港町ウェントス
港町ウェントスの入り口からは人々が三々五々に逃げだしていた。
町の奥からは黒煙が上がり、逃げてくる人々の焦燥にかられた声があちらこちらから聞こえてくる。
俺は逃げ惑う一人の男を捕まえて話を聞く。
「何があった?」
「分からねぇ。お姫様が来たというから港に行ったんだが、突然サハギン族が襲ってきたんだ。
ここ数十年は折り合いをつけてやってきたと思っていたのによ」
サハギン族はあれか、半魚人。
「数が多い、悪いことは言わねぇ、このまま引き返せ」
男はそういうと走ってガーナ草原の方へ逃げていった。
王女か。
何度も何度も攫われて、その度にひげを生やした小太りの男に助けられるんだ。
俺達が助けに行く必要はないな。
「アキト!」
「わかってる」
人々は奥に見える港、その港に止まる立派な船の方から逃げてくる。
おそらくサハギン族が現れたのはそこなのだろう。
◇
「リデル、数が多い!」
港についた俺達が見たのは異様とも思える光景だった。
船着場にはざっと見ただけでも五〇人近いサハギン族がいて、埠頭から這い上がってくる姿も見えた。
身長は一メートルほどでエラが大きく張り出た魚の姿をし、鱗で覆われながらもしっかりとした四肢を持ち、手には三叉の鉾を持っている。
そのサハギン族の向かう先には二〇人ほどの白銀の鎧を着た騎士がいて、中央に三人の女性を囲むように円陣を組んでいた。
白銀の騎士が王国騎士なのだろう。
王国騎士はサハギン族の攻撃を寄せ付けない。十分に手練れで、今すぐに命の危険がある感じでは無かった。
ただ、場所が悪い。
逃げるにもサハギン族を突破しなければならず、その数は五〇近い。
騎士だけで強引に突破するならまだしも、非戦闘要員の女性を三人守りながらでは駆け抜けることも難しいだろう。
既に戦闘状態にあり、騎士たちの周りには何人ものサハギン族が倒れていた。
騎士も無傷ではないようだが、十分な防具のおかげか一人も欠けてはいない。
しかし、騎士がいくら迫ってくるサハギン族を倒しても、それ以上の勢いでサハギン族が増えていく為、状況はむしろ悪くなっているようだ。
「単純に飛び込んでいっても助けられないな」
「騎士団は十分に対抗できているようだけれど」
リデルが言うように騎士団はサハギン族を相手に状況を維持している。
疲れさえなければ今直ぐに崩されるということもないだろう。
サハギン族がどんなに増えたところで、結局のところ騎士団が同時に相手する数は一緒だ。
さてどうするか。
オークメイジが使ったように風や水の魔法があれば良かったんだが――というか王女の護衛に魔術師はいないのか。
「護衛に魔術師がいないのはなんでだ」
お姫様の護衛だ。いくら魔術師が少ないと言ってもいないのはおかしい気がする。
リデルもそれは気になっていたようだ。
「あれを見て!」
マリオンが指す一方には二人の男が倒れていた。
二人は似たようなローブを着用し、近くには水晶の付いた杖が落ちている。
魔術師なのだろうか。
だとしたら、真っ先に狙ったのが魔術師か。
獣人族になるともう知能は人間と変わらない、中には人間より優れている種族もいる位だ。不意打ちで仕留めるならやはり魔術師からだろう。
初めて知り合った魔術師のクロイドもそうだが、基本的にこの世界の魔法を使う人は体を鍛えることが少ないようだ。
その代わり魔法の技術を鍛えているのかもしれないが、打たれ弱くては今回のように力を発揮できない。
リデルやオークメイジが使ったような魔法障壁も常時展開出来るような物ではなかった。
クロイドはさすがに冒険者だけあって最低限は鍛えていたようだが、倒れている二人は明らかな文官という感じで、色白で痩せ細っている。
俺達のパーティーは全員魔法を使うけれど、みんな近接戦闘の練習を積んでいる。
必要にかられてそうしてきただけだが、一般的ではないのだろうか。
いずれにしても護衛に魔術師がいない理由は分かった。たんに排除されていただけだ。
◇
俺は周りを見渡した。
何も安全そうなところで状況を伺っているのは俺達だけじゃない。
怖さ半分に興味半分で騎士団とサハギン族の戦いを見ている人は多かった。
この見学者が全員でとは言わないまでも、半数の人が武器を持つだけで状況はずいぶんと改善される気がする。
よく見れば俺達と同じように冒険者も少なからずいるようだ。
俺がサクラになって……扇動すればみんな付いてくるか?
「よし、周りの人に声を掛けてみよう」
「いいのかい、アキト」
「こんな開けた場所じゃなければもう少し打つ手もありそうだが、他にいい案が浮かばないな」
「わかった、それじゃ僕が行こう」
「いや、俺が行く」
最悪うまくいかない可能性がある。
もし上手く行ったとしても全員が全員無事だとも限らない。
いずれは元の世界に帰る俺はともかく、この世界で成り上がろうとしているリデルに変な汚点を付けたくない。
「僕のことを心配しているのかい」
「上手く盛り上がらなかったら、乗ってきてくれ。
リデルには後から出てもらった方が、効果が高い」
「わかった、そういうことにしておくよ」
詭弁だが、そうわかった上で俺の意見を通してくれたようだ。
俺は一人で見物人の中から飛び出す。
見物人が飛び出した俺を見ている。凄いプレッシャーだ。
かぼちゃかぼちゃお前らはみんなかぼちゃだ。
「なぜ俺達のお姫様を助けようとしない?」
俺が声を上げると、その言葉に見物人が顔を見合わせる。
もちろん危険そうな事に関わり合いたくないというのは分かっている。
分かっていても、敢えて言う。
「全員で掛かればお姫様を救えるのに、ウェントスの人々はただ見殺しにしましたと、子供に聞かれる度に言い続けるのか?」
おお、さすがに子供に聞かれる度に言うのは嫌らしい。
こんな時ばかりは荒くれ者に見える人ほど頼もしいな。
「見ているだけの冒険者は、その腰に挿している剣で兎でも狩るつもりか?
一生に一度くらいお姫様のために戦おうという奴はいないのか?」
顔を真っ赤にしている奴がいるな、もう少しか。
「僕も一緒に戦おう」
リデルが出てくる、ナイスタイミングだ。しかも凛とした姿がかっこいいし、抜いた剣も光を反射して良い演出になっている。
これから演出担当はリデルにしてもらったほうがいいな。
周りからも何かを期待するどよめきが上がる。
「わたしも戦います!」
ルイーゼが来た。
その勇気を使わせてもらおう。
「子供や女の子に戦わせてずっとそこでずっと見ているつもりか?」
ついに何人かの冒険者が歩き出してきた。
もう一つきっかけがあれば――
マリオンが声を上げながら飛び出し、様子を見るように歩き出した冒険者を追い越し、俺達を通り過ぎ、サハギン族の一人に切り掛かっていった。
なっ?!
リデルも声を上げ、それに続く。
歩き出していた冒険者のうちの何人かも気を奮い立たせるように雄叫びを上げながら飛び出す。
「お姫様を助けるぞ!!」
俺もルイーゼと一緒に飛び出す。
これで誰もついてこなければ道化だが、ついに武器を持った冒険者を先頭に、木の棒や鍬といった武器とも言えない何かを持ち街人も飛び出した。
リデルとマリオンそれに続いた冒険者たちが、サハギン族の集団に背後から攻撃を仕掛ける形になった。
質はともかく数は既にこちらのほうが多い。押し寄せる人の波にサハギン族にも動揺が走ったようだ。
騎士団との挟み撃ちのような形になっている。
俺も周りの被害が大きくならないように魔弾を飛ばし、サハギンの注意を引いていく。
幸いにしてサハギン族は体格で人間に劣り、その上、水から上がっては実力を出しきれないのか動きが悪い。
ルイーゼやマリオンでも問題がなさそうだ。
俺達の参戦を見てか、騎士団の方にも動きがあった。
サハギン族の囲いを突破してくるようだ。
走ってという訳にはいかないが、しっかりとこっちに向かってくる。
俺達で一〇人ほどのサハギンを倒したところで、残りのサハギン族が一様に背を向けて海に飛び込み始めた。
騎士団が俺達と合流したことで、作戦の続行を諦めたのだろう。
始まってしまえば戦いは五分と掛からなかった。
だけれど、その五分で何人もの人が怪我を負い、三人の人が倒れて動かなかった。
戦いの最中は高ぶっていた気も、今度は倒れた人や怪我をした人を見て怒りに変わっていく。
「くそっ、お前に乗せられたせいでドラッツェが死んだ!」
一人の男が俺に掴み掛かってきた。
言い訳も出来なかった。
俺が仲間を大切に想うように、この男も大切な仲間を失った。
それも俺が戦うよう煽ったために。彼も俺が殺したことになるのか。
頬に衝撃があり、苦く温かみのある液体が口の中を満たす。
同時に俺は吹っ飛んで、俺と男の様子を見ていた人々の前に転がった。
そこでもう一度背中に衝撃が走り、横転したところで喘いだ。
倒れて動かなくなった人を見て悲しんでいた誰かに蹴られたくらいしか分からない。
「アキト様!」
ルイーゼが俺に覆いかぶさるようにして庇ってくれる。
マリオンが周りの人に文句を言ってくれた。
リデルが俺に追撃が無いように間に立ってくれる。
みんなの気持ちは嬉しかった。
でも俺は殴られても良かった。むしろそうしてもらいたかった。
俺が扇動して、その結果三人の人が死んだ。
生きている俺が出来るのは生き残った人の怒りを受けることくらいだ。
オレは息が整うと、ルイーゼを押しのけ、リデルの前に立つ。
「三人は俺のせいで死んだ。怒りは俺が受ける」
「それで死んだ人間が帰ってくるか!」
死んだ男の仲間か、一人が剣を俺に向けた。怒りは受けるが死ぬ訳にはいかない。
死にたくないのはもちろんだし、やるべき事もある。
「彼のせいではありません」
怒りに湧く人々のざわめきの中、大声でもないのにその少女の声は通りが良く、その場に居合わせた全員の耳に届いた。
声は騎士団に囲まれた中から聞こえてきた。
そこには日除けの為にかぶっていたフードを避けた少女がいた。
リデルと同じ、金髪碧眼の少女だった。
長く伸ばした髪は腰まで届き、よく手入れされて艷やかだった。
一四歳くらいか、それでも歳に似合わぬ風格に王女の威厳を感じる。
「この者達三人は私の為、そして国の為に命を賭して戦ったのです。
三人は勇気ある者です。
ここで彼を貶める事はこの三人の勇気を無駄にすることです。
私の責任をもって、三人とその家族には報いましょう。
怪我をされた方にも十分な褒章を出しましょう。
間違えないでください、責めるべきはサハギン族であって彼ではありません。
そして称えるべきは亡くなった三人だけでなく、この戦いに参加されたすべての方々です」
お姫様の言葉を聞いている内に、俺に向いていた怒りは収まっていた。
カシャ。
リデルが隣で片膝をつき、頭をさげる。
何かに気付いたように俺達を囲っていた街人も地面に跪き頭をさげた。
マリオンも跪きながら俺の手を引く。
それに気付き、俺もマリオンと同じように跪き頭をさげる。
「みなさんは私の命の恩人です。どうぞ面を上げてください。
先程も申しましたように、亡くなられた三人の方と怪我をされた方には褒章をお出しいたしましょう。
関係者の方々も、三人に恥じぬ態度でお願い致します。
それから今日の戦いに参加してくれた方々には、謝礼としていくつかの店を開放いたします。そこでご存分にお楽しみください」
侍女らしき女性がいくつかの店の名前を上げると、集まっていた人々が我先にと店に向かって駆け出していった。
騎士の半数が亡くなった三人とその仲間、それから怪我人をまとめ上げ、どこかへ移動していく。褒章の引き渡しや亡くなった人の家族のことを聞き出すのだろう。
俺達も立ち去る準備をする。
初めは三人の仲間に謝罪をとも思ったが、お姫様の言うとおり俺のせいにしてしまっては亡くなった三人の名誉も無い。
俺の行動で人が死ぬ。
パーティーを組んで魔物を狩り始めた頃から意識していたことだ。今更じゃないか。
くそっ!
理解は出来ても気分は落ち込むばかりだ。
殴られて切れた口が熱を持って傷むが、治す気にはなれなかった。
「お待ちください」
お姫様だ。俺達が立ち去る先を塞ぐように歩いてきた。
俺はリデルの後ろに下がり控える。
「お名前をお伺いしても?」
「リデル・ヴァルディス士爵と申します」
「メルティーナ・エルトリア・フォン・エルドリアです。
あの場では民の気持ちを鎮める為にあのように申しましたが、あなた方が民の気持ちを奮い立たせてくださったことは分かっております。
此度は嫌な思いをさせたことをお詫びいたします」
「メルティーナ王女、いささか過ぎたるお心遣いかと」
二人いた内の侍女で、店の名前を挙げなかった方の人だ。
少しキツメで言葉のイメージ的にはお局様といった雰囲気がある。
俺をまるでバイ菌でも見るかのように目を細めている。ここまであからさまなのは久しぶりだな。
騎士団の方も王女が俺達に親しげに話しかけてくるのを良く思ってなさそうだ。
王国騎士団は貴族しか入れないからな。だから、黒い髪に忌避感があるのだろう。
「いいえテドラ。
あなたも私も今こうして無事でいられるのは、彼らの行動があってのことです。
そのことに対して感謝が出来なくて何が民のためになりますか」
侍女はそれ以上何も言わず後ろに下がった。
「そちらの方のお名前もお伺いしたいのですが。
真っ先に飛び出してくださった方ですよね」
「アキトと申します。メルティーナ王女様」
「アキト、何か望みはありますか」
はい、いっぱいあります。
「いいえ、そのお言葉だけで身に余る光栄です」
俺はノォと言える日本人だからな。ここで欲にまみれてあんな事やこんなことを要求しても良くないだろう。
「無欲な方なのですね」
いいえ、欲望でいっぱいです。なので自粛しています。
「構いません、言ってください」
あれ、ポーカーフェイスが効いてないのか。俺のポーカーフェイスを見破るとかやるな王女様。
「それでは先程、お店の方を案内されました侍女の方と、今度夕食でもご一緒させていただければと思います」
もちろん社交辞令だ。
今度ご一緒に食事でもしましょうというやつだ。
ただ、さすがにお姫様に言うことでもないので、会ったこともない侍女を利用させてもらった。
王女様は思案しているようだ。
いや、ここは「では次の機会にでも」で終わる話じゃないんですか。
「では今夜、食事の場を用意いたしましょう」
え、あれ、なんで。あれぇ。
俺がポカンとしていると、王女様はどことなく「してやった」という表情だった。
◇
俺達五人は港を後にして、今夜の宿に来ていた。
「なんとなく似合わない気がする」
「そんなことはありません、とても素敵です」
ルイーゼの言うことはイマイチ信用ならない。
ルイーゼは俺に悪いことを言わないからなぁ。マリオンのほうがその点は正直だ。
「悪く無いわね」
二人共、美的感覚がおかしくないか。
俺は試しに、自分が気に入った服を二人に見せてみる。
「それもお似合いですが、こちらの方がよろしいかと思います」
「ダメね」
くっ、二人にダメ出しされた。
「はぁ、なんでこんなことに」
堅苦しいだけで、楽しくなる想像がつかない。
「メリティーナ王女様に表情を読まれていたね」
「まぁ、内心では思ったさ。
リデルを王国騎士にしてくださいとか、学園に四人で特待生入りさせてくださいとかな。
まぁ、さすがに言えることじゃないし、頑張れば自分達で出来る範囲だしな」
「そのまま正直に言っていれば適当にはぐらかされて終わった話だったと思うけれどね」
そうか、ちょっと図々しいくらいにしておけば、あしらわれて終わりか。
「どうしてよりによって侍女と食事なのよ」
「お姫様を誘う訳にも行かないし、社交辞令のつもりだったんだけれどな」
「メルティーナ王女様と食事のお願いだったら断ってもらえただろうね」
「なんか全部裏目に出たな」
内容が俺の個人的なお願いだったので、今日呼ばれているのは俺だけだ。
リデルには改めて王都に出向いた際に感謝状が出ることになっている。
本当はこんなことしているより、サハギン族に襲われた理由とか護衛魔術師の補充とか色々することがあると思うのだが。
まぁ、それはお姫様が動く事でも無いか。王国騎士の面々が動いている事だろう。
なんとなく審判を待つ気分になりつつも、しばらくしてお姫様からの使いがやって来た。