ルイーゼとの出会い
凄くだるかった。目を明けるのも億劫だ。腕が痛む。足も痛い。……痛いのか、あぁ、生きているな。
魔力の使い過ぎで気を失ったのは覚えている。狼は倒せたのか。生きているって事は倒したかな。
ならここはあの草原か。でも、背中に感じる柔らかさは地面とは思えないな。
気だるいが状況を確認するには仕方が無い、目を開けるか。
薄らと開けた目に強い光が入り、世界が真っ白に染まった。まぶしさに少しずつ意識が覚醒してくる。
ここは……部屋の中か。明るさに目が慣れてくると、空は見えなかった。
俺はベッドに横になっているようだ。
体を起こし、傷の具合を確認する。
古いが清潔そうなシーツをどけると、また裸だった。気が付くと裸になっている世界なのか。
右腕と右足に包帯が巻かれている。指先に力を入れると動く感覚がある。良かった、食いちぎられたかと思ったけど大丈夫みたいだ。我慢出来ないほどの痛みでも無い。
あの後、倒れた俺を助けて、介抱してくれた人がいるのは確かだ。裸なのは治療の為に服を脱がしてくれたのだろう。ボロボロだったしな。それに、元々下着は履いてなかった。
五メートル四方ほどのこの部屋には俺以外に誰もいない。
窓から差し込む光が照らし出す部屋は、綺麗に整理され埃っぽさも無く綺麗だった。控えめな調度品で飾られていて、質素だけれど下品なところが無く落ち着く雰囲気になっている。
ベッド脇のテーブルには水差しとコップが用意されていた。
俺がその水差しに手を伸ばした時……。
ガタッ。
扉が開いて一人の少女が入ってきた。
この世界に来て初めて出会った、生きている人間だ。三日目にして、ようやく人に出会う事が出来た。
バタン!
その少女は俺と目が合うと踵を返して扉を閉めた。
えっ、あれ。
「ふ……服を着て下さい」
扉越しに少女の声が聞こえる。落ち着いた、聞き心地の良い声だった。
……あ、全部見られた。そういえば裸だったんだ。
俺は椅子に掛けてあった服を着る。あの子が洗ってくれたらしい。狼に食い破られた右腕の部分も当て布がされ丁寧に縫ってあった。
俺は服を着てから、扉を開けた。
気まずいが既に見られた以上は仕方が無い、相手が可愛い子だったのを役得と思う事にしよう。元の世界だったら事案発生で大変な事になっていた。
扉を開けると、少女はこちらに背を向けて立っていた。佇まいの綺麗な子だ。
「あの……はじめまして。俺の名前は彰人。助けてくれてありがとう」
基本は挨拶・礼儀・感謝。これで人間関係は円滑に進むはずだ。
校舎に入ると目の前に掲げてある額縁に、校長直筆で書いてあるのを三年も見続けたんだ。ここで役に立ってくれないなら意味が無い。
「おはようございます。ルイーゼと呼んでください。お怪我の具合はいかがですか」
顔が紅いのは裸を見たせいか。悪い事をしたな。
同じくらいの歳か。まだあどけなさの残る少女だった。栗色の髪でショートボブがよく似合っている。くるりとした大きめの瞳は碧色で、小さな可愛いらしい唇は白桃色をしていた。まさしく美少女だ。息が詰まるほど見蕩れてしまった。
「あの、まだ怪我は痛みますか?」
首を傾げて俺の顔を覗き込む。身長は一五〇センチくらいか。
いやそんな観察している場合じゃ無い。
「え、あ、ごめん。痛みは大丈夫、むしろ痛みが無くて不思議なくらいだ。手当てをしてくれたのはルイーゼかな」
「傷の手当ては私ですが、運んでくださったのは町の冒険者の方です」
冒険者、やっぱりいるのか。俺はその冒険者の名前と特徴を聞いておく。会う事があれば、お礼を言いたい。
「椅子に掛けて下さい。治療しますね」
治療? 俺は言われるままに椅子に座る。
ルイーゼが俺の後ろに立ち、両手を肩に乗せる。心地よい暖かさが伝わってくる。
「そのまま気を楽にしていてください。まだ不慣れなので失敗するかもしれませんが」
失敗するのか。まぁ、死ぬ事は無いだろう、こんな優しく殺されたらびっくりだ。
言われるままに目を閉じて心を穏やかにする。可愛い子のお願いだ、出来るだけ聞いてあげよう。
「水は生命の源・魔力は力の源・肉体は二つの源を宿す・………」
心地よい声色で綴られる言葉が心に落ちる。歌うように慈愛に満ちた声を聞き入る。
あ、これは魔法か。
リゼットの説明にあった魔声門による魔法の発動になるのか。という事はこの言葉の意味を聞き、理解し、魔力の制御を行えば魔法陣が意識化で構成されて魔法が使えるようになるはずだ。
水は生命の源、これは分かる。人間の体の七〇%近くが水だ、そして水が無いと人間はすぐに死んでしまう。人間なら何をするにもまずは水の確保が最優先なのはどの世界でも変わらないのだろう。
魔力は力の源、これもイメージは出来る。転移してきた時に感じた力や魔弾を打つ時に感じる力だ。
肉体は二つの源を宿す。これはそのままだろう。
こうして綴られる言葉の意味を考える。後で使えるか実験する為にこうして魔声門を実際に聞く事が出来るのは参考になる。失敗するかもと言っていたのは気になるが。
そういえば先ほどから自分の体の魔力が活性化するというか自分の意思とは関係なく、言葉にすると力が漲ってくるみたいな。呪文が完成しないのに魔法が発動しているのだろうか。
とりあえずルイーゼの魔声門に集中しよう。
詠唱は一五秒くらい続いた。慣れてくるとどんどん短く出来るらしいけれど、自分には使えないのだから、使えるだけでもルイーゼは凄い気がする。そもそもこんなに長い呪文を覚えられるかも怪しい。
「……・彼の者に再生の喜びを」
魔法の詠唱が終わると、体中の魔力が活性化するのが分かる。俺はそれを素直に受け入れた。
この魔法は成功する事がわかっていた。自分で想像した通りに魔力が体に染み渡ってくる。痛んでいた細胞が再生し、心地よい脱力感に見舞われる。
「ありがとう、ルイーゼ。もう怪我をしていたとは思えないくらいだ」
「女神アルテアに感謝を」
ルイーゼはにっこり微笑んで、コップの水を差し出す。
そうだ、喉が渇いていたんだった。
「ありがとう。やけに喉が渇いていたんだ」
「二日ほど眠っていましたから」
一晩くらいのつもりでいたけれど、二日も寝ていたのか。
「たいした物は用意出来ませんが、消化の良い食べ物を用意しますね」
ルイーゼはそう言うと隣の部屋に向かっていった。
弱ったところで美少女に優しく介抱され、手料理まで頂く事になった。こんな事を友達から聞かされたら悔しさに枕を濡らしていた事だろう。
◇
それから俺は今の状況を確認した。
俺は最後の狼をきちんと倒していたらしい。俺が倒れていたところに三匹の死体があったそうだ。
そこで力尽き倒れていた俺をルイーゼが見付け、さらに通りかかった冒険者の助力を得てルイーゼの家まで連れてきてくれたらしい。
ここはグリモアの町で、俺が倒れていた丘を越えた所にあったらしい。もう少しだったのか。どちらにしても狼を連れて町に逃げ込む訳にもいかなかっただろうけど。
グリモアの町はエルドリア大陸の西に位置し、リゼットのいるリザナン東部都市とは真逆の位置だとわかった。ここから徒歩で移動すると四週間程掛かるらしい。時速四キロで一日一〇時間歩けば四〇キロ。四週間で一一二〇キロくらいだろうか。
何故こんなにズレたのか……時差か。
リゼットとの話の中で二時間ほどの時差がある事は分かっていた。流石に一日の周期がある以上時差までは合わせられないのか。いや、合ったからこそ時差がそのまま位置の差として現れたのか。下手に海の中に放り出されなかっただけ良かったと思うべきか。
「リザナン東部都市に行かれるのですか?」
「知り合いがいて、会いに行く約束をしているんだ」
「乗合馬車でしたら二〇日ほどですが銀貨二〇枚が相場ですね」
どれくらいの価値なのか分からないな。
「今持っているのは……」
「荷物でしたらこちらです」
壁際に俺の荷物が置いてあった。
俺は荷物から拝借してきたお金と思われる物を取り出す。
「銀貨一枚と、銅貨が四五枚ですね」
ちなみに銀貨一枚は銅貨一〇〇枚らしい。
「この町で一日暮らすにはどれくらい掛かるかな」
俺は田舎者だから分からないと言うスタイルで通す事にした。
「そうですね……安宿でしたら一晩銅貨一〇枚くらいだと思いますが、お薦めは出来ません。町の東に安宿が多いのですが、余り治安が良くありませんので。
出来れば南にある冒険者街に泊まられた方が良いと思います。一晩銅貨二五枚くらいだと聞いていますが」
治安が悪いのは出来れば避けたいな。これからなんとか路銀を稼がないといけないのに、それを奪われるような状況に身を置くのは本末転倒かもしれない。
となると泊まれるのは五日か。その間に路銀を稼ぐか。
「少し待ってください」
ルイーゼはそう言うと部屋を出て行く。
しばらくして手に何かの毛皮を持って来た。あの毛皮の色は……。
「アキトさんの倒した狼の毛皮です。これを売れば銅貨二〇枚位にはなると思います」
ルイーゼは俺の倒した狼を回収して、毛皮を剥いでおいてくれたらしい。
「ルイーゼ、お礼としては少ないかもしれないけれど、それは受け取っておいてくれ」
どうせルイーゼがいなければ狼の皮どころか餌になっていたくらいだ。命のお礼としては少ないと思うが、今の精一杯だ。
遠慮するルイーゼに無理矢理受け取ってもらう。
「改めて、ありがとうルイーゼ。おかげで助かったよ。
「あの、いくら怪我が回復しても、失った血液は時間が経たないと戻りません。後二,三日は泊まって行かれた方が」
美少女に泊まってとか言われたら断れるわけ無いじゃ無いか。
「流石に直ぐは無理をしないよ。せっかく助けもらったのに、命を無駄にしたくは無い。
ただ、田舎者だから色々と分からない事が多くてね。
取り敢えず冒険者ギルドとか行って今後の方針を決めるよ」
ヘタレと言われようがリゼットに会うまでは真っ直ぐ目的に突き進もう。
他の子に溺れていたらリゼットが大変な目に遭っていたとか、なんの為にこの世界に来たのか分からなくなってしまう。
「これで恩が返せたとは思えないし、用が済んだらまた会いに来るよ。
しばらくは町にいるし、リザナン東部都市に向かう前には挨拶に来るさ」
ルイーゼは未だに心配そうな顔をしているが、後ろ髪引かれる思いで冒険者ギルドへ向かった。