ターニングポイント
森の木々に遮られながらも、争いの音が聞こえてきたのは移動を始めようとした時だった。
近くで男達の叫ぶ声や悲鳴、それに鉄を打ち付ける音が風に乗って聞こえてくる。
俺達は見付からないように注意を払い、その争いの様子を確認する。
「まずいな、盗賊と冒険者で争っているみたいだ」
三人の冒険者が五人の盗賊と思わしき男達に追い詰められていた。
近くには二人が倒れている。生きているのか死んでいるのかここからは分からなかった。
立っている三人の冒険者には見覚えがある。盗賊から逃げる時に陣形を組んだ冒険者達で、気の良い連中だ。
そして盗賊にも見覚えがあった、山脈を抜ける時に最後までしつこく追ってきた連中だ。
「アキトには人を殺す事は出来ないだろ」
リデルは敢えて殺すと言ったのだろう。
やっぱり俺が人と戦うのを躊躇しているのは感じていたようだ。
これは俺に警告をしていると分かった。助けに行けば殺し合いになると。
「分かっている」
確かに、盗賊だろうがなんだろうが人を斬るとか想像したくも無い。
人を斬るのも人に斬られるのも嫌だ。
「冒険者に加勢して盗賊を追い払うだけなら」
ルイーゼやマリオンは数に入れないにしても、俺とリデルが加われば人数的には互角だ。
盗賊も無理はしないで逃げるかもしれない。
「そんな考えなら関わり合わない方が良い」
いつになくリデルの意見は厳しい。いや、厳しくないのか。
リデルが積極的でない分、ほっとした。なんとなくリデルは助けに入るタイプだと思っていたから。
「彼らは盗賊といっても、もう既に人を殺している。こちらにそのつもりが無いならここは引くべきだ。」
森に入ってから半日以上は経っている。盗賊達はそんなにしつこく追ってきたのか?
追ってはこないと考えたのは甘かったか。
「アキトはルイーゼとマリオンを連れてルブナンの村を目指してくれ」
なんだよ、結局リデルは助けに入るのか。
しかも、もう飛び出しているし。
リデルは盗賊の一人に後ろから斬りかかり、寸止めじゃ無く本当に剣を打ち込んだ。
その剣は首の辺りを切り裂き、赤い鮮血が飛び散るのが見えた。
リデルが飛び出した時、立っている冒険者は二人だった。
盗賊の一人を倒した時、立っている冒険者は一人だけになっていた。
二人目の盗賊の胸に剣を突き立てた時、立っている冒険者はいなくなった。
三人の盗賊がリデルを囲もうとする。
盗賊は何かを喚いているが俺の耳に入らなかった。
俺は怖いのに、それ以上にリデルを死なせるのが怖くて駆けだしていた。
この時の俺は自分の恐怖と戦う事に気が一杯でルイーゼとマリオンに指示を出すのを忘れていた。
リデルが一人目の攻撃を盾で受け、二人目の攻撃は体を捻って躱す。
三人目の攻撃は躱しきれず鎧に当たり止まった。
防具は大切だな、鎖帷子に買い換えておいて良かった。
俺は最も手前、リデルに斬りつけた銀髪男に魔弾を撃ち込んだ。
一角猪が気絶する程度の威力だ、死ぬ事は無い……はずだ。
「チッ! 魔術師がいるぞ。あいつは俺がやる、その小僧を仕留めろ!」
「アキト! 何故来た!」
中背男がこっちにダッシュで駆け寄ってくる一瞬だ。
「うわあぁあ!」
俺は叫んだ!
恐怖で叫ばないと正気を保てない気がした。
中背男はそんな事に構わずに剣を振り上げる。
振り下ろされた剣が体に届く前に、なんとか自分の剣で防ぐ――が、重い一撃で吹っ飛ばされる。
転倒だけはなんとか避け、蹈鞴を踏んで堪える。
「良く折れないもんだ、良い剣には見えないんだがな」
折れていたらあの剣は俺の頭をかち割っていただろう。
打ち直してくれたギルムに後でお礼を言わないとな。
「アキト様!」
右手からルイーゼの声が聞こえる。
あぁくそっ、ルイーゼの事考える余裕が無かった、そりゃ俺が飛び出せば来るよな。
盾とメイスを構えてはいるけれど、俺と同じで震えが止まらないようだ。
あれじゃ中背男の剣を躱すどころか反応も出来そうにない。
それでもルイーゼの加勢に中背男の注意が逸れた。
殆ど反射的に中背男の胸に向けて魔弾を撃ち込む。
「ぐはっ!む…えい…しょう…だと!」
中背男が胸を押さえ片膝を突く。心臓を狙った、あわよくば気絶してくれるかと思ったが、結局威力が弱くて気絶させられなかった。
全力で魔弾を撃った時、人は耐えられるのだろうか。
「アキト!」
リデルが俺と中背男の間に入り盾を構える。
リデルが相手にしていた茶髪男は無くなった左腕を押さえて蹲っていた。
「ガキ共にこの様かよ!」
リデルが剣を振り上げる。
「ま、まて、降伏する」
リデルの腕は止まらない。
俺はリデルの腕を止める。流石に抵抗出来ない状態の人間をリデルが斬り殺すのは見たくなかった。
「もう、行こう」
助けようと思った冒険者はもういない。これ以上こんな思いを続けるのは意味が無かった。早くこの場を離れたかった。
リデルが怒り半分という顔で俺を睨み付けるが、直ぐハッとしたような顔をしてわかったと言う。
「ルイーゼ行くよ」
リデルの腕を引き、青い顔のルイーゼに声を掛けて俺はその場を後にした。
一刻も早くこの場から離れ、布団に包まって眠りたかった。
「危ない!!」
遅れて走り寄ってきたマリオンが俺達に向かって叫ぶ。
俺は背中に覆いかかる気配を感じた。その後に鈍い衝撃。息を飲む声。
リデルに緊張が走り武器を構え直している。
振り返った俺が見たのは、俺に覆い被さるルイーゼの背中に剣を突き立てている中背男の姿だった。
ルイーゼが刺された?
たった今、降伏したばかりの盗賊に? なんで? 思考が纏まらない。
ルイーゼを刺していた剣が引き抜かれ、血の滴る剣を今度は上段から振り下ろす。
斬られるんだという他人事みたいな予感が頭を過ぎる。
ガキィン!
中背男の剣は俺の前に割り込んだ影に防がれる。
リデルが盾を上げてその攻撃を受け止めていた。
次にリデルの両脇から銀髪男と片腕を失った茶髪男が斬りつける。
リデルは中背男の攻撃を盾で弾いて、銀髪男が繰り出す左からの攻撃を盾で受けた。
そして、茶髪男の右からの剣は体を捻って躱すが、その剣はリデルの背中を薙いでいた。
威力があったか武器が良いのか、鎧が裂けて赤い雫が俺の顔に掛かった。
リデルの正面から中背男が再び剣を振り下ろす。
それをリデルは剣で受け止めるが隙の出来た右側から茶髪男の剣が鋭く突き出される。
俺の思考が状況に追いつく。
「うああああっ!」
俺は茶髪男の攻撃を止める一心で魔弾を全力でその胴体に撃ち込んだ。
茶髪男は二〇センチほど胸を凹ませ、斬られた左腕から血を撒き散らし吹っ飛んでいく。
「チッ! なんて早さだよ!」
銀髪男が回り込んでこっちに向かってきた。
視界の端でリデルが中背男の一撃で二メートルほど吹っ飛ばされていた。
リデルが攻撃をいなしきれずに吹っ飛ぶのを初めて見た。
俺はルイーゼを足下に横たえると向かってくる銀髪男に対峙する。
早くルイーゼの止血をしないと、絶対に助ける!
先制で魔弾を銀髪男に撃ち込むが、盾で防がれる。
威力的にも無意識に手を抜いている感じだ。
この期に及んで茶髪男の胸を抉った状況が頭を過ぎってしまった。
銀髪男は間違いなく俺達を殺しに来ている。
俺はまた手を抜いて誰かを危険に巻き込むのか。
銀髪男が直ぐ目の前まで迫る。
フッと一瞬意識が飛びそうになった。
魔力の使い過ぎで起こる症状だ。
狩りの後だった為、余り魔力が回復していない。
視界の端に倒れ血を流しているルイーゼが目に入った。もし死んでいたら二度殺す!
体温が一瞬で上がったような感覚に捕らわれる。
銀髪男の剣が真っ直ぐ俺の胴体に向けて伸びてくる。
しかしその剣は遅い、まるでスローモーションのように迫ってくる。
目から入ってくる情報を脳がもの凄い勢いで処理しているようだ。
俺は銀髪男の剣を、右足を引く形で体を捻って躱し、そのままバックハンドブローの要領で右手の剣を振るう。
その剣はがら空きとなった銀髪男の脇腹を切り裂いて二〇センチほど抉って止まった。
「グボッ!」
男が堪らず剣を落とし、血を吐きながらその場に倒れた。
すぐさまリデルの状況を確認する――いた。
リデルは二〇メートルほど先で、中背男の剣を倒れた体勢のまま盾と剣を使いなんとか凌いでいた。
「モモ、弓を!」
俺は手に弓が現れた瞬間には既に矢を放っていた。
外れた!
「バカな、こんなガキ共に」
矢は外れたが弓で狙われている事に気付いた中背男は、直ぐに踵を返し、一度も振り返らずに逃げ出した。
俺は一本目を外して直様用意していた二本目の矢を放つ。
その矢は中背男の肩に刺さったが一瞬バランスを崩しただけで足は止まらない。
俺は動かなくなった銀髪男から片手剣を引き抜いて中背男を追いかける。
「アキト、ルイーゼが先だ!」
走り出す俺にリデルが声を掛けた。
?!
そうだ、ルイーゼ!
俺はルイーゼの元に駆け寄り様子を窺う。
気を失っているが息はあった。
血で濡れたローブで背中がべっとりしているが、すでに血は止まっているようだ。
「リデルどうしたらいい! 動かしても平気か!」
くそっ、考えが纏まらない。
≪アキト落ち着いて、ルイーゼは助かります≫
リデルも左腕を押さえながらこちらに向かってくる。
そうだ、リデルは左腕だけで無く背中にも傷を負っているはずだ。
「リデルの怪我は?!」
「僕は大丈夫。ルイーゼの怪我を見よう」
俺はゆっくりとルイーゼを俯せに寝かせた。
ローブの背中には剣で刺された穴が空き、血で赤黒く染まった肌が見える。
空いた穴を両手で引き裂き、ルイーゼの傷口を確認するが、やはり血は止まっているようだ。
心なしか傷口も塞がりつつあるように見える。
「出血の割に傷は浅いみたいだ。血も止まっている。
消毒をして包帯を巻いたら後はルブナンの村で医者に見てらおう」
良かった、助かる!
「リデルの怪我も見るからな、鎧を脱がす」
俺はリデルを座らせると腕と上半身の鎧を脱がせていく。
左腕の傷は結構深い、背中の傷も軽傷とは言えなかった。
「マリオン。念の為、周りを警戒して。
僕は自己治癒を使う、アキトはルイーゼに治療を」
「わかった」
マリオンが青い顔をしながらも自分に出来る事をする。
俺もだが、自己治癒は精神の統一が難しい為、戦闘中に使う事がまだ出来なかった。
俺達の魔法技術だと魔法使用中は隙だらけになる為、その隙をお互いにカバーするようにしている。
俺はルイーゼの背中に手を当て、回復魔法を使う。
殆ど魔力が残っていない、ここで気を失うまで魔力を使う訳にも行かない。
出来るだけ早くここを離れる必要があった。
焦りなのか、なかなか纏まらない魔力を制御し、その殆どをルイーゼの怪我に充てる。
初めは荒かったルイーゼの呼吸に落ち着きが出て来た。
状態が落ち着いてきたと思いたい。
俺は立ち上がると周りを見渡し、恐らく死んでいるだろう人の数に戦慄を覚えた。
少なくてもこの内の二人は俺が殺していた。
殺した……? 俺は人を殺したのか?
吐いた。
言いようのない感情が胸を打ち、立っていられず地面に手を付く。
吐き気が止まらない。世界がぐるぐる回る。背徳感に押し潰される……許されない事をした。
「わあああああああっ!」
潰されない為に足掻いた。なんの感情か自分でも分からなかった。
怒りでも悲しみでも無い……あぁ、これは後悔か。
誰か俺を裁いてくれ……でないと、潰れてしまいそうだ。
「うあああああ!」
不意に暖かみに包まれた。強い鼓動が伝わってくる。
「アキト、生きる為に戦ったんだ」
背中に回された手が力強く震える俺の体を押さえ込む。
生きる為。そう、俺は殺されると思った。殺したかった訳じゃ無い、ただ生きようとしただけだ。
いや、違う。
「ルイーゼが死んだと思って、怒りで……殺そうと思って殺した。
生きているのはその結果だ……」
「殺すつもりが無ければ殺されていた」
そもそもルイーゼを刺した男は、俺が殺したくなくて見逃した男だ。
あの時、俺はリデルが男を殺そうとしたのを見るのが嫌で止めた。
俺は間違えたのか。
「アキト。ルイーゼは生きている、僕もマリオンもモモもみんな生きている。
今はそれだけで良い」
そうだ、ルイーゼは生きている。その為に俺は戦ったんだ。
人殺しの罪は償うべき時に償おう。今じゃ無かっただけだ。
「リデル……悪かった。ルイーゼを連れて行こう」
俺はリデルの胸から離れルイーゼに歩み寄る。
蒼白だった顔色に、いくらか赤みが出ていた。
今はルイーゼが助かった事だけを考えよう。でなければ前に進めない。
リデルはマリオンと共に殺された冒険者の遺品と、盗賊の証拠品を集めている。
俺は何から何まで気が回らない。自分の事ばっかりだ。
俺はルイーゼを背負い、モモの手を取る。
モモにも何時もの明るい笑顔が出来ないようだ。モモを抱き寄せて森を東へ歩き出す。
前にアデレに会った頃、思った事がある。
死は結構身近な物だと。俺の周りでも事故や病気で死ぬ人がいたし、ニュースでは毎日のように紛争や自然災害で多く人が亡くなったと言っていた。
だから俺は人が死ぬものだと分かっているつもりだった。
でもこれは違う。
自分が当事者になるかどうか、そんな重要な事が抜けていた。
そして俺の判断ミスで仲間が死ぬ。
そんな事は繰り返せない。
最後に一度だけ振り返り、俺が殺した二人の顔を見る。
そして二度と思い出すまいと心に誓う。必要なら誰かが俺を罰するだろう。
もし今度同じ状況になったら、おれは迷わず仲間を守る。
殺させはしない、その為なら今度は選択を間違えない。
俺の心が壊れようとあの二人の後を追わせてやる。
元の世界で育った俺はもう必要ない、必要なのはこの世界で生きる俺と仲間だけだ。