よん。
ドーム状の家。巨大なボウルを逆さにして沈めたような構造。完全な半球を再現したそのフォルムは、水圧を緩和するのに適している。窓までも完全な球面にそって作られているから、その窓を通して家の外を見通すことはできても、外の世界に向かって開け放つことはできない。
このドーム状の家は、街に住まう人々の住まいとして一般的なものだった。
海底の一角に寄り集まって建てられているが、住民は寄り合いというものを作らず、各々で過ごしている。海に沈んでいるという閉鎖的な環境が、そうさせているのか。各々の家に取り付けられた煙突からは、煙が水に溶けていっている。さながら深海の熱水噴射口のようだ。
その中の一軒の家。腕に継ぎ目のある少女は、鍵を挿し込んで玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
中に電灯はついておらず、少女以外に人の気配はない。
では、その「ただいま」は誰に向けた言葉なのか。
少女がドーム状の天井の中心にぶら下がる裸電球についたひもを引っ張った。かちりと音が鳴ると、透明なガラス球の中のフィラメントに、ぼんやりとした光が宿る。
その光に引きよせられるかのようにして、一匹の魚が泳いできた。頭部が黄色くて、白色をベースとして、黒い帯が身体に螺旋を描いて巻き付いているような体色をしている。口をぱくぱくとさせて、少女の指先をつつく。甘噛みをして甘えてくる犬みたいだ。少女は、サテン地のワンピースにあしらわれたフリルをはためかせながら、ひらりひらりと軽やかに舞う。
「あはは、くすぐったいよ。ジャン」
少女は魚に名前をつけていた。
「あたしが出かけている間も元気してた?」
少女が金色の瞳で、ジャンを見つめて尋ねると、ジャンは口を少しだけ下に下げた。魚が言っている言葉は分からない。魚に彼女の言葉が通じたのかも。しかし、どこか悲しげな表情に見える。
少女もそれに合わせて、金色の瞳の輝きを少しだけくすませた。
「なにか、悲しいことでもあったの?」
すると、少女の脚を硬い何かがつつくような感触。足元を見下ろすと、白地に赤い斑点模様が鮮やかな、大きな鋏を持つエビが上目遣いを向けていた。
少女はしゃがみ込んで、エビの黒い球形の眼球を見つめる。
「ランドール、どうしたの? もしかして、ローラのこと?」
ピンと立っていた触角が、だらりと垂れた。
少女はゆっくりと、ランドールの背後に視線を移す。床の上で動かなくなった魚が横たわっていた。身体の特徴的な模様から、ジャンと同じ種類の魚であることが分かる。
ヒレもエラも動かない。瞳から輝きは失われて濁っていて少女が近づいても、くりくりと動かされることはなかった。
金色の瞳を潤ませながら、その鱗を指で優しく撫でる。
「ローラ、お疲れさま」
一筋の川を頬に流す少女。その背中を見つめる、ジャンとランドールの瞳もやはり悲しげだ。躍動する生命を謳う輝きが、少しだけ濁っているのだった。
「ジャンもランドールも寂しいだろうけれど、元気出してね。ローラは幸せだったと思うよ。ジャンもランドールも、それは分ってあげて。生きていてほしいとは思うだろうけど、それでローラの最期を攻めないであげて欲しいの。――死に目に会えなかったあたしが言えることでもないんだけどね」
少女はゆっくりと、ローラの身体を両手で掬い上げる。そして立ち上がる。
「じゃあ、あたしローラを埋めてくるね」
ジャンは口をぱくぱくとさせる。ランドールも触角で、少女の脚の指をつついてくる。なにかを訴えているようだった。
「――そう、連れて行って欲しいのね」
そう言うと彼女はしゃがみ込んで、ランドールをすくい取る。ランドールは少女の継ぎ目のある腕をよじ登って、肩にちょこんと乗った。
ジャンは、変わり果てたローラの隣に寄り添うようにして少女の掌の中に。
少女は家を出て、ジャンとランドールとともにローラの遺体を埋めに行く。家の裏に小高い山がある。少女の背丈を優に超える植物たちがその山肌に群生している。地上に生えているような樹木が海の中に沈んでいる。もちろん枯れてしまって幹が崩れて穴が開いているものもある。
死んだ木の穴には、魚やエビが隠れ住み、木の肌にはホヤやカイメンが群生している。幻想的な海に沈んだ森の中を少女は、奥へ奥へと突き進んでいく。
地面にはところどころ、かつての森にも、今の海藻やカイメンの群生する海の森にも似合わない、人工物が転がっている。それは人の頭部や胴体を模した機械のようだった。そして表面が焦げていたり、銃弾で貫かれたような穴が開いていたりする。
ジャンもランドールも、海に沈んだ森の様子より、そこに転がる異様なロボットの残骸たちに視線を注いでいた。
「あたしが産まれる少し前。大きな戦いがあったそうなの。そのときに使われたロボットの兵隊さんたちよ。――奥に行けばもっといっぱいあるわ」
ロボットの残骸はどれもこれも錆びついていて、もとの金属光沢は失われている。
「戦うために彼らは心を持たなかった。人間をいっぱい殺すためにね。だから、心のない彼らの死を誰も悲しまないし、誰も悼んだりしなかった。使われて捨てられるだけ……」
それを語る少女の口調には翳りがある。
ジャンやランドールと話す無邪気な声とは大違いだ。
やがて少女の足取りは、森の中にある開けた空間のところで止まった。
少女の目の前には、石碑がある。石碑には大文字のアルファベットと数字が羅列されている。だが、その上方には、「ここに眠る」という弔いの意を込めた文が記されている。これら無数の無機質な英数字の羅列は、弔われた者の名前であるということだ。
「そう、彼らを弔う意思を持つのは、それを託されたあたしだけ。永遠の命と死を悼む心をもったあたしは、生き続けて無数の死を弔うの。あたしは、自分にはない死によってこの世を去る姿も幾度も見てきたし、これからもずっと見送り続ける。――悲しいとも辛いともあるけれど、死なないあたしが、自分に訪れない死を弔うことができるのか。正直分からない」
石碑は、大戦に使われたロボット兵のための慰霊碑であった。
少女は慰霊碑を囲むようにして転がるロボットの残骸の山を見つめ、そっと瞳を閉じる。そしてしゃがんで慰霊碑の根元にゆっくりとローラの亡骸を寝かせた。ジャンがまだローラの身体をつついている。しかし、ローラはびくともしない。
やがて、ジャンは横たわるローラの亡骸を見つめるのみとなった。
「……、ジャン、ランドール。あなたたちを連れてきて良かったかもしれない。あたしが誰かの死に真に迫ることなんてできやしないもの」
少女は地面に穴を掘って、ローラの亡骸をゆっくりと穴の底に沈める。土をかけたのち、目を閉じてゆっくりと手を合わせた。とそのとき――
ばちん。ばちん。
大きな音が鳴った。びっくりして後ろを振り返ると、ランドールが大きな鋏を打ち鳴らして音を鳴らしていたのだ。
ばちん。ばちん。
それは、ランドールがローラに向けて鳴らした弔砲だった。
ランドールの打ち鳴らす鋏脚の音に耳を傾けながら、少女はもう一度手を合わせる。ジャンもローラを埋めた跡の、こんもりと盛り上がった塚を見つめている。
ばちん。ばちん。
「おやすみなさい、ローラ」
ばちん。ばちん。