一連の出来事を祖母に相談した。
祖母はテレビを観ながら蜜柑を食べていた。最近この近辺で不審者が突如家に進入し家に留守番している子供を誘拐するという事件があった。犯人はみつかっておらず、警戒するように、という内容のニュースだった。
祖母はこのニュースを無表情で眺めていたのだが、この話をした瞬間血相を変え、私の方に近づいて言った。
「だから、あんたソレに触ってないのね!?ほんとなのね!?」
普段温厚な祖母がこんなにも激しく話しをするなど、不思議でならなかった。
それから祖母は
「ああぁ・・・ついにみつけてしまったか・・・でも大丈夫。もう近づけさせなければ・・・」
といったようにブツブツと独り言をつぶやきながら部屋から出て行った。
なにか悪いことをしたのかと、少し罪悪感に押しつぶされそうになりながらも祖母の後についていった。
どうやら、天井裏への穴を塞ごうとしているらしい。工具箱から出してきた釘とトンカチ。そして庭に転がっていた板を拾い、例のおしいれへと向かった。祖母ははじめからこの穴の存在を知ってたのだろう。
それにくわえ、あの黒い箱の正体もおそらく知っていた。祖母はおしいれを開け、穴を塞ぎ始めた。
一帯にはトンカチで釘を殴る音が響いた。その頃自分はその音がどうも苦手で、恐怖心が煽られた。
少しでも遠くに行こうと和室を出ようと背を向けたときに、ドコンという鈍い音と呻き声が聞こえた。
ドキリとし、後ろを振り返ると床に倒れこみ、腰を抑え、悶えこむ祖母の姿があった。
どうやらおしいれの上段から転げ落ちたらしい。すぐさま駆け寄り、大声で母を呼んだ。母は異常事態だと察したのか、パタパタとスリッパを鳴らしながら慌てて部屋に入ってきた。そして状況を把握するやいなやすぐに救急車を呼んだ。
それから祖母は入院した。
命に別状はないものの、腰へのダメージがとても大きいらしく、今までどうりの生活が難しいというのが医者からの診断であった。
見舞いに行くと祖母は弱りきった声でこう囁くようにいった。
「もう、あの部屋へは近づいてもだめだ。言っておく。あの箱は呪われている。あの黒い箱は子を食らう。どうにかして子を連れこもうとする。もう、消えてしまったものだと思っておったが、まだだったようじゃな」
家に着くと、テレビをつけた。天気予報はこれから豪雨がくるであろうことを告げた。
母は、もう一度祖母のいる病院にいってくるということと、戸締りをしっかりとするように、と言い残し、家を出て行った。鍵をしめ、テレビをもう一度観ようと居間にいったところで気づいた。母は携帯電話を持ち出すのを忘れていた。机の上に置いたままだったのだ。いずれ取りに帰ってくるだろうと思っていると、
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
と無機質なインターフォンの音が鳴った。母が携帯電話を取りに帰ったのだと思い、鍵を開けた。
その瞬間戸は勢いよく開かれ、男が入り込んできた。右手に握られたナイフが鈍く光っていた。男は黒い上下のジャージを身にまとっていた。男の顔には高い鼻に深く刻み込まれたしわがあり、そして煙草のせいか黄色く変色した並びの悪い歯。それをむきだし、ニヤリと気味悪く口の両端をつりあげると、無言でのっそりのっそりと土足で家の中に踏み込んできた。あまりの突然のできごとに今の状況を脳は処理することができず、男が自分の顔を覗き込むまで動けずにいた。白くにごった男の目と自分の目が合ったときに危険を察知したのか体は反射的に男から逃げようと足を動かそうとする。しかし足は思うように動かず、がたがたと震える。男はそんな自分をみて、面白がるようにじわじわと近づいてくる。あまりの恐怖に声を出すことができず、大声で助けも呼べない。半ば倒れこむように居間にはいり、急いで戸を閉め、そばに置いてあった箒をつっかえ棒代わりに使った。男はふすまを開けようとするが、つっかえ棒で押さえているのでガタガタと音を立てるだけだ。その場に座り込み、震えた。どうすればよいのか、身にあまった。腹ばいになりながら机の下に隠れた。机の脚は短く、あの男の背の高さだと見つかりにくいだろうという考えの至りであった。いつのまにか頬を生暖かい液体がつたった。はやくっ母さん帰ってきてくれ。ひたすらに願った。しかしその願いは運よく叶うことはなく、男は戸を蹴り倒し、室内に入ってきた。頭を抱え、男が他の部屋に行くのを待った。目の前には男の靴のつま先が見える。男が先ほど入ってきた戸から一番遠い地点。テレビの後ろに自分がいるのではないかと踏み、そこを探している間に机の下から抜け出し、家の出入り口の方へと向かおうとした。そう。家から出て警察にでも行こうと、
”した”のだ。意識が、頭がおかしくなったのか、家の出入り口と和室の方へと続く分かれ廊下で、足は勝手に和室の方へと向かったのだ。まるで導かれるかのように。引き返そうとしたが、後ろの方にはすでにあの男がおり、こちらへと歩みを進めている。あわてて和室へと入る。またつっかえ棒のようなものはないかと探したが、どこにも見当たらなかった。先ほど祖母に言われた言葉を思い出した。しかし今は緊急事態そんなことをいっている場合ではなかった。それでも祖母の言っていた箱の話がどうしても心にひっかかった。子を食らう箱。子を導く箱。どう考えてもついさっきのあの足の動きは何かに引っ張られたようにしか思えなかった。そんなことを考えていると近くで廊下をひしひしと踏みつける音が聞こえた。男は近くまで迫ってきている。急いで隠れ場所を探したが、どこにも何もなかった。おしいれ以外。一際異彩を放つその空気は人を寄せ付けなかった。この異様な空気はお昼時には感じることがなかった。あの箱の存在を知ってからか、祖母からこの話を聞いてからか、少し近寄りがたいものであったが、今はそれどころではない。入らなければ自分は殺される。理由はないものの、心のどこかでなにか確信めいたものがあった。おしいれの戸を開けると急いで上段に入り、戸を閉めた。それとほぼ同じタイミングで男は和室に入ってきた。そしてごそごそと音を立てている。自分を探しているのだ。おしいれの中は暗く、ジメジメしており、自分の姿すらも目視できない。自分ひとりが宇宙にほっぽり投げられたような、不思議な気分に陥った。そんな自分の気持ちもよそに男は黙々と探索を続ける。和室には、探す場所といえば机の下ぐらいしかない。机の下は一度隠れていたので、見つかる危険性が一番高いので、隠れることができなかった。しかしどちらにせよ、このおしいれにいるのを見つかるのも時間の問題。ここからさらにどこかに隠れなければ。
頭上に 自分がすっぽりと入りきるような 穴が、 ある。 ここなら あるいは、
空洞に向かっていく手は、確実に、小刻みに震えていた。
恐怖。
涙はボロボロと零れ落ち、まだ若くして死と直面している自分を情けないと思ってしまった。
どうしても入るのは気が引けた。
すると、男はついにおしいれの戸をあけ、中を覗き始めた。そして、自分の姿を発見するなり、
さらに、にったりと気色の悪い表情を映し出し、おしいれの中に入り込んできた。
このままでは絶対に捕まる。死にたくはない。
腕には自然に力が入り、体はその穴に吸い込まれていった。さすがにこの穴までは入って来れまい。
ほこりが肺にはいりこみ、咳き込みながらも逃げ切れたという安堵で胸をなでおろした。
穴からは微かに光がさしこみ、少しだけ辺りを見ることができた。
そして、穴の方を見ると、不気味な情景に息が詰まった。
男は穴に顔だけを突っ込み、こちらを凝視している。ただ、にたにたと。
あちらからこちらは見えているのか。男は見えているのか。
男はこれ以上入ってくることができないらしかった。
30分ほどたったか、それでも男は微動だにすることなく、ずっとずっとずっとずっとずっと
こちらを凝視し続けていた。まばたきは一切していなかったかのように思えた。
すると下から母の悲鳴が聞こえた。母が帰ってきたのだ。本当に自分は助かったのだ。
男はゆっくりと下に降りていった。そして、母の悲鳴は叫び声へと変わり、何も聞こえなくなった。
母は、どうしたのだ。
動けなかった。しばらくするとまた穴から男が顔をだし、こちらを凝視した。
その顔は相変わらず笑みを浮かべていたのだが、黒く染まっていた。いや、暗闇だからそう感じるだけか。
実際は何色だ。赤か。
「ははっはははっ!!!はははっはははははははっははははは!!!!!!!!!」
笑いがこみ上げてきた。全てがおかしく思えたのだ。
すると、手元になにか硬い物があたった。
手で触ってたしかめると、四方15センチほどの立方体の箱だ。
フタがある。あけれそうだ。もうなにもかも投げ出したい気持ちに従順になり、そのフタをあけた。
中は、女か、男か、どちらか、髪の毛で覆いつくされていた。なんだ、この箱は。
呪いでもかけるための物か。自分は呪いにかけられたのだろうか。この箱にかかわってしまった所為か。
そういえば、祖母はなんでこのことを知っていたのにしななかったのだろうか。
あれ そういえば ずっとむかし 祖母の髪の毛が 突然短くなったときがあったけな
これは 祖母が つくった物なのだろうか 真実は闇の中だ。
なんたって、自分は今から祖母の作った呪いによって死ぬのだから。
祖母は本当はだれを呪おうとしていたんだろうか。
あれ そういえば 結構前 祖父が 原因不明の病で亡くなったっけ
本当にあれは祖母の所為なのか 真実は闇の中だ。
なんたって、自分は今から祖父を死に追いやったであろう呪いで死ぬのだから。
いや、ちがう。
違和感。
あの穴のサイズは自分がぴったり入れるほどの小さなサイズ。
到底大人が入れそうな大きさではない。
もっと、もっと前。母か。
母が子供のころ。”祖母”がじゃない。”母”が母の父である祖父を呪いにかけたのか。
祖母がこの箱の存在を知っているということは、祖母と母が共同で箱を作ったのだろう。
その呪いの残骸が自分に降りかかったのか。
これはただの憶測だ。
本当のことはわからず仕舞いだ。
それにしても母親の作り上げた呪いで死ぬなんて、皮肉なものだ。