襲撃
トリテアの町を出て二日。
季節は春も終わり、夏というには少し早い。そう、エルドリア王国には四季があった。
ただ、その寒暖の差は元の世界ほど大きくはない。冬でも気温が一〇度以下になる事は少ないし、一部を除き夏でも三五度以上になる事も少ない。
それでも、季節の移り変わりといえるくらいには自然の移り変わりを感じられる。
俺がこの世界に来た時は寒くて凍えそうになったが、今は朝でも薄着で平気だ。
これからは薄着でも暑苦しくなっていくのだろう。
梅雨はない代わりに一時的に雷雨のような激しい雨が降るようで、温帯性と熱帯性の混ざったような気候だ。
◇
昨日、今日と天気も良く道中は実に快適だ。
暖かな日差しと涼しい風が心地よく、それが睡眠を誘いモモは隣で俺に寄りかかって寝ている。
精霊も寝るんだなと今更ながら疑問に思った。
この街道はもうしばらく進むと森に入り、その先の山岳地帯まで続く。
良く整備された街道は馬車の揺れも少なく快適だ。
同じ馬車に乗る商人の夫婦も気さくで、これから向かう商業都市カナンについても詳しかった。
商業都市カナンは人口およそ二〇万人が住み、エルドリア王国の商業都市としては中規模らしい。
それでもエルドリア王国の西と南を結ぶ要所にあるこの都市は、流通量としては第五位の規模を誇っている。
商業都市カナンに店を構える商人の夫婦は少し鼻が高いようだ。大きな都市に店を構えるというのはそれだけでステータスなのだろう。
トリテアの町と商業都市カナンを結ぶこの街道はいくつかの森と山を越えて行くが、その道中には盗賊も出やすく、この乗合馬車には四人の護衛がついていた。
乗合馬車自体は五台編成なので、二〇人の護衛がつくことになる。
さすがにこれだけの護衛がいて襲撃してくる盗賊もいないだろう。
この隊列には乗合馬車以外に荷馬車が七台連なっている。そちらには護衛がついていない。
いざとなれば荷馬車を囮に乗合馬車の方は逃げるという手を打つのかもしれない。命あっての物種という言葉もある。
その場合、荷馬車の御者がどのように扱われるのかが不明だが、それに俺が口を出すのもおかしな話だろう。
ちらっと見た感じでは荷馬車を操車しているのは奴隷と思しき風体だった。本人が納得の上とは思えないが。
この街道は主要道路なだけあり、護衛以外にも定期巡回の――民兵だろうか、見廻りをする兵士の姿を見かける。
これだけ厳重に思えても、盗賊の数は一向に減らないと商人の夫婦が嘆いている。
ハイリスク・ハイリターンなのかもしれない。小さく何度もリスクを犯すより、大きくても一度のリスクで済むのであれば短慮な盗賊が集まってくるのも不思議はない。
俺達も一応襲撃の備えはしておく。あくまでも気持ちの問題だ。実際に人を目の前にして剣を向けることは出来ないと思っている。
リデルは騎士を目指している、いざとなれば人と剣を交えることも覚悟のうえだろう。
ルイーゼはどうだろうか。俺のイメージとしてはやはり人と争うのは抵抗がありそうだ。
でも、模擬戦の時は本気の一撃を繰り出すのに迷いがなかったようにも思える。
マリオンは最初に明言していた。魔物でも人でも必要なら戦うと。
俺は元の世界の常識で判断してしまうことが多いけれど、この世界の常識では赤の他人に善意を期待しないのが常識だ。性悪説とまでは言わないが、魔人や魔物といった脅威が存在することで生への認識が俺より強いと感じる。
俺が平和ボケとも言えるが。
この商人の夫婦も平和に移動している間は良い人達だが、自分の命が掛かった時には俺達を見捨てるくらいの裏表はあるだろう。
そして俺も、危険に巻き込むと思っても商人の夫婦に助けを求めるかもしれない。
ある意味お互い様だ。
◇
昼の休憩を挟んでから小一時間ほど過ぎたところで乗合馬車の動きが止まった。
護衛の一人が前方の様子を見に行く。
「こんなところに何かあるの?」
俺は商人の夫婦に問いかける。場合によっては武器の用意も必要だった。
「いいえ、この先の山岳地帯を抜ければ今日の宿場町なのですが。
落石でもあったのでしょうか」
嫌な感じだ。
「リデル」
「襲撃に備えておこう」
商人の夫婦が襲撃という言葉を聞いて動揺するが、考え過ぎなら後で謝ればいい。
実際に襲撃されることに比べれば謝るくらいどうという事はない。
俺達は馬車を降りて先の様子を伺う。
すでに俺達以外にも馬車を降りている客は多かった。
それぞれが護衛に何事があったのか詰めかけていた。
その様子を見ていると、護衛が戻ってくる。
「いつもなら山岳地帯に入る前に巡回中の民兵とすれ違うんだが、今日は遅れているのかまだ来ていないんだ。
俺達は民兵が山岳地帯に異常がない事を確認してからこの山岳地帯に入る決りがある」
なるほど。理由としては妥当だった。
でも、そうは思わない人もいるようだ。
特にこの乗合馬車には商人が多かった。商人は一日遅れればそれだけ商機を失う。早く着くなら言うことはないが、遅れるとなれば話は別のようだ。
同席した商人の夫婦も言葉は荒くはないが遅れることで発生する損害には顔を顰めていた。
今回の仕入れにお金を借りているらしく、返金が遅れれば利子が発生し、最悪利益が消えてしまう事になる。
借金してまでと思うが、借金そのものは悪いものではない。借りることで出来ないことが出来る様になるのだから。
問題は返せなかった時のリスクが借りることに見合うかどうかだ。
一度の商機を失ったくらいで奴隷落ちとかではリスクが高すぎる。
この世界ではお金が返せないということは、すなわち奴隷に落ちるということだった。
護衛達は遅れた損害は取れるのかという大勢の声に負ける形となった。
護衛も商人ギルドからの派遣なので商人の声には逆らえないのだろう。
それに事実ただ遅れているだけの可能性も高い。
俺達は念のため山岳地帯を越えるまでは警戒は解かずに万全の体制で備えることにした。
◇
結局、当初の懸念は懸念のまま過ぎ去ろうかという山岳地帯の終盤に入った所で、前と後で同時に喧騒が起こる。
道が狭く高くはないが両脇が切り立った崖の為、すれ違うのも一苦労な位置だった。
狙うなら最適だろう。
「馬車を止めずに全力で走り抜けろ! 荷物は諦めるんだ!」
護衛の一人が操車に指示を出す。
商人の夫婦が荷物を失うことに対して非難の声を上げるが、護衛の第一優先は人命のようで、大切な荷物は手持ちだけの俺達には助かる話だった。
しかし、馬車は走りだすどころか止まってしまった。
やはり前の馬車に乗る商人のうち数人が荷物を捨てることに反対しているようだ。
その為に道がふさがり、後ろに続く馬車が進めない状況だ。
何の為の護衛だとか荷物は絶対に置いていかないとか言っているが、その先の崖の上には見えるだけで二〇人近い盗賊が弓や剣を構えて控えていた。
下を通り抜けるだけでも無傷でいられるとは限らない。
後ろも前ほどではないが一〇人近い盗賊がいるように見える。
いずれにしても馬車は反転できない。
全員で一気に走り抜けるのが一番被害を小さく押さえる状況なのは素人目でも分かるが、すでに止まってしまった馬車が動き出すとなると話は別だ。
ましてや先頭が動かない状況では袋小路としか言いようが無い。
俺達以外にも冒険者はいるようだが、冒険者はあくまでも魔物を相手に戦うことに長けているだけで、人が相手となると同じようには行かない。
人は魔物と比べればはるかに知的で狡猾だ。力や体力の面で魔物に劣っていようと技術と知恵でその差を埋めてくる。卓越した者が数人いるだけで組織としての力が上がる。
そして何より、盗賊には人を殺めることも厭わない覚悟がある。
俺達、少なくても俺にはなかった。
護衛はさすがにあると思いたい。
護衛の判断はすぐに逃げろということだった。
俺もそれには賛成だ。
商人達は前方の盗賊の人数が護衛の人数と変わらないことで強気のようだ。後ろの盗賊は数に入っていないのか。
だとしても数が同じなら同じだけ損害も大きいし、そして地の利は相手にある。ここで攻めてきたのだって勝機があっての事だろう。このままだと一方的に崩れる可能性だってある。
それに、前後を抑えただけで襲ってこないのも不気味だ。
この程度の事なら対人戦ゲームをしている子供でも分かる事だが、実際の戦いに関しては素人だ。正しい判断が出来るとも思えないので、俺達は護衛の指示を待つ。
「俺は状況的に勝てないと思う」
「勝てないだろうね」
素直に自分の感想を言う。それに答えるリデルも同じ判断のようだ。
「戦いたい人達には戦ってもらって、俺達は逃げるというのは非人道的だと思うか」
どことなくリデルは逃げずにみんなと戦うという選択を取る気がしたが――
「僕達は戦うなら逃げると素直に話そう」
なるほど。黙って逃げるのは非人道的でも、きちんと言えば逃げる事になっても、それは意見の食い違いか。
「よし、俺が言う」
パーティーのリーダーはリデルだ。リデルが言うべきところかもしれないけれど、これが変に捻じ曲げられてリデルの出世に響く可能性があるなら、避けられる以上避けておこう。
「いや、僕が話してくるよ」
リデルが話すというならリデルに任せる。
何でもかんでも俺の黒髪のせいにされても困るが、不安が貯まると些細な事に言いがかりを付けたくなるかもしれない。
ここにいる冒険者は大丈夫そうだが、いちいち黒髪に言いがかりを付けてくるのは冒険者と言うより貴族の冒険者に多かった。
熊髭達のように普通の冒険者はそこまで気にしていないようだ。
そう考えるとリデルが特別寛容なのかもしれない。
リデルはまず周りの冒険者に声を掛ける。意志の確認をしているようだ。
基本的には俺達と同じで、逃げられるなら逃げる選択をしている。
こういう時、身軽な冒険者は後ろ髪を引かれることがない分、楽に判断できる。
他の冒険者の意見を確認したリデルは、未だ揉めているいる商人と護衛隊長の元に向かった。
結局、冒険者勢が護衛隊を支持した事で商隊の人達も諦めたようだ。
各々ががっくりと肩を落としたり天を仰いだりしている。
しかし、状況はすでに逃げられる機会を逃していた。