疑惑
本日12話投稿予定、内04話です。
彼女の着るドレス風の服はシンプルですらっとした作りになっており、裾に向かうほど徐々に青の濃くなる不思議な色合いをしていた。
印象に残る特徴的な黒い髪は短めで、それでいて女性らしさを失わず、切れ長の黒い目は知的な印象を受けた。
黒い髪を持つことは貴族の中で忌避とされていたが、迷信でしかないとマリウスは考えているので、印象的なその眼には引き付けられるものがあった。
今時は下町の娘でも貴婦人がそうするように、スカートを出来るだけ広げるような細工をしているのが普通だ。
でも彼女は逆に腰のラインがはっきりとわかるような服を着ていた。
運動不足でお世辞にも痩せているとはいいがたい貴婦人には着こなすことの難しい服だろう。
恐らく売れないし、売っていない。
だからその服は彼女のオリジナルなのだろう。
自分の体に合わせて魅力的に見せる、ある意味最も服らしい服だった。
彼女はマリウスの姿を見止めると、直ぐに膝を突きその場に伏せる。
名前くらいは偽るべきだったかと思ったが、今更だ。
「今は忍びで来ている、その様な対応は無用だ」
少し警戒心を持たせたようで、その表情は堅いとマリウスは思った。
王族が名指しで現れるとなればそれも致し方ないだろう。
記憶で見た彼女は戦いの中で勇ましく、それでいてもう少し優しい表情をしていた。
それはアキトに向けられたものであったが、冷たくも感じる彼女の態度には少し嫉妬を感じる。
おかしなことだと我ながらに自嘲した。
「もうわかっている様だが、今は只のマリウスだ。
突然尋ねた無礼を許せ」
「リーゼロット・エルヴィスと申します」
リーゼロットはそんなマリウスを見て「こちらこそ、失礼しました」と一言述べると、対面の席に着いた。
彼女は同じテーブルに着くなど、それが本来は無礼な行いであるとわかっていても、マリウスの意図を正しく汲んでいた。
マリウスは直ぐに想定外の状況に対応出来る彼女に感心していた。
多くの場合は何と言おうとその意図を図ろうとせず、態度を崩すことは無い。
だが彼女はマリウスの意図をくみ取り、私人として対応してくれた。
直視はせず少し伏せた目を見せるリーゼロットを前に、思ったよりも緊張している。
さぁ、どう切り出すか、それが問題だ。
結局、マリウスは馬鹿正直に言うことにした。
そもそもが信じがたいことであり、回りくどく言っても仕方がないと判断した。
「私はしばらく前に死の淵を彷徨い、その不思議な世界で、女神アルテアの導きを受けたある人物の魂の欠片を受け入れた」
マリウスはリーゼロットの表情の変化を見逃すまいとしたが、彼女は表情を崩さず、ただ眼を閉じた。
何かを考えるように思案する彼女の表情に変化はない。
「私はその魂の欠片を受け入れることで、一時の生を受けることが出来た。
それによりやり残していたことに色々と区切りを付けることが出来た」
リーゼロットはまだ目を開かない。
「次はその借りを返す番だ。
その魂の欠片の願い、アキトの願いを果たすために私は来た」
マリウスがアキトの名を口にした瞬間、リーゼロットの目が開かれる。
その眼の焦点はマリウスを捕らず、その先の何かを見通すようだ。
不愉快ではないが、不安を感じる、そんな視線だ。
「確かに、マリウス様の体にはアキトの魂が宿っています。
一つの依代、一つの器、二つの魂。
この様なことが……さすが女神様の御業ですね」
「わかるのか?」
正直信じてもらえないと思っていた。
「はい。お返し、いただけるのでしょうか」
「それが約束だからな」
「その結果、マリウス様は再び死の淵に立つことになると思いますが、それも覚悟の上でしょうか」
「正直、死にたくないと思っている。
だが神はいた。ならばそれに逆らって生きてもいけまい」
マリウスにも未練はある。
だが一時の生を受けたことでやり残したことも片付けられた。
己の不甲斐なさが生んだ結果だ、受け入れがたくても受け入れるしかない。
「私がアキトの肉体に触れればアキトの魂は器に戻るらしい。
アキトの肉体にアキトの魂を返す。それが私に与えられた約束だ」
「後のことは――」
「全て済んでいる。
父と政治を担う宰相には、女神アルテアに授かった仮初めの命であり、約束を果たした後に本当の死が訪れると話してある。
遺言も残した。後は約束を果たすだけだ」
リーゼロットは何かを言葉にしようとして、それを飲み込む。
マリウスも同情が欲しいわけではない、敢えて問いただそうとはしなかった。
「ただ、この体がリーゼロットの元に残るのは問題も多いだろう。
多少は関係者が増えるが、王城で信頼が置ける者の立ち会いの下に行いたい」
リーゼロットは一瞬だけ困惑した表情を見せた。
「マリウス様。今、このことを知っているのは国王陛下と宰相のみですか?」
「そうだが、それが何か?」
「そのことを伝えたのはいつでしょうか?」
「一週間前だ。いったい何を考えて――ありえん!」
彼女の懸念はわからないでもない。
マリウス本人の思いとは別の力が働く可能性を考慮しているのだろう。
アキトの体にもしものことがあれば、マリウスは今のまま生きることが出来るのだ。
だが国王陛下も宰相も、権利は違えど貴族も平民も命の価値は等しいと考えている。
それはこのエルドリア王国の歴史が他の国々と比べれば浅く、建国の英雄が元は平民だったこともあるのだろう。
マリウスはそれを好ましいと思っている。
だから二人がアキトの命を軽視することは無いと言えた。
リーゼロットは長考していた。
だが事実は変わらない。
その様な懸念など考える必要はない。
仮に何かしらの力が働いたとしても、それをリーゼロットが知らせに向かったところで既に手遅れだろう。
アキトとルイーゼのいるグリモアの町に近い都市は北に三日移動したパルマだ。
主要都市間は首都防衛の観点から古代文明の遺物を用いた長距離意思通信が優先的に与えられている。
もし国王陛下あるいは宰相が直ぐに動いたのであれば、既にことは終えているはずだ。
動く以上失敗は許されない。
確実にことを成すため、迅速に、そして信頼の置ける者に託しているはずだ。
「マリウス様、申し訳ありません。
いちどアキトの様子を見に行きたいと思います」
「では私も行こう」
だが、リーゼロットがそれで納得するのであれば、共に向かえば良い。
いずれにせよアキトには会う必要があるのだ。
「それはっ――」
「あり得ない話だが、何があったとしても私がいた方が早いだろう。
直ぐに馬を用意する!」
「……いえ、馬は不要です。転移魔法を使用します」
「転移魔法だと?」
マリウスは思わず驚きを表す。
「そなたはそれほどまでの魔法を使いこなせるというのか……」
王族の者であっても、いや王族であるからこそなおさら自由に使えるとは言い難い転移魔法。
それは転移に伴うリスクがあるためだ。
第三者を伴う転移は魔力制御の乱れを伴い、その乱れが影響することで転移先にも影響が発生する。
ある者は地中深くに出現し、ある者は石の中、またある者は空高くにと、まさに命懸けのものとなった。
当然、リーゼロットにとってアキトの魂は失いたくないもののはずだ。
転移魔法を完璧に使いこなす自信があってこその提案だろう。
実際のところマリウスは転移魔法を使ったことがない。
それはリスクが大きく見返りが少ない為だ。
王族ともなれば、自らが急ぎ赴いてことを成す必要は早々にあることでは無かった。
ましてや戦時中でも無いとなれば皆無と言っても良い。
だがアキトの身に何かあれば、それはすなわち女神アルテアとの約束を違えることになる。
それにより女神アルテアの怒りを受けることがあれば、それは自分だけのことで済まない可能性があった。
もし女神アルテアの天恵が失われることになれば、国家としての損失は想像にしがたい。
そう思うと、マリウスもアキトの現状をこの眼で確認しておきたかった。
「メル、店を頼みます。
それからこちらを渡しておきます。
もし一週間たっても私たちが戻らなかった時の事が書かれていますので、その時はウォーレン氏に渡してください」
「リーゼロット様……」
「そんな心配な顔をしなくても大丈夫です。もしもの場合ですから。
リル、メルの言葉を良く聞くように」
「はい、リーゼロット様」
メルとリルと呼ばれた二人の少女が綺麗なお辞儀をする。
決して慌ただしくなく、ゆったりとした淑女然とした立派なものだった。
平民を相手にする商売人の態度としては些か大袈裟な気もするが、そうして迎えられた者も悪い気持ちはしないだろう。
であれば、それは正しい姿なのかもしれない。
「ではマリウス様、お手を拝借いたします」
リーゼロットはそういうと呪文の詠唱を始める。
それは王国の宮廷魔術師が使う転移魔法とは異なるものだった。
はじめに現れた魔方陣の上に二つ目の魔法陣が現れ、さらに三つ目の魔法陣が現れると、それらが重なった瞬間、まぶしい光に視界が包まれていく。
「アキト様とのお帰りをお待ちしております、リーゼロット様」
メルの、願いの言葉が囁かれるのを聞きながら、マリウスは意識までもがまばゆい光に包まれていった。




