目下の課題
トリテアの町の朝は早かった。日が昇る頃には既に町中に活気が溢れ、これから森に入る人に向けての携帯食の販売をする食料店、荷物持ちと呼ばれる職業の声掛け、傭兵の斡旋、近くの鍛冶屋からは鉄を打つ音が聞こえ、その軒先では打ち終わったばかりと思える武器が売られていた。
荷物持ちとは森に入る冒険者が狩った獲物を運ぶだけの職業らしい。狩りには直接参加せず、身を守る程度の技量があれば出来るので、冒険者を何かしらの理由で諦めた人が就く事の多い仕事のようだ。魔物や魔人に関する知識だけでなく薬草や治療といった知識を持つ事が多く、またそういった知識を持っている荷物持ちは下手な冒険者より稼げる。特に力も知識も有り魔法鞄を持っているような荷物持ちであれば、一級の冒険者の予約で一杯になるようだ。
◇
俺は一人で宿を出て、先に鍛錬の出来そうな場所を探していた。
門の外は直ぐに魔物の住むカシュオンの森という特異性から、門の外で鍛錬をするのは良くないだろう。
結局適当な所が見つからず、宿の裏手にある猫の額ほど――とは言っても、一〇メートル四方はある――の庭先で鍛錬をする事にした。
森に囲まれているせいか、周りには多くの鳥が羽を休め、朝を知らせる鳴き声を奏でている。俺が近づいても逃げようとはしなかった。餌付けされているのだろうか。
俺はストレッチをしながら、昨日のホブゴブリン戦を踏まえて自分の現在の問題点を考えていた。
まずは力不足。一五歳と言う事もあるだろうけれど、思ったほど筋力が付いていない。
毎日が鍛錬のような日々で、体も引き締まっている為に脂肪も少なく体重も少ない。
いくら食べても太らないというのは一部の人に言ってはいけないが、それでも事実として食べても太らない。故に力で押し負ける事が増えてきそうだ。
同じだけ鍛錬した体格の良い男には力押しだけでは勝てないだろう。
リデルは俺より一回り大きい。力が同じなら質量で押し負ける。
次に魔力総量の不足。
リゼットから教わった話と自分の経験から、魔力も筋力と同じように使い続ける事でその量が増えていく。
でもリデルとルイーゼの魔力総量の伸びに対してその半分も増えていないと思えた。
そう、二人は魔力総量が明らかに増えていた。
リデルは敵愾向上の使用頻度と継続時間が上がっている。ルイーゼは魔法こそ使えないが、身体強化の鍛錬を継続する時間が大幅に伸びている。
最後に攻撃力不足。
力不足であり、魔力総量が少ない為に魔法によるダメージも余り多く望めない。
そもそも魔法に至ってはまともに使えない。
今使える魔法はただ魔力を放出しているだけの魔弾と身体強化だけだ。
もちろんどちらも今の俺に欠かせない力ではある。でも、もし魔弾をきちんと精霊魔法として具現化すれば事象変化に伴う威力、つまり火の魔法を具現化すれば焼き尽くすとか爆発させるとか、風の魔法を具現化すれば真空を作り出す風の刃とか暴風によって物を吹き飛ばすと言った事が出来る様になる。
ただ魔力を放出するだけではそういった威力は見込めない。
この三点については何かしらの打開策を考えないといけない。
力不足に関しては鍛錬中の身体強化で一時的にはなんとかなりそうだけれど、身体強化は魔力消費効率が悪い。魔力総量が小さい事から有効打にはならないかもしれない。
これは逆に言うと二つ目の魔力総量が少ないという問題を解決すれば同時に解決する問題とも考えられる。
もう一つの方法として、魔力総量を増やすかわりに魔力制御の効率を上げる方法がある。
魔力制御の効率が上手くなれば無駄が減り魔力の使用量が減る。
必要な時に必要なだけの威力で魔法を使う事も大切だ。オーバーキルは無駄でしか無い。
魔力量の増量と魔力制御力の向上。どちらかをでは無くどちらもやらないといけないのだろう。魔力の総量を増やす為には寝る前に魔力を限界まで使い切り、魔力制御の効率を上げるには今一度原点に戻って魔力の流れを感じ取り無駄が無いか探っていく事にしよう。
攻撃力の不足は単純に力不足だけで無く技術と知識も不足している。
今までそれほど知能の高い動物や魔物を狩った事がなかった。だから考えて行動するという敵に対しての経験が全くない。これは単純に数をこなすしか無いが、その時きちんと敵の攻撃の意味を考えよう。
ただ、これを実戦の中でやるのは危険が伴う。実戦ではまず生き残る事が最優先事項だ。となると、練習という形で誰かと模擬戦をするのが良い。
そう考えた所で三人が降りてきた。
◇
「限りなく実戦だと思ってやる事。気を抜くと怪我くらいはすると思うから気をつけて」
「了解」
「はい」
俺は旅立ちの時から使用しているごく平凡な片手剣を持ち、革の上着と革のグローブに革のブーツ姿。
初めて買った自分の装備だ。革も体に馴染んできて着心地が良くなっているけれど、上着の背中部分には修復の痕が有り、ちょっと格好が悪い。
前に凶牛の攻撃を躱しきれずに防具が役目を果たしてくれた時に裂けてしまっていた。一応きちんと補強してもらったので見た目以外に問題は無いだろう。
リデルも愛用の片手剣に、巨大熊との戦いで失った盾の代わりに俺が買った鉄製の盾を装備している。俺は革のジャケットという感じだけれど、リデルは同じ革でも鎧の形を取っていてしっかりと防御の役割を果たしそうだ。
ルイーゼは木の先を鉄で補強したメイスと革で補強した木製の盾。布のローブに革製の上着は俺と同じだ。どれも俺が買い与えた物で、高価な物ではないが、これでも転がり回ったりする事の多い俺達には役にたつ物だ。
攻撃は致命傷を与えないように剣の刃には布を巻き、メイスにも布を巻いている。余程の事が無ければ打撲程度で済むはずだ。
ルイーゼに対しては模擬戦レベルまでは出来ないと思っている。受け答えの練習が出来れば良いだろう。
まずは俺とリデルが適当な距離を開けて向かい模擬戦を始める。
「それじゃいくよ。初めは準備運動がてらに様子を見ながらいく」
「どうぞ」
俺はリデルの左側に回り込むようにステップを踏む。右側には盾がある為、有効打を取りにくいと考えた。
間合いが詰まった所でリデルの持つ剣をはじき飛ばすように、左に引いた剣を右に戻しながらバックハンドで横に払う。
それにきちんと反応したリデルが体の向きを変え、盾で俺の攻撃を受け止める。
盾を打つ剣が弾かれるが、そのまま左下段に構え直し身を低くする。同時に、今度はリデルの足を掬うように剣を振るう。
左から右へ高さを変えての連続攻撃だ。
リデルは少し下がってその攻撃を躱すと同時に踏み込んで、剣を空振りして空いた俺の背中に剣を打ち込んでくる。
俺は低い姿勢から転がってリデルの攻撃を躱し、その勢いで立ち上がる。
「全力でいく」
「了解」
俺は先ほどとは逆にリデルの右側に踏み込み、盾に向かって剣を打ち付ける。
防がれた所で身体強化を発動し力押しでかち上げる。
押し負けたリデルは盾ごと左手を挙げ、胴体に大きな隙を作っていた。盾を手放さなかっただけでも立派だろう。
さらに一歩踏み込む俺は、振り上げた剣を慣性のままに左中段に引き絞り、そこから胴を薙ぐように剣を振る。
止めるか? いや!
視界にリデルの剣が割り込み、俺の剣を受け止めた。
俺は再び身体強化を発動し、このまま押し切り胴に寸止めする――つもりだったが、その前に俺の剣はリデルの剣に押し返され、逆に胴を晒してしまう。
押し負けた?
いくらバックハンドだからって……というかこれってリデルが身体強化を使ったのか!
ガスッ!
リデルの盾がバランスを崩した俺を打ち、いったん間合いが開く。
最初の有効打はリデルだった。
「…………」
んっ?
リデルが何かを呟いたかと思うと淡い青色の光が現れ、リデルを中心に周囲一メートル位を覆った。
魔法か、何の魔法だ?
というかリデルって攻撃面でも俺より強い気がしてきた。
俺は気を引き締め直す。
やっぱり人は動物や魔物とは根本が異なる。特にリデルは俺の戦い方を良く知っていた、きちんと守ってくる。
俺も持てる手を全て使おう。
俺は左手に集めた魔力を魔弾として打ち出す。
流石に全力では無い。魔弾はリデルを覆う光にぶつかるとシャボン玉が弾けるように砕け散る。
そして魔弾も打ち消されたようだ。
あれは防御魔法なのか?!
いずれにしても防御魔法は消えたように見える。
俺は身体強化を部位強化では無く全身強化で発動し、一気に間合いを詰めて右中段から盾を打ち抜く。
今度は盾を左に弾き、その勢いでリデルの背中が見えた。
俺はその背中に左手で弱めの魔弾を――
リデルは俺の剣を盾で受けるとそのまま受け流すように右に回転し、裏拳の要領で剣を俺がいると思われる所に振るう――
俺は顔面に迫ってくる剣に慌てるが、準備中の魔弾を剣に撃ち込んで対処した。
ホブゴブリン相手に使ったのと同じ手だ。
ガキン!
リデルの剣が弾けて落ちる。
危なかった、今のは本気で危なかった。
「?!」
リデルが右手を押さえる。
弱めに打つつもりが、とっさの事で普通に魔弾を打ち出してしまった。
「リデル!」
「いや、大丈夫。痺れているだけだから」
よかった、今リデルに怪我をさせる訳には行かない。ルイーゼの回復魔法があると言っても、奇跡はある意味気まぐれだ。期待しない方が良い。
≪それは誤解です……≫
◇
まずは一戦。軽くのつもりが殆ど本気になってしまっていた。
それはそれで反省するとして、まずは今の模擬戦の内容を覚えている内にディスカッションだ。
「たった一戦、時間にして二分くらいの模擬戦だったけれど、俺は三回驚いたよ」
「僕も三回驚いたよ」
ほほう、俺もなかなか負けていなかったようだ。
「まず一つ目はリデルが身体強化を使っていた事。
二つ目は防御魔法? を使っていた事。
三つ目は攻防に隙が無い事」
「僕の場合は一つ目がアキトの身体強化を発動する速度が素晴らしく速い事。
二つ目がその身体強化を全身に使える事。
三つ目が一見防御が弱く見えるのに、隙を突いた攻撃にもきちんと対処してくる事」
全身強化は練習中の魔法なので、実戦で使った事は無い。言わば今がお披露目だった。
部位強化魔法に比べると激しく消耗するので、今の時点では実戦で使えなかった。
「リデルの身体強化は実戦レベルになっているかな。後から使用しても押し返されていた」
「あれは後から使ったのでは無く、使っていたけれど発動まで時間が掛かっただけだよ。
押し返したのも半分は腕力のおかげだね。
実戦で使うにしても、今のところは余裕がある時に練習を含めてだね」
「俺の経験則だけれど、使えば使うほど自然に使えるようになる魔法だと思う。
それから、あの防御魔法の効果は?」
「防御魔法は残念ながら実戦どころか模擬戦でも使えるレベルじゃ無いよ。
あの魔弾も本気で打った訳じゃ無いよね。
今のところ魔力制御が悪くて、人が殴っても壊れる程度みたいだ。
それでも実戦で使う時のタイミングとかを覚える為に使ってみたけれど。結果はあの通りだよ」
なるほど。確かに牽制で打った魔弾でさくっと壊れていたからな。
「アキトの無詠唱で繰り出す魔弾は相手にすると脅威だね。
常にそれを警戒して動く必要があるからどうしても攻撃の手が遅れるよ。
全ての攻撃に身体強化を使っていないのも良い。それ自体がフェイントになっている」
「今の俺の魔力制御力じゃ魔弾と身体強化を同時には使えないんだ。
あと、身体強化がその場にある魔力で作用するのに比べて、魔弾は魔力を集める必要があるから連続では打てないし、とっさに撃つにもその前にある程度準備しておく必要がある」
今の模擬戦でも魔弾を打とうと思っていた所だったから防御に使えたけれど、そうで無ければ躱し切れたかどうか。
「それと、フェイントとしてやっている訳じゃ無くて、単に身体強化を継続的に使うのは魔力消費量が多くて厳しい。フェイントになっているのは良い誤算かな」
「僕も練習中だから何とも言えないけれど、身体強化の魔力消費効率は良い方だと感じるのは、アキトの印象と違うね」
あれ、リデルはあれが効率良いと感じるのか?
「それはあれかな、魔力総量に対して使用量が小さいとか」
「僕が感じているのは他の魔法、たとえは敵愾向上とか魔法障壁に比べてだからね。
一応この二つの魔法も、魔力消費量は少ない方だけれど」
リデルは俺よりも早く魔法の訓練をしている。魔力総量が俺より多いと思うし、ここ最近の魔力総量の伸びを見ても随分増えたと思う。俺も頑張ってはいるけれど、最初に比べて上がる量がかなり減っている気がする。もしかして俺の魔力総量はもう頭打ちなのだろうか。
いくら鍛練を重ねた所で肉体という器がある以上は限界があるだろう。それに個人差があっても不思議じゃ無い。
「そうなると、俺の魔力総量が少ないと言う事になるなぁ。魔力を吸収するような魔法とか無いのかな」
「アキト様、魔石から魔力を取り出せると聞いた事があります」
「残念ながら魔石から魔力を取り出せるのは魔法具だけだね。
人が直接魔石から魔力を取り出して吸収あるいは魔法として具現化するという話は聞いた事が無いね」
「失礼しました」
ルイーゼが肩を落とす。ちょっと可哀想だ。
「いや、思いつく事があったらどんどん言って欲しい。
今の事も俺は知らなかったから、助かる」
「はい」
「魔力を出せるのに吸収は出来ないのか」
「そもそも、魔法は魔力を具現化して事象としているのであって、魔力を出力している訳では無いよ。
だからアキトの魔弾は例外に当たる。
実際の所、殆ど事例が無いから噂が広まれば魔法大学とかから声が掛かるかもね」
俺もいよいよ大学デビューか。
それにしても、あるのか魔法大学。
いや、流石に学校くらいはあるか。学校があるなら、学校で精霊魔法を習えないだろうか。だけど――
「それはまた実験動物的な意味合いが大きそうで、御免被りたいね」
「ちなみに魔法を失敗して魔力が失われるのは霧散しているからで、出力とはちょっと違うんじゃ無いかな。
クロイドさんの話だと、その霧散する魔力を制御する事で力となっているという話だったけれどね」
霧散する魔法を制御するくらいなら、具現化する方が楽だと言っていたな。
旅が落ち着いたら精霊魔法が使える人を探して教えてもらいたいな。
「本当に話が来たら断るのも難しいと思うから、嫌なら隠し通す事だね」
俺はそもそもこの世界の人間じゃ無い。目立ったり、あれこれ調べられたりするのは避けたい所だ。
「身体強化は誤魔化しようがあるにしても、魔弾は誤魔化しにくいな。あ、でも。飛び道具としての使い方を控えれば遠目には気が付かないと思う」
「アキトの場合、無詠唱だしゼロ距離で打てば魔法だとは気付かれないかもね。
勘の良い人には気付かれる可能性もあるけれど、それにしても側で意識して見ていればってくらいかな」
過去に無意識で使っていたけれど、熊髭達や商隊の護衛あたりには見られているんだよな。今後はもう少し意識していこう。
「なんにせよ、たった一回の模擬戦でこれだけ色々分かるなら、もっと早めにやっておけば良かったよ」
「そうだね。毎日の鍛錬に入れるのは良い事だね」
今まではもっと基礎の練習をしていたから模擬戦を入れる余裕も無かったとも言えるけれど、これからは生きていく為に必要な事はどんどん取り入れていこう。
◇
「それじゃ次はルイーゼね」
「はい」
ルイーゼは俺とリデルの模擬戦を見てから、随分緊張しているようだ。
「ルイーゼとの模擬戦は意図的にスピードを落としてやるから、ルイーゼは攻撃をしないで全部盾で防ぐか躱すように。
子供のお遊戯みたいに見えるけれど、怪我をしない為に大切な事だから」
「はい、アキト様」
俺はルイーゼとの模擬戦を始める。
まずは子供でも躱せるようなスピードから始める。そこから徐々にスピードを上げて、ルイーゼの防御がギリギリ間に合う所を見定める。
この状態で二分ほど単調な攻撃を繰り返す。
それに慣れて来た所で、今度は上下に攻撃を振り分ける。間に合わなそうならばスピードを落とし、再び慣れて来たらフェイントも織り交ぜる。
リデルとの戦いのスピードに比べれば半分以下だけれど、ルイーゼの防御が間に合うギリギリのタイミングでひたすら続ける。
実際の魔物との戦闘は今のところ長くて一〇分だ。まずはルイーゼが一〇分間守り切れる事を目的とする。
スピードが遅いと言っても連続で繰り返している。三分も過ぎた所でルイーゼの息が上がり始め、今までのペースでは防御に回れなくなっていく。
俺は攻撃のスピードを落とし、常にルイーゼの防御がギリギリのタイミングで続けた。
五分が過ぎた所でルイーゼの体力が限界に達した。
腕が上がらず、立っているのも厳しい状態だ。
「ここまでで」
「はぁ……はぁ……はぁ、あ、ありがとうございます」
「ゆっくり休んで。モモ、水をお願い」
「ルイーゼは今のを一〇分続けられるまで同じメニューで行く」
「は、はい」
女の子には辛いかもしれない。もし、ルイーゼが辛ければ冒険者では無く普通の女の子として自立出来るまで面倒を見ても良いと思っている。でも、冒険者として付いて来るのであれば必要な事だと思う。
リデルは俺のルイーゼへの対応については何も口を挟まない。ルイーゼの主人がリデルなのは最初の約束通り形式的なものと弁えているようだ。俺としては問題があったら口を挟んでもらって構わないのだが。




